6:unite










その夜はなかなか寝付けなくて、見覚えのない窓の外を見上げながら不安につぶされそうな時間を過ごしていた。

竜也に会いたい。今すぐ竜也を叩き起こして話を聞きたいくらいだ。受験があるんだ、早く元の生活に戻って遅れた分を取り戻さなきゃいけないし勉強もしなきゃいけない。一緒にサッカーもしたい。

―武蔵森でレギュラーとって全国に行くのが俺の当面の目標だ。


「・・・」


サッカーよりも夢よりも、お父さんに会いたかったんだ、竜也は。
月が消えて、住宅街の屋根の果てからボンヤリと明るい日差しが昇ってきていた。朝方になってやっとウトウトとしはじめた俺は夢の中で竜也と話していた気がする。


『冬はつまんないよな、大会も試合もなくてさ。なぁ竜也?』
『そーだな』
『先生に頼んでどっかと練習試合組んでもらおうか』
『ああ、いーんじゃない?』
『なんかノリ悪いなぁ。それに最近学校休むの多くない?今朝も先生に怒られてたじゃん』
『いーじゃん、中学なんてよっぽどのことがない限り留年とかありえないし』
『何してんの?』
『ん?いや、その辺走り回ったりさ』
『トレーニング?』
『んー、まぁそんなとこ』


半年前の冬に確かそんなような話をしてて、その何日か後に竜也は事故に遭った。今にして思えば竜也は事故に遭う前によく学校を休んでいたっけ。竜也はふと学校を休むことがあったから特に気に留めなかった。


『俺、父さんとサッカーしてても、お前の父さんみたいにああしたほうが良いとか言われたことないんだよな。父さんのプレーを見て、自分で本とかビデオとかも見て体で覚えてた』
『そーなんだ。でも竜也のお父さんはプロの選手だし、忙しいんだろ?仕方ないよ』
『・・・誠二はさ、将来どうなりたいの?サッカー選手になりたいの?』
『まぁ、そうなれれば良いかなって』
『そっか』
『なんで?』
『俺はさ、どうなりたいとか、ないんだ。そりゃサッカーが好きだしずっとしていたいけど、プロになりたいかって言われるとどーかなって』
『だって竜也、武蔵森に行きたいって言ってたじゃん』
『それは今はサッカーが楽しいし勝ちたいし誰よりもうまくなりたいと思うからさ。でもプロになったら楽しいとか好きとかだけじゃないだろ?汚さとかいやらしさとかも覚えなきゃいけない。別にプロじゃなくても楽しくやってりゃいいんじゃないかとも思うんだよ』
『それって、お父さんを見てきてそう思ったの?』
『・・・かもな。俺あんまり父さんに遊んでもらった記憶とかないんだ。多分俺、サッカーがすごく好きなんじゃなくて、父さんに認められたいだけなんだよな。でももしさ、俺がいつか父さんを越えるくらい上達したら・・・、俺何のためにサッカーすればいいか、わからなくなると思う・・・』


竜也はいつも強気だけど、時々ふっと弱くなるときがある。強がりを言えば言うほど、いつか崩れてしまうような気がしてた。


『だいじょーぶ!俺がいつでも竜也より一歩前をいっててやるから』
『・・・なんだそれ。いつお前が俺より上をいったんだよ』
『ずーっといってるじゃん。何ならこれから勝負する?』
『ああ、やったろーじゃん!』


だから俺は、竜也がこぼす弱気な声を、出来るだけしっかりと受け止めようと思ったんだ。








目が覚めて、一瞬ここがどこだかわからなかった。
寝起きの頭で目をこすってボーっとしていると、だんだん頭がさえてきてきのうの出来事を思い出した。そして周りを見て、今俺の身に起こっている事が夢ではなかったことを再確認した。時計を見ると昼の2時を差していた。こんな状況で結構寝たな、俺・・・


「おはよう」
「お、おはようっ」


階段を下りてリビングのドアを開けると、中に英士が一人で本を読んでいた。
がいなくてちょっと安心した。


「眠れた?」
「あ、うん」
「立ってないで座ったら?お腹空いてる?っていってもが帰ってきたらすぐ夕食だけど」
いないの?」
「朝から出てってるよ」
「そう。翼は?」
「翼は学校」
「学校?夏休みなのに?」
「翼は忙しい身だから。有名な進学校に通ってて夏休みなんて1週間くらいしかないらしいよ」
「進学校って、翼ってまだ小学生だろ?」
「彼は家は資産家でね、小さい頃から厳しい教育されて育ってきたんだよ。将来は日本のトップに立つ身分だからね」


意外というかなるほどというか。(それであの偉そうな態度か・・・?)


「みんなが帰ってくるまで外に出る?少しでも場所に慣れていたほうが安心するでしょ」
「え、いいの?」
「いいよ」


まさか家から出られるとは思ってなくて、テンションが上がった。顔を洗って着替えて、英士と一緒に外に出ようとすると翼が帰ってきた。


「おかえり、翼」
「ただいま。は?」
「まだ帰ってない」
「まだ?朝一緒に出たのに、どこ行ったんだろ」
「俺も今から誠二と外出るから」
「外?そんなことしてそいつが逃げたらどうするの?」


また翼は信用してない目で俺をジロリと見やった。どんな育て方をしたら小学生のうちからこんなに人を信用しなくなるんだか。


「心配なら翼も一緒に行く?」
「べつに心配なんてしてないけど。ま、一緒に行ってもいいよ」


素直に行くと言わない翼は急いで2階にカバンを置きにいって、着替えて戻ってきた。
俺たち3人は照りつける夏の日差しの下に出て、英士が川辺のほうへ行こうかと指差し歩き出した。


「あっつー。なんだってこんな暑い中歩かなきゃならないわけ?」
「もう少し日が落ちてから出てこれば良かったかな」
「でももう3時だし、昼に比べれば涼しいもんだよ」
「十分暑いよ」
「翼ってかぎっ子?」
「は?」
「色白いし、外で遊んだりしてないだろ」
「だから何?外で遊んだらなんか偉いわけ?悪いけど僕はそんなヒマじゃないんだよ」
「ダメだぞ、小学生は外に出て遊ばないと。勉強ばっかりしてるとひ弱になるぞ」
「外ばっかり走り回ってバカになるよりずっとマシだね」
「誰のことだよそれ」
「自覚ないんだ」
「ムカつくなぁ〜」


こんな若いうちからこんなに捻くれてしまって、やっぱりお金持ちは心が貧しいんだな。大人びてて口も達者で、最近の小学生はみんなこんなんなのだろうか。それこそ日本の将来が危ぶまれる気がする。


「え、ここって俺の住んでる町と同じ町なの?」
「そうだよ。元々俺たちはこの町を拠点にしてたから」
「なーんだぁー」
「だからって逃げたらもうお前部屋から出さないからね」
「翼って全然俺のこと信用してないのな」
「安心しなよ、俺は誰もことも信用なんてしてないから」
や英士のことも?」


翼はフンと鼻を鳴らして俺の質問に答えず歩いていってしまった。
その翼の小さい歩幅を見ながら、英士が小さく笑った。


「俺たちはを信用しなくなったら成り立たないよ」
ってどういう人なの?なんか一番偉いって感じだね」
「彼女は俺たちの司令塔。ゲームマスターといって、オーナーから指示を受けて作戦を組み立て、仲間を集めてゲームを仕切る。は5人のレギュラーが捕まれば俺たちの負けって言ったけど、綿密に言えばマスターが捕まれば俺たちの負けなんだ。だから俺たちが逃げ切ったとしてもが捕まれば俺たちの負けになって全員が刑を受ける。逆に言うと俺たちは、自分を犠牲にしようともを逃がさなきゃならないんだ」
「自分が、犠牲になってでも」
「そう。俺たちの中には深い思いを背負ってゲームに参加してる人もいる。そういう人のためにもは絶対に捕まっちゃならないんだ」
「深い思いって?」
「ゲームクリアの報酬」


前を歩いていた翼が、路肩に乗りあがりながら俺たちの話に口を挟んだ。


「病気の子供の手術代だとか、借金返済とか、業界にコネ作りたいとか。いつだったか本物の犯罪者が逃げるための金が尽きたから参加してたってのもあったらしいよ。まぁ僕はそんな報酬全く興味そそられないんだけど」
「へぇ・・・」
「ゲームに参加している期間や役割、功績によって報酬は増減する。巨額の金を貰おうと思ったらそれなりの実績がなきゃならないし、何より最後まで逃げ切らなきゃならない。でも はゲームマスターになってから過去負けたことがないんだ。だからの仲間になりたいという志願者は増える一方なんだよ。は嫌がるんだけどね」
「最初は全部で30人いたんだもんね」
「今回はゲームがドロケイだから少ないほうだよ。このゲームは何年かに一度しか行われない。長期戦だしハードだし忍耐力が必要だしでゲームレベルでも上位に入る。これでも参加者は過去最小人数なんだよ。泥棒側は不利だしね」
「そうなの?」
「普通のドロケイだってそうでしょ?警察は何時間かかろうとも捕まえればいいし人数も減らない。でも泥棒は捕まれば仲間が減っていくし、何より始終緊張していなければならない。捕まれば実刑もある。リスクが大きいんだ」
「だったらみんな警察になるんじゃないの?」
「小金欲しさや楽しむだけでゲームに参加するならそうだろうね。でも警察は人数が多いだけに報酬が少ないんだ。警察側も泥棒側も最初の配当額は決まっててそれを資金にゲームを行う。つまり時間が経てば経つほど経費はかさむわけだから分け前も減る。警察は一刻も早くを捕まえるか時期を見て降参するしかないんだよ」
「へー、なるほど〜」


ただの非常識なゲームだと思ってたら、システムもルールも意外としっかりしてた。本当にこんなゲームが世の中にあって、俺の気づかないところで普通に見えた人たちがそんなゲームをしてて、今でも信じられないけど、現実で。


「でもまさか今になってシゲが出てくるとは思わなかったよね。しかも警察側にさ」
「え?どういうこと?」
「シゲは元々の部下だったんだ」
「部下・・・って、仲間だったって事?」
「それも結構忠実なね。どのゲームにも絶対の隣にはシゲがいた。今回顔見せないなと思ってたらこの末期になって急に警察側に現れてさ。ま、アイツは元々信用ならないヤツだったけどね」


何か因縁でもあるのか、翼は嫌悪感いっぱいな顔をして苦虫を噛むように言った。少し話しただけだけど、俺はそんなに、悪い印象は受けなかったんだけどな。


「俺や翼より付き合いは古いはずだよ。がマスターになる前から知り合いだったらしいし」
「ちょっと、俺だってがマスターになる前から知ってるんだけど」
「ちょうどマスターになる頃だっただろ?」
「英士は?」
「俺はまだ浅いよ。がマスターになった直後」
「へー意外。翼もだけど、英士はもっと長い付き合いって感じなのに」
「過ごす時間が濃いからね」
「英士は普段何してんの?」
「俺はゲーム中から離れることはないし、ゲーム外でも大抵一緒だよ。マスターはオーナーから生活の保障はされてるし、俺もも生きる上でそれほど金が必要じゃないからね」
「へぇー」
「とにかく、あの金髪には近づかないことだよ。アイツは精神専門っていうか、駆け引きとか揺さぶりが得意だから面と向かって話してるとこっちがトチ狂っちゃうよ」
「へ、へぇー・・・」


俺って、知らぬ間に危ない橋の上渡ってたんだなぁ・・。


「それにしてもあの人、元は味方だったのかー。なんかちょっと複雑じゃない?」
「なんで?」
「だってずっと仲間だったのに急に敵になるなんて、俺だったら悲しいなー」
「・・・」


少しずつ落ちていく太陽を前にして、俺たちは川の流れを眺めていた。サラサラ流れる水は海に向かってなだらかに流れていく。その流れに沿うように、英士はそっと口を開いた。


「君にゲームのことを話したのは、巻き込んでしまったことと、少なからず君にも危険が及ぶことへの謝罪のつもりだよ」
「あ、やっぱ、危険なんだ」
「このゲームはいつも長引くほうだけど、予算を考えるとそろそろ終わらせなきゃいけない頃なんだ。俺たちにしろ警察にしろ、勝ち負けがかかった終了間際はやっぱり危険が増す」
「じゃあ、夏休みが終わるまでには終わりそう?」
「たぶんね。あと、話してみればわかるだろうけど、はきのうのやり取りを覚えてないと思う。気にしないでやって」
「え、なんで?」
「そういうヤツなんだよ。人の気も知らないで余計なことも大事なこともきれいサッパリ忘れ去るんだよあの人は」
「そろそろ帰ってくる頃かな。俺たちも帰ろうか」


そして俺たちは、生ぬるい風が撫ぜる川辺の道をまた戻っていった。まだ沈まない夏の太陽は気だるさく居座って、それがもたらす湿気はとても爽快な気分にはなれない温度だった。その空を映し出す川の水も灰色に淀んで見えて、夏らしくない、と思った。

これからどれだけここで過ごす事になるのかは、わからない。でも英士が言ったとおり、外に出られたことでいくらか気が休まった気がする。
気を使ってくれる英士も、ちょっとは信用してくれた(かもしれない)翼も、そして、


「あ?」
「・・・」


当の、この人も、


「あーあー、お前か。そーいやいたな」
「いたなって・・・」
「英士、メシ」
「はい」
「だからはしたないってば」
「聞こえませぇん」


みんな、俺には見えない奥深くて透明な何かを背負って、毎日ここで生きてた。
俺が毎日学校へ行って勉強してサッカーして遊んでる間も。
それは誰にも当てはまる、極普通な、当たり前なもので、


「おい」
「え?」


は突然振り返り、ポンと俺にサッカーボールを投げた。


「どうしたの、これ」
「拾った」
「拾ったって・・」
「落ちてるものは早いモン勝ち」
「うわ・・・」


はそのまま家の中に入っていって、どうしようかと迷ってると隣で英士が「貰っておいて」とささやいた。
でもこのボール、結構きれい。


「ありがと、


俺は初めて、その名を呼んだ。


「おう」


が初めて、俺の言葉を聞いた。


人と人が出会うって、偶然なようで必然で、当たり前なようで奇跡で、
俺ももみんなも、大事なのは、出会ったその後だと思った。












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