7:Calm before a storm 「おはよー」 ここで過ごす事になって、ようやくまともに朝を迎えた。といっても昼に近い朝で、なのにリビングにはカーテンが引かれたままで薄暗い。 そんな中でソファに座って本を読んでる英士が俺に向かって口の前で「シ」と指を立てた。 なに?と首を傾げると、英士は静かにその立てた指をあの、のお気に入りのソファに向けた。背もたれで見えない、窓のほうを向いたひとりがけソファには、が猫のように小さく丸まくって、なんとも寝苦しそうな体勢で寝ていた。 「ごはん食べる?」 「うん」 こんなとこで寝てたらまた翼に怒られそーだなぁと思いながらを覗いていた俺に英士は言って、隣のキッチンに入っていった。 リビングにつながった隣の部屋はキッチンになっていて、俺たちはいつもここで食事をする。そこでは翼がひとり先にごはんを食べていた。 「あれ、翼いたんだ」 「いちゃ悪いっての?」 「だっていつも朝早くに出てくからさ。今日は学校休みなんだ、ゆっくりした朝なんだね」 「昼ごはんだよ」 床に足も着かないクセに翼は相変わらずの捻くれっぷりを吐く。人の素行を注意する前に自分の口の悪さこそ見直すべきだと思う。 そんなのどかとは言いがたい真昼のキッチンで、英士が味噌汁を温めてくれている。見たところここの生活は英士なくしては成り立たない、一家の母のような役割を担っていた。きのうなんてシャツにアイロンかけてたし。 「はまだ寝てんの?」 「はすることがなければほぼ一日中寝てるよ」 「でもあんなとこで寝てたら体痛くなっちゃうよな」 「何ノンキなこと言ってんのさ」 「え?」 「翼」 また翼が何か含みのある言い方をして、俺がその意味を理解する前に英士が翼を制止した。 「があんなとこで寝てんのはお前に部屋貸してるからだろ?誰も好き好んであんなところで寝てるわけじゃないんだよ」 「・・・あ、」 あそこ、の部屋だったんだ・・。 「気にしないで誠二。どうせ何を言ってもは聞かないか、ら・・・」 英士は俺に気を使ってそんなことを言ってくれたんだろうけど、でも俺はその言葉を聞くより早く立ち上がりドアのほうへ走った。 「ゴメーン!俺のせい?俺のせいだったんだー!!」 「・・あ?なに」 「ゴメンねー!!俺が今日からここで寝るからベッドで寝てよ!!」 「・・・」 俺はを揺さぶって涙ながら謝った。俺は申し訳ないあまりにが寝てるということをすっかり忘れてて、その後思いっきりハラを蹴られ死ぬ思いをしてやっとの睡眠を妨害してしまったことに気づく。 でも、俺にあんなキツイ言い方をしておいて、それでも自分の部屋とベッドを俺に貸してくれていたのだ。俺なんて自分の立場も忘れてきのうはグースカ寝ちゃって、はこんな狭いソファで小さくなって寝てるというのに・・・、なんてこった!俺のバカチン!! 「べつになぁ、あたしはどこでも寝れるからいーんだよ。あんなデカイベッド逆に寝れねーっつの」 「なんで?フカフカしてて気持ち良いよ」 「なんだろうと寝にくいんだよ。金持ちの考えることはわからん」 「金持ち?」 俺に起こされかなり不機嫌なは、目が覚めてしまったようで結局みんなと一緒にキッチンで食事をとり始めた。といってもテーブルにうな垂れてまだ頭が覚めきってないようだけど。 「この家にあるものは全部翼が持ってきたんだよ。ベッドもタンスもエアコンも洗濯乾燥機もテレビも全部」 「だって俺が来る前のこの家ときたら何?あれは人の住む家?なんもなくてさ、引越ししたあとみたいだったんだから」 「家なんて雨露がしのげればそれでいーんだよ」 「仮にも僕が住む家がこれじゃあまりに失礼だったからね。色々買ってあげたの」 「翼ってそんなお金持ちなの?」 「そりゃーお前、こいつの家は世界でも5本の指に入る5つ星ホテルだぞ。金持ちになるには金持ち相手に商売をする。鉄則だよなぁ」 「ちょっと、人の大事な情報をこんなヤツに簡単にバラさないでよ」 世界とか企業とか全然わからないけど、とにかく翼は大変なお金持ちらしい。だからって俺はその翼の大事な情報をどうする知恵も持ち合わせてないから、大変な安全株だけど。 「翼、時間まだいいの?」 「うん、夕方出発だから」 「翼どこか行くの?」 「ちょっとイギリスに」 「・・・それってちょっと行く場所じゃないよ」 「イギリス?なんで?」 「あのねぇ。毎年この時期はいつも行ってるだろ」 「ああ、じいちゃんのとこ。あの偏屈ジジィはそろそろ死んだか?」 「勝手に殺さないでよ。まぁ最近ちょっと体調悪いらしいからそろそろ世代交代だろうけど。だからよろしくね」 「お前が抜けたら逃げるときどーすんだ」 「英士がいるじゃん」 「こいつは走るだけだろーが。道案内するのがお前の仕事だろ!」 「ほんの4・5日だよ。何もありゃしないって」 「お前な、今は末期だよ?その間に捕まっちゃったらどー責任取ってくれんの?」 「こんなときだけ責任だなんだって言わないでよ!」 もうこの人たちは、仲がいいやら悪いやら。 でも英士はいつものことだよって感じで口も挟まずお茶淹れてるし、コレがここの当たり前なんだろうなぁ。 「ねぇ、海外に行ってる最中はどうなるの?」 「べつに変わんないよ。捕まればジ・エンド」 「え、じゃあもし海外で捕まっちゃったらどーなんの?」 「外で捕まられるとちょっと厄介だなぁ」 「厄介って?」 「捕まっても取り戻せるってのがこのゲームのミソなんだよ。でも海外だと取り戻そうにも取り戻しづらい」 「なるほど、普通のドロケイでも取り戻せるもんね。じゃあ捕まっても取り戻しちゃえばいいってこと?」 「そー簡単なもんじゃねーけどな。捕まったらまず刑を受ける前に入れられる収容所があるんだけど、そこに入れられたらアウトだな。連絡取ろうにも捕まった後じゃ無理だろうし、警備も強いし二次被害もあるし。だから大抵取り戻せるのは収容所に入れられる前までだ」 システムはほとんど本物の警察と同じ、とが言っていたから、俺は牢屋みたいなものを想像した。確かに牢屋から出るなんて並大抵のことじゃなさそう。 「じゃ、そろそろ行くよ」 ごはんを食べ終えて荷物を纏めた翼が玄関へ向かっていった。末期だ危険な時期だといいつつも、やっぱりみんな普段の生活があって、その中でやりくりしなきゃいけないんだからやっぱり大変なんだ。 でも翼ひとりで、大丈夫なのかな。 もし見つかっちゃったらどうするんだろ。 「飛行機乗るまでは無線つけとくけど、乗ったら電話しか使えないから」 「あー」 「じゃあね」 「あー」 まだテーブルの上で寝かけているは、もう翼が出て行くことになんて興味ないような素振りで返事した。 そんな見送り方があるかと思わずを見たのだけど、翼はさっさと荷物を持って玄関に向かっていって、英士も後片付けをしてて。 「ねぇ、大丈夫かな翼」 「なにが」 「なにがって、心配じゃないの?」 「心配したってどーすんだよ。海外までついてくのか?」 「それは、無理だけど・・・」 「心配したって捕まるときは捕まるし、何もないときは何もないんだよ」 「捕まっちゃダメなんだろ?なんかこう・・・あるじゃん!」 「何がだようるせーな」 深く頬杖つくに詰め寄ると、は本当にうざそうな顔をした。 「なんか、あるじゃん!気をつけてねーとか、困ったらすぐ連絡しろーとか!」 「そんな心配ならお前ついてきゃいーだろーが。イギリスだぞ?海外だぞ?」 「それは・・って遊びに行くんじゃないんだから!」 はなんっかズレてて話づらい。そんなに頭を抱えていると、窓から翼が出ていくのが見えて、俺は窓を開けた。 「翼!」 「なに?」 「気をつけてね!」 「はぁ?」 「だって一人で行動するわけだし、なんかあったら大変じゃん!」 「そんなことアンタに言われなくても十分わかってるんだけど。それとも何、俺一人じゃ捕まるとでも言いたいわけ」 「そーじゃないけど・・、もーお前らは!もっとこう、あるだろ!人となりってモンが!」 「こっちはアンタの何倍も長くゲームやってるんだよ。アンタに心配される覚えなんてないね」 「・・・あーそーですかっ。この偏屈少年め!」 「じゃあね」 「あ、車に気をつけろよ!」 「・・・」 窓から体を乗り出してそう叫ぶ俺に翼はまた嫌そうな顔をしたけど、その後で足を止め俺に振り返った。 「あのさ」 「ん?」 「アンタに言っても無駄だと思うけど、・・・から、目を離さないでね」 「え?」 翼の小さい声は聞き取りにくかった。 きっと俺のすぐ後ろにいるに、聞かれたくないんだ。 「英士がいるから大丈夫だと思うけど、僕が帰るまでは、僕の分はアンタに頼んだ」 「なにを?」 「それだけ、じゃあね」 「・・・?ああ、じゃあ、気をつけて」 よくわからないけど、翼はそのまま門を出ていった。 見えなくなるまで翼を見送ってると、うしろのにまぶしいから早くしめろと怒られた。まぶしいって、こんな昼間からカーテン締め切ってると脳ミソ腐るよ。 そうして家には俺とと英士の3人になって、どこの家にも見られる夏休みの自宅の風景みたいな空気が流れた。クーラーがガンガン動いて、英士が定期的に飲み物を持ってきてくれて、外ではセミが鳴いて、近所の子供の遊ぶ声が聞こえて。 ここにはテレビがあるけども英士もつけないし、まるでイナカのばーちゃんちにいるみたいに静かな時間が流れて、俺はヒマを持て余してた。 「ってサッカー出来ないの?」 「出来ん」 「ちぇ。英士は?」 「昔少しだけやったくらい」 「ホント?ちょっと相手してよ」 こんな状況にもかかわらずボールを追いかけてはしゃぐ俺は、やっぱり色々わかってなかったんだと思う。だからあんなにも無邪気に笑えて、今の現状や、この先起こる出来事のことなんて何も考えてなくて。英士が言った「危険」も忘れてた。 でもそんな俺に、も英士も何も言わなかった。 今思えば、こんな俺をどんな気持ちで見ていたんだろう。 呆れていたかな。 英士と庭でサッカーボールで遊んでると、どんどん上がる気温と熱で汗だくになり、いつも涼しげに見える英士も暑そうに汗を拭って俺たちは遊んでた。 「英士のウソツキ!何がちょっとだよ、全然出来んじゃんか!」 「でも誠二のほうが上手いでしょ」 「じゃあなんで抜けないんだ!」 ジメジメした暑さが気持ち悪くて、セミの鳴き声がさらに暑さを増長させてる気がする。 「あづ〜い!汗ベタベタ〜!」 「ちょっと休憩。シャワー浴びてきたら?」 「そーする」 散々動いてもう限界と、サッカーボールを手に取った。俺たちは家に入ろうと玄関に向かって、でも英士が窓から家の中を見て足を止めて、その窓から中に入っていった。すぐそこのリビングではがまた、寝苦しそうな体勢でソファで寝てる。 「ホントよく寝る人だなー」 「・・・」 英士のうしろからついていって同じようにを覗き込んでると、英士はテーブルにあったリモコンをとりクーラーの温度を下げた。そして別の部屋から薄い布団を持ってきてにかける。 「なんか英士って、側近っていうより世話係りみたいだね」 「そんなようなもんだよ。この人は自分じゃ何もしないから、下手すると食事さえ面倒くさがる」 「そういえばさっき翼もから目を離すなとか言ってたっけ」 「俺たちにとって、彼女はそれだけ重要な人だから」 「そうだよね、マスターだもんね」 を起こさないようにカーテンを閉めて日差しを閉ざし、汗ばむの額にそっとタオルをあてた。 その様子は確かに、仕事というよりも、世話。 「って俺と同じ年くらいでしょ?なのにこんな大きな責任背負っちゃって、大変だよね」 「本当に。こんな小さな体で背負える重みじゃないよ」 「でもってなんか強いし、ゲームも心底楽しんでるって感じするよね。負けナシなんでしょ?」 「・・・でも、まだほんの少女なんだよ」 を見下ろしてる英士はいつも以上に小さな声で、でもいつも以上に抑揚のない、低い声でつぶやいた。 「は時々酷く不安定になるときがあってね、特に冬はあまりゲームもしないし、寒すぎる日はもう手がつけられないんだよ」 「なにそれ、なんで?」 「何年か前、それが何故かとしつこく聞いた仲間を一人、殺しかけたことがある」 「・・・え?」 「刺したんだ。死にはしなかったけど、それはたまたま応急処置が出来る人間が近くにいたからで、死んでてもおかしくなかった。そんなは、初めてだった。自分も仲間も他人も、物も人も区別が付かない感じ。誰にも触れられたくない部分を心の奥底に持ってる。それを無理に引き出そうとしたから」 「・・・刺したっていうの?」 「そのことがあってからは、誰もそのことには触れなくなった。仲間もずいぶん減った。そんなを慕う人間は少なくなったけど、その分結束は強いと思う」 「その、触れられたくない記憶ってのは・・・?」 俺の問いに、英士は小さく首を振った。 「知らない。知る気もない。報いを恐れているからじゃなく、を人殺しにしたくないからね」 「だから、英士はの傍にいるんだ。守ってるんだね」 「俺なんか、役に立ってるかどうかわからないよ。俺はの環境が変わらないように努めているだけ。熱いなら冷まして、寒いなら暖めて、お腹が空けば食事を与えて眠りたければ寝かせてやる。ただそれだけ」 「だけじゃないよ。英士がいるって分かってるからこんなに寝てるじゃん。必ず英士が近くにいるって分かってるからだよ。は英士のこと信頼してるんだよ」 「・・・」 を見下ろしてた英士は立ち上がって、小さく俺に振り返って、 「変な話をしたね。忘れて」 そう、少しだけ微笑んだ。 まるで笑うことが悪いことのような、いつ消えてもおかしくないささやかなものだった。 英士も翼も、信頼し合ってるように見えてた。信じなきゃいけない、信じあうことが大事だって。でもそういう思いって、完全なんてありえない。些細なことから疑問を抱いてしまたり、余計なことから疑ってしまったり。 思ってた以上に平穏に流れていく時間の合間で、みんなの深くて強い、でもどこか頼りない信頼関係だけが夏の空気の中に入り混じってた。 この感じ、俺もどこかで感じたことがあった気がする。 いつだっけ・・・ ああそうだ。 サッカーをしているときだ。 竜也とサッカーをしていると、不思議と竜也が俺に何を求めているかわかったし、何をして欲しいかも伝わってきた。どこにボールを蹴ればいいかわかったし、どこにボールがくるかもわかった。 感じるんだ。ここだって。 ボールを蹴ってる間は何があっても信じてた。 俺たちは仲間だと。 |