番外編:英士 Trying snow やっぱヘンだ・・・。 英士の話を聞いてやっぱり思うのは、そんな答えだった。でも英士はいつになく楽しそうに笑ってる。 「それで思い留まったというよりも、拍子抜けしてしまった感じでね。でも不思議とあの時は、あの人自身が神のように思えたんだ。あんなたかだか13・4の子供にね」 「でもまぁ、それがあったから今の英士があるんだよね。英士がそこで死ななくて良かった。だってもし死んじゃってたら俺英士に会えなかったもんね」 ふ、と英士はまた軽く微笑んだ。 「やるじゃんも。結局英士を止めたんだからさ」 「・・・」 「やっぱなんだかんだでいいヤツなんだな。口悪いけど」 「もう寝ようか。疲れてるでしょ」 そーだね、と俺はソファに頭を倒した。 やっぱり疲れていたんだろう、あっという間に寝息をたてはじめた。 「・・・でもね、やっぱり彼女は、彼女だったんだ」 そう、俺を見ながら小さくつぶやいた英士の声は、さっさと寝てしまった俺には全く届かなかった。 街に朝日が昇って、白かった息も少しずつ温度を高めて溶けていった。 くぁ・・・ 眠気に襲われたのか、少女はアクビをしてまたビルの淵に寝転がった。 「君は、誰なの?」 「べつに誰でもいーじゃん」 「・・・そうだな」 こんなおかしなゲームをしておいて、死ぬか生きるかの話をしておいて、今更誰という事もないよな。確かに、どうでもいい気がするよ。 俺は上着を脱いで、少女に差し出した。 「風邪引いてるみたいだから」 「寒さには弱くてさ」 さんきゅ、と上着を取ると、少女はそれを体にかけて鼻をこすった。 「じゃーな」 「ああ」 もうここには用はない。生きようと決めた。 くだらないキッカケだったけど、俺にとっては、大きな決意だ。 「また、どこかで」 「運がありゃーな」 「・・・縁じゃないか?」 「なんでもいいよ」 相変わらず空に向かってほのかに笑う少女。その少女と別れて、中へとつながるドアへ歩いていった。 縁があれば、またどこかで。 「・・・さて、と」 夜明けのビルの中は暗かった。足元もおぼつかないような不安定さで、階段を下りていた。 ―ヒュウウウ・・・ 閉めたはずの屋上につながるドアから、隙間風の音が聞こえた。 「・・・」 俺はふと足を止め、ドアを見上げた。 「・・・?」 なぜか、なぜだか胸の奥が、騒がしくてたまらなかった。 ―ヒュウウウ・・・ 俺は階段を一歩上がり、ドアに向かって走った。 嫌な感じがした。胸の中が騒がしくて、締め付けられるようで。 急いで階段を駆け上がり、あのドアを勢い良く開けた。 その瞬間・・・ 「やめろッ!!」 そんな叫び声が屋上に響いた。 そして誰かの人影が俺の前に降りたち、屋上の先の、あの少女に向かって走っていった。 少女は屋上の淵を両腕を広げて歩き、バランスを取りながら、まるで鳥が大空を羽ばたくかのように ポン・・・ と、コンクリートを蹴った。 飛んだ。 そう思ったのも束の間、一瞬にして少女の姿はビルの下へ消えた。 俺は膝を崩した。少女に駆けつけた誰かも、ビルの淵まで走って手を伸ばしたが届かず、下を見ながら地面のコンクリートをガンッと叩いた。 何が起きた? 何が起きた? 何って・・・、決まっている。 勝負に勝った少女は、飛んだんだ。 「くそっ・・・。おい、今すぐルート45のE点まで来い、がビルから飛び降りた、すぐ車を回せ!」 ビルの淵で深く地面にうつぶせていた男は、腰につけた機械を手に取りそれに向かって叫んだ。もう一度ガンっとコンクリートを殴り、体を起こしてこっちへ走ってくる。 俺の横を通り過ぎ、その瞬間グッと睨みつけるように俺を見てビルの階段を駆け下りていった。 「・・・」 俺は頭も体もまともに動かない。混乱したまま、無意識に立ち上がりあの男を追いかけた。 ビルからかけ出ると、さっきの男が少女を見つけて駆けつけていた。 大きな男の影でよく見えないが、あたりに赤い鮮血が飛び散っていた。 俺も彼女に近寄ろうとすると、その前に一台の車が滑り込んできた。 「ちょっと、なんなのっ?どーゆー事なの!」 「いいからすぐに病院だ!まだ息はある、死なせてたまるか!」 車からの数人降りてきて、慌てた様子で少女を急いで車に乗せた。 俺はその車に、少女に駆け寄る。 「待って、俺も行かせてっ」 「なに、この人だれ」 「さっきの、のゲーム相手だ」 「・・・こんな一般人相手に遊んで、何やってるのよこの子は!」 「フザけんなよ、お前のせいでこうなったんだぞ!ほっとけよそんなヤツ!」 「頼む、連れてってくれっ」 「ちょっと!どうでもいいから早くしてよ!」 声が荒れ、混乱する車内で助手席に座る小さな少年の声が叫び車内はピタリと静まった。 その車内に、最初の男が俺を引っ張り入れてドアを閉めた。 「国道はダメだよ、きのうの地震でずっと工事中」 「中央通りは?」 「ちょうど朝のラッシュの時間だ、それより堤防のほうへ」 「でもまだ連中いるんじゃないの?」 「今はそんな事どうでもいい!とにかく急げ!」 「でもこの車で堤防なんて走れるのか!?」 「走ってよ、それしかないんだから!」 車内に飛び交う会話は俺には理解出来なかった。 この人たちがなんの集団なのか。この少女が、彼らにどういう存在なのか。 「もっと急いでよ!」 「ムチャ言うな、落ちたらアウトだぞ!」 「渋沢さん、どう?」 「っ・・・、息が止まった・・」 「なっ、もっと早く、急いで!」 後部座席で、小さな少女の頭から流れて止まらない血が座席へ床へと下っていった。 押さえつけても縛り付けても止まらない血液が、その少さな体のどこにそんなにあったのかというほど流れ出る。 そうして少女は、静かに、静かに顔色を落としていった。 「代わって」 「え?」 運転席のうしろから俺は運転している男に声をかけた。 「邪魔すんな、ひっこんでろ!」 「お願い、代わって。このくらいなら走れる」 「黙ってろって!!」 「頼む!」 彼らにとって、ここにいて欲しくもない俺。 「谷口、代われ」 「え?!だってよ・・」 「いいから」 車を止めて、運転していた男の代わりにシートについた。 「道は?」 「え?あ、このまま行って、3本目を下りたらすぐそこ」 「わかった」 隣の少年は少し呆気に取られた顔で呟く。ギアを4速に入れてアクセルを踏み込んだ。 車が一台通れるかというほどの狭い海沿いの道をギリギリに、ワゴンタイプの大きな車で走りぬけた。 「すげ・・・」 自分で切りつけた傷口が、うずく。 右腕はハンドルにつけるだけで、ギアを入れ替えつつ左腕一本で車を走らせた。緊迫した車内から見える、隣の海だけがようようとのどかに波打っていた。 病院に運び込んだ少女はすぐに手術室へ運ばれ、みんな部屋の前で祈るように待っていた。 不幸中の幸い、といおうか、俺の渡した上着が風を切り、その上地面に落ちる直前に大きな木にぶつかり枝に服を引っかけたため、いくらか落ちる瞬間の衝撃は和らいだらしかった。 しかし血を流し続けた少女の、呼吸も心臓も止まっている。 車に乗っていた誰もが少女の無事を、帰りを祈る。 同じように祈って手を組んでいた俺に、あの小さな少年が「ねぇ」と声をかけてきた。 「ありがとう、あのまま走ってるよりかは可能性上がったよ」 「・・・いや」 「自分のせいだとか思ってるんだったらやめたほうがいいよ。あのゲームは正当なものだった。それだけで、には立派な死ぬ理由になるんだ」 ゲーム・・・? 「なんでそれを・・」 「俺たちも聞いてたから。あんたたちのやり取り」 「・・・君たちは、いったい・・・」 俺が少年に少し身を乗り出すと、その俺の声をさえぎる大きな声が「翼!」と静かな病院の廊下に響いた。その声に少年は振り返り、その視線の先からは男が駆け寄ってくる。 「うそ、三上さんいいの?今回敵チームなのに」 「んなこと言ってる場合かよ、あいつは?」 「まだ出てこない」 「どこだよ、あいつ」 息を切らし血走った目で少年に問いかけるその男に、少年は奥の手術室を指差した。 その指の先を同じように男は見て、それと同時に手術室の前に立っている背の高い男にも目を留め、走っていくと俯く背の高い男の胸につかみかかった。 「渋沢てめぇ!お前がついててなんでこんなことなるんだよっ!」 「すまん・・」 「すまんじゃねーよ馬鹿野郎!!」 「三上よせ、仕方なかったんだって・・」 「仕方ないじゃねーよっ、ふざけんなっ!!・・・」 朝方、誰もいない病院の廊下に男の声はどこまでも反響し、俺の心を刺した。 ここにいる誰もが、少女の無事を祈っている。誰もが少女の生還を願っている。なのにあの少女は、なぜあんなにも軽く・・・ 「悪い癖なんだ、の」 俺の隣に座る少年が小さく口を開いた。 「生きる事にも死ぬ事にも、拘りがない。いつ死んでも、笑って逝くよ、あの人は」 「・・・」 「それに、生き返ってきたらあまりに普通で泣きたくなるよ。だからあんま考え込むと後でバカみるよ」 少年はハッと笑って、ブラブラと足を交互にバタつかせた。 「・・・どれだけバカみせられても、いいんだけどね、俺は」 「・・・」 「戻ってきてくれるなら・・・」 少年は息を詰まらせて、それでも笑い飛ばしてやろうと顔を歪ませた。 そんな彼のいたたまれなさに、俺も固く握った手に涙を降らし続けた。 こんなにも必要とされ、愛されている少女を、どうか返してやってくれ。 代わりに俺を連れて行っても構わないから、だから、 彼女を返してあげて・・・ それからまたしばらく経った頃、奥の方から「!」と叫ぶ声が聞こえて、皆が出てきた医者に駆け寄った。 歓喜に泣け叫ぶ声が聞こえた。 俺も少年も立ち上がり、どうやらまたバカみちゃったみたいだと、少年は笑いながら、ぐしゃぐしゃに泣いた。 俺も、とめどなく涙を落とした。 ふとんを蹴飛ばして寝る誠二に布団をかけなおし、みんなが寝静まっている中で俺は自分の部屋のドアを開けた。 いつもなら俺がいくらベッドを使えと言ってもいらないとつっぱねるのに、今日は本当に疲れていたのだろう。おとなしく俺のベッドで寝ている。 朝日は自然と上へ上へ昇っていき、もうすっかり夏の暑い日差しを照らしている。少し開いていたカーテンから強い夏の太陽光が差し込んでいて、それを閉ざしの腕に当たっていた熱を遮断した。 の体には、よく見なければわからないけど、無数の処置の痕がある。 どれだけ奇跡が重なったら、あの高さのビルから落ちて助かるんだか・・・。 ほんとしぶといんだから、と言った翼の言葉を思い出して、少し笑う。 「・・・ん、」 寝息を立てるを見下ろしていると、ふとが目を覚まし俺を見た。 「すみません、起こしましたか?」 「・・・いや、どうした?」 「いいえ・・・」 俺はの隣に身を下げ、そっと息を潜めた。 「お前も寝ろよ」 「・・・」 そう言われても、貴方が寝ているのは、不安で不安で仕方ないんだ。 こうして静かに横にいるだけで、すぐ目を覚ましてしまう。どんなに疲れ果てていても、深く寝ていても、それだけは変わらない。 「英士」 「・・・はい」 「大丈夫だから、寝ろよ」 「・・・はい・・・」 だから俺は、貴方が落ち着いて深く眠る日がくるまで、安心して眠れる日がくるまで、貴方の傍にいます。 貴方を守り、共に生きる。 二人分ではなく、二人で生きる。 そう、決めたんです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私はこの三上にすべてをかけていた。 |