拝啓、遥か未来様。




「女みたいな字書くな、お前」
「・・・」

 部活日誌を書く俺の、頭の上から覗いてた三上先輩がおもむろにそう言った。
 気付かない間に背後にいた存在に驚き咄嗟に誌面を隠すけど、俺の手が俺の文字を覆った時にはもう三上先輩は奥のロッカーへ歩いていっていた。
そんな通り魔的な仕打ちで、しかも女みたいって・・・

「もー三上センパイ! タクをいびらないでくださいよ!」
「べつにいびってねーだろ、客観的な意見だ」
「だからって女みたいはヒドイっしょ! せっかくタクが俺の代わりに日誌書いてくれてんのに!」
「ヒドイのは俺か? お前か?」

 部室全体に響き渡る声で、俺が何を言うより先に正面に座る誠二が文句を張り上げた。だけど完全にフォローになっていない。目の前で気にすんな! と励ましてくる誠二を蔑んだ目で見やって、あと少しだった日誌を書ききった。女みたい、というフレーズは、いやに胃の深くに残って重たくて、日誌とカバンを担ぐと先輩たちに挨拶して、すぐに誠二と部室を出て行った。
 昔からよく言われてた。ずっとピアノを習ってたから学校で弾かされることもよくあって、そうすると周りのやつからピアノ弾くなんて女みたいだーなんてからかわれて。(思えばからかってくるやつらってみんな三上先輩みたいなやつだった気がする。)(やっぱいやだ、あの人・・・)

「なータク、もうすぐ学祭だな。タクのクラス何するの?」
「まだ決まってないよ、今日のホームルームで決めるんじゃない」
「マジで? もう1か月後なのに? 大丈夫なのそれ」
「うちのクラスは誠二んとこみたいに盛り上がってないから」
「つまんねーなー、学祭だよ? まつりだよ? 踊らにゃソンソンだろ!」

 学祭じゃなくたって誠二の脳内は年中お祭り状態だろうに。
 なんてことを思いながらも口には出さない俺の隣で、誠二はクラスでやる催しの話や好きな出店ランキングを指折り口にして、すでに頭の中が1ヵ月後へ飛んでしまっていた。
 だけど俺は学祭の何が楽しみということもないし、サッカー部有志によるフットサル大会に参加させられるのもメンドいなくらいにしか思ってない。温度差の激しいテンションで俺たちはグラウンドを出て、フェンス沿いを寮に向かって歩いていった。

「やっぱ目玉は後夜祭だよなー、俺今年はぜったい参加するもんね。去年は渋沢さんがすごいことなってたよな。みんな渋沢さん目当てって感じでさ、渋沢さんと踊った子が泣いちゃったりしてさー」
「やっぱ三上先輩より渋沢さんのほうが人気なんだ」
「そーいや三上センパイの話は聞かなかったな。まぁ三上センパイはフォークダンスってガラじゃないしな! おれ今年こそはぜったい何人と踊れるのか数えよ」
「楽しみの観点がずれてるよ」

 学祭の最後の夜、男子と女子が織混ざってのフォークダンスにとても大きな夢を描いてるらしい誠二がうきうきダンスの足取りで地面を踏む。意中の相手がいるならまだしも、そうでもなさそうな誠二がフォークダンスに何の夢を抱いているのやらだ。

「あ・・・」

 俺の周りで鬱陶しくフォークダンスする誠二の向こうに、フェンス越しに会話してるふたりの男女が見えた。ひとりはフェンスの手前で、Tシャツにハーフパンツ、肩にサッカー部ジャージをかけている、2軍の先輩。そしてその人とフェンス越しに相対している、長めの髪と制服のスカートを風に揺らす女子部の先輩。

「お疲れ様です」
「おう」

 ・・・たとえ俺たちが1軍で相手が2軍だろうと、先輩は先輩。近くを通り過ぎる時は必ず挨拶をするのが当たり前。背を向けてる先輩のうしろを通り過ぎる時に簡単な挨拶をすると、同じようにその人も振り向き簡単に言葉を返した。
 そしてその先輩のすぐ目の前にいる、だけどもフェンスによりそれ以上は踏み入ることが出来ないでいるその人も、挨拶を返す先輩の向こうで風に舞う髪を押さえながら、通り過ぎていく俺と目が合うとふと屈託ない笑顔を見せた。

 よく部活後にここにいるふたりは、まぁおそらく、付き合ってるんだろう。ここは寮に帰っていく通り道だし、二人の距離はフェンスに隔てられていながらも親密さを感じるから、あの人たちのことはサッカー部員ならほぼ全員知ってるんじゃないだろうか。

「いーよな、あーゆーの。部活の後とか、少しでも会いたい! みたいな」
「ふーん」
「知ってる? ダンスの時って二重の円になってて、内側で踊れるのはカップル限定なんだってさ。最初から最後まで交代なしのエンドレスフォークダンス! あの先輩たち内側で踊っちゃうんだろーなー」
「ふーん・・・」
「いいよなーなんか優越感ていうかさ。なータク」

 相対している二人の傍を通り過ぎてもずっと続いてるこのフェンスは、男子棟と女子棟をどこまでも分け隔てて俗に愛の隔壁と呼ばれている。この越えられない壁のせいで同じ学校にいながら手をつなぐことも出来ない恋人たちは、その仲まで隔てられてしまわないようにとフェンスの一部に二人の名前を書いた南京錠をつける習わしまであるそうだ。

「そういやあの人こないだ学園新聞に載ってたよ」
「知ってるよ。美術部の卒業制作だろ」
「あ、やっぱ知ってたかー」

 あの、まだ遠くのフェンスの傍に見えてるあの人は、さんという。愛の隔壁に集まるあの南京錠の中に、あの先輩の名前と一緒に連ねられていた名前がそれだから、おそらく間違いないだろう。
 この、共学でありながら男女別棟の形式をもつ武蔵森で、唯一知っている名前。
 どうしてその名前だけこんなにも覚えてしまったのか。

「新聞の写真より今のほうが断然かわいいよ」
「あはは! そーなの? やっぱ好きな人としゃべってるからかわいーんじゃない?」
「誠二、さっきからケンカ売ってんの?」
「絶賛売り出し中〜」
「しんでよ」

 サッカー部の、しかも先輩の彼女。
 この学園で一番覚えたって仕方のない名前。
 純粋げに笑いながら小馬鹿にしたような口の誠二は、純愛こそ素晴らしいと提示するわりに、俺の偏屈な恋愛感情をもいってしまえとけしかける。普通ならためらうだろうこの想いの矛先にもただ面白いからとGOサインを出してしまう。綺麗に屈折した、まっすぐな人間なのだ。

「ならタクはピラニアだな」
「なにそれ」
「ちっさいくせに肉まるかじりしちゃうじゃんピラニアって」
「そんな怖くないし俺」
「先輩たち、もう日が暮れるってーのにまだしゃべってるな」
「・・・あーあ、突然別れ話にならないかな」
「あっははっ!」

 薄暗い道から明るい寮の玄関に入って行きながら、誠二は手を叩いて大笑いした。
 下駄箱で靴を履き替えて、廊下を歩いていく誠二の後ろでふと玄関の奥を見ると、誠二が言ったとおり遠くのフェンスの所にまだあの二人が見えた。陽が暮れて、ただのぼんやりとした影にしか見えないけど、二人でいることは、分かる。
 二つの影。
 この広い世界で、何千何万と人がいる街で、まるでひとつみたいな、ふたり。

「ひとつでいいのに」
「えー? なんか言った?」

 誰かを想うことに闇雲になるとか。誰かのために何かが狂ってくとか。
 物語の中だけの世界だと思ってた。

 それからしばらくが経った、ある日のこと。
 間近に控えた学祭のクラスの出し物のためにホームルームが延長して、このクラスも少しずつ盛り上がりを見せていた。だけど俺は早く部活に行かなきゃという思いのほうが大きくて、窓から外をチラチラ見ていた。

「・・・あれ」

 教室の窓から見下ろした、あるフェンスの一部。
 1本の木が立っていて、その周辺にはあの恋人たちの南京錠がかかっている場所。
 そこに、さんがいた。
 フェンスを見上げてるさんは遠すぎて、どんな表情をしているのか全然分からないけど、ゆっくりフェンスに手を伸ばしたさんは、しばらくしてまた手を下げた。
 フェンスの向こうで今度は俯いて、自分の手を見下ろしている、彼女。
そしてそのままフェンス沿いを歩き出し、学園の外へ向かっていった。

「・・・」

 ちょっと、ごめん。クラスメートに断って教室を出て、俺は廊下を走っていった。
 階段を駆け下りて下駄箱で靴を履き替えて、フェンスがあるほうの出口から外へ出て、さんがいたところ、あのたくさんの南京錠がかかっているところへ走る。

「・・・ない」

 ここに掛けてあったはずの、ひとつの錠。
 ここに並んでいた、俺が唯一覚えていたあの、名前。
 俺はさんが歩いていったほうに振り返り、また走り出した。

 フェンス沿いを走りそのまま学園の外に出るけど、もうさんはどこにも見えなかった。学園の前の道を走って、あたりを見渡しながらあの風に揺れる小さな背中を探すけど、どこにも見当たらない。

「いた」

 学園から少し離れた、悠々と流れる河川を渡る大きな橋。
 その橋の上から川を見下ろすさんは、また自分の手を見下ろす。
 あの手の中にあるのはたぶん、あの先輩とさんの名前が書かれた、南京錠。

 さんは橋の手すりに握った両手を置いて、何度も、何度も踏ん切りをつけようと手を上げて、だけどまた手すりに下げてを繰り返してた。肩で呼吸を繰り返して、時に空を仰いでみて、握った両手に力を入れて、だけどあまりに突然にあっけなく手の中のものを川へ投げ捨てた。

 ぽとん、と、ちっぽけな音がする。
 それはあっという間に水の中へ沈んでいって、何の余韻も残さず消えた。
 それを静かに見下ろしてたさんは、泣いているのか、一度顔を拭う。

「バイバーイ・・・」

 川の流れに沿うように小さく呟いた。
 また顔を拭って、また空を見上げて、最後にひとつ息を吐き出したさんは濡れた頬を気にしながらこっちに歩いてくる。
 近づいてくるさんに、俺はどうしようかと足を迷わせた。よく先輩越しに挨拶をしてたし、前に近くのコンビニで会った時に声をかけてくれたことがあったから、たぶん俺のことは知ってるだろう。

 ここは、声をかけるべきなのか。話しかけるべきなのか。
 さんはゆっくりこっちに歩いてきて、前髪で顔を隠すように俯いて。

「・・・」

 さんはそのまま、すと横を通り過ぎていった。
 風になびく長い髪の香を残しながら、そんな傍を通り過ぎていながら。
 あの人でいっぱいのさんの中に一縷の余地もないんだと思い知らすには、十分な距離だった。
 胃の深くに重く圧し掛かるようだった。
 それはまるで昔の嫌な記憶を思い出してしまった時のようなエグさで、じわじわと真綿で首を絞めるような低い圧迫感だった。胸が重くて、喉が詰まって、息が通りづらいような。

 そんな苦しい痛みで、気がついた。
 俺は、この人と関わりたいんだ。
 その目の中に、意識の中に、入りたかったんだ。


 それからすぐにあった学祭で、俺は何とかさんとの関わりをもとうとさんを探し続けたけど、さんはいつも友達と一緒にいて声をかけられる隙などなく、もちろんさんはサッカー部主催のフットサルなんて見に来なかった。

 だけど最後の夜、組み木の周りを囲んでのフォークダンスこそはいるだろうと期待をかけたんだけど、さんはフォークダンスには混ざらずにグラウンドの隅のフェンス沿いでひそりとしゃがみ込んでて、近づくに近づけなかった。俺は俺でいつの間にか二重の輪の中に組み込まれて抜け出せなかったし。

「タク、何買うのー?」
「いーから、ちょっと待っててよ」
「早くしてねー」

 だけど、最後の最後で、さんに近づくことができた。
 さんの長い髪がフェンスに絡み取られて、誰も気づかないところでさんはひとり慌てて困ってて、絶好のチャンスだと思った。

 俺はまだきっと、同じ学校のただの後輩。
 3年生が引退してまさかのキャプテンに任命されたことで、名前くらいは知ってくれているかもしれない。

「ちょっとタク、何すんの?」
「罠」
「罠?」
「かかってくれたらいーな、っと」

 ガチリ、南京錠をフェンスに掛ける。二つ並んだ名前。
  笠井竹巳

「なんか遠回しじゃねー?」
「いーのこれで。じっくりかかるの待つんだよ」
「どーんといっちゃえばいーのに」
「俺はフォワードじゃないからね」

 外側からじわじわと行く手を無くしライン際へ追い込む。
 それがディフェンダーの攻めというもの。

 俺を認識して、俺をその目に入れてくれれば、あとは糸を引くだけ。
 そして俺のことを覚えて、俺のことを意識してくれれば、成功。
 繋がりが生まれれば行く先が見えて、それはどんな形だろうと、ひとつみたいなふたりになる。

 南京錠に想いを込めて。

 あの人まで、届け。





拝啓、遥か未来様。

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