紅いソーダ水




 それは、パチパチ、踊るようにはじける、紅いソーダ水。

 空からごおおって、渦巻くような風の音が聞こえてきて、
 見上げると、日が暮れていく夕焼け空の真ん中を裂くように、飛行機雲が飛んでいた。

「15分休憩!」
「あっつー、やっと休憩〜!」

 もうすぐ夏の季節は、走り回るにはもう暑すぎる季節。
 それでもこうして少しは日が暮れただけ、まだマシかな。

「あれ、俺のポカリは?」
「あれじゃない?」
「おお! ・・・げっ、もうないじゃん」
「飲みすぎなんだよ」

 ベンチの下に転がっていたドリンクを拾って口の上で逆さにした誠二は、
 振ってもぽたりとしか落ちてこないドリンクをそれでもしつこく搾り出そうと振り続けた。

「卑しいよ誠二、新しいのもらっておいでよ」
「うえー、メンドくさ〜」

 ベンチにごろんと転がって、喉がかわいたと駄々をこねる誠二に自分のドリンクを投げつけた。
 ラッキー、なんて言いながら誠二は喉を潤す。
 待て、ラッキーじゃないだろ。

「うわ、ちょっと誠二、タオル落とさないでよ」
「あ、ごめーん」

 軽い。この上なく軽い。(せめて伸ばさずに謝れ)
 ドリンクに巻いていたタオルはひらりとグラウンドの土の上に落ちて、しかも濡れていたもんだからべっとり、砂がついた。はたいてもとれやしない。それどころか、俺の手まで砂にまみれる始末。はあーあ、とため息をついて、タオルを持ってグラウンドを出ていった。

「・・・あ」

 グラウンド脇の水道までくると、その水道の向こう側から歩いてくるを見つけた。
 とぼとぼ、なんて効果音が似合いそうな感じで、うつむいて、ビニール袋を提げて、ゆっくりゆっくり歩いてきた。

?」

 声が届くくらいまで来たに声をかけた。
 それを聞いてゆっくり顔を上げたは、茜色の空を映すような暗い目で、俺を捉えた。
 そして、あれ笠井、と、へらり、弱い弱い顔で笑った。

「休憩?」
「うん。・・・なに、どうしたの」
「え、なにが?」
「なにがって」

 そんな顔して、どうしたんだよ。
 がそんな顔するなんて。いつもはじけるような顔で笑うがそんな。

「あ、そうだ。笠井、これいらない?」
「え?」

 がさがさ、手に持ったビニール袋の中からは、サイダーのビンを取り出して俺に差し出した。

「なに、どうしたのこれ」
「ん、二つ買ったからね、ひとつあげる」
「は?」

 まったく、話が見えないんだけど?
 それがどうして、のその顔とつながるの?

「ああ、でも練習中にサイダーもないか」
「べつに、いいけど」
「そか。よかった」

へらり、やっぱり覇気がない。

「なんか、あった?」
「ん? んー」

 ふるふる、ゆっくりとは首を振る。

「なに、どうしたの。すっごい気になるんだけど」
「やはは、どうぞ、お気になさらず」
「いや、無理だろ、それ」

 うーん・・・
 弱弱しく笑ったままは、ごしごし額をこする。
 明らかに何かへこんでいるとこうして偶然会えたのって、実はすごいことなんじゃないだろうか。 ひょっとしたら、神様が俺にくれた、チャンスかな、なんて。

「俺でよかったら、聞くけど?」
「んー・・・」

 ごしごし、ごしごし、誤魔化すように額をこすり続けるが、その腕の向こうで疲れてしまったように、ふと上げていた口端を下げ細めていた目を丸くした。
 そしてゆっくり額から手を口に移して、こくん、息を呑んだ。
 いや、呑んだのは・・・

「あ・・・あたしさ、フラれてしまったよ」
「・・・」

 上まぶたと下まぶた、その間に敷き詰められたまつげがじわり、濡れた。
 その光をまたは誤魔化して、へへ、と、うつむいてからっぽに笑う。

 フラれた?
 が?

「誰に・・・?」

 ぽつりと声をかけると、は思い出したようにぽろっと涙を落として、それでもさっとその涙を手で隠して、がしゃん、の手から、サイダーが入ったビニール袋が落ちて、中のビンが割れた。
 しゅわしゅわ、ビニール袋の中から流れ出るソーダ水が地面のコンクリートの隙間を縫って、広がっていく。
 それでもは、うつむいた顔を押さえて、肩を揺らした。

 誰に、なんて聞いたことを、心底後悔した。
 そんなこと、聞いたのは、俺の都合じゃないか。
 今を泣かせてしまったのは、俺じゃないか。

 の足元で、パチパチ、サイダーがはじけた。
 ソーダ水のようだ、なんて、言っちゃいけなかった。
 はじけるように笑う、なんて、バカだった。

 の笑顔は、はじけて、消えてしまった。

「・・・、」

 なんとも、声をかけられなかった。
 俺は、に好きな奴がいたことすら気づかなかった。
 それが誰かはわからないけど、フラれた、それでが泣いている。
 でも間違ってもそれは、チャンス、なんかじゃない。
 だって俺は、今のに、間違っても好きだなんて、絶対に言えない。
 でも、泣いてるを慰める言葉も、何一つ、思いつかない。

 ぽとり、の指からこぼれてきた雫が、の足元でパチパチはじけてるソーダ水に落ちた。
 ごおおお、茜色の空にまた、飛行機雲が走った。

 夕暮れの赤い空が流れていくサイダーに乗って、映って、混ざって、はじけて消えていく。

 それは。





紅いソーダ水