薫り立つ




背中と膝裏を刺す芝生の葉が風で跳ねて頬を撫ぜる。
耳の中でジャカジャカなってる音楽とは正反対にのんびりと雲が流れる。
もくもくと綺麗なフォルム。そんな雲を見上げてると、ソフトクリームくいたかーと思わず口をついた。

「ソフトクリームっスか」
「ゆっただけやけ、気にすんな」
「入り口んとこの売店にあるかも。俺買ってくるっスよ」
「えーって」

そうはいっても、後輩は「いってくるっス」と芝生の上を駆けていってしまった。
これじゃ俺がたかったみたいだが、まぁ行ってしまったものは仕方ないから貰っておこう、これも先輩冥利というものだ。とまた芝生に頭を下ろした。

そうして誰もいなくなった周りは静かになって、遠くで試合中の笛やらボールを打つ音やらがやたら聞こえてくるようになって、耳に入ってるイヤホンを辿った先のウォークマンのボリュームを少し上げた。組んだ手を頭の下に敷いて、キャップを目深に下げて眩しい夏の太陽光を遮断して目を閉じる。
いわゆる試合前の精神統一みたいなもの。音楽を大音量で流してキャップで視界を塞いで一人だけの世界を作る。そうして頭ん中を空っぽにした後、散々走り込んで集中力を高め、いよいよ試合に挑む。先輩がいた時はそんな自分なりの空気を作る暇もなかったが、最上級生になった今じゃ好きに調整できるようになった。

いくら年功序列の世界とはいえ、やっぱ下は性に合わん。
レギュラーも実力もなんもかも、年なんて関係なか。
中学最後の夏。
ようやく自分のサッカーと、それに対する姿勢がはっきり形を成してきた頃だった。

「・・・」

そう、耳に流れるやかまし目の音楽に心も体も委ねていた。
ら、突然キャップが頭から離れていって直射日光が差し込み、バチッと目を開けた。

「やっぱカズやん」

急に目を開けたせいで目が眩み、ぼやけた白い光の世界で耳に慣れた女の声が届く。次第にはっきりしていく視界で、が逆さまに見えた。

「な、なんお前、なんでおると?」
「カズこそ、・・・ああ、試合?」
「あ、ああ」
「私も。ほら、あっちの野球場。ビックリした、偶然ね」
「ああ・・・」

今更ながらに体を起こすと耳からイヤホンが外れた。
音楽もキャップもなくなって、おまけにまで現れて、精神統一どころじゃない。
高校で野球部のマネージャーをしているらしいはその野球部の大会でこの競技場に来ていて、しかしあえなく敗退してしまったらしい。せっかくだからと部員たちは残り試合も見ていくことになったが、は特に他校の試合に興味がないらしく、フラフラしてたんだそうだ。

「お前ほんとに野球が好きでマネージャーしとると?」
「んー、野球がすきというか、がんばってるのを応援したいというか」
「どーせ高校生といえば甲子園、とか思おたとやろ。アホらし」
「ほっとき。カズは?試合って大会?」
「決勝。これ勝ったら全国」
「うそ!」

すごい!と目をキラキラさせるは俺の頭にぼすっとキャップを押し付け被らせ、隣の芝生に座り込んだ。白く光るセーラー服がひらりとなびいて、さらけ出される足から悔しくも、目を逸らす。

「中学とはいえ全国ってすごかね、もちろん試合出るとやろ?」
「たり前じゃ。中学レベルバカにせなや、お前んとこの高校くらいなら勝てるとよ」
「あーダメダメ、うちは全般的に大したことないけん。試合これから?見てこかな、そういえばカズの試合って小学校のときから見とらんもんね」
「あん頃のままで見とるとたまげるぞ」
「なに、うまくなってるって?」
「ホレるぜよ」
「あは、まじでー?」

そりゃあ見なきゃ。
ホレる気なんざサラサラないがさらりという。
知っててそんな戯言をかける俺も、俺だけど。

「カズ、本気でサッカーやってくんね。身内からプロの選手ば出たらどーしよう」
「自慢しまくるとやろ、どーせ」
「あったり前よ。あんなに小さかったカズが〜って言いまくるけん」
「小さいは余計じゃ」

落ちてたイヤホンを拾ってがいるほうと反対側の耳にひとつつけた。

きっとこいつの頭の中じゃ俺はいつまでも小さい、弟イメージがついてるんだろう。俺はそれが嫌で嫌で、大人ぶったり意地張ったり強がったり、それこそガキみたいなことをして。サッカーだって、昔はこいつの言う「がんばれ」や「おめでとう」が欲しくてやってた時もあった。

昔はがんばってれば、いや、言ってみれば案外・・・とか思ったりもしたけど、年々、俺が見てたこいつの年に俺がなるにつれ、それはないとわかった。
たとえば俺が小学生に好かれたって、子ども扱いしかしないだろうし、高校になって中学生に好かれたって何を言ってやれることもないから。
俺のどっかで、もう、無理なんだと。
諦めじゃないけど、もう、ひたすらにがんばろうとか、思わなくなった。

「それ、なん聴いとると?」

が俺の耳のイヤホンの、空いてるほうをとって耳を寄せる。

「うわ、やかましかねー。こんなん聴いとったら耳悪なるとよ」
「試合前は集中したいけ、こんくらいがちょーどええ」
「あ、もしかして私ジャマした?」
「べつに、お前に揺さぶられるよーなやわな精神持っとらんけ」
「ああっそ。じゃー絶対勝つんね?優勝して全国行くんね?」
「おお、よー見とけ。なんならお前に優勝メダルやるったい」
「ほんとっ?」

それ実はちょっと夢だったよ。
がそんなことを言うから、必然とこれから取る優勝の証はもう、の手に渡ると決まった。

なんだ。
死んでも負けられんとか思う俺は、まだまだ、しつこくやめられんまま。
しょうもないくらい、そのまま。

「カズさーん」

遠くからアイスを片手に戻ってきた後輩たちが叫んだ。

「うわ、カズ、後輩パシらせとると?嫌な先輩」
「あいつらが勝手にやってくるけん、受けたるのも先輩のやさしさったい」
「うわえらそー!」

の耳からすぽっとイヤホンを引き抜き、カバンを持って立ち上がるとも立ち上がった。パラパラ落ちる草を払いながら歩き出すと、歩きださないが俺をぽかんと見上げた。

「なん?」
「・・・うそぉ」
「あ?なんったい」
「カズ、あたしより大きぃなっとるー」

はそう、俺を見上げてアホっぽく口を開けたまま

「うそぉー、いややー、カズはちっさいんがかわいかったとにー」
「おまえ、ケンカ売っとーとか」
「いつの間に、ショックー」

それを言うなら、俺だってお前を見下げるのは初体験だ。
なんだろうな、この、胸に沸々と宿る優越感にも似たうれしさは。

「ザマーミロ」

沸き上がる気分を抑えれずにを見下ろし言ってやると、はまたぽかんとした顔をして、

「ムカつくこんガキ!」

罵声を浴びせた。
それでも俺は笑った。

「カズ、そのウォークマン貸して」
「あ?」
「試合終わったらメダルと交換するけん」
「好きにせろ」

どうせすぐ、戻ってくるけんな。





薫り立つ

O-19Fest*番外祭 カズのリレー小説の1話でした。