ハローマイフレンド




乾燥した肌には痛すぎる真冬の潮風。
何の防波堤もない、真正面から襲い来る波に呑まれそうだ。
マフラーに顔の半分をうずめても目が痛い。ポケットに手を突っ込んでもスカートの下の足は鳥肌が立つ。激しい風に髪が煽られぼっさぼさ。だけど私は広い広い冬の海に立ち向かうように仁王立ち。いやゴメン、仁王立ちムリ。逃げ腰に立ち向かった。

「ちっくしょー寒いんだよバカぁー!」

叫んでみたら、ザッパーン!と逆に返り討ちにされた。
ソッコウ謝った。鼻水たらして謝った。
根性なんてないもん。そんなのあったら一人でこんな寒いところに立ってないもん。

今日は、大学の合格発表だったのだ。高校3年生の私の周りはもちろん受験一色。受かった子、受からなかった子、それぞれだけど、私は今日第一志望だった大学にまんまと負けたのだ。その場で泣き崩れたいところだったけど、私に気を使う家族の中にいられずコートとマフラーで体をくるんで家を出てきた。
まさか、100パーセント受かると自信があったわけじゃないけど、あんまり落ちるとも思ってなかった。おかしな自信があった。母曰く若さのせいで。

他に受けたところの合格は決まってるけど、第一志望じゃなきゃダメなのだ。
そこじゃないと、ずっと育ってきたここを出なきゃいけない。
それだけはいやだった。
真冬の荒れた太平洋は何度もザッパンザッパン打ちつけて、まるで私をバーカバーカと煽ってるように聞こえ、うるさかーッ!!と叫んだ。今度はさっきの2倍くらいの声で叫んだからさすがにひるんだか、今度の波はやり返してこなかった。

「っはは、なん叫んどーと」
「・・・」

代わりに、うしろからそんな声が飛んできた。
強い風がびゅうびゅう吹いていたけど私の耳はその声をしっかりと拾い、振り返ってみると、堤防に置きっぱなしだった私の自転車の近くに、同じような自転車に乗った・・・

「くっ・・・」

くぬぎ・・・、功刀だ。
功刀カズがいた。

「なっ、なんでいんのっ!?」
「なんでも何も、帰り道やけ。ジャマな自転車やなー思っちょったらお前の叫び声が聞こえてきたと」
「・・・」

き、聞かれてた・・・!
私がここまで乗ってきた自転車は狭い堤防の道の真ん中を遮るように止めていたから、自転車で通りすがった功刀は止まるほかなかったようだ。私は急いで砂浜をざくざく走り、自転車を少しでもはじに寄せてハイどうぞ!と通り道を作った。

「ちゅうか、さしぶりじゃなかね」
「うん・・・、功刀は、学校帰り?」
「ああ、あとコレ」
「あ・・・」

自転車にまたがる功刀の上着の下から学ランの襟が見えていた。背にもカバンを背負ってるからには学校帰りは明らかなのだけど、功刀は私に、ハンドルと一緒に手に持っていた小さな紙袋を見せた。
茶色いそれはうちの店の紙袋だ。うちは昔からばーちゃんが古い駄菓子屋をしてて、町の子どもたちがいちばん集まる場所なのだ。小学校のときは自分の家が駄菓子屋なのは恥ずかしかったけど、中学生くらいになるとだんだん店番したりするようになってた。
家がそう近いわけでもない功刀もよく来てた。いつも大きなスポーツバッグを背負って買いに来てたから、私はよく店先に立つようになった。小学校でも中学校でも同じクラスになったことは何度かあったけど、あんまりたくさん話せる機会には恵まれなかったから、そのつながりが私にはものすごくラッキーで、嬉しかった。

「うち行ってたの」
「ああ、もうなかなか行けんくなるけ」
「え、なんで?」
「俺プロ決まったけ、もーすぐ引っ越すとよ」
「・・・えええー!?」

さっきまでの叫びに負けないくらいの声で驚愕し、思わず自転車を手離してガシャーン!と倒してしまった。うおっとそれに驚き自転車から降りた功刀は苦く笑って、自分の自転車を止め私のそれを起こしてくれて、私も急いでそれに手を伸ばし手伝った。

「ほ、ほんと・・・、すごかね、おめでとう」
「ああ」
「ほんとすごかね・・・、小学校の時から言ってたもんね」
「あー、あれはまぁ、ガキの夢の域ったい」
「でも、卒業文集に書いたことを本当に実現しちゃった人なんて、たぶん功刀くらいだよ」
「そんなんよく覚えちょるな」

そりゃ、よく覚えてる。
小学生が描く夢なんてみんな、サッカー選手とか野球選手とか歌手とか幼稚園の先生とか、似たり寄ったりで他の子のなんてひとつも覚えてないけど、功刀が書いたところはいの一番に見たんだもん。そのページだけボロボロになっちゃったくらい毎日見てたもん。

「お前はえーな、家が店やもんな。こんなんよそ行ったらたぶんなかよ」
「べつに、そんないつも食べるものでもなかよ」
「うっそぉ、俺うちが駄菓子屋やったらぜったい毎日食っとるとよ」
「あはは」

功刀があの駄菓子屋が私の家だと知ったのは、小学5年のときだった。
私はクラスで駄菓子屋の子とからかわれてて、なぜかそれがとても恥ずかしくて嫌で、泣きそうになってるところにとなりの班だった功刀が言ったのだ。

うらやましかー。
うちが駄菓子屋やったらぜったい毎日菓子ば食うとるとよ。

きっと功刀は覚えちゃいないんだろうけど。

「じゃあ今引っ越しの準備とか忙しいの?」
「いーや、持ってくもんもそんなにないけん」
「でも、もうあんまり帰ってこれないんでしょ?ともだちとか・・・、会えなくなるのさみしくない?」
「帰ってきたらいつでも会えるとやろ」
「うん・・・。じゃあ、ほら、彼女とか・・・」
「はあ?そんなもんおらんけ」
「・・・いないんだ」
「お前、いますげーバカにしたとやろ」
「してない、してない」

功刀は高校の3年間も、小学校や中学校のときと変わらずサッカーに明け暮れていて、恋愛事なんてカスミもなかったそうだ。うそだ、と思った。だって・・・小学校のときより中学校のときのほうが、そして中学のときより断然今のほうがこんなにも・・・カッコいいじゃないか。

「あー、考えてみりゃ、そーゆーのはお前だけやったな」

・・・・・・ハイ?

「わたし・・・?」
「俺なんぞに好いちゅう言いよったの、お前だけやけ」
「・・・」

そう、私は、それが何かも分からないうちからほのかな恋心を功刀に抱いていた。少しは成長して、周りも恋愛事に騒ぐようになって、そうして私はやっと、ずっと功刀ばかりを目で追いかけてた意味を知った。
だから中学の卒業式で、高校は別々になってしまったからもう会えないと思って、死ぬほど緊張しながら好きと言ったのだ。この功刀に。

その時の功刀の返事は「すまん」だった。
今はそーゆーの、考えられんけ。すまん。
そう功刀は卒業式の送りの言葉みたいな言い方で。
桜の花も色づこうとする季節に私はフラれた。サッカーに負けたのだ。

「それ、おかしい」
「なんが」
「だから、その、恋愛事をしてたのは、私だけで・・・、功刀は断ったんだから」
「まぁな」
「私には何年も、何年もあったけど、功刀には3分くらいのことだったでしょ」
「3分やろが3秒やろが、恋愛事って言われて思い当たるんはそれだけやけ、そう言っただけったい」
「・・・」

こいつ・・・どついたろか。
なんか、ほんと実際会うのは3年ぶりくらいなんだけど、たまにチラっと見たり噂聞いたりすることあってもぜんぜん関わりはなかったんだけど、いまこうして改めて目の前にすると・・・

「功刀は天然で人を傷つけるよね」
「は?」
「それでいてさらに傷つけたことにも気付かなさそうだよね」
「俺がいつお前傷つけたと?」
「・・・」

こ い つ ・・・!

「べっつに!傷ついてないよ!功刀なんかに何言われたってへでもないね!」
「なんねお前、なにキレよっとか」
「キレてなか!そーやって純粋なまま都会行って都会の女にボロボロにされて大人になったらよか!」
「なんば言いよっとか。俺はサッカーしに行くったい」
「はいはいサッカーサッカー、死ぬまでボール蹴ってろ!ガキ!」
「ああ?」

ガチャン!と自転車のタイヤを地面につけ、私はコンクリートの堤防を走りだした。

なんだか今とてつもなくせいせいした。最後に功刀に言いたいだけ言えてとてもスッキリした。もうこの地にしがみつきたいなんて思わない。どこか道端で偶然に会う奇跡を願うこともない。うちの店に来る功刀の夢を見ることもきっとない。フラれようが会えなくなろうが失恋はやってこなかったけど、まったく消えてくれなかったけど、もうなくなった!

「お前はもうなかなか会えんくなる友だちとケンカ別れする気か」
「あばよ友だち!」
「ぜんぜん意味わからん」

思いっきりペダルを踏み込む私のうしろを功刀は余裕でついてくる。
ついてくんな!と言っても功刀の帰り道もこっちなのだ。

「でお前はこれからどうなると?」
「なにが!」
「大学とか就職とか」
「めでたく大学進学ですよ!あー第二希望に受かってうれしー!」
「本気分からんやつったい」
「私ももうここ出るんだよ!」
「へー、どこ行くと?」
「愛知! 一人寂しくとぉーくにいくの!」
「・・・。っはは!」

冷たい堤防沿いを走るふたつの自転車が薄く影を伸ばしだす。
功刀は私に一番最初にかけたような笑い声をまたかけて、ぐんとスピードを増して私の横にきた。

「俺も愛知ったい」
「・・・っはあ!?」
「お前とはしつこく縁あるなー」

ギギギー!!と錆びた自転車を急停止させる。
功刀は軽やかにキッと止まった。

「お前もしかしてここ出てくんが寂しゅうて叫んどったと?ガキー」
「んな、んなわけあるかぁ!」
「やった、お前がおれば菓子ば送ってくるとやろ。俺にも分けろよ」
「・・・!も・・・、もー!!」

・・・何が言いたいのか自分でもさっぱり分からなかったけど、叫ばずにはいられなかった。3年ぶりの功刀があんまりにもあの頃のまま笑うから、錯覚に陥ってしまったんだ。

ずっと消えなかった功刀。ずっと想ってた功刀。

でもきっと功刀はなんの意図もなくそんなことを言ってるんだから、喜んじゃいけない、喜んじゃいけないのだ。こいつはボールを蹴ることしか能のない、ガキのころのまんまなのだから。

笑って、また私を恋路へ突き落とすのだから!





ハローマイフレンド





(ともだちってなんだ!ともだちってなんなんだ!!)