哀愁ディスプレイ




オレンジ色の教室は、このままどこか遠い世界へ、ふたりを連れていってしまうかのようだった。


いつもなら夕暮れになんて気づかないほどあのボールを蹴ることに熱中していて、気がつけば空は真っ暗なんだろう。私も同じだから分かる。私の場合体育館だから気づきにくい、ということもあるのだけど。
体育館のドアから見える大きなグラウンド。その隅のほうで小さくコートを区切って走り回るサッカー部はまだまだ肩身の狭い立場でろくに広い敷地を使えないのだ。それでも去年は都大会へ勝ち進んで結果を残したんだから、今年はもう少し使えるグラウンドも広がるかもしれない。あいつにとっても最後の中学生活。もう少し広い敷地を貸してやりたいものだ。

「泣くなって、泣く必要ねーだろ」

そりゃそうだ。泣きたいのは、あんたのほうだよね。なんでフってるあなたが泣くのよ。(まぁ黒川が女にフラれて泣き出したらそれはそれでものすごく気持ち悪いけど)(慰めるどころか笑いがとまらん)

「べつにさ、いーよ。無理して一緒にいる意味だってないし」
「だけど、ごめんね、ほんとごめんね」
「あやまんなよ」

目の前で好きな子が泣いてて、それは少なからず自分のせいで、でもそれを慰めることが出来ないのって、きっとつらいんだろうな。どうして女は泣くんだろう。自分で別れを切り出しておいてなんで泣くんだろう。わからない。

そしてなんであいつは笑ってるんだろう。一方的に別れを切り出されてるのに、好きじゃなくなったのは彼女だけなのに、なんでその彼女が泣いて、あんたは薄く笑って言葉でだけ慰めてるの。

「まぁ、俺もさ、あんまうまく出来なかったし」
「ううん、そんなんじゃないの、わたしが・・」
「・・・ん、やめよーぜ。振り返ったって、なんもかわんねーしな」
「柾輝・・」

黒川のやつ、さっきからずっと同じこと言ってるのに気づいてるのかな。
必要ない。意味がない。何も変わらない。それが黒川なりの慰め方なのかな。 それって、寂しいな。まるで最初から何もなかったみたい。ああでも、別れをきり出してる彼女からすればそのほうがラクなのかも。上手い具合に別れを済まそうとしてるんだとしたら、黒川ってほんとにバカなくらい、やさしーやつだな。
教室はふたりだけの舞台みたいで、外から聞こえてくる部活動の声も廊下に流れてる吹奏楽部の演奏も時折響くチャイムも、ふたりの別れを彩る演出みたいだった。そのくらいこの教室の空気はせつなさに溢れてて、哀愁が満ちている。

「ほんとに好きだったんだよ、柾輝」
「ああ」
「ありがと、ほんとにごめんね」
「ん」

言葉少なく彼女を逃がそうとする黒川は、そこいらの少女マンガのヒーローよりかっこいい。しくしく泣き続ける彼女は今一身にスポットライトを浴びているかのような悲しみっぷり。誰かが言ってた「不良と優等生の恋」の物語は1年も続いて、いま、静かにひっそりと終わろうとしてる。

「もういけよ」

ぱたん。本を閉じるより静かに。
私は冷たい床から立ち上がり静かに廊下の先に歩いていって、うしろで教室のドアが開く音を聞いて、袖で顔を押さえつけながら足早に去っていく彼女の背中を見送った。

「ジ・エンド」

消えていく彼女の足音を聞きながら呟いてみた。ご愛読ありがとうございました、とでも言わんばかりの結末だ。ふたりの物語がはじまったときから終わるときまで見続けた私としては、胸がいっぱいでたまらない。

この胸に詰まっているものはなんなのだろう。このオレンジ色した景色のせつなさと、ふたりの物語が終わってしまった寂しさ。でもあるところでは仕方ないかという現実的な諦めが私の感想。出会いがあれば別れがある。それを、まだ別れる寂しさを知らない私たちは身を持って体感し、別れってせつないんだよ、なんて知ったかぶりして誰かに言うんだ。

「・・や、言わないか。あいつは」

きっとあの薄い笑みを口端に浮かべて、なんでもない顔で仕方ねーよなんて諦めた台詞を言うんだろう。それを強がりというんだろうか。強がりなんて言葉で片付けられるのは、なんだか軽くて嫌だ。

ああそうか。必要ない、意味がない、何も変わらないっていうあの黒川の言葉は、自分自身にもかかっているんだ。彼女を慰めているようで、自分に言い聞かせてるんだ。そうやってすべてに諦めようとしてるんだ。悲しみにのまれてしまわないように。かっこつけたがりなあいつらしいや。

ドアの窓から覗いた教室の中にはまだ黒川がいた。机の上に座って、細い腕で体を支えて、行儀悪く椅子に脚をかけてギィギィ揺らしてる。オレンジ色に包まれる夕暮れの教室。ひとりぼっちの背中。物語が終わったあとの登場人物に訪れる、ただの孤独。置き去りの主人公。

ガラッと勢いよくドアを開けて、おつかれ!なんて明るい声をかければ、あいつは振り返り薄く笑うんだろう。そしてヤレヤレといわんばかりのため息をついて、クタクタのカバンをかついで遅れてしまっている部活に向かう。今日は私が慰めのアイスをおごってやる約束をしたっけ。それをあいつはもうけたなんて素振りで受け取るんだろうな。それが黒川だ。黒川はそーいうやつだ。

でも私はドアに差し出した手を止めた。椅子をガタガタ動かしてた黒川の足が止まったから。
黒川は静かに、静かに、まるで動かなくなって。

狭い学校にうるさいチャイムが響いた。
なんだか終わりを告げるような鐘だった。

「ったくも・・」

バカだ
あんたはほんとに、バカだなぁ・・

別れる直前くらいね、本音ぶちかましちゃえばよかったんだよ。あんたがちょっとくらいワガママ言ったってね、誰も責めやしないんだよ。あんたは少女マンガのヒーローじゃないんだから、かっこ悪くってもいいじゃん。引き止めちゃえばいいじゃん。言っちゃえばいいじゃん。

まるで動かなくなった黒川が背中の向こうでどんな顔をしてるかなんて、誰も知らない。でもきっと今は誰もこの教室に入れちゃいけなくて、あいつの悲しみ方を、泣き方を、後悔の仕方を、立ち直り方を、私は誰にも邪魔させたくなかった。ただ黙って、微動だにしないだけのヘタクソなあいつなりの方法を、この大事な時間を、思う存分やらせてあげたくて、自分の毀れてくる涙もぐっと押さえてその背中を守った。

ただ見てただけの私がこんなに涙が止まらないのに、涙を拭う仕草ひとつ、鼻水ひとつ吸い込まないあいつの背中はなんて強く気高く、凛としていたことだろう。

オレンジ色の教室は、このままどこか遠い世界へ、あいつを連れて行ってしまうかのようだった。





哀愁ディスプレイ