夢のおわりに君を見た




交わす言葉の大半は、「おはよう」と「ばいばい」。たまに「部活がんばれ」。
1学期の最初から同じ班だったから、横を通り過ぎれば必ず目を合わせ挨拶をするくらいの距離。
最近一番まともな会話をしたのは先週。夏休みなのに部活に明け暮れる私が、同じく部活に明け暮れる彼に「初戦勝ったんだって?おめでとう」と話題を振ったら、「野球部も調子いいんだろ?フルート吹けてるか」と彼は言った。

彼との一番最初は、覚えていない。だってとにかく有名なのはよく一緒にいるところを見かける椎名さんだから、そっちに目がいってしまうのは当然というか仕方のない性。それより以前の彼は怖い人たちの中にいたからとにかく関わりたくなかった。傍を通るのも目を合わせるのも嫌だった。
その意識を覆した一番最初の記憶は、1年くらい前。
放課後職員室に行ったら、彼はいつも一緒にいる人たちと一緒に職員室のど真ん中で先生に怒られていた。顔や腕にケガをしていて、聞こえてくる先生の怒鳴り声の内容からしてどうやらケンカらしく、ああヤダなぁ怖いなぁなんて思って横を通り過ぎたら、私は何のタイミングか通り過ぎた机にあったプリントの束を落としてしまって、ごめんなさいごめんなさいと急いで拾っていたら、彼は足元に散らばってきたプリントを拾い、怒られてるのにまるで平気な顔をして渡してくれたのだ。

そのことを、2年になって同じ班になり少ししゃべれるようになった時に彼に話してみたけど、彼は覚えていないようだった。彼曰く、説教されてるときは何も聞いてないからその時何が起きたって覚えてないだろうとのことだった。

って黒川のこと好きなの?」

グラウンドを見渡せる教室の窓から遠くのある場所を見つめていた私は、隣で同じようにグラウンドを見てる友達に一度目をやった。

「好きっていうか、・・・好きだけど、そんな思いっきり好きなわけじゃないっていうか」
「なにそれ」
「かっこいーなーとか好きだなーとか思うときもあるけど、そんなスキスキ!って確実に思ってるわけじゃないってこと」
「ふーん。まぁ好きではあるんだ」
「・・・うーん」

窓に頬杖ついて、また遠くのグラウンドの端に目をやった。そこには運動部の部室が並んでいて、ついこないだまでただの空き部屋だった一室がいまや立派なサッカー部の部室になっている。そのサッカーの部室の開き放たれたドアから出たり入ったりを繰り返してる小さな人影が、黒川だということくらい、十分に分かって見つめている。

「あれ、誰?」
「んー、たぶん、1年生の子」
「ああー、あの子たちね」

出たり入ったりを繰り返す黒川が外に出てきたところで、スカートをなびかせた子がふたり黒川に近寄って話しかけていた。最近よくサッカー部の周りで見かける子。マネージャー制度なんてないサッカー部にマネージャーになりたいと志願してるらしい。

「最近の若い子は積極的だなぁ」
「若い子って、ババくさいなぁ」
「だって入学してすぐにマネージャーなりたいなんて言える?マネージャーなんてどこの部にもいないし」
「今の1年はサッカー部がなかったことも知らないからねぇ」

そうか。当たり前に入学してきてサッカー部を見た1年生たちは、それより以前のサッカー部が出来るまで過程を知らないんだ。椎名さんが転校してきて学校中に恐ろしいまでの一世を風靡したことも、荒れてた黒川も、絶対に無理だと思われてたサッカー部再建の苦節も、何も知らないんだ。

「黒川でも女の子に話しかけられるんだね。怖いとか思わないのかな」
「黒川別に怖くないよ?あーでも普段話さない子としゃべるのは苦手って言ってたっけな。気使ってしゃべるのがメンドくさいんだって」
「しゃべってるじゃん」
「・・・しゃべってるね」

遠くの部室でせわしなく動いていたはずの黒川はまだ1年生の女の子たちと話して足を止めている。何話してるんだろう。1年生の女の子と黒川の間にどんな話題があるんだろう。

「あーダメ、イラっとくる」
「あはは、やっぱ好きなんじゃん」
「んー、だってあれはヤダ。女の子に囲まれて浮かれてるみたい」
「浮かれてんじゃない?」
「黒川はそんなことないもん!」
「はいはい」

そりゃあ、話しかければ話すのは当たり前だよ。
もしあれが1年生の男の子だって黒川は足止めて話すよ。
でも・・・もういいんじゃない?

「うー、やだー。早く帰れ1年生めっ」
「それ面と向かって言ってみてよ」
「無理だ!そんなギリないし」
「そんな好きなら告白すればいいのに。黒川があの子たちの誰かと付き合ったらどーするの?」
「どう・・・」

それは、当たり前に嫌だけど、だからそれより先に告白してしまおうなんて、思えない。もし黒川が誰かに告白されて付き合ったとしたら、それはそれで、悲しいんだろうけど、冷める瞬間でもある。
だって付き合うということは、相手の子だけが好きじゃ成り立たない。
黒川もその子を思おうとするから成立するもの。
黒川がその子を選んだのなら、私はもう何を言えることも、思うこともない。
そうして確かに傷ついてしまう前に、このささやかな気持ちをどこかへと消してしまおうと、なかったことにしてしまおうと、するんだろう、私は。ただ、好きという自信と勇気がないだけに、幾通りもの言い訳を沿えて。

「あ、帰ってく。行ってこれば?何話してたのって聞いておいでよ」
「えーありえない。そんなこといったら見てたの?ってことになるじゃん。てかそんなこと聞く権利ないし」
「告白できないなら告白させるよーにすればいいじゃん。好き好き光線出せばいいじゃん」
「そんなの、出来ない」

好きだと伝えることも出来ない。素直に駆け寄っていくことも、周りにバレバレだと思われるような行動も取れない。それによって黒川が私を見てくれるようになったからって、私が好きだから好きになる、ような思われ方は、嬉しくない。
なんとも思われていないかもしれない現実を受け止めることも出来ない。
駄目だったら、もう今までどおりに話すことは出来ないかもしれない。
これからずっと気まずいのなんて、嫌だ。

「まだ自分の殻から抜け出せないんだよ、私は」
「まぁ誰でも最初はそうだけど、1回出ちゃえばなんてことなくなるよ」

それでも私は、誰かに好かれる自分を、想像できない。
黒川はやさしいところがあって、しっかりしてるところもあって、サッカーしてるところはかっこよくて、素敵なところはいっぱいある。・・・でも自分には、好かれるところが見当たらない。

私はまだ、私を守ることで精一杯だ。
何も出来ない。

帰ろうか、とフルートを片付けて教室を出て行った私たちは、靴を履き替え昇降口を出て行く。グラウンド沿いの道を歩いていって、まだ部室で何かしてる黒川の姿を、さっきよりずっと近くで見た。
友達としゃべりながらも、頭の中は黒川ばかりで、チラチラと見える黒川の姿から目を話せない私はもう十分に黒川を好きなんだろうけど、でも私には分かる。
きっと夏休みが終わっても今のまま、2年生が終わっても、3年生になっても、・・・卒業することになっても、きっと私は今のまま、何も出来ないまま、なんだろう。

・・・ああ、それって、

?」

すごく寂しくて、情けない。

「・・・私、ちょっと、行ってきていいかなぁ」

足を止めてポツリ言った私に、友達は手を振って先に歩いていった。


グラウンドの裏から入っていって、開きっ放しのサッカー部の部室のドアに近づいていく。せわしなく動く黒川がちょうど部室から出てきて、私に気づくと目を留めてよおと声をかけた。
黒川の、このちょっとだけ笑うような顔が好きだ。
この顔をさっきの子たちにも見せていたと思うと、すごく嫌だ。

「何してんの?」
「そーじ。帰ろうと思ったら中で石灰こぼしちゃってさ、それ掃除してたらなんか気合入れていろんなとこ掃除してしまった」
「はは、罰掃除でもさせられてんのかと思った」
「俺のどこに罰されるよーなとこがあんだよ。きのうの試合も大健闘だったっつーの」
「椎名さんの次に?」
「・・・まー、あいつはしょうがない、別物だから」

プライド高そうで、でもヘンに素直なとこが好き。
照れくさいときは必ずそっぽ向くところが好き。
すごいと思った人は素直に認められる、心の豊かさみたいなものを持ってるところは、すごいなぁと思う。

「お前今日部活?」
「うん」
「お互い夏休みだってーのに部活ばっかだな。明日も?」
「明日は野球部の試合の応援で、あさって休みで、その次また部活、かな」
「俺は明日あさって練習でその次試合」
「はは、すれ違いだねぇ」

夏休みはまったく楽しめていない。今の私にとって学校は世界中のどこよりも大事で、ずっといたいと思う場所。用がなくても理由がなくても黒川に会ってていいんだから。夏休みが毎日部活で潰れたっていいくらい、いっそなくなってもいいくらい。

分かってる。
私はもうたくさん、たくさん、君が好きだということくらい。

「すれ違いっすねぇ。すれ違い過ぎだから、これからなんか食いに行く?」
「・・・」

一瞬黒川が言った事が頭にまっすぐ入ってこなくて、じっと見つめ返してしまった。
黒川はカバンを背負って、部室のドアを閉めて、ちょっと気まずそうな横顔を見せる。
・・・うわ、

「やった」

素直に、強がらずに、意地を張らずに、笑ってみせる。
君が好きだと思ってみせる。

「こちらこそ」

照れくさそうに、それでも笑う。
同じだ。私と、同じ。

「何がいい?」
「えーとなー・・・」

もう逃げない。怖がらない。
いつでも引き返すことの出来る、あたたかくてのどかな夢の世界から一歩前に出て、はっきりと君がいる、この場所へ。

私の心が決めたもの。
心の真ん中にあるものを信じて、まっすぐ、まっすぐ、君に向かっていこうと決めた。





夢のおわりに君を見た