君依存症




この世には2種類の人間がいるって、いつ知った?
そんなこと教えられるまでも無いくらいに当たり前だと、笑ってやった。
だって、私は確かに君に恋してた。
この世に吐き出され別々のレッテルを貼られ、恋することを許された、その瞬間から。

「よぉ」
「・・・負けたね」
「開口一番それかよ」

白い空から冬の名残が降る真昼時。隣の家の門が開く音がして振り返ると、そいつは現れた。
二つ並んだ家の庭の柵って、どちらの敷地にあたるのか。
どちらのものでもない境界線はおのずと私たちの境界線になる。

「この寒いのに何やってんだ」
「花に水あげてるの」
「凍るぞ。てか咲いてねーし」
「芽は出てるの。もう少し春になったら咲くのよ」

本当はいつもならテレビの前に座って、毎年真冬に行われる青春サッカーを観戦してるとこだったのだけど、いつも見ていた白黒のユニフォームが敗退してしまってからというもの、あれだけ真剣に見ていた情熱があっさりと溶けて消え、何の興味もなくなったのだ。だって私は元々、べつにサッカーが好きなわけじゃなかった。

「お前進学か?就職か?」
「こっちの大学受ける」
「じゃあ水撒いてる場合かよ」

静かな冬の外の空気を壊さない程度の音量が、白くふわりと生まれて消える。
すると庭の花壇の隅に置いていた私の携帯がぶるると音をたてて光りメールの受信を知らせた。携帯を開いて「彼氏だ」と私が呟くと、亮は持ってた荷物を玄関のドアの前に投げて「寒・・」とコートの体をぎゅと小さくした。

「休みなのにデートもナシか」
「お互い受験生だからね」
「お前勉強してねーじゃん」
「してるよ。亮がいない時にずっと」
「そりゃよっぽど頭よくなったろーな」

学校じゃ上位の成績にいて大学もほぼ安全牌で、世間の受験生よりはのどかな冬休みを送ってます。
メールの向こうで勉強に追われ泣き言いってる彼氏をやさしく慰めるくらいの余裕はあります。
でも会いに行く余裕はありません。一緒に勉強するのどかさもありません。
今は、心が穏やかじゃない。


「ん」
「やめろ、気分悪い」
「・・・」

当たり前だ。あてつけてるんだもん。
私はアンタがいなくてもこんなに平気。私はアンタじゃなくても全然大丈夫。
わざとだもん。見せ付けてあんたに嫌な思いを植えつけてやってんだもん。
結局何もくれない亮を無視してずっとメールを打ち続けてやるんだ。
だって、このメールの先の彼は私を本当に幸せにしてくれる人。大事にしてくれる人。好きでいてくれる人。

私たちこれでも、随分と大人になったんだよ。だって昔はもっと酷くて、顔を合わせればケンカばっかり口を開けば文句ばっかり、本気で憎んだときもあって。だって亮が急に隣からいなくなるから穏やかでなんかいられなかった。その反動で亮が帰ってくるたびに爆発しちゃうんだ。

時間て不思議。勝手に全てを丸くする。とんがってるものすら丸くする。
亮は私に手をあげなくなって、私は穏やかに笑える方法を見つけた。
私この人と付き合ってるの。アンタが傍にいなくても大丈夫なように。
・・・それって成長じゃない気もするけど、この口から素直な女の子らしい台詞なんて死んでも出てきやしない。
それを黙って聞いてあっさり学校に帰っていったアンタって、最低。
今小さく穏やかに笑いながらメール打つ私も、最低。

文章を打ち終わって最後の送信ボタンを押そうとしたら、さっきまでずっと冷たい空気が通っていた鼻にふわりと、亮の匂いを感じ取って目を上げた。亮が腰ほどの庭の柵をまたいでこっちに来てて、随分と大きくなった身長差で私を見下ろしながら手の中の携帯ごと手を握ってきて、まっすぐ見下ろした。

「なに」
「最悪だなお前、やめろっつってんの」
「アンタのほうが最悪でしょ、離してよ」

もうやめたの。アンタを求めるのは。
だってアンタは自分のことばっかりで、その上傍にいないと好きになってなんかくれなくて、なのに勝手に平気で離れていっちゃって。
私は思い通りにいかないとなんでかうまく立っていられなくて、アンタが傍にいないと普通でいられなくて、頭痛くなるし気分は悪くなるし、上手な生き方も歩き方すら忘れちゃうし。

こんなでも、お互い本当に好きで好きでたまんないの、私たち。
でもやっぱり何もうまくいかない、私たち。

「すげぇ苛々する。お前が目の前にいるとすげぇ目障り」
「・・・だったら、帰ってこなきゃいいじゃん、声なんかかけなきゃいいじゃんっ」

どうしてうまくいかないかは、わかってる。私はものすごく素直じゃないし、亮も素直じゃないし、好きなのわかっててもうまくなんて出来ないし、傍にいるとかまいたくてたまらないのに、離れている分の痛みをわからせたくて嫌な言葉しか思いつかない。
本当はすごく大事にしたくて、他の何を捨てたって一緒にいたくて、触れたくて抱き合いたくてキスがしたくて、でも私たち、今以上に傍に寄ったことすらない。

「もうやめろよ、それ」
「なにが?」
「俺がいねーからお前どーでもいいヤツと付き合ってんだろーが」
「違うよ、もうどうでもよくないの。好きなんだもんほんとに」

・・・居心地のいい陽だまりの中にいた私は、安らぎに満ちていて、やさしくなれて、普通でいられた。
これが恋だ。あったかくて安心できてほっとする。それが恋なんだ、と、しあわせだった。

「だったらちゃんと目ぇ見て言えよ」
「・・・」

冷たく降ってくる雪を目に入れるように、亮を見上げた。

「もう亮なんて欠片もいない。全然なんとも思わない」
「・・・」
「どこにでも行っちゃえばいい、東京だってどこでも行けばいい」
「ああ行くよ、そのままうちの大学進むからな」
「・・・」

パキン。頭の中で何かが折れた音がした。

「そのままって、東京?ずっと、帰ってこないの?」
「こねーよ」
「・・・・・・」

6年も前、亮がここからいなくなる時からそればかりだった。
いつ帰ってくるんだろう。いつ元の生活に戻るんだろうって。
やっと中学も高校も終わって、やっと、やっと、亮が帰ってくるって思った。

「・・・そうなんだ。サッカーずっと続けるんだ。しつこいね」
「悪いかよ」
「いいんじゃない?わたし、関係ないし」
「・・・」

私たちは、生まれからやり直さなきゃいけないんだと思う。
どっちも意地ばかりが先立って、折れることを知らなくて、諦めが悪くて、夢ばかり見てて。
いつまでも子供じゃないんだから、もっと素直になって、もっと信じて、もっと譲り合って、理解して。
もっとうまく、上手に、恋をすればいい。

でも大人になんてなれない。
抗うからつらい。認めないから苦しい。素直にならないから疲れる。
私とアンタが私とアンタでいる限り、ずっとそれがついて回る。

・・・泣けてくる。
上手くいかないなら上手くいくようにがんばればいいのに、抑えるとこは抑えて、上手に笑って上手に保って上手に愛し合えばいいのに。
亮が傍にいると、私、自分を殺せない。
だって、私アンタと愛し合いたいけどそれ以上に、私は亮そのものが好きで、私はそのままを愛されたい。

どうして私たち、手の一つも繋いだこと無いのにこんなにも欲しがって、
どうして私たち、手の一つも繋いでないのにお互いここから離れられない。

赤く熟れてく熱情を、急冷凍して、防腐剤を詰め込んで、時間が経つことを怖れて、目を合わせれば罵って、指先が触れ合えば頭は侵されて、一秒に百万回その名を想って、でも天地がひっくり返ったって、求めてきたのは他でもない、たったひとり。
欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。
夢見る浅ましい五感全部が全力でそう叫んでる。
・・・ああ、もう、苦しい。
疲れた。苦しい。疲れた。苦しい。

「・・・・・・ダメじゃん、やっぱり、何も変わってないじゃん」

この狭い喉を通る言葉は、限られている。
愛しい言葉なんて出やしない。あたたかい言葉も、弱い言葉も出やしない。



呼ばないで。呼ばないで。
アンタの口から出る私の名前は、愛しすぎる。

「いいか、これが最後だぞ」
「・・・」
「お前が俺じゃなくていいなら、俺もお前じゃなくていい。お前が本気で俺なんていらねぇって言うなら、俺だってお前なんていらねぇよ」

私たち、子供の頃から触れ合ったことなんてない。
だって、触れたらすぐに崩れて、全部流れ出てしまいそうだった。
爆発してとまらなくなって、ふたり以外世界の何も見えなくなることわかってた。

だってやっぱり私は、どうしようもなく、

「それでも俺はお前がいい」
「・・・」
「お前は?」

なくていいならなくていい。他でいいなら他でいい。
アンタも、私も、楽でいられるならそれが一番いいはず。

「亮がいい」
「・・・」
「亮がいい。亮がいい。亮じゃないなら私、恋なんていらないよ・・・」
・・・」
「亮がいい・・・」

二人でいて苦しいなら、私たちの恋は苦しくていい。
だって二人でいれば、世界はこんなに豊潤だ。
ひしめきすぎて息苦しくて窒息しそうでも、この世はキラキラと七色に煌いてる。
それが錯覚でも、そこにいるのが亮なら、私は満たされる。

アンタがいい。
私の生涯は、アンタでいっぱいでいい。

それで私は始まりから終わりまで、狂おしく満たされるんだ。





君依存症