愛ある所作ならいくらでも




スポーツ速報が終わって特に興味のないニュースが流れるテレビを前に、膝の上に雑誌を置きながらソファでくつろぐ。時計を見上げると11時を回っていた。間に合わなかったら録画しておいてと頼まれた今日から始まるドラマはとっくに終わって、間に合うどころか1時間以上経っても帰ってきやしない。帰る時間が遅いのは今に始まったことじゃないが、最近特に遅いように思う。

喉が渇いて、雑誌をテーブルに置いて立ち上がりキッチンに入った。流しには今日1日の食器がそのまま残っていてとても綺麗とはいえない状態。ヒマだし、ちょっと片付けといてやるかと袖をまくって水を流した。
たまった洗い物を片付けた後で、そういえば喉が渇いてキッチンに来たんだったと思い出した。手を拭いて捲り上げていた袖を戻して食器棚からコップを取り出す。冷蔵庫を覗いて、ミネラルウォーターにするかアイスコーヒーにするかビールにするか悩んだ挙句、ビールは1本しかなかったから飲んだら殺されるだろうと悟ってコーヒーにした。

コップを片手にソファまで戻ってくると、ピンポーンと部屋の中にチャイムが鳴り響いた。どうやらやっと帰ってきたようだけど、チャイムを鳴らすあたり、いい予感はしない。
マンションの1階のエントランスを映し出しているインターフォンの画面を見ると、映っているのはやっぱりこの部屋の主人ではあったが、四角い画面の下ギリギリでがっくりと頭を下げ深く俯いているから顔は見えない。ヤレヤレとコップをテーブルの上に置いて、玄関から出て行った。
エレベーターで1階まで下りていくと、ガラス張りのドアと壁の向こうに、インターフォンに映っていた姿のまま立ち尽くしてるスーツ姿の女が見えた。全体重がその二本の腕に支えられていて、少しでもがくりと腕が曲がればすぐさま崩れ落ちてしまいそうだった。疲れているのか酔っているのか、後者ならこれからの疲労は3倍になるだろう。



エントランスのドアを開け声をかけると、腕を支えに深く俯いていた女はゆっくり顔を上げ、そしてまたゆっくり俺に目線を変えて力なくにこりと口で笑った。どうやら酔っ払いの介抱は免れたようだ。身を任せていた腕はようやくその重労働から開放され、女は目の下を擦りながらフラフラとこっちへ歩いてくる。

「おかえり」
「ただいま」
「遅かったな」

細い息を吐きながらうんと答えて、は俺に腕を回し今度は俺にその疲労たっぷりの身を任せた。ここのエントランスは防犯カメラが常時作動してるから普段はここで抱きついてくることなんてないのに、自力で家まで上がってくることすら拒否したこの体は相当疲れているようだ。
狭い箱の中で二人きり、ゆっくり上がっていく浮遊感を感じながら次々に階数を上げていく点滅を見送る。は深く息を吸っては吐いて、すっかりくつろぐ体勢に入っている。まだ早いっつーの。
エレベーターの点滅は行き着いた階数で止まりチンと音を立てて扉を開ける。着いたぞと声をかけても生返事しか寄こさないにため息ついて、よっと体を持ち上げてエレベーターを降りた。頭の後ろでくすくす笑ってる声が聞こえる。仕事から帰ってきた父親に抱きかかえられて喜んでる子供みたいな喜びよう。立場はまったく逆だけども。
玄関のドアを開け中に入り抱きかかえたまま靴を脱がせて中へと入っていく。さっきまで自分がくつろいでいたソファにをどさりと下ろし、また一度息を吐いた。

「風呂?メシ?」
「んー、ビールー」
「いきなりかよ。いーけど、もう1本しかなかったぞ」
「えー、なんでー?」

それはあなたが毎日浴びるほど飲むからですよ。
とまぁそんなこと口に出すこともなく、今飲むより風呂に入った後の方が欲しがるだろうと思ってとりあえず風呂に入れることにした。
ビールの変わりに水を1杯置いて、風呂の湯を温めなおす。一気に水を飲み干したはじゅうたんに座り込んだままソファにもたれ、今にも寝落ちていきそうだった。

、風呂」
「んー」

そうは言ってもまったく動く気配を見せない。ほら、とソファから体を起こしてやると、眠そうに顔をしかめるは俺を支えにフラフラと立ち上がりバスルームへ歩いていった。
壁一枚向こう側からシャワーの音が聞こえる。その間にキッチンで軽く食べられそうなものを作ってテーブルに運んだ。メシとまでは行かなくても、つまみくらいなら食べるだろう。

しばらくしてシャワーの音がやみ、ガチャリとドアが開く音がすると廊下の先から清らかな匂いが漂ってきた。髪を濡らしたが頭からタオルを下げてペタペタ裸足で戻ってくる。キッチンの横を通りすがりにホラと缶ビールを渡すとやったーと、さっきまでより数段元気な笑顔で受け取った。

「あ、ドラマ撮ってくれた?」
「ああ。そのままつければ見れる」
「やったーありがと」

は俺に頼みごとをする時、とてつもなく下手になって猫なで声で頼んでくる。「何かをしてもらうこと」が当たり前になっちゃいけないんだといつか言っていたけど、お願いお願いと繰り返し上目遣いで強請って結局は言うことを聞かしてるわけだから、実際何も変わらないんじゃないかと思う。

「わーひさびさに見たぁ。あーかっこいいー」

テーブルの前に座り込んで、ビール片手にテレビに没頭するは、録画したドラマを見て、その内容よりも出ている主演の俳優にうっとりと目線を注ぐ。その後ろ姿はビールさえ除けば女子高生となんら違わない気もする。
そのかっこいいかっこいいと連発する俳優が40を過ぎた大人の色気を背負う男らしい男だから俺は少し安心するのだ。例えばこれが駆け出しの若い俳優だったりキラキラしたアイドルだったりした日には、こいつはこういうシュミで俺と付き合ってんのかと思ってしまう。

、俺あさってから合宿だから週明けまでいないからな」
「あ、そーだったっけ。どこ行くの?」
「静岡」
「あーいいなぁ、伊豆だ、温泉入れるね」
「合宿だっつーに」

ソファの背もたれをまたいで、ソファに座っての両脇に足を下ろす。テレビと向き合ってビールを飲んでるの、肩にかかったタオルで濡れた頭を拭いてるとその振動ではビールを零した。

「こら、零すな」
「だって揺れるんだもん。ちょっと、ビール拭いたタオルで頭拭かないで」

口からぽたぽた落ちるビールの雫をタオルで拭い、そのままわしゃわしゃ髪を拭き続けた。俺の膝の間でケラケラ笑ってしつこく缶に口を付けるはそれをあっという間に飲み干して、ぷはっとオヤジクサイ声を出す。

「なんか髪痛んでねぇ?」
「最近美容院行ってないからなー」
「次の休みに行ってこれば?」
「亮が帰ってくるまでに綺麗になっとくよ。美容院行ってーエステ行ってーネイル行ってー岩盤浴行ってー」
「いやそこまで言ってねぇ」

後ろにもたれてふふっと笑顔を見せるに、頭を下げてキスをした。逆さまのキスは感覚が掴めず、うまく噛み合わなくてカチリと歯が当たる。それでもしつこく繰り返していればだんだん分かってきて深くキスをすることが出来た。

はキスをすると必ず嬉しそうに笑う。20代ギリギリのとやっと成人の仲間入りをした俺とじゃいろんなところにひずみが出てくるだろうと思っていたけど、は俺にさほど大人ぶることはないし、抱き上げたり、こんな風にキスひとつで喜ぶところを見ていると、年の差なんて感じさせないくらいにかわいい。
俺たちはあまり外食はしない。学生の俺と働いてるじゃ経済面に差があって当たり前だけど、たびたびおごられるのは男としてやっぱりそう気分のいいものじゃないし、学生だから年下だからと言われてるようで腹が立つ。
キスをしながらの喉がこくりと音を立てる。俺の息がの喉を通って体内に落ちていく。尖った顎のラインから喉を滑り落ちて、鎖骨をなぞって服の合間から覗く胸へと手を滑らせていく。柔らかい感触が手のひらに収まるとの口から熱い息が毀れた。


「ん」
「やりたい」
「ん」

キスをした部分から触れた部分からの体が喜んで、鼻先での口は踊るように笑った。が起き上がって俺に体を向けると濡れた髪に指を通してまた口付ける。
他の誰にも見せない無邪気な笑顔を俺の腕の中でだけ見せる、安心感と満足感。その奥の奥に潜む、いつなくなるかもしれないという焦燥感。それも全部ひっくるめて、俺の全てを満たす、絶頂感。

「亮、好き?」
「ん」
「ふふ。キスして」
「ん」

求めるものを欲しがるだけ。
心の奥底まで染み渡るほど。体の隅々まで。
笑顔がころがる先へ。
夜が明けるまで。




愛ある所作ならいくらでも