ストロボ




チカッと空が光って、誰かの悲鳴が遠くで響く。
ここのところよく雨が降るなぁと思っていたのだけど、今日はその極めつけといわんばかりの豪雨が寮の屋根を叩きつけていた。

いつもならグラウンドを埋め尽くしているサッカー部も室内練習場に移動。他の野外の部活動も校舎内や屋根のあるところで地道な筋トレや走り込みをするだけで精一杯。学校と寮を往復するだけのここの生徒たちは傘を持ち歩くという習慣がなく、朝は降ってなかったおかげで今日の学校帰りはほとんどの生徒がずぶ濡れになって帰ってきた。
お風呂に入って食堂で夜ごはんを食べていると、窓の外からゴロゴロと地鳴りのような音が聞こえてきた。誰かが雷かなぁとカーテンの向こう側を見上げると、その隙間からピカッと光が差し込んで、しばらくした後でドォンと深く大きな音が響いた。
それからずっと雷は止まない。みんな怖がって誰かの部屋に集まったり、消灯時間を過ぎても空が光るたびキャアキャアと声を上げたり。

ー」

机のライトだけがついている暗い部屋。コンコンとドアをノックする小さな音が聞こえて友達が顔を覗かせた。薄暗い中で見えたのはかわいいピンクのパジャマ。それに引き換え私はTシャツとハーフパンツと色気のない就寝スタイル。

「なに?」
「大丈夫?怖くない?」
「何が」
「だって雷ひどいじゃん。ひとり部屋だしさぁ」

この二人一部屋の女子寮で、私は人数の関係上ひとり部屋だった。そんな私を心配して様子を見に来てくれたのだろう。

「うん、大丈夫。ありがと」
「ほんとに?なんなら一緒に寝る?みんないるよ」
「大丈夫だって。それよりとりあえず部屋戻らないと、見回りの先生くるよ」

ほんとに?雷怖くないの?
カーテンの向こうが光るたび遠くの廊下で声が上がる。苦手な子はとてつもなく苦手なんだろう、この異常としか思えない空からの照明と地が割れるかと思うくらいの地響きは、そうそう普段から慣れるものじゃないし。
だけど私はひとり部屋にも慣れ、こんな明かりが消えた部屋の中にいることにも慣れてきていたから、雷よりも廊下で騒がしい声を上げてる子たちのほうが煩いと思えるくらいに平静だったのだ。カーテンの隙間からピカッと光る空をおおーと眺められるくらいに。それから音が落ちてくるまでをカウントするくらいに。
友達が出て行くと私は机の電気を消して、ふとんに入った。
電気が消えたすぐは目も慣れなくて部屋は真っ暗で、ベッドに寝転がった瞬間にビカッと光った窓の外が今までのいつよりも大きな光に見えた。・・・いや、実際に一番強い光りだったのだ。しばらくした後で鳴り響いた音は近くに落ちたんじゃないかというくらいに大きく、それに伴い寮内に響いた叫び声も一際大きかった。外からまだゴロゴロと地鳴りは鳴って、私の心臓も小さくドキドキと鳴っていた。

「今のはでかかったなぁ・・・。ていうかアンタらの声のほうが怖いってーの」

ドアの外ではもうヤダ、こわいこわいと何人かが集まって騒いでる声が聞こえた。こんなとき怖い怖いと涙目で慰めあえるような子は正直羨ましい。私がそんなことしたらキモチ悪いだろうなぁと、逆に怖さが冷めて引きつった笑いがこぼれた。

その時また空はビカッと、今までのいつよりも強く光った。
うわ、またでかいのがくる。何度となくやってくるストロボはちっともこの部屋の暗さを目に慣らしてくれなくて、いつまでも私を暗闇に押し込める。そんな中でくり返す異常な光と心臓を響かせる地鳴り。私のおなかの底に次第に怖さが滲み、心臓の音も早くなってきた。

「わ、きた・・・っ」

小さくゴロゴロとなったかと思ったらドォン!と穴が空くかと思わせるくらいの音が鳴ってバリバリと光りが走る音まで引き連れてきた。空が止め処なくまた光る。音が鳴る。建物が揺らぐ。ストロボが走る。雷が襲う。
ちょっと、さすがにこの異常なまでの光りと音は怖くなってきた・・・。
でも今更外に行くのも怖い。でもひとりはもっと怖い。
そうしてるとまた強くパッと部屋が白くなり、

「キャッ・・・」

ドォォオオン・・・!
心臓を食べられるかと思うくらいの音が空から落ちてきた。ブツンと何かが切れる音がして、窓の外でついてた街灯や寮内の非常灯、トイレの明かりなんかも全部消えてしまった。一層騒々しくなるドアの外。ザーザーと窓を叩く濁った雨。ドキドキドキドキ、早鐘のような胸の音。また走る閃光。音が来るまでの数秒間。

だめだ・・、やっぱ誰かのところに・・・
そう、ベッドから出ようとしたときだった。
ブブブ、ブブブ、と小さな音がして、それは些細な音だったのに、雷が来ると構えていただけに心底私の心臓を打ちつけた。私はそっと顔を上げて音のほうを見る。暗い部屋に赤や緑の小さな光りの色が見えて、机の上に置いた携帯電話を見せた。
バッと体を起こしたと同時にドォン!と雷が落ちた。
それにまた身をすくめながら机の上に手を伸ばし、光る携帯電話を取った。

「・・い、もしもし」
『・・・』
「もしもし?」
『・・・おまえ、もしかして寝てた?』
「え?」

その声は、トーンもテンションも低い、それこそ地鳴りのような声だった。

「いや、寝てないよ。こんな雷鳴ってるのに寝てられないよ」
『・・・あ、そ』

ふあ・・、と耳に当てた携帯電話から小さな欠伸が届く。

「そっちこそ寝てたんじゃないの?」
『・・寝てたよ。こっちは雨でもハードな練習やってんだよ。雷なんかでぎゃあぎゃあ騒ぎやがって・・・』
「はは、そっちでも誰か騒いでるの?」
『あー・・・、たぶん、この声藤代・・・』

こいつは本当に爆睡していたのだろう、起き抜けの枯れた声で眠たげにゆっくりとした力のない喋り方だった。室内の練習で一体どんなハードなことをすればこんなこの世の終わりかと思うくらいの雷の中で寝ていられるのか。どうりであのサッカー部の中で10番を背負い、無駄な肉なんて1ミリもつかないはずだ。

「こっちでもみんな大騒ぎだよ」
『おまえは?』
「私?私はべつに」
『おまえ、いま部屋?』
「うん」
『ひとりで?』
「うん」
『・・・あ、そ』

たぶん亮は今、こいつはひとりでも大丈夫だな、と呆れたんだろう。

「あ、また光ったね」
『もー、藤代絞め殺していい』
「あはは、そんなに?近藤くんは?」
『知らん。どっか行ったんじゃねーの、いない』
「亮は雷ぜんぜん怖くないの?」
『こわいっつーか・・・、ねむい』
「あはっ」

たしかに雷に大騒ぎする藤代君は簡単に想像がつき(怖がってるというよりは楽しんでいそうだけど)、それと一緒になって怖がる亮はとてつもなく想像がつかない。いや、もしこれが昼間なら普通にみんなと一緒の騒いでいるかもだけど、眠りを妨げられたときの亮は藤代君だろうと雷様だろうと殴ってしまいそうだ。

『おまえは?』
「ん?」
『他のヤツみたいに雷こわーいって泣いてねーの』
「あ、聞こえる?んー、べつに、てゆかそんなキャラでもないっていうか」
『なんだそりゃ』

いや、ほんとはね、ちょっとは怖いと思っていたんだけど。
みんなのところに行こうともしてたんだけど。

「あ、光った。くるよくるよ」
『楽しんでんじゃねーよ、藤代と同レベルか』
「ほらきた、わーでかい」

はーあ、と長い息を吐く亮はもう返事すら面倒な感じで何も言ってくれなかった。だけど電話は繋がったままだから、窓の外で鳴っている雷より近くの耳元で亮の息遣いが聞こえるから、不思議と、もう怖いなんてちっとも思わない。

『次叫んだら藤代マジでころす』
「あ、今の叫び声は藤代君だね」
『・・・。ちょっと待ってろ、シメてくるから』
「あははっ・・」

その後ガチャっとドアが開く音がして、サッカー部寮に文字通り亮の雷が落ちた。サッカー部寮ではこっちの女子寮とは違って怖がってるというよりも楽しんでいるような騒ぎ声が沸いている。この部屋と同じ暗さのはずなのにこの電話の向こうは雷すらもオモチャにしてるようだ。
雨はザーザー降り続き、時折空は光って激しい音と地鳴りを連れてくる。
誰もいない真っ暗な部屋でそれはとてつもなく不安を掻き立てるものだけど、そんなストロボも雷も、こんな小さな機械ひとつに勝てないようだった。

『くそぉ、目ぇ覚めちまったじゃねーか』
「明日も朝練あるの?」
『あー、たぶん』
「雨でも雷でもやるんだね。地震が来ても練習してそうだよね」
『んなわけあるか』

それからしばらく、地鳴りが止むまでずっと、ストロボが止まるまでずっと、亮は電話を切らずにいてくれた。空が静かになって雨も弱くなって廊下もとうとう寝静まって、眠い眠いと文句を言いながらも亮から電話が切れることはなかった。

ありがとう、は、どこで言おう。
いい加減におやすみと、切り出さなきゃな。

『おまえ明日ぜったい起こせよ、遅刻したらおまえのせーだからな』
「知らないよ。寝過ごしたらどうなるの?」
『外周30周』
「うわ、がんばれ」
『てめぇな』

ありがとう、おやすみ、ありがとう、おやすみ・・・
頭の中でたくさんたくさん、ストロボみたいにくり返すんだけど、

いい出せなくて、ごめんね。

と、ありがとう。





ストロボ