おかえり




8月になって、試験や勉強で残っていた生徒たちもどんどん家に戻っていく。まだ寮に残ってる生徒は夏の大会を控えた部活組くらいになっていた。
にぎわってた寮はごっそり人が少なくなり、食堂はガラガラ。グラウンドは夏休み前同様にサッカー部が大所帯で占拠しているからいつも通りなのだけど、でも、なにかどこか、違っていた。

空気が、違う。練習中は機敏でも練習前や休憩中は和気藹々としていたサッカー部が、ここのところそんなゆとりの時間でもぴりぴりしてる。それを感じるようになったのは、東京都選抜を選ぶための合宿とやらから我がサッカー部の精鋭たちが数日振りに帰ってきてから、だ。そしてその殺伐さの原因は言わずもがな、あいつだ。
今日もあいつはひたすら黙々とボールを蹴っている。今までなら練習中とはいえ友達とは時折笑顔を見せていたのに、誰かが話しかけてきても反応悪く、ミニゲームやフォーメーションの確認をしてるときのあいつは黙々と言うより鬼気迫るというか、がむしゃらというか。

そんなあいつに、他の部員たちは敏感に気づき一線引いてしまっているようだ。かわいそうに、後輩たちはあいつが通りがかっただけでさっと身を引いて道を空けているし、2・3軍の人はなるべく近づかないように邪魔にならないところへ逃げている。そんな様子がこのグラウンド脇にあるテニスコートからも見ていてよくわかる。
だけど、さすがにサッカー部に蔓延してる噂までは女子寮や他の部活動にまでは届いてこない。それは今のサッカー部じゃ最大級の禁止ワードになっているようだし。

セミの声が大きく反響している。8月に入ってさらにセミの数が増えたんじゃないかってくらい、至るところからせめぎあって鳴いている。

「今日は暑いなぁ。クーラーつけようか」

よっぽど暑さに耐えられないときじゃないとクーラーはつけないけど、朝のお天気お姉さんが今日は今年の最高気温をたたき出すだろうと言っていたし、見上げれば空は雲ひとつない深い青だしで、外からの風だけじゃ涼は望めなさそうだった。ドアは開けられないから窓が開いていても風は通らないし。

「あ、ヒコーキ雲だ。雨降るのかなぁ。ヒコーキ雲が見えると雨が降るっていうよね」

勉強机の椅子に座ったまま網戸越しに空を見ると、少ししか見えていない青空に白く雲の線が延びていて、それを見ようと網戸を開けてベランダに顔を出した。私の部屋は1階にあり、生徒が行きかう寮の前の道から視界を隔てるために目線以上の高さの囲いが立っている。だからイマイチこちらからの視界もよくはない。

「ほんとあっつ、こんな中で練習とか死んじゃうな。サッカー部はまだいーよ、芝生だもん。テニスコートってホント暑いんだから」
「・・・」
「こんだけ晴れてるとボールもラインも見にくいんだよな、光っちゃってさ」

私は夏休みも半月過ぎたにも関わらず寮に残っている、女子では数少ない部活組だ。先日から始まった大会で、ダブルスでは3回戦で敗退したもののシングルスで生き残ってしまっているから、夏休みを削って中学最後の部活動にいそしんでいるのだ。

「サッカー部は次の試合いつだっけ」
「・・・」
「きのうが2回戦だったから、あさってくらい?」

網戸の外へ目を上げたまま話し続けるけど、これは全部、私の独り言ではない。だけどまぁ答えがこないのだから、結果的には全部独り言になってしまってはいる。起きてるくせに、返事もしやしない。

ちゃーん」

すると、どこかから名前を呼ばれた。この囲いの向こう側から聞こえてくるようだ。

さんいるー?」

その声はやっぱり外からで、私はベランダに出て柵に足をかけ囲いの上からひょこりと顔を出した。するとそこには中西君と近藤君がいて、私を見ると笑って手を上げた。

「アイス食います?」
「どうしたの?」
「さっきから三上センパイが見つかんなくて、コンビニかなーって思って行ったんだけどいなかったんでついでに買ってきたんすよ。どれがいい?」
「じゃーそのカップのヤツ」
「ねーさん、三上さんは絶対チョコバーっすよね」
「だからあいつはスイカバーだって言ってんだろ」
「ぜーったいチョコですって!こないだバニラかチョコか選ばせたらチョコ取ったもん」

そう豪語する中西君が手に持ったコンビニの袋の中にはアイスが5・6個がさがさと入っていた。

「そんなにたくさんどうするの?」
「食いますよ。てかべつにこんないっぱい買う必要なかったんだけど、三上センパイがどれがいーかわかんないからとにかく種類集めとこーぜってなって」
「だからスイカバーだって、あいつスイカ好きだもん」
「スイカ好きだからスイカバァー?安易ー。てゆーかさん、総体勝ち抜いてんですよね、すごいっすね。あ、じゃあこれはその祝いってことで!」

取ってつけたような祝いに笑いがこぼれる。この陽気じゃアイスはどんどんと溶けていってしまうだろうに、ふたりはさっきからコントのように隣に立って笑い話を繰り広げるばかりで、毎日の過酷な練習で暑さに鈍感になっているようだった。

「てか本気で三上センパイどこ行ったかな」
「やっぱ誰かの部屋にいんじゃねーの?」
「いそーなとこは探したじゃないすか。あ、もしかして一般寮の誰かんとこかな」
「んー、いや、一般寮はないな。どっかに一人でいるとみた」
「なんで三上探してるの?」
「いやー・・・、だから、アイス買ったからさ」

お昼を前に太陽は真上に昇って燦々と眩しい光を注いでいた。Tシャツにハーフパンツと練習着姿のふたりは、あいつがいないからコンビニへ行ったクセに、あいつを探してる理由はアイスのせいだという。そんなつじつまも合わない二人にくすくす笑うと、なんだよと近藤君が苦く笑った。

するとそこへ、おーいと高い声を張り上げて根岸が遠くから走ってきた。今日は午後練習らしいサッカー部の面々は体力を温存することもなく元気に走り回ってしまうのか。傍まで来た根岸は軽く手を上げて「よっ」と笑顔を見せる。

「学校閉まってた。んで途中渋沢に会ったんで聞いてみたけど渋沢も見てないってさ」
「うーむ、なかなかシッポを出さんヤツだな。こうなったらローラー作戦で行くか。名づけて武蔵森学園、大捜索網!」
「ぜんぜんナイスじゃねーな」
さんどっか思い当たらないんすか?」
「ん?んー」
「俺は十中八九ちゃんと一緒だと思ったのになぁ。いないだろーと思って声かけたのにいるんだもん。あてがなくなっちゃったよ」

はは、バレてるバレてる。
そうまた、隠した口で笑った。

「他にいきそーなとこって行ったら・・・、体育館は?あ、談話室見たか?」
「あ、そーいや1階の談話室しか見てないな」
「バッカ談話室なんて第一候補じゃんかよ!じゃーお前体育館見て来い、俺らは談話室を回る」
「ええー、ここはジャンケンでしょー」
「じゃあ負けたやつが体育館!じゃん、けん!」

だー!と頭を抱えて、負けた根岸が来た道を全力で戻っていった。いってらっしゃーいと手を振る二人に見送られて根岸は夏の空気に溶けそうなくらいあっという間に遠ざかっていく。さすがはサッカー部。

「じゃ談話室探すか。アイスもそろそろ限界だしな」
「そーっすね」
「午後から練習なんでしょ?その時には見つかるんじゃないの?」

何もこんな暑い中、走り回って学園中を探し回らなくても。
そういうけど、近藤君はぽりぽりと頭をかいて、中西君はアイスの入った袋を気にしながら

「ま、なんとなく。ほら、あいつなんかヤル気なりすぎてるからさー、俺らが気の抜き方ってもんをな?」
「早く見つかってくれないとアイス溶けちゃいますしね」
「そうそう。スイカバーがな」

取ってつけたような。
なんでもないような。ふりして。

「あー、ちゃん、」
「ん?」
「あいつ、大丈夫だよな。いつもどーり、だよな」
「・・・」

ねぇ、聞いてる?
幸せ者なんだよ、あんた。

「うん、大丈夫。スイカバーもチョコバーも食べれるくらい元気。きっとどっかでおなか出して寝てんのよ」
「はは、じゃあー両方取っといてやるか」
「もうチョコ溶けちゃってますけどね。殴られそー、こんなの食えるか!って」
「ったく手のかかるエース様だよなぁー」

じゃーなー。 そう二人はサッカー部寮のほうへと歩いていった。
真っ白い雲を乗せた青い青い8月の空。
まだ夏は始まったばかりで、サッカー部の大会も始まったばかり。

「だってさ。帰ってあげれば」

窓からぬるい風が吹き込む。こいつがいなけりゃ鍵を開けてドアを開け放つことが出来るから、少しは涼しくなるだろうに。

「暑い。クーラーつけろ」
「外はもっと暑いよ。もうすぐ練習でしょ」
「昼飯の後だよ」
「その前にスイカバーが待ってるよ」
「いらねーよ溶けたアイスなんか」

外から差し込む明かりだけで少し暗い部屋。足元にぐしゃぐしゃになったタオルケットを敷いて、ベッドにうつ伏せて寝たふりするように喋る。夏真っ盛りの熱さにやられて、もらったカップのアイスは溶けてしまってるだろう。たぶん、あの袋の中のアイスたちも溶けている。

アイスが溶けちゃうくらい、探し回って。

「ホラ早く帰らないと、近藤君たちずっと探し回っちゃうよ」
「しらねーよ、なんで探してんだよ」
「心配してくれてるんじゃん。エースがいなくなっちゃって」
「あいつらに心配なんかされてたまるか」

またまた、ほんとに手のかかるエースだ。
近藤君たちの苦労が伺えるよ。

でもみんなちゃんと分かってくれてて。
サッカーやめちゃわないよなって、心配して。
ちゃんと練習来るよなって、探してくれて。

エースだと、信じてくれて。

「ったく」

ぎしっと起き上がりベッドから下りる亮は窓の前に立ち、青い空を見上げて眩しい青を見上げる。暑い日差しにウンザリというように目を細め、ぬるい風に細い髪を流して。

夏はまだ始まったばかり。
サッカー部の大会も、まだ始まったばかり。

「あっちぃーなぁ」

窓から出てベランダを越えて、囲いをくぐって
寮のほうへ。グラウンドのほうへ。みんなのところへ。
まだまだ熱を上げる夏に溶けていくよに。

堂々と女子寮から出て行くその後ろ姿。
も少し気ぃ使えっつーの。

「いってらっしゃーい」

遠ざかっていく背中に言うと、歩いてくあいつの腕が空を切るように舞った。
いってらっしゃい。
でもおかえりをいうのは、きっとべつの人。





おかえり