俺なんて毎日毎日楽しい限りだけど、そんな楽しいばかりじゃない。 でもだからこそ楽しい日々を求めるんだよ。 楽しくないことなんて、ほっといてもやってくるんだから。 Planetarium 人間関係って、この年になると色々あるもんだ。 「今年の1年マジでムカつく」 「またかよ」 「だってさ、名前も知らねーヤツが”ちわー”だぜ?なんだよその挨拶、ダチかっつーの」 「挨拶するだけまだマシじゃん」 「その上部室に先に入って行きやがんの。フツー先譲るって」 「細かいよお前」 「あームカつく」 部活のことはよく分からない圭介だけど、スポーツの世界の上下関係が厳しいのは同じこと。新しく入学してきた1年生は少し学校にも慣れ始める時期。これからが本格的な学校生活だというのに、センパイに目をつけられるなんてたまったものじゃない。 窓は花粉症対策のため締め切られて、のどかな陽気だけが差し込む窓辺で弁当を広げる。今日は醜い争いもなく弁当にありついた。争う相手がいないから。 「圭介、紫ちゃん呼んでる」 「ん?おお」 箸を咥えたまま教室のドアを見ると、紫が手を振っているのが見えた。それを見て箸を置く圭介は立ち上がって、ドアに寄っていく。 「ねぇ今日練習ないんだよね、帰りどっか行かない?」 「あーゴメン。放課後てっちゃんたちとサッカーするんだよ」 「サッカー?どこで?」 「グラウンド」 「じゃあ見てる」 「いーけど、何時に終わるかわかんないよ?」 うんと頷く紫は手にかわいく折りたたんだ手紙を持っていた。でもその内容が帰りどこに行こうか、という内容だったらしく「渡せなくなっちゃった」と笑う。圭介はその女の子の手紙、がよくわからなかった。わざわざ手紙で書かなくても言えば早いのになぁ。 「今日はお弁当なんだ、さんは?」 「休んでる」 「休み?なんで?」 「さぁ、きのうも来なかったんだよな」 はきのう今日と学校を休んでいた。それも無断欠席。こんなことは圭介が知る限り初めてだ。 「山口ー」 電話でもしてみるかなぁ、なんて思っていると廊下の先から担任が近づいてくる。きっとのことを聞きたいんだろう。 「から何か聞いてないか?家に電話しても出ないんだよ」 「そーなの?なんも聞いてないけど」 「そうか。まったくあいつは、悪い癖だな」 「え?」 ふぅ、と重苦しく先生はため息をついた。 圭介がこの先生のクラスになるのは初めてだったけど、は2年の時もこの先生が担任だったはず。 「前からちょこちょこあっただろ、連絡もなしに急に来なくなること」 「え、そーなの?」 「一度来なくなると1週間は来なくなるんだよなぁ」 「え?」 中学に入って、圭介とが同じクラスになったのは今年が初めてだった。同じクラスでなければ毎日が学校に来てるかどうかなんて、知るはずもない。そんなこと、圭介は初めて知った。 「進路の話もまともに聞かないし。片親で大変なんだろうけど、注意する人がいないとこうなるんだよなぁ」 「・・・は?」 「教師の言うことなんて聞かないんだから、お前から言ってやってくれ」 「・・・」 母親がいない。 それは圭介にとって一番許せない台詞。 「こうなるって何」 「え?いや、」 「あいつは普通スよ」 声を荒げるわけではないけど、圭介のその目は怒りが広がっていた。先生はもちろん、隣にいる紫ですらこんな圭介は初めてだ。悪い悪い、そういう意味じゃないよと言い訳じみた台詞で担任が去っていっても圭介の顔は元に戻らなかった。 「なんだよアレ、ムカつく」 「圭介?」 「あいつが何してもあいつ自身の問題だろ。母親いないのが関係あんのかっつーの」 ガンと廊下の白い壁に不躾に蹴りつける圭介は、はぁーあと腹の底から息を吐いて壁を背にしゃがみ込んだ。 なんでこう、母親がいないとすべてそのせいみたいに見られるんだろう。あいつは昔から何も変わっていないのに。誰の前で変わって見えても、圭介の前じゃ昔のままだったのに。 ガシガシ、爪が皮膚を刷って痛みを覚えるほど掻き毟った。そういえばいつだったかに言われたっけ、自分でも気づかなかったけど、腹が立っている時の癖だと。 ふぅと息を吐き出して気を落ち着かせた。 紫がまだそこにいる。 「ゴメン」 「圭介が怒るの、初めて見た」 「いや別に怒ったわけじゃ・・・。や、キレてたな。ゴメン。だって腹立つじゃん!」 「・・・」 そう大げさに怒って見せる圭介は、いつもの圭介に見えた。紫の前でさっきまでの自分を一掃しようと、大きく笑ってみたり怒ってみたり。 「やっぱり圭介は、さんのことになると一生懸命だよね」 「えー?そんなことないよ」 「じゃあ私でも同じくらい怒ってくれた?」 ポツリとつぶやく紫の言葉に、圭介は笑っていた顔をふと止めた。 いや、紫はそんな、あいつみたいにメンドーかけないし。 そう笑ってみせても紫の沈んだ顔は変わらなくて、圭介も口を閉ざした。 「圭介は何でも話してくれるけど、それって時々、つらい時ある」 「え?」 「さんの話聞くたび、それだけ分かり合ってるんだぞって言われてるみたいで、」 「・・・」 「最近つらいよ」 口ほどにものを言うその目にじわりと涙が浮かぶと、紫は顔を逸らして涙を隠すように歩いていった。良かれと思って話してきたのに、逆にそれが悲しませていた。歩み寄るには最適な方法だと思っていたのに。友達と笑い合うことなんて簡単なのに、人付き合いって、難しいばかりだ。 あー・・・ 紫は「今日は先に帰るね」と学校が終わると同時に帰っていった。 なんだかぎくしゃくして上手く笑うことも出来ずに、引き止めることもしなかった。 べつにに限って一生懸命になってるわけじゃない。じゃなくたって友達ならみんな心配くらいするし、もちろんそれが紫だって一緒。その中で誰よりも長くいたが、他のヤツよりもその気持ちが大きいことが、なにか、おかしいかなぁ。 約束していたサッカーを断って、圭介はの家まで来ていた。そう高くないマンションの、2階の廊下の突き当たりのドアにの苗字が飾られている。チャイムを鳴らして待ってみたけど、ドアは開かなかったし開く気配もなかった。いないのかな。 どうしようかと迷っていると隣の家のドアが開いて、きっと隣人だろうおばさんが出てきた。 目が合ってしまって軽く会釈をすると、おばさんは頭を下げながらじろじろと見てきて、何やら不審者を見るような目を寄こしながら歩いていった。 なんか、あやしかったか? 幾つも疑問符を浮かべて、やっぱり留守らしいの家の前から仕方なく引き戻した。 連絡も寄こさずに学校を休んだくせに家にもいないなんて、どこに行ったんだろう。来た道を戻りながらキョロキョロ周りを見渡していると、通りかかった公園の遠くのブランコにを見つけた。 なんだ、いたよ。 「コラー!」 「わっ・・」 ぐんとブランコを押し出してやるとは驚いて地面にビタッと足をつく。振り向いたは目を大きくして、圭介だと認識すると驚く顔を隠すように被っていた帽子をぐいと深くした。 「何してんだよ、こんなとこで」 「アンタこそ」 「俺はあれだよ、家庭訪問?」 ニカリと笑ってやったのに、は「あそ」となんとも質素な言葉を返してきた。ブランコの鎖を握る手にコンビニの袋を一緒に掴んで、その中にはお茶とサンドイッチが見える。相変わらず偏った食生活してるなぁと圭介は隣のブランコにまたがった。 「学校休んで何してたんだよ?」 「んー、風邪ひいたから」 「元気じゃん」 「持病の癪が・・・コホコホ」 「つまんねーよ」 「ギャグに受け取るなよ」 いつもどおりなの受け答えを聞くと自然に笑えた。こいつだけは昔から変わらずこんな調子で、ラクなのになぁ。そういえばブランコなんていつ振りだろう。ブランコに座りながら揺らすでもないの隣で、圭介はグンとブランコを漕いでみた。 「ねぇ、なんか用?」 「ん?いや、先生に言われてさ。どーしたんだって」 「なんでケースケに聞くかな」 「それで俺先生にキレちゃって」 「なんで?」 「お前がそーやって好き勝手するの、お前に母親がいないからだみたいにゆーから。違うよなぁ?お前の素行が悪いのは他の誰でもなくお前のせーだよなあ?」 「それってフォローしてんの?ケンカ売ってんの?」 わはは。笑い飛ばしながら日が暮れた空に向かって足を伸ばすと、静かな公園に大きくギィギィと音が響いた。 「・・・でまぁ、それで紫に言われてさ。俺がキレてんの初めて見たって」 「まぁ、めずらしいからね。アンタが人前で素でキレるなんて」 「まーなぁ。で、紫がさ、私のことでも同じくらい怒ってくれたかって。のことになると一生懸命になるよなって」 「何、ケンカしたの?佐伯さんと」 「ケンカじゃないけど・・・。たまに思う。全部メンドくせって」 「そんなのいつも思うよ」 「それもどうかと思うぞ」 「アンタはいつもヘラヘラしてるから何しても許されるなんて思われてんだよ。後輩とかになめられてるでしょ」 「クラブじゃそーでもないけどなぁ」 「そりゃあサッカーじゃアンタより上手いヤツなんていないからだよ」 「お、褒めたね今」 なんて。はいつもバカバカ言うけど、サッカーだけはしっかりと認めていた。口癖のように言う、「サッカー以外はバカだから」って。それだって受け方によっては、サッカーだけはものすごく認めてるということだ。 ・・・じゃあ何か?サッカー以外の俺はただのバカか? ただ、楽しいことが一番だって、面白いことが一番だって、明るいのが一番だって、ひたすら日が暮れるまで遊びたくっていた頃のように、何のしがらみにも囚われることなく、手だって普通につないでいたのに。少し前までの当たり前が、もう通用しないんだと現実的に襲いくる。 「いつまでも同じじゃいられないんだよ。イラつく時期だし、色々考える時期じゃん。進路とか将来とかさ」 「大人になるってセチガライね・・」 大人になるとか、女の子と付き合うとか、もっとただ、幸せなものだと思ってたのになぁ。 「紫もさぁ、俺がお前の話するのつらいってゆーし」 「当たり前じゃん。他の女の話されて気分いい彼女なんていないっつの」 「そりゃ女だけどさ、・・」 「そんなの佐伯さんには分かんないでしょ。隠されるより話してくれたほうが安心出来てたと思うよ。なのにそれでもつらいなんて言うなら言っても言わなくてもどっちみち同じ。どれだけ信じてたって疑う生き物なんだよ女なんてモンは。こじれたくないなら金輪際あたしの話はしないことだね」 日が落ちかけて、夕焼けも出ずに空は灰色に飲み込まれ始め、やがて来る夜のために電灯がつく。世界は同じことの繰り返しなのに、ずっとその場にいることは許されなくて。そんなの嫌だなぁなんて思ってみても、手に移る鎖のさびの匂いはずっと昔のことのように懐かしく感じてる自分もいて。 「なんかお前も、大人になっちゃったね」 「アンタが変わらなさすぎなのー」 ギィギィ、ギィギィ、 台詞とはかみ合わない、昔聞いた音が日暮れの世界に響いて、やがて空から光は失せる。 そして西の空に浮かびはじめる星屑。それはあまりに遠すぎた、小さな十等星。 音も空気も世界も星も、すべては生まれた時から変わりない時間を感じていて 変わっていくのは人ばかり。 |