は懲りずに学校に来なくて、週明けの月曜日にようやく顔を見せた。
下駄箱で会ったから声をかけたのに、眠そうに唸っただけで歩いていってしまった。







Planetarium












「腹減った、早く授業終われ」
「あとー・・・23分」


4時間目の授業はつらい。誰かの腹もなる。社会の地理なんてなんの役に立つんだ、といつもなら誰もまともに聞いちゃいないのに、黒板に書かれていく白い文字をそのままノートに書き写すクラスメートたちは、やっぱり受験生だった。


「そこ、誰だ?」


コツコツと黒板に文字を敷き詰める社会の飯田が、窓辺の机でうつぶせて寝ているをチョークで指した。後ろの席の人に背中をトントンと起こされては一度頭を上げるけど、またすぐにうつぶせてしまう。
久々に学校に来たかと思えば朝からずっとこんな感じ。少しは周りの受験に追われるみんなの爪の垢でも飲ませてやりたい、と圭介は頬杖ついて思った。連絡ナシに数日間学校を休んで朝から担任に怒られ、授業中寝続けてまた怒られて、大した問題児だ。


、いい加減にしろ」


起こされてはまた寝て、怒られてもまた寝て。とうとう頭にきたらしい飯田はの後ろ襟を掴んで頭を上げさせた。


「そんなに授業がつまらないなら教室から出てけ」
「被害妄想ですよ先生」
「何?顔洗って出直してこい!」


眠い頭に響く声に眉をひそめ、は掴まれた襟をパタパタとはたくとそのまま教室を出ていってしまった。いつもなら笑ってゴメンゴメンとか言いそうなのに、今日は妙に機嫌が悪いらしい。まぁ社会の飯田は笑って過ごしてくれるようなタイプじゃないしな、と圭介はぼんやり思ってタメ息を吐く。そしては結局、4時間目の授業が終わるまで戻ってこなかった。





昼休みになってはようやく騒がしい教室に戻ってきた。購買のパンが入った袋をぶら下げて、どうやらいち早く昼食を獲得してきたようだ。


「何買ってきた?」
「テキトー」


いつも通り窓辺で弁当を広げるみんなの中に入ってくると、は座るなりさっさと袋の中からパンを掴んだ。


「ジャンケンは?」
「ん、いーよ。今日はパンで」
「・・・あ、そう」


は圭介の弁当が好きだったから、いつもなら奪い去る勢いでジャンケンを仕掛けてくるのに。朝からそうだった。なんか変だった。喋りかけても反応悪いし、遊びに誘っても乗ってこないし。


「お前どーかした?」
「何が?」
「なんだよ、俺になんか言いたいことあんの?」
「言いたいこと?あるっちゃあるけど」
「なに」


そう聞き返すと、は圭介の後ろ、教室のドア口を指差した。
その手の先を目で追うと、そこには紫が弁当を二つ持ってやってきていた。


「はよ行け」
「ああ・・」


簡素に喋るに小首を傾げて、圭介は弁当を持って紫の元へ歩いていく。
なんなんだ?なんか不機嫌だな。


さん来たんだね」
「あー。知らんあいつはもう、勝手にしてちょーだい」
「どうしたの?」
「べつにぃ。なんでもない」


アイツの不機嫌にいちいち付き合ってられるか。そうでなくてもあいつは寝れば機嫌が直るからほっとくに限る。
紫と二人、日当たりのいい廊下まで歩いてくると、床に座り込んで弁当を広げた。紫が弁当を作ってくる日は二人だけで別の場所で食べる。いつからかそんな風習が出来ていた。


「圭介、来週もずっと練習?」
「ああ、もーすぐ大会あってさ。夏になったら選抜も始まるし、これからちょっと余裕ないかも」
「そっか、がんばってね」
「何?なんかあった?」
「私、来週誕生日なんだよね」
「マジ?そっかー、・・・あっ」
「え?」


そーいやももーすぐだ。
・・・そう言いかけて、何とか口を止めた。


「何?」
「いや。そっか、誕生日は大事だな、なんかしないとな」
「無理しなくていいよ?」
「でもせっかくだしな、なんか考えとく」


おかずを口に放り入れながらそう言うと、紫はうんと頷いて嬉しそうに笑った。何しよっか。なんかほしいもんある?それともどっか行く?空っぽになっていく弁当箱を片手に色々考えては提案する。イベントは楽しくなければ、そんな精神があるから。


「どこか行きたいとこある?」


そう、圭介がパッと紫に顔を上げると、紫が静かにそっと、圭介の口に口唇を寄せた。


「・・・え、」


すぐ目の前で揺れる紫のまつげを見るけど、一瞬何が起きたのか分からなかった。ただ今までにないほど近くにいて、俯く紫は少し顔を赤らめて、そっと圭介に目を上げて、言う。


「星見えた?」
「え?」


星・・・?


処理能力が著しく低下した脳みそは鈍くて、何のことだか分からなかった。


「この前言ったじゃない。好きな人とキスすると星が見えるんだって」
「あ、ああ・・・。や、ビックリしてそれどころじゃ・・」
「あは、ゴメン」
「や・・。あービビった、まだドキドキいってるし」


だらしなく笑って見せるけど、本当にビックリして心臓がいつまでも高鳴っていた。目の前で照れて照れて顔を赤らめる紫を見ていると、ああ、キスしたんだとようやく分かってくる。ほんの一瞬だけ触れた口唇がじれて、痒くて。思い返すと余計照れて、それを隠してゴシゴシ顔をこすった。














「最近さ、飯田っていよーにムカつかない?」
「あーわかる。休み時間とかに声かけてくんだけど。ウザ」
「ねー。もさっき目ぇつけられてたじゃん」


ねぇ
その問いかけには「そーだねー」とやる気なく返事した。休み時間の女子トイレなんて、女の巣窟。床に座り込んで髪をといたり肌の油をとったり、せっせと女を磨きながらも口は止まらない。


「あの顔がキモイよね。目がキモイ。すっごいジロジロ見てくんじゃん」
「あいつさぁ、前に誰かからエロ本没収して、資料室でそれ見てたんだってー」
「うわキモいー、ねぇ」br> 「そーだねー」


教科担当の教師がキモかろうがウザかろうが、さしてかかわりなどないんだからどうでもいい。ウザイウザイと言いながらも生徒は教師に期待するものだ。どーでもいいよ、と心の中でつぶやいて、じゃぶじゃぶ冷たい水で手を洗う。


外からチャイムの音が聞こえてくる。昼休みが終わって、午後の授業の予鈴が鳴っている。座り込んでいた子もみんな立ち上がって、お手入れ道具を片付けるとトイレから出ていって、「行くよ」と声をかけてくれる子にまた生返事を返すは、しつこくしつこく手を洗った。

そうして誰もいなくなったトイレで一人、ふと鏡の中に映る自分に目をつけた。首元に視線を落として、きちんと上まで止まったボタン口をくいと指で下げると、喉と鎖骨の間辺りに黒い、傷痕が覗いた。


「・・・」


ガチャ、後ろのドアが急に開くとは咄嗟に襟元を閉じた。入ってきたのは紫で、鏡越しに目を合わせると紫は一瞬表情を曇らせて、ニコリと笑ってみせた。


「佐伯さんとこ次体育?」
「うん」


紫はジャージ姿で、の隣に立つと髪を纏めて結び始めた。笑って話してくれるけど、どこか目を外して合わせてくれない。圭介もああ言っていたことだし、は紫が自分に不信がった視線を送ってくるのを感じていた。


「うちなんて次英語だよ、眠くてたまらん」
「ふふ」
「午後イチで座り授業は体に毒だよね」
「圭介も同じこと言ってたよ」
「マジ?かぶったか」


ふと笑う紫は、やっぱりまた顔を曇らせた。そもそも今まで喋ったこともないのだから、圭介以外に共通点がない。きっと何を言っても圭介にしか結びつかないだろう。そんなつもりなんてなくても、圭介の話をすればすべて自慢のようにしか聞こえない。今の彼女には。


「あのさ、そんな気にしないでよ。あたしのことなんてさ」
「え?」
「まー彼氏の周りに同じ女がずっといれば気にすんなって方が無理あるけども」
「・・ううん、気にしてないよ」
「そ?」


そうは言っても普通の女の子なら気にするもの。



「んー、じゃあさ、友達になろうか」
「え?」
「気になることあるなら何でも言ってよ。ムカついたら直接言ってくれればいい。聞きたいことは何でも答えるし、ケースケがもし気に入らないことしたら代わりに殴ってやるよ」
「・・・なんでそこまでしてくれるの?」
「なんでって、二人がうまくいけばいーなと思うから」


そうまっすぐ言うに、紫は小さくこくんと頷いた。また外からチャイムが聞こえてきて、それは授業開始の合図で二人は急いでトイレから飛び出ていく。階段を下りていく紫と別れては教室に急いで、ふと足を緩め、誰もいない廊下でひとつ息を吐いた。


「・・・なんであたしが気ぃ使わにゃならん」


ため息のようにつぶやいて、午後ののどかな空気に溶けて消えた。教室の中はすでにきちんと席についているクラスメートに先生と間違えられて、ざわざわ騒がしい中を通って席についた。後ろの窓際の席では、またバカ騒ぎしている圭介たちがいる。


「遅かったね
「んー。何騒いでんのあいつら」
「あーなんか、圭介と佐伯さんのキス現場目撃したらしーよ。それで圭介が遊ばれてんの」


教科書を出しながら、前の席に座る友達の話を聞いた。


「もう厭きたっつーのケースケネタは」


ぎゃあぎゃあと騒がしい後ろのほうで、みんなにからかわれる中心の圭介はいいエサ状態で、ようやく入ってきた先生の登場で、騒いでたクラス中がおとなしく授業の空気に戻っていった。


テキストどおりに英文を読む先生の声が午後の教室に響いて、はまた睡魔に襲われる。後ろのほうではまだ声を潜めてからかって遊んでいる誰かと圭介の声が聞こえてきた。


締め切った窓から太陽光が突き刺さる。
ごつ、と机に頭を倒すと、視界に青い空が飛び込んできた。

お腹も満たされて、英語はお経のようで、春の昼下がりは暖かくて、
は目を閉じるとまた、眠りに落ちていった。













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