空は曇ってるけど、春が過ぎた世界は温度が上がる一方だ。
季節は夏へと移り変わる前に、梅雨がやってくるのだけど。










Planetarium











圭介は目を見張って、目の前の光景をじっと見つめた。


「何それ、触られたの?」
「体までは触られなかったんだけど、スカートとか?」
「うわ、キモいー」
「もう朝のバスとか乗りたくないもん、最悪だよー」
「バス通かぁ。じゃあこれからはケースケに家まで迎えに来てもらいな」
「すっごい遠回りになっちゃうよ」
「いーじゃん、彼女守れなくて何が男か」


何故かと紫が廊下に座り込んで仲良くおしゃべりしている。ジャージ姿で胡坐をかいて床に座り込んでいると、スカートをきちんと手で押さえてちょこんとしゃがんでいる紫はなんて正反対でミスマッチなんだろうと思った。


「佐伯さんはおとなしそうだから触っても騒がないと思われてんだよ」
さん、チカンとかあったことないの?」
「ないね。前に電車乗っててさ、むしょーにイライラしてて足振り上げたら後ろにいたサラリーマン蹴り飛ばしちゃってさ。謝ろうとしたらそのリーマンが慌てて電車出てったのよ。なんでだろーとか思ってたら隣にいたOLっぽいお姉さんが急にありがとーとか言ってきてさ、どーやらそのお姉さんがチカンにあってたらしい」
「あはは、撃退しちゃったんだ、カッコいー」
「その後あたしの周りだけ空き空きだったね、快適だったよ」
「あははっ」


放課後の廊下にピタリと合わさるように二人の笑い声が響いていた。なんでかこいつら、最近妙に仲良くなってんだよなぁ。首をかしげながら二人に寄っていくと、圭介に気づいた紫が顔を上げ、それにつられても振り向いた。


「紫、イジメられてんのか?それともカツアゲか?」
「殴るぞ」


カバンを持って立ち上がるから飛んできた足を避けた。
まったく行儀の悪い足に紫も苦く笑う。


「今日も部活?」
「うん」
「がんばれよ」
「へいへい。バイバイ佐伯さん〜」
「バイバイ」


手を振って先にたったか走っていくはあっという間に消えていった。
帰るか。一緒に歩き出す紫はニコリと笑った。

ついこの間まで垣間見えていた不安そうな表情は、だいぶと治まったようだ。ここのところ、と喋るようになったからだろうか。何故か突然が紫と仲良くするようになって、紫の中の焦燥や不信が少しずつ削がれたようだ。それを考えてかは分からないけど、はその分、圭介と関わる時間が格段に減った。

たまに話しかけてもこんな風にさっさといなくなる。
やっぱ、気使ってんだよなぁ・・




二人で昇降口を出て歩いていくと、グラウンド沿いの道から練習を始めた陸上部が見えた。円になってストレッチをして、その中にはもちろんもいる。そのは、上も下もジャージを着込んでいた。他の部員たちはTシャツやハーフパンツの軽い服装をしているのに、だけが上下ジャージで浮いて見える。を見ながらポツリとそれを口にすると、「雨降りそうだからじゃない?」と紫が答えた。

見上げた空は確かに、今にも降り出しそうな雲が広がっている。春が過ぎたばかりの空にしてはどんよりと重苦しい灰色。だからといって、これから走りこもうというには暑そうな格好だ。


「ねぇ圭介、高校決めた?」
「あ?あーあー、いや、まだ」
「大丈夫なの?」
「んーでも他にもまだ決めてないヤツいっぱいいるし」
「決まったら教えてね」
「紫は?決めたの?」
「私は第一希望は西女だけど」
「女子高かー、なんか”っぽい”な」
「でも圭介と一緒のとこにも行きたい」
「じゃあアタシも一緒に女子高行っちゃおうカナ」
「あははっ」


・・・そういえば、と進路の話なんてしたことないな。
あいつはどこ行くんだろ。明日聞いてみよ。


「あ、雨降ってきた」
「うわ、走るか」


ついに当たりだした雨の雫から逃げるように、しみが増えるコンクリートの上を走った。





・・・





ここのところ放課後になるとは頻繁に先生に呼び出されていた。色々聞かれてるらしいけど、相変わらずは聞いているやらいないやら、な感じだ。先生に渡された紙を見つめて、はーあ、とわざとらしいため息をつく。


「何それ」


そのの後ろからが眺めている紙を覗き込むと、やっぱり進路希望の紙だった。


「何回聞けば気が済むんだっての」
「何回聞いても白紙で出すからだろ」
「だって決まってないんだもん」
「テキトーにどっか書いておきゃいーんだよ」


どっかって言われてもね。
電気がついてても雨が降っているせいで薄暗い放課後の教室の中。雫が当たっては落ちていく窓に背をつけて、は机の上に飛び乗って座った。


「どっか、行きたいとこないの」
「べつにない」
「お前陸上で推薦とか取れるんじゃないの?成績だって残してんだし」
「でも推薦で行くと絶対やんなきゃダメじゃん。そこまでヤル気ないしなぁ」
「なんでだよ、1年時からずっと続けてきたのに。てっぺん目指せよ」


興味ないよ、と言うかのようにはふと鼻で笑った。


「佐伯さんは?」
「先生に呼ばれてる。行きたいとこよりもっと上の学校進められてんだってさ」
「成績が良いってのも大変だねぇ」
「俺たちにゃわからん悩みだなぁ」
「佐伯さんだったらケースケと同じとこ行きたいって言うんじゃないの?」
「うん、言ってたけど。でもあいつはあいつでやりたいことあるだろうし、一緒のとこ行こうって決めるのもな」
「アンタそれ単刀直入に佐伯さんに言っちゃダメだよ」
「なんで?」
「佐伯さんは一緒がいいって言ってるのにケースケにそんなこと言われたら傷つくじゃん」
「でも俺はほんと高校はどこでもいーんだよなぁ」
「じゃあ一緒のとこ行ってあげれば」
「俺に女子高に行けと?」
「っはは、女子高なんだ。いーじゃん、ハーレムだよ」
「アホ言え」


空っぽの教室にの笑い声が響いた。なんだか、久しぶりだった。こうしてゆっくり話すのも、目の前でが笑うのも。


「俺ほんと、どこでもいーんだよなぁ。今は進路より代表のほーが気になるし」
「もうそんな時期か。この前トレセン終わったばっかなのにね」
「ああ、夏になったらまた選抜も始まるしな。ほんと忙しいのよ俺ってば」


の前で同じように机に腰掛けていると、ふとのスカートの裾から見えている足に目を落とした。の左足の膝上、外側の部分に黒く残るアザが目に付いたから。


「うわ、何それ。どーしたの」
「さわんなバカ」


思わずそのアザに触れると腹に蹴りを入れられた。拳大の結構大きなアザ。内出血が時間が経っているせいか黒ずんでいる。その痕があまりに痛そうで、でもはハードルでぶつけた、とスカートで隠しながら軽く言った。同じくスポーツをするものとして怪我はよくある話だけど、女の足にそれは酷く似合わない。


「ああ、お前それできのうジャージ着てやってたんだ」
「え?」
「きのう部活でお前ひとり上下ジャージ着込んでやってただろ。暑いだろーなって思ってた」
「ストーカーかお前は」


これほど大きなアザだ、みんな「どうした?」って聞いてくるだろう。はそういうの、絶対に鬱陶しがる。


「ちゃんと手当てしたのか?見てるだけで痛いぞそれ」
「ほっときゃ治るよ」
「お前は昔っからそーだな!俺が怪我しても大丈夫?の一言も言えないヤツだよな」
「言って治んのかい」
「気持ちだよきーもーち。やさしーく大丈夫?って言われたら痛みだって吹き飛ぶってもんだろ」
「吹き飛ばん」
「この捻くれ者め」


ベシッとアザを軽く殴ってやると、倍以上の威力で蹴りが飛んでくる。そういうヤツだコイツは!負けじと何度も傷めがけて手を伸ばして、ぎゃあぎゃあと空っぽの教室にちっぽけな騒ぎ声が充満した。こうして殴りあうのも、久しぶりだった。そうしていると、圭介の向こう側にが気づいて、ふと笑い声と手を止めた。


「佐伯さん来たよ、ケースケ」
「ん?ああ」


言われて振り返ると、教室のドアに紫が立っていて、圭介と目を合わせるとふと笑った。するとはすぐに机から飛び降り、紫に寄っていき少し会話を交わしてそのまま教室を出ていった。圭介に一度も振り返らなかった。ボリボリ、圭介はまた頭をかいた。


「紫、終わった?」
「うん」
「じゃー帰っか」


紫に寄っていくと、紫はまたうんと頷いて笑顔を作った。そうして歩き出そうとしたところに、圭介のクラスの担任がパタパタと廊下を走ってきて圭介に声をかけてきた。


見なかった?もう帰ったかな」
ならさっきまでいたけど。部活行ったんじゃないの?」
「それがさ、さっき陸上部の先生から聞いて、が急に部活やめるって言ってきたんだってさ」
「・・・・・・は?!だって、あいつついきのうまで部活やってたじゃん!」
「だよなぁ?記録会も近いのにって顧問の先生も言っててさ、なんか聞いてないか?」
「全然、なんも・・」



だってはさっきまで、目の前で普通に話して笑ってた。ずっとやってきた部活やめるなんて、それならそうと圭介に話すはずだ。


「ちょ、俺話聞いてくるよ!さっきまでいたもん、まだ近くにいるよ!」


そう先生に言い残して圭介は廊下を走っていった。その後を紫も追いかけるけど、慌てている圭介は紫のことを忘れているようで、どんどんと先へ走っていってしまう。


「待って圭介・・」
「紫、早く!もーあいつは・・・!」


下駄箱に走りこむ圭介は急いで靴を履き替えて、もう先を見てる。


「待って、圭介・・・」


まだ靴を履ききってもいないのに走り出して、昇降口のドアの手前で紫に振り返るけど、紫はまだ靴も履き替えていなくて、履き替える様子もなく立ち尽くして・・


「行かないよ、私。行けないよ」
「なんでだよ、早くしないとあいつ、」
「行かないで・・」
「え?」
「行かないでよ、お願い・・・」
「・・・」




春過ぎの季節に冷たい雨が地面を叩く。は傘なんて持ってなかった。きっと、この雨の中濡れて帰っていったんだろう。

梅雨と呼ぶにはまだ早かった。雨の世界と同じように瞳を濡らす紫が祈るように圭介を見つめる。圭介はまさかその瞳を置き去りにすることなんて出来なかった。


どんどん勢いを増す雨に叩かれてるだろう、
とうとう積もったものが流れ出てぽたぽたと涙を落とす、紫。


その間でただ、立ち尽くすことしかできなかった。












 

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