結局を追いかけることは出来ず・・・ いや、出来なかったんじゃない。しなかったんだ。 Planetarium グラウンドの水溜りが空の僅かな青空を映す。空の上は風が強いらしく、恐ろしい速さで雲は流れて、空も見えたり消えたりを繰り返す。きのうから降ってた雨はしばらく止んで、でも山の向こうにはまだ重苦しい雨雲が控えていた。 「なぁーはー?」 「知らねー、圭介に聞けよ」 「圭介ー」 水溜りが所狭しと幅を取り、外に出ることが出来きずにみんな教室の中でうだうだと暇を潰す。圭介も窓の外を眺めながら、空の雲同様重い気分に立ち向かえずに机の上にだらりと身体を伏せていた。窓辺のの席は、朝来た時から変わらずきちんと机の中に椅子が納まっている。 「なぁ圭介ってば!」 「・・・んー?」 「また学校来ないの?」 「知らないよ、なんで俺に聞くの」 「なんでって・・。何キレてんのお前」 「・・・」 ・・・キレてないよ。 気を持ち直して頭を上げて、ふっと息を吐き出した。 「最近よくいなくなるねー、何してんだろ」 「さぁ」 「んー、ここはいっちょ、んちまで行ってみますかー」 「は?」 「誰が行くの?」 「じゃー俺が行こーかなぁ」 「あ、俺も行く行く」 「ちょっとお前ら・・」 「俺も行こっかなぁー」 「・・・」 いつの間にかの様子を見に行く算段が始まってしまった。 な、なんでそうなるんだ? 「ま、待てよ、お前らんち知らないだろ?」 「そんなん誰かに聞けばいーじゃん。誰か知ってんだろ」 「だけどさ、そんなみんなで行ったら・・」 「お前は行かないんだろ?じゃあべつにいーじゃん」 「え、誰もそんな・・・」 「あ、そーいや俺あいつ家まで送ってったことあったな」 「マジ?それ早く言えよ。じゃあさ・・」 「・・・あーもー、俺が行くよ!」 「「「いってらっしゃーい!」」」 「・・・へ?!」 「さー圭介が行くってよ。じゃー俺らはバッチングセンターでも行くかぁー」 「あ、行く行くー」 わいわい、圭介の周りで盛り上がってたみんなは波が引くようにサーッといなくなっていく。 「な・・・、うそぉお!」 真ん中にぽつんと残された圭介は、そうしてまんまとすべてを押し付けられた。ああまた騙されたああ利用された!(しかもこんなどっかで見たようなオチで!) でもの家に行くとなると・・・それはそれで、問題が・・・ 騙された圭介は更なる問題に直面して「うおお・・」と頭を抱えた。 「・・・今度は圭介のやつ何頭抱えてんだ?」 「さぁ、紫ちゃんへの言い訳でも考えてんじゃないの」 「なーんか腹立つなソレ」 「ま、いくらカワイイカワイイ紫ちゃん相手とはいえ、俺らはサンの味方なのよーん」 「そーゆーこと」 「え?練習あるの?今日」 「ウン!あるんだ!」 「そう」 「ウン、ゴメン!」 「ううん、いいよ」 紫の前をスタスタと歩いて、決して紫の隣は歩かなかった。 歩けなかった、というべきか。 学校を出るといつもどおりバス停まで歩いて、家に帰るなら一緒にバスに乗るところを、今日はクラブの練習があるからとそこで別れた。何故かせかせかと足は早くなり、心臓はドキドキ。なんか、悪いことしてるみたいだ・・・。 曇った空の下、のマンションに向かっているとぽつぽつと雨があたってきた。圭介は着ていたパーカーのフードをかぶって露をしのぎ、マンションの中に駆け込む。2階まで階段を上がって、一番突き当たりの家に向かおうとすると、そのドアの前に女の人が立っていた。どうやらその人もの家に用があるらしいが、インターホンを鳴らすけど誰も出てこないようだ。ゆっくりと歩きながらその方を見ていると、こっちに振り向いた女の人と目が合ってしまった。 「あの、さんのお宅にご用?」 「え?あ、はい」 「娘さんに?」 「はぁ、まぁ・・・」 その人に見覚えはなかった。お姉さんというほど若くなく、おばさんというほど上でもない感じの女の人。 「留守みたいなんですけど、何度来ても留守なのよね。どこか心当たりとかない?」 「いやー、とくには」 「そう。失礼だけど貴方は、・・・」 「俺?俺はと・・・同じ学校、ですけど」 「さん今日学校には?」 「来てませんけど・・・。あのー、そちらは・・?」 「私は市の生活相談所の者で、金村といいます」 相談所? 貰った女の人の名刺には、言ったとおりの肩書きと名前と電話番号が書かれていた。 「一度さんとお話したいんだけど、なかなか会えなくて。さんに会ったらその名刺渡してもらえませんか?」 「あの、相談所って、なんですか?」 「貴方はさんと親しいの?」 「まぁ、ずっと昔から一緒なんで・・」 「ほんと?さん最近様子がおかしいとか、何か悩んでる様子とかなかった?」 「や、べつに。それが何なんですか?になんかあったんですか?」 少し考えて、その人は躊躇いがちに話し始めた。 「近所の方から連絡を貰っててね、さんのお宅から大きな物音とか怒鳴り声が頻繁に聞こえるって」 「怒鳴り声・・・?」 「さんお父さんと二人暮らしなのよね?」 「え?親父さんがってこと?でもの親父さんはそんな怒鳴ったりする人じゃないッスよ」 は隣に住んでいたんだから、もちろんのお母さんもお父さんも知っている。のお父さんは怒鳴るどころか、叱ったりするイメージすらない。 「さん身体に怪我してたとか、ない?」 「そんなの、・・・」 ・・・怪我・・・ 圭介の脳裏に、すぐに浮かんだ。 きのう見た、の足についた大きなアザ。 「え、なにそれ・・。親父さんが、ってこと?」 「ご本人に会えなきゃどうとも言えないの。だから一度会いたいんです。明日もまた来ますから、さんに会ったらその名刺、お願いできますか?」 「・・・はい」 金村は雨の中帰っていって、圭介は手元に残った2枚の名刺を見下ろした。よく見る普通の名刺より若干薄めのその紙は、雨の湿気で少し波打っている。 生活相談所、大きな物音と怒鳴り声。 そういえば、前にここに来た時に隣の家の人に変な目で見られたっけ。 パラパラと細かな雨がさらに砕かれて身体に降り注ぐ。 その雨の中、圭介はまたフードを被ると、外に走り出した。 この前は近くの公園にいた。今日も、そこにいるかもしれない。そう思って公園に走って中を見渡すけど、遊具にコンコンと雨の雫が音を立てるばかりで誰もいなかった。じゃあ近くのコンビニに行ってみるか、と公園を出ようとすると、圭介はふと目の端に何かを見た。 雨の中で足を止め、公園の奥にあるドームのような遊具の中に、赤いシャツの袖が見えた。その方へと走って中を覗くと、雨から逃げるようにして、足を抱えて小さくなっているを確かめた。 「・・・」 トントン音を立てる雨音に混ざって、それでも十分に圭介の声はに届いた。伏せていた頭を少し上げてそっと圭介を見るけど、はすぐに目を逸らした。 「何?」 「・・・何してんの、こんなとこで」 「なんでもないよ」 膝に伏せた頭の下から、の篭った声は普通に聞こえた。まったく、いつもどおり。調子も高さもいつもどおり。そのは今まで見てきたそのもので、圭介にはさっき聞いた話のほうが嘘みたいに思えてきた。雨がパーカーの上から身体に浸透してきて、圭介は遊具の中に入っての前にしゃがむ。 「さっきな、生活相談所、とかいう人に会った」 「・・・え?」 「お前んちから大きな物音とか怒鳴り声が聞こえるから、近所の人がその相談所に連絡したんだって」 「・・・」 「お前、その足、ほんとに部活でやったの?」 「うん」 「ほんとに?」 「うん」 「ほんとだな?俺に嘘つかないよな?」 「・・・」 「」 ずっと顔を背けているは、濡れたシャツの袖をぐっと握っていた。肌が透けるほど薄いシャツは濡れてしまっていて、またずっと雨に当たってたようだ。そのの頭に手を置いて、の顔を覗き込んだ。そうして圭介は、目を大きくした。 「何、これ・・・」 「や・・」 の腕を掴んで伏せた顔を上げさせると、はふいっと顔を離して隠そうとした。でも見えてしまった。 「おま、なんだよその顔・・」 「・・・」 雨の世界は灰色で、遊具の中はさらに薄暗いから見にくかったけど、の右目の周りには赤く腫れ上がった真新しいアザがくっきりと残っていた。・・・その瞬間、ずっと信じられなかったものが、さっき聞いた話が、すべてひとつのものとして繋がってしまった。 「・・・親父さんに?」 ピクリと肩を揺らすは、フルフルと頭を振った。 「、」 フルフル 「っ」 フルフル、フルフル、はずっと首を振り続けた。 違うよ。なんでもないよ。ちょっと、ぶつけただけ、痛くもないし。 伏せた顔の下で、笑って。 ・・・とても、居た堪れなかった。がこんな傷を負っていたのに、それをずっと隠していたのに、それに気づかなかった、気づこうともしなかった自分が、どうしようもなく。 が元気ないのは、親が離婚したからだと思って、それより深い理由なんて考えもしなくて。でもは弱いやつじゃない。ちゃんと元気になろうとしてるんだって、思って・・・。お前のそれはあまりに自然で、馬鹿みたく騙された。お前はただ痛がってることを人に知られることが嫌で、同情されたくないだけだったのに。俺たち今まで同じように笑って騒いでバカやって、全部一緒だったのに、お前は俺のやること考えそうなことを簡単に言い当てて、クセひとつ覚えてるのに、なんで俺は、分からなかったのかな。こんな大きな傷を作るまで・・・ はこんなにも細い腕をしてただろうか。 こんなにも小さかっただろうか。 圭介は着ていたパーカーを脱いで、の頭からかぶせた。 圭介ですら大き目のそのパーカーは、など軽く包んでしまう。 「もー冷たいけど、ごめんな」 雨に打たれて濡れてしまってるパーカーは暖かくないかもしれないけど、ちょっとでも暖めたかった。フードも被せて、が隠したがった目の上も、隠してやった。 無理に見ようとしないよ。聞き出そうとしないよ。 ごめんな。 「ごめんな」 フードの上から頭を撫ぜて、雨が染みこんで色が変わってるパーカーの上から腕や背中を撫ぜて、少しでもの身体が温まれば、と、撫ぜ続けた。フードの下で歯を食いしばって、は涙すら噛み殺すから、ずっと撫ぜ続けた。 痛くないよう。 苦しくないよう。 その小さな震えが、止まるよう。 |