雨が降り続けるから、空は雲に覆われて重苦しいばかりだ。
空が晴れないから、星も見えない。










Planetarium











雨のおかげで教室の中は薄暗く、ジメジメ湿気も纏わりつく。


「雨ウゼー」
「それよかテストウゼー」


窓を叩く雨音にも厭きてきた頃、テストまで1週間を切り鬱憤は溜まりに溜まる。ダラダラと教科書とノートを開きながらも、神経の集中しない頭は移ろうばかりだ。ヤル気なくノートを纏めては、窓の外を見上げる。


「お前はいーよなー、将来決まったよーなもんだしよー」
「いや、決まってねーし」
「やりたいことハッキリしてるだけうらやましーよ」
「まーなぁー」
「高校どーすんの、紫ちゃんと一緒のとこ行くわけ?」
「んーん。てか俺、別れたし」
「ふーん・・・」


・・・。


「「「えええっ?!」」」


ガタガタッと圭介の周囲でみんなが総立ち。その向こうで、前のほうのも後ろを振り返った。


「ま、マジかよ!紫ちゃんと?!」
「いつ!なんで!!」
「正気かお前ー!!」


こらー、何騒いでんだそこー。
授業中ということも忘れて大声を出すみんなは、先生に注意されて渋々着席しなおした。それでもずっと圭介になんで、何があったの、と小さいような大きいような声で問い詰めてきて、あやふやに答えながら圭介はみんなの隙間から後ろに振り返っていると目を合わした。も、どうして、といった顔をしている。そりゃそうだ。紫と別れたこと、にまだ言っていなかった。


授業が終わると案の定クラスメートたちが圭介の周りに押し寄せて問いただしてきたけど、その輪の中からが圭介を引っ張り出し廊下へ引きずっていった。


「どういうこと、なんで?」
「なんでって言われても」
「何考えてんの?またあたしに同情してんの?やめてよ、大きなお世話だよ」
「同情はしてないけど、気にはしてる」
「やめてってば、勝手なことしないでよ・・」


教室の奥のほうからクラスメートたちが遠巻きに覗いて、廊下を通る生徒もチラチラと視線を寄こして。そんな中は、圭介の肩越しに奥から歩いてくる数人の女の子たちの中に、紫を見つけた。紫も、紫の周りの女の子たちも圭介とに目を留めて、紫は意図的に視線を外す。


「・・・佐伯さん、」


圭介の横を通り過ぎて、は紫に寄っていった。それでもやっぱり紫は目も合わさずに、通り過ぎようとしていく。


「ねぇ、待って・・、あいつおかしいんだよ、またバカなこと言ってるだけだよ」
「・・・」
「ケースケはちゃんと佐伯さんが好きだよ、大丈夫だから、あたしがちゃんと言っとくから・・」
「触らないで」


紫の足を止めようと紫の肩に触れたの手から、紫は身を引いて立ち止まった。そんなことをいくらに言われたって、の後ろの圭介は、何も言ってこないんだ。


「ほんとはずっと、心の中でバカにしてたんでしょ。友達になろうとか言って・・・、ほんとは私なんていなくなればいいって思ってたんでしょ」
「違うよ、そんなことないよ・・」
「うまくいけばいいなんて、うそばっかり、」
「佐伯さ・・」
「うそつきっ」
「・・・」


力いっぱい責め立てる目に涙を溜めて、紫は涙を落とす前に歩いていった。ざわざわと周りの生徒から集まる視線と囁き声が変に廊下を静かにする。その真ん中で、は力なく腕を下ろして立ち尽くした。





後ろから小さく圭介が声をかける。その圭介に振り返って、は強く圭介を見上げた。


「ケースケ、何してんの、早く追いかけてよ」

「ケースケが行かなきゃ、早く行ってよっ・・・」


圭介の袖を引っ張って紫を追いかけようとするは、周りの何も目に入ってないようだった。そのの腕を引いて、足を止めさせて、圭介は静かにの目を見つめた。


「紫とは別れたんだよ、
「・・・」


苦しそうに眉を寄せていくの目の奥からじわりと、波が襲い掛かった。圭介の口から出た言葉をゆっくりと頭の中で処理しようと脳が働くけど身体が拒否してるようだった。は首を振って、圭介の手から腕を引き紫が歩いていったほうへ走り出す。


「佐伯さん・・」


また紫を追いかけて、呼び止めようとした。
でも紫は振り向いてくれない。


「待って、聞いて」
「いーかげんにしなよ、紫の気持ち考えられないの?」
「佐伯さん、」
「もう紫に近寄らないでよ」


足を止めない紫に手も声も届かなくて、紫の周りにいた友達に阻まれて話すことは出来なかった。ドンと押されて、は初めて周りの冷ややかな目に気がついた。その目の色にはまた、全身の力が抜ける思いで足に根を張る。

紫たちが遠くの廊下の角を曲がっていって、見えなくなって、周りに誰もいなくて静かで、授業開始のチャイムが冷たい校舎に響くと、まるで世界に置いてきぼりになったような気になった。


すべてが自分から離れていくような気がした。
周りの色が消えて、音も消えて、自分すら消えて。

立ち尽くすはペタリと座り込んでしまって、足の内側に冷たく固い感触が張り付いた。そんなの背中からパタパタと小さな足音が聞こえて、近づいてくる。


?」
「・・・」


床に座り込むは、周りの景色とまるで合ってない感じがした。に近づき声をかける圭介は、どこを見つめているかも分からないの顔を覗き込んでまた?と問いかける。


「なんでこうなっちゃうの・・・」
、どうしたんだよお前」
「あたしはほんとに、うまくいけばいいって思ったんだよ・・・、なんで・・・」


目の前にいるのに焦点の合わないの目から重く涙が落ちた。雫は落ちてスカートに滲んで、ポタポタと止めどなく、雨のように降りしきる。


「お前のせいじゃないよ、これは俺の問題だから」
「あたしのせいだよ、佐伯さん言ったもん、あたしのせいだって」
「それは、今はあいつも頭にきてるから」
「ケースケお願い、佐伯さんと仲直りしてよっ・・」
・・・」


どうしてそこまで必死に繋ぎ止めようとするのか、圭介には分からなかった。らしくもなく、こんなにも取り乱して取り繕おうとして、圭介の腕を掴んで必死に懇願して、何がそこまでを責め立てているのか、分からなかった。


「ケースケ、早く、」
「聞けって、お前のせーじゃないんだって・・」
「お願いだから、も・・、あたしのせいで別れないでっ・・・」
「・・・」


涙で声を枯らすの言葉は聞きづらかったけど、圭介にはちゃんと伝わった。


が恐れているのは、今起こった何でもなく、いつかの記憶だ。
ここ数年襲ってきた現実がの心の奥深くに蔓延って、大きな大きな、目にも見えない傷の塊となり、重苦しく居座ってはその重みだけ増え続け、蓄積された情念が恐怖に成り代わる。

今まで至極当前に存在していた、疑うはずもないもの。
家族、親、自分。

消えるはずがない、とすら思うこともないほど当たり前にあり、ずっとあるものだと信じて疑わず、でもある日、ガラスが割れるように消えた。その断片は跡形もなく溶けて消え、名残すらも落としていってはくれなかった。

残ったのはただ、一人きりの自分ばかりで・・・


・・・」


すがるように泣きつくの背中に手を置いて、伝ってくる振動を掌で感じた。スカートの裾からもう消えていこうとしているアザがうっすらと見えた。廊下にまどろむ微かな涙声が圭介には大きすぎて、その胸中を押しつぶそうとする。

圭介は服を掴んでいるの手を解かせて取って、その小さい両手を包んだ。


「紫にはちゃんと謝るから」
「う、うっ・・・」
「分かってもらえるまで何度でも謝るから、お前は気にすんなよ」


ちゃんと掴んでいないと、どこかへ消えていきそうだった。
笑い声すら、遠いことのようで。


「それでも俺はやっぱ、お前のほうが気になっちゃうから、やり直すことは出来ないよ、ごめんな」


冷たい指先。
握っても撫ぜ続けても温まりやしないそれも、涙も、全部・・・


「俺はお前のが、大事だから」


ちゃんと一緒に、感じたいんだよ。
少しでも、軽くしてやりたいんだよ、・・・。


雨がこの世に音をもたらす。冷気と、湿気と、憂鬱と。肌を撫ぜるぬるい風は、合わさっている二つの手の間だけ、その温度を奪わずにいてくれた。


・・・あったかい・・・


音にもならない言葉が涙と一緒に口から毀れる。雨音より頼りなく聞こえるその声も、圭介はちゃんと拾ってまた一度、手を握り締めた。


「たり前じゃん、俺の手はお前を傷つけるためにあるんじゃないからな」
「・・・」


合わさった手から圭介に目を上げると、圭介は昔と何も変わらないまま、優しく笑ってた。ずっと見てきたままの圭介だった。傷つけるためにあるんじゃないというその手だけ、いつの間にこんなに大きくなっていたんだろうと。だって手を合わせたのなんて、何年振りかで。


じゃあ、何のため・・・?


口先まで出かかったけど喉は通らず、ぬるい雨だけがポツポツと聞こえていた。











 

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