満天に広がる星空を、今日も明日もずっとずっと、見上げて止まないだろう。 それらが偽物だったとしても、記憶の中に眩しいばかりの、星空があるだろう。 Planetarium 今朝が一度家に帰ると言い出して、圭介は気になって気になって仕方なかった。今日はクラブの練習もあることだし、学校が終わると誰よりも早く教室を飛び出し、一目散に家に向かって走っていった。ちょっと行ってくるだけだと言ってたからきっともう家にいるだろう。それでもなんだか、心許なくて、スピードを緩めることなくひた走ったのだ。 「え、まだ帰ってないの?」 家に帰ると母にが出てったきり帰ってこないと聞かされた。は昼くらいに家を出て行き、今はもう学校が終わった時間なのにまだ帰ってないとなると、いよいよ心の中がざわついてきて圭介はのマンションに向かってまた走った。 そうでなくてもずっと、ざわざわと胸騒ぎがしていたのだ。 なんだか分からないけど、ずっと帰りたくて帰りたくて仕方なかった。 学校から走り通しでかなり息が上がりながらも急ぎ、重い雲が空を覆っている下、圭介はのマンションまでやってきた。すると何やら人だかりが見えて、近づいていくとマンションの入り口の前にパトカーまで見えた。何事かとぎょっとして、人だかりの中を突き進んでいった。 すると、逆に後ろから肩を掴まれて、あなた、と声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは前にの家の前で会った生活相談所の、金村だ。 「あの、何なんですかこの騒ぎ」 「今来たの?大変よ、ちゃんが窓から落ちたのよ」 「え・・・」 落ちた・・・? 「お、落ちたって・・・、が?」 「私も今から行くから、一緒に病院行きましょ」 「、は?大丈夫なの?」 「警察の人から話は聞いたから、とりあえず向かいましょ」 圭介は頭が真っ白になってしまって、その言葉をうまく飲み込めなくて、金村に連れられてタクシーに乗せられ一緒に病院に向かった。走り続けて上がった呼吸と受け入れられない言葉が胸が打ち付けて、窒息しそうに苦しい。 「警察の人は窓から誤って落ちたんじゃないかって言ってるわ。下は芝生だったから命には問題ないらしいんだけど、頭を打ったらしくて意識がなかったんですって」 「あやま、誤ってって、・・・」 また窓から逃げようとしたのか? てことは、親父さんがいたってこと? 「の親父さんは・・」 「それがね・・・、救急車を呼んだのは近所の人らしいのよ。倒れてるちゃんを見つけてね。その後警察が来て家に行ったらお父さんは家のリビングにいて、警察が事情を聞いても何もわからないって言ってるそうなの。近所の人がちゃんはお父さんから暴力を受けていたらしいことを警察に話したから今は警察に連れていかれてるわ」 「な、なにそれ・・・、が落ちたのに、助けなかったってゆーの?」 「ちゃんが落ちたときがどんな状況だったかまだ分からないから何とも言えないわ。それにちゃん、パーカーを握り締めててね、ちゃんの部屋の窓のところにハンガーもかかってたから、それを取ろうとして誤って落ちたんじゃないかとも言われてるし・・」 「・・・」 俺のだ・・・。俺のパーカーだ・・・。 「・・・先週も俺たち、親父さんから逃げようとして窓から飛び降りて逃げたんだ。だから、またそこから逃げようとしたのかも・・」 「先週?何かあったの?」 「俺がんちにいる時に親父さんが帰ってきちゃって、俺、もうを殴るのはやめてって言っちゃって・・・、それで親父さんキレちゃって、窓から逃げて、それからずっと俺んちにいて・・・」 「・・・そう」 金村は「それはまずい」とでも言いたそうに、少し顔を歪めてため息をついた。もしそのせいで、の父親を余計に刺激してしまって、今日鉢合わせたと父親がまたもめたんだとしたら・・・、それは・・・ 「・・・俺のせいだ・・・」 「違うわ、貴方のせいじゃない」 「やっぱついてけば良かった・・・、ずっと嫌な感じがしてたんだ。ずっと、が呼んでるような気がしてたんだ・・・」 ケースケ、って・・・、あいつの声が耳から離れなかった・・・ 「俺のせいだ・・・っ」 「そんな風に思わないで、貴方は必死にちゃんを守ろうとしたんじゃない」 「俺なんか、何の役にも立ってない。あいつはいっつも一人で堪えてて・・」 怒りだろうか。悔しさだろうか。こんな、体の奥底から煮えくり返るような気持ちは初めてだった。涙がこみ上げてきて、でもそんなの、嫌で、爪が食い込むくらい強く拳を握り締めて堪えた。笑ってなきゃ、あいつはもう二度と・・ 「・・・私もこんなことになる前にもっと早く対処するべきだったわ。今の状況を変えないとちゃんを助けることなんて出来ないと思って何とか、ちゃんのお母さんの居場所を探してたのよ」 「・・・の母さん?」 「前に一度ちゃんと話したのよ、お母さんを探して、お母さんと一緒に住めるようにしたらどうかって。でもちゃん、嫌だの一点張りで・・」 ・・・の母親を探すなんて、考えもしなかった。やっぱりどうしても足りない自分の考えと力に、圭介はまた悔しさを覚え拳を握った。 「あいつは、昔みたいに家族で一緒に住める日がくること願ってたんだ。あいつは、優しいやつだから、どんな目に遭ったって信じてた・・・」 殴られたって、裏切られたって、憎みきることなんてどうしても出来なかった。信じてた。心の奥底でずっと。いつかお父さんは気づいて、お母さんは帰ってきて、また、あの家に戻れる日がくるんだと、・・・ ―戻りたいなぁ・・・ 「っ・・・」 どうしても襲い来る感情を飲み込めず、血が滲むほど握り締めた手を顔に押しつけてうずくまるように小さくなって、ぎりっと歯を食いしばった。息を止めることでしかもう涙を堪えられない。そんな圭介の背中にそっと金村が手を添えた。 「そうかもしれない。被害者の立場にある子ほど、救いようがないくらい優しかったりするのよ。傷ついても自分さえ我慢すればって、自分に悪いところがあったんだって思っちゃうものなの」 「っ・・・、ちくしょっ・・・」 「それでもちゃんはここが良かったのよ。ちゃん言ってたわ、離れたくない人がいるって」 ふと、力が抜けた。 「きっと、貴方のことね」 ・・・深く俯いた目から、つと涙がこぼれた。 もう、悔しいとか、憎いとか、そういうものじゃない。 ただ、ただただもう、ばかりが胸に広がる。 ケースケ その声だけが頭に響き、の感触だけが手に残る。 「・・・っ」 は、ずっと小さい頃から隣に住んでいた。 兄弟のようで、友達で、仲間でもあって、ずっとそこにいて、ずっとそこにいるものだと思ってた。それは特別なことでもなんでもない、ごく普通なもので。 ある日、星座の勉強をしてた俺たちは、こっそりと二人で屋根に上って星を見た。燦然と輝く星空に、はぁ・・・と二人して感激して、いつまでも首が痛くなるくらい見上げていた。それは何年経っても目と心に焼きついて、俺たちの一番輝かしい記憶となった。 俺たちは少しずつ大きくなって成長して、いつまでも子供のままじゃいられないと知ることになって、それでもはあの頃のまま、星座盤を握り締めてあの日の空を思い浮かべていた。痛いことがあっても悲しいことがあっても、そうやって思い返すことで慰められてきたんだ。 俺はお前の、星になりたかった。 救急の治療室で眠るは静かに目を閉じていた。白い包帯がやけに浮かんで見えて、一瞬、死んでるのかと思って、でも触れたら息をしているのが分かったから心底ホッとして、全身の力が抜け落ちてがくりと膝を崩し、の手をぎゅと握った。 ・・・良かった・・・ ちゃんと人の温かさをしている、心臓がちゃんと白い肌の下で流れる血を動かしている。そんな、当たり前のような、当たり前でないようなことに、また涙が溢れた。 頭を打ったから目が覚めた後にまた検査をしなきゃいけないからと、しばらく入院することになった。落ちた時のケガはたいしたことはなかった。それよりももっと心配すべき傷が深く残っている。移った病室のベッドのすぐ脇で圭介はずっとを見つめて、目が覚めるのを待った。 早く目を覚まして欲しいけど、こんなにゆっくりと寝るのも久しぶりだろうから、このまま寝ていればいいとも思った。 目が覚めればまた、少し、何かが変わっていくよ。 「・・・」 「・・・?」 ピクリと睫が動いて、が目を開けた。それを見て立ち上がる圭介はの顔を覗き込んで、また?と投げかけた。 「・・・ケースケ・・・」 少し弱々しく、でもしっかり聞き取れる声での口から名前が紡がれた。なんだか長い間聞けなかった言葉のようで、またじわりと胸の奥深くに浸透していくよう。大丈夫か?痛くないか?近くで声をかけ続ける圭介から、はそっと目を離して窓の外を見た。重苦しかった雲からまた雨が降り出して窓をコツコツと叩いていた。 「・・・ずっと雨?」 「え?」 「おかしいな、星が見えたと思ったのに・・・」 「・・・」 の目はいつだって、あの日の星空を求めてる・・・ 窓の外へと傾けるの頬に手を当てて、圭介はに口唇を落とした。 「・・・」 ―ねぇ、知ってる? 「見えた?」 本当に好きな人とキスすると、星が見えるんだって 「俺が、俺が見せてやるよっ・・・」 「・・・・・・」 の頬にぽたぽたっと雫が降ってきて、首下へ流れていった。かすれる圭介の声が目の前で揺れて、いつでも笑ってた目が溺れそうなほど滲んでいて、世界は悲しいほどに濡れているのに、閉じた瞼の中では、燦然と星が輝いた。 ・・・俺の手は、お前を守るためにあると思うんだ。 俺の目はいつでもお前を映しているし、俺の口はいつでもお前を笑わそうと動くし、俺の足は、お前の夢を叶えるため、スーパースターになるためにあると思うんだ。 だから、大丈夫だ。離れてしまっても俺たち、きっと大丈夫だ。 ううん、俺が、大丈夫にしてみせるよ・・・ それからは怪我が治るまで入院して、やっぱりそのまま夏休みに入ってしまった。入院してるある日に、突然のお母さんが病室を訪れて、驚くと何年か振りに再会した。お母さんは今まで実家にも帰らず一人で生活をしてきて、落ち着けばを呼ぼうとしていたらしい。 照れているのか、やっぱりすぐには許せないのか、はお母さんに甘えることはしなかった。でもそれはただ、どう対応していいか分からなかっただけで、きっとの心に憎しみは、ない。 の父親は起訴されることになり、あまり詳しい話は聞かされなかったけど、はやっぱりお母さんと暮らすことになるわけで・・・。退院しては、お母さんと一緒に、今度は本当に遠くへ引っ越していってしまったのだった。 ・・・離れていても、電話はよくする。 でも電話越しじゃやっぱりどこか遠くて、切れた後の惨めさときたら、言い表せられない。 仕方ないんだ。俺たちはやっぱりまだ子供で、誰かの助けがなきゃ生きていられない。寂しいけど、無性に会いたくなるときはやっぱりあるけど、そんな時は、が送ってくれた星空のポストカードを見て気を紛らわせている。いつかのプラネタリウムで買った、あれだ。 が引っ越していったところにはプラネタリウムがないらしい。 そんなの必要ないくらい、毎晩星がすごいらしいのだ。 ―星がいっぱいですごいよ。見たいでしょ? たった一文だけ書かれてる文字を見て、の小憎らしい顔を思い浮かべて、笑った。 「ったく、素直に会いに来いって書けっつーの」 俺は相変わらずクラブやら選抜やら受験やらで大慌てな、少し空っぽな毎日を送っているけど、毎晩夜空の星を見上げては、この星空だけは繋がってるんだと、思いを馳せる。 「見に行ってやるよ、しょーがねーな」 お前に星を見せられるなら、こんな星空くらい、軽く飛び越えてやる。そしてお前は「素直に会いに来たって言えよ」って、蹴りでも入れるんだよな。 お前に星を見せられるのは、俺だけでいい。誰よりも輝いて、一番星になってやるさ。 そうしてお前の上に、散々降り注ぐのだ。 あの、満天の星空のように。 ・・・人より少し、悲しいことが多すぎた。 だからこの先はどうか、数え切れないほどの星を、俺たちの上に降らせて欲しい。 遠くてもいい。プラスチックでもいい。偽物でいい。 それでも二人で見上げれば、目がくらむほどに輝くこと、俺たちは知ってる。 目を閉じれば、暗い瞼の裏にあの日の星空が待っている。 幻想だろうと、追い求めてやまない。 思い浮かべて、目を閉じるよ。 輝く下で、また手をつなぐ日を。 二人で見上げる、満天の星を。 ずっと ずっと―。 Planetarium
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