それは、砂漠の中から米粒を見つけるような、満天の空から小さな十等星を見つけるような、
気の遠くなるような、希望。









STAND BY YOU!!   File2:泣いた人体模型










放課後の廊下は静かで、ただ遠くで聞こえるどこかの部活の声だけで生気を保っていた。


「折角怪奇現象に見せかけたのに、氷落とすなんて間抜けな犯人だったね」
「でもよく思いついたよな。あれなら中にも入らずに一瞬で仕掛けられるし」
「でも蝋なんて証拠が残るもの使うなんて浅はかだよ」
「・・・あの」
「ん?」


理科室前の廊下。散らばった氷の破片を手に取りながら英士君と真田君はまるで実験結果をレポートに纏めるように話し合う。若菜君はまだあの人を追って走っていったままだ。


「追いかけなくていいの?」
「結人が捕まえてくるだろうから待ってればいいよ」
「そーそ、逃がしたら結人のせいだし」


この人たちの関係はよくわからない・・・。
そう首をかしげていると理科室のドアが開き、騒わがしいなと椎名さんが顔を出した。


「今犯人らしき人を見つけて、結人が追いかけていきました」
「犯人?誰だったの?」
「それはまだわからないけど、やっぱりトリックは氷だったみたいですよ」


そう英士君は氷の欠片を椎名さんに見せ、それを手に取って椎名さんはくだらないといった顔でそれを見つめた。そうしていると階段のほうから若菜君の声が聞こえてきて、得意げな顔で現れた若菜君と、エプロンをつけた女の人がやってくる。
私たちから顔を背けているその人を見て、椎名さんが「西野?」と驚いた声で言った。


「翼さん知り合い?」
「知り合いってゆーか、同じ学年なだけだけど」
「なぁ、何がしたかったの?翼センパイに嫌がらせしたかったの?」
「・・・違う」
「じゃあなんでこんな事したんだよ」
「あたしはただ、遠藤たちを科学部から追い出したくて・・」
「遠藤って?」
「さっき言ったあのウルサイ連中。中野イビって遊んでたっていう」
「ああー。何、アンタもそいつらにイジメられてたの?」
「違う。あたしは、あいつらが科学部やめたらミカが学校に来ると思って・・・」


その言葉を聞いて、若菜君はゆっくりと彼女の腕を放した。親しげに呼んだ「ミカ」という名前を聞いて、きっとこの人は面白半分でこんなことをしたんじゃない、と察したからだ。


中野ミカという女の子は、目立つ子ではなかったけど、他の多くの女の子たちと同じように、一人の人にあこがれて、恋をしていた。ずっと彼だけを見つめ、少しでも近づきたくて同じ部に入り、ただそれだけで喜んでしまう女の子だった。彼がああ言った、こう言った。 彼の行動ひとつに頬を染め嬉しそうに話す、そんな普通の女の子だった。

そんな彼女の小さな片思いは、ひょんな事から彼のファンである女の子たちに洩れ、それをキッカケに彼女の学校生活は一転する。嬉しそうに頬を染めていた彼女は日に日に明るさを失い、持ち物、体、心に傷を負うようになり、そして夏休みを境に学校に来る事をやめた。


「西野、コレに見覚えない?」


椎名さんは準備室で見つけたあのヘアピンをその人に見せた。


「それ、なんで椎名君が持ってるの?」
「準備室に落ちてた」


翼さんの持つヘアピンを見つめるその人は、みるみる目に涙をためていった。


「それ、ミカが、椎名君から預かってるんだって大事に持ってた」
「これ理科室の準備室に落ちてたんだ」
「・・・あの子、準備室に閉じ込められたって言ってた。押し込まれて、人体模型と一緒に閉じ込められて、押さえつけられて出れなかったって・・・。だからあたし、人体模型で噂流して、あいつビビらせてやろうって・・・」
「・・・」


怒りのような、悔しさのような涙を堪えて、ぎゅと手を握って話すその人の気持ちはこの静かな廊下の空気に乗って、私たちに届く。椎名さんはうつむきガシガシと頭をかきむしった。


「ミカは何もしてないのに、イジメられる理由なんて何もないのに、何であんな目に遭わなきゃなんないの?なんであいつら、それも忘れて普通に学校きてんの?ミカは学校こないのに、なんであいつら何も知らずに普通に生きてんのっ?・・」


イジメられる理由


「理由なんて、ないよ」
・・・」


違う。ないんじゃなくて、いらない。たまたまその人が目に止まっただけ。

翼さんは、この件に関してはもういいと言い、今回の調査は終わった。私は寮に帰って、みんなも活動を終えて学校を出て行く。


「結人、どうする?新聞部」
「んー」
「そのまま言うわけにもいかねーよな。あの人もなんか、被害者だし」
「この前の体育館といい、最近まともに情報流せないから報酬もないよね」
「仕方ないんじゃん、内容が内容だし」


若菜君たちもベースに戻ろうと廊下を歩き、その中で若菜君は一人、納得しきれない顔をしていた。


「どうしたの?聞かなくても分かるけど」
「だって、お前らだっておかしいと思うだろ?納得いかねーよ。結局いじめてた側は何事もなく普通に生きてて、いじめられた側は今でも痛い目みたままなんだろ?許せねーよ」
「そんなものだよ。悪い事したらその分悪い事が返ってくるなんて理想論だと俺も思うな」
「大体やってるほうにはイジメなんて自覚ないんだから、分からせようって方が無理あるんだよ」
「お前らまでみたいな事ゆーなよ」


こういう事に関して基本ネガティブ思考な私たちに、全面ポジティブ思考な若菜君が共鳴できるはずがない。若菜君はぐしゃぐしゃっと頭をかいて冷めない憤りを持て余した。


「よし、決めた!」
「何を?」
「学園の平和を脅かす輩に正義の鉄槌だ!!」
「やっぱり・・・」
「行くぞ、ブルー!グリーン!作戦会議だ!!」


拳を高々と上げ、若菜君はまた学校に走っていった。










翌日。理科学準備室内。


「ねぇ、これヤダ・・・」
「今更ワガママゆーなって。だいじょーぶ、似合ってっから!」
「・・・うれしくない」


長いカツラを被った私の背中を若菜君はバンバンと叩いた。どこから調達してきたのか、重いカツラを被って理科準備室の隅に立たされる。その私たちの上、ロッカーにのぼった真田君が天井に張り巡らせた紐を引っ張り確かめ、英士君はテープレコーダーを確認している。


「お前はここに立ってるだけでいーからな。一馬、電気オッケー?」
「オッケー」
「英士は?」
「こっちも」


よし、と若菜君が気合を込めると、ちょうど窓の外から数人の女の子の声が聞こえてきて、私たちは声を止めた。


「ゴメンな、みんな怖がってどんどんやめてっちゃうもんだから、俺も困っててさ」
「いーよ、あたしたちもいきなりやめちゃって悪かったなーって思ってたの」
「そもそもあんな噂、今思えばバカっぽいよねー」
「まったくだよ。みんな呪いとか幽霊とか本気で信じちゃって、中にはほんとに人体模型が動くのを見たとか火の玉を見たとか言い出すヤツまで出てきちゃってさ」
「えーマジー?」
「遠藤たちはそんなバカみたいなこと信じないよね?」
「信じないって!そんなのいるわけないよー」


近づいてきた声と足音たちが理科室に入ってくる。理科室へうまく誘導してきた椎名さんが準備室に近づいてくると、英士君がテープデッキのボタンを押した。

『3年1組の椎名君、至急職員室まで来てください。繰り返します、3年1組・・・』


「あれ、なんだろ。ちょっとゴメン、ここで待っててくれる?」
「うん、いってらっしゃーい」


アナウンスを聞いて理科室を出ていった椎名さんは、廊下から準備室の窓を小さくノックした。それを合図に真田君は天井に張った紐を引いて、理科室から準備室へつながるドアを静かに開ける。


「あれ、ドアが開いた」
「え?なんで?」


ドアが開いてより鮮明に聞こえた彼女たちの声が準備室に近づいてくる。その彼女たちの足元にカツンと物を投げ落とし、それに気づいた一人がそれを拾い上げた。


「なに、ヘアピン?」


なんなんだろうね、と首を傾げる彼女たちは準備室の電気をつけようとするけど、スイッチが動くだけで明かりはつかない。その代わりに準備室の天井で光る何かが揺れ動いた。今のなに?と少し声色を変え始めた彼女たちのうしろで、ドアがバタンと閉まる。


「ちょっと、なんで閉めんのっ?」
「勝手に閉まったんだよ、うそ、開かないっ」
「なんで?ちょっとやめてよっ」


ドアノブを回し引っ張るけどドアはまるで開かない。そのドアの向こう側から椎名さんが鍵をかけたはずだ。


「暗いよ、窓、カーテン開けてよ!」


狭く暗い部屋におびえて、彼女たちはカーテンを開けた。でも窓の向こうは真っ暗。昼間の明るい日差しを完璧に遮断するのは容易じゃなかった。窓の向こうに何枚も黒い紙を貼って更に暗幕を覆い被せて。


「ヤダ、なんなの?マジでやめてよっ」
「うるさい、叫ばないで!開けてってば!」


動揺していく彼女たちはガチャガチャとドアノブを引っ張る。
そんな彼女たちのうしろでまた赤い光がフッと揺れた。

なに、なんなのっ?
ヤダ!

天井から光が線状に引いては消える。赤い光が幾線も空を切る。彼女たちはだんだん暗闇と意味不明な現象におびえ平静を失って、その感情を読み取る英士君はテープのボタンを押し、暗く狭い準備室に女の子がすすり泣くような声が流れた。

錯乱する彼女たちをさらに追い詰めるように、パンッと大きな破裂音が響いた。彼女たちは泣き崩れ、私たちの作戦もそろそろ佳境にはいる。真田君が小さく明かりを灯し、部屋中に貼ったガラスで反射して部屋の中が少し明るくする。


「ねぇ、何アレ・・」
「え?」


部屋の隅の大きな鏡に、ボンヤリと人影が映る。髪の長い、女の姿。ロッカーの陰で顔を伏せぽつんと立っていた。


「やだ、なんなのっ?やめてっ」
「もうヤダ!出してー!!」


ガシャン・・・


「え?なに?もういや、なんなの?」


ガシャン・・・ガシャン・・・


「なに?なにっ?」


近づいてくる重い足音。ボンヤリ明るい部屋の中で彼女たちの目に入ったのは、近づいてくる人体模型。


「キャアアアーッ!!」


狭い準備室にけたたましい叫び声が響いた。泣き崩れる彼女たちのうしろで準備室のドアが開いて、彼女たちはドアの間から洩れる光を見て準備室から飛び出ていく。普通ならこんな子供だましに騙されることもないだろうが、彼女たちにとってこの準備室は多少なりとも、罪悪感が残っていたといえる。


「なに、どうしたの?」
「つ、翼くんっ・・・」


ドアを開けた椎名さんは驚いた顔で彼女たちに問う。


「なんか、へんな音とか、光が見えて、・・・」
「遠藤たちも?」
「え?」
「他の部員も準備室でヘンな音とか声が聞こえるって言っててさ。あと、人体模型がいたとか」
「そう、そうなのっ、人体模型がっ・・・」
「でもそこに人体模型あるし」


椎名さんは部屋の隅を指差し、そこにはちゃんといつものように人体模型が立っていた。


「女の泣き声とか聞こえるんだって。みんな、昔いじめられてここに閉じ込められた誰かの霊じゃないかって言ってるよ」
「と、閉じ込められた?」
「そう、だからここで悪さしたヤツは呪われるんだって。ロッカーに人閉じ込めたり、人体模型使って悪さしたりとか、ね」
「・・・」
「ま、そんなのただの噂だけどね。まさか遠藤たちはそんな事しないだろうから、気にせず科学部に入ってくれるよね」
「あ、あたし、やっぱり・・・」
「あたしも・・・」
「え?どうして?」
「ゴメン翼君、あたしたち、帰るね・・・」
「そう、残念」


彼女たちは涙を拭きながら、震える足を立たせて理科室から逃げるように走り出ていった。彼女たちを見送って、翼さんが準備室に振り返る。


「はは、翼センパイ役者!」
「作戦成功ってね」
「へへー、悪い子には正義の鉄槌!イエ〜イ!」


パチン!すべて作戦通りだとみんなが手を叩き合う。


!」
「え?」


手!と笑顔で手を差し出す若菜君は、私の手にパチンっとタッチした。
これでほんとに一件落着だな!
ビッと親指を立てる若菜君は清々しく大きな笑顔を見せ、その笑顔は自然で、誰もが引き込まれる明るさで、あまりに大きくまぶしいから、みんなつられてしまう。


「うん」


自然と笑ったのはいつ振りだっただろう。








「あそこまでうまくいくとは思わなかったな」
「元々噂聞いて部活やめたくらいだから、信じやすいタイプだったみたいだね」
「あの叫び声はこっちのがビビったよな!俺マジちょっとビクってしちゃったもん!」


準備室のイタズラを全て片付けて私たちは理科室を出て行った。埃まみれになってしまった顔や手を廊下の水道で洗って、気がつけば水遊びになっているほど浮かれていた。


「おら!」
「冷たっ・・」
「っはは、お前も水浸しになれ〜!」


水をかけたり冷たい手でベタベタと触ってくる若菜君は、いつになく楽しそうでいつまでも笑う。それにつられて私も、袖をあげたまま、笑っていた。

すると、突然若菜君がピタリと笑顔を止め、私の左手を掴む。


「なに?」


若菜君は私の腕を掴みジッと見つめていた。私は忘れていた。
手首を横切る薄い痕を。

バッと若菜君の手から手を引いたけど、もう遅くて、若菜君にも、英士君にも真田君にも見えてしまった。みんなさっきまでの笑顔をすっかり消して、私を見つめてくる。


「何、それ」


若菜君が真剣にそっと呟いて、私はビクリと震えた。


「自分でやったの?」
「・・・」


見られた 見られた 見られた





若菜君が私の名を呼ぶ。でも私は何も言葉が出なくて、どうしよう見られた、どうしようって、そればかりで。もう痛くもない傷跡が震えて疼くのをギュッと押さえた。

すると若菜君は、その私の手に手を伸ばし、両手で包んだ。目を上げるとすぐ前に若菜君がいて、その若菜君の表情に私はさらに大きく心臓を揺るがせた。揺らいだどころか、かなづちで打たれたくらいに強く心臓が振動した。若菜君の顔が見たこともないくらいに、悲しそうだった。


「バカ、おまえ、こんなの痛いに決まってんじゃねぇか・・・」
「・・・」


ぎゅっと、若菜君が両手の力を強くする。大きく包んで、もう震えないくらい強く。
彼の口から出た言葉が私の息を止め、熱い目がジュッと音を立てて冷やされるように涙が浮かんだ。若菜君に包まれて、傷痕が静かに、溶けていくようだった。

ぼろりと涙が溢れ、声が洩れそうで顔をうつむけた。すると余計に涙はこぼれてしまって、足元に降っていった。


「もう、二度とすんなよ、・・・次やったら、マジ殴るからなっ」


強い瞳で、若菜君は言った。
そのうしろで英士君も真田君も、まっすぐな目で見てた。


「・・・うっ、」


彼らのせいで、私の涙は止まらなくなってしまった。

私はいつからか、泣くことすら辛くて、感情を出すことに疲れていた。ないほうがいい、と思っていたものを、若菜君は、みんなは私に思い出させる。彼らの思いが痛いくらいに体にしみこんで行き渡る。

でも、心の奥底でそれは、あたたかかった。




泣いた人体模型、一件落着。
















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