白い世界は如何様にも黒くなる。
ほら、ちょっと滑らすだけで。










STAND BY YOU!!   File3:狐狗狸さん










真っ白い紙。墨をつけて、滑らせる。
そうして出来上がるのは


「・・・」


自分の書いたものを見て、ため息しか出ない。駄目だこんなの。全然ヘタクソ。文鎮をどけて、折りたたんで捨てた。


「真田君、お先に」
「お疲れっす」


10人にも満たないながらも部としてどうにかやってる書道部は、週に1回しか活動がない。それも課題の文字を書いて、先生に合格をもらえればすぐにでも帰れる。数ある文化部の中でも1・2位を争うラクな部活。

字を書くのは好きだ。落ち着ける時間だと思う。その出来で今の気分が手に取るようにわかるだけに、こんな日はちょっと憂鬱にもなる。そんな書道部に籍を置き、今年の春から部長という立場にまでなってしまったのは、3年生の部員に男子がいないからだ。女子はいるけど、なぜか俺に回ってきた。断る事も出来ずに就任する。

また駄目だ。

小さくぼやいてまた半紙を折りたたむ。


「調子出ないみたいだね、真田君」
「はぁ」


書道部の先生は近所の習字の先生で、もう結構高齢なおじいさんだ。先生は俺の前まで来て、俺が折りたたんでしまった半紙を広げ見て白いひげの下で微笑んだ。


「字体もしっかりしているし、バランスも取れてる。何より力強い。前よりずっといい形になっとるよ」
「そうですか?なんかナナメになってません?」
「そうでもないよ。君の心が、目とずれてしまっているのかもな」
「心と目が、ずれる・・・?」
「思ってることや抱えているものは自然とそのまま字に表れる。悩んでいれば字も歪むし、悩んでいる事に気づかなくてもそれは字に表れるものだよ。何か心に残ることでもあるのかな」
「はぁ・・・」
「まぁ、納得いくまで書いてみるといい」
「はい」


そうして先生はまたゆったりと前の席に戻っていった。先生の言ったこと、よくは分からなかったけど、気合いを入れてまた半紙を出した。スッと薄い紙を伸ばし、筆に墨をつけて余分を落とす。真っ白な紙の上に字を思い浮かべて、はっきり定まったところで筆を紙につけた。

たった2・3秒の間だけど、字を書いている間はもっと長く感じる。その時間だけは誰にもジャマされない、真っ白な空間に浮かんでいるような気にさえなる。書き終わるとフッと現実に戻されて、気がつけば思い通りの文字が紙の上に乗っている。

うまくいった。
そう思って少しだけ微笑むと、先生が俺を見てか、前の椅子で笑ってた。


時計が4時半を指し示して、部活が終わる時間になった。先生はゆっくりと帰っていって、まだ残っていた部員たちは後片付けをしていた。
その時だった。


キィッ・・・


ふとそんな、何かの泣き声のようなものが聞こえた気がして、窓辺の水道で硯を洗っていた俺は、手を止めて周りを見た。


「どうした?」
「いや、なんか・・・」


うしろで筆を拭いている友達には、あの声は聞こえなかったようだった。気のせいかと思って手を動かすと、やっぱりまた聞こえた。
なんだ?何の声だ?


「真田、上っ」
「え?」


うしろの友達が声を張り上げて、振り返ると俺のすぐ横に上の窓が振ってきた。当たりはしなかったものの、落ちた衝撃で窓は割れて破片が飛び散る。


「なに?なんで落ちてきたの?」
「真田、大丈夫か?」
「ああ」
「真田、血出てるよ。目の上」


そう言われて目の上に手を当てると、指先に少しだけ赤い血がついた。破片で目の上を切ったようだ。


「真田君大丈夫?保健室行っておいでよ」
「大丈夫です、こんくらい」
「でも破片ついてたらヤバイじゃん、一応見てもらっておいでよ。俺片付けとくから」
「ああ、悪い」


俺より俺の傷を心配する部員に押されて俺は保健室に向かった。
なんだったんだ?急に窓ガラスが落ちてくるなんて、こんな事初めてだ。

傷は少し切れてただけで、ガラスも残ってなかった。俺はまた書道部の教室に戻ったけど、すでにもう窓ガラスは片付けられていて、外れた窓のところにもダンボールが張られていた。


「真田、帰らないの?」
「ああ、まだ行くとこあるから」
「あそっか、セブン入ったんだっけ。じゃーまた明日」
「ああ」


友達にカバンを渡されて、帰っていく部員たちと別れると俺はベースに向かった。いつもより遅れてしまったけど、きっとまだいるはずだ。


「お、一馬、書道部終わったのか?」
「うん、もしかしてみんなもう帰んの?」
「帰るかよ、これから大忙しだぞー?」
「何が?」


ベースに向かっていくとドアが開いて、中からみんなが出てきた。みんなまだこれから何かするようで、俺もベースにカバンを置いてみんなと一緒に廊下を歩いた。


「一馬、それどうしたの、目のとこ」
「ああ、部活してたら急に窓ガラスが外れて降ってきてさ、それが運悪く机に当たって大破して顔に飛んできたの」


俺がそう言うと、結人と英士が顔を見合わせた。


「大丈夫?目に入らなかった?」
「ああ。今からどこ行くの?」
「なんかいきなり学校中で怪奇現象が多発してさ。ようするに今の一馬みたいな状況が殺到したわけ。で、とりあえずカメラつけに行くとこ」
「え、マジで?じゃあ何、コレもそーゆーもんなの?」
「まだわかんないけどな」


うわマジ?俺知らないうちにそんなポルターガイストにあってたわけ?
こんな活動をしていながら全く気づこうともしなかった自分を少し恥じた。


「生徒会室のカメラは俺と結人でやってくるから、は学校中見て回ってきてくれる?他にも嫌な感じするとこあったらチェックしといて。美術室とLL教室は投書にもあったから一応気をつけてね」
「はい」
「俺は?」
「一馬はと一緒に行って。一応護衛役」
「一馬が護衛?頼りねー」
「なんだと?」


英士にチェックするノートを渡されたの隣で結人を軽く蹴った。それでも結人は「一馬だよ?頼りないっしょー」と笑ってくる。頼りないなんて、聞き捨てならない。コレは不慮の事故だし。

そんな結人たちと別れて、俺とは学校の見回りにまず実習棟から、と4階まで上がっていった。


「傷、大丈夫?」
「ああ、かすり傷だよ。なんともない」


日の落ちかけた廊下を静かに歩いた。しかも実習棟は北向きだから、こんな日暮れ時はさらに薄暗く感じる。隣を歩くは俺の絆創膏を気にして見上げていた。
もう、と話すことに気まずさはないにしろ、二人きりとなると話は別で、俺は結人ほど明るく面白く喋れないし、英士見たく落ち着いてもいられず、ちょっとそわそわしてるかもしれない。


「コレってやっぱそーゆー・・・、ポルターガイストなのかな」
「それはわからないけど、さっき結人と生徒会室に行ったら、生徒会室が3階に引越ししてて」
「・・・」
「会長さんに話聞いたら、最近ガラスが割れたり物が倒れてきたりするんだって。だからまず生徒会室から調べるんだって。イタズラの線がないわけでもないしって」
「・・・、ああ、そっか」
「他にも美術部の人が立て続けにケガするとか、1年生の教室でヘンな物音がするとかいう相談が増えてるんだって。コックリさんやる人が増えてるからかな」
「そー、かもな」


の話を聞きながら、ちょっと息が詰まってしまった。
の結人を呼ぶ名前が、結人になってる。きのうまでは、若菜君、だったのに。


「それで結人たち、生徒会室に行ったんだ」
「そう。結人ってば、確かな証拠持ってきたら部にしてやるって言われて張り切っちゃったみたい」
「バカだなー、あいつも」
「うん」


あれ、ってこんな簡単に笑ったっけ?こんな喋るヤツだったっけ?
あれ、よく思い出せない。


「あ、また」
「霊?」
「あのくらいならどこにでもいるんだけど。嫌な感じはしないし」
「そういうのも分かるの?」
「なんとなくだけど」


そう言ってはノートにチェックを入れた。少し前まで、何か見えるだけで目塞いでた気するのに、ちょっと見えただけでビビッてた気するのに、いつの間にこんな平気そうになったんだろう。

あれ・・・?なんか、もやもやしてきた・・・


「真田君?」
「え?」
「どうしたの?」
「いや、」


は俺に振り返っていて、俺が歩き出すと同じように歩き出した。
実習棟を終えて教室棟へ移動して教室を順に回り、は何かを感じる度にノートに書き込んだ。俺はただ隣、少しうしろについて歩いてるだけで、護衛なんて笑える。


「・・・あ」


1年生の階まできて一番奥の教室まで行くと、ドアの窓から教室の中を覗いてが小さく声を出した。どうした?と聞くと、は静かに中を指差したから、俺も中を覗いた。薄暗い教室の中では女生徒が3人、ひとつの机を囲むようにして集まっていた。みんなで机に手を伸ばし指で一点を押さえている。


「あれ、コックリさん?」
「だと思う」
「どうする?」
「止めたほうがいいのかなぁ。結人は見つけたらやめさせろって言ってたけど・・・」


それを聞いて、俺はドアを開けた。するとその3人は驚いて振り返って、焦った顔をした。


「そーゆー遊び、やめてもらえる?」
「え?」
、あれって急にやめたらまずいの?」
「何もないから、大丈夫だと思う」


俺は教室の中に入って、3人が囲んでいる机の上から、指を置いている十円玉の下の紙を引き抜いた。


「あっ!」
「ただの遊びだろうけど、霊はオモチャじゃないから、やめて」


俺が手の中の紙をくしゃっと丸めると、その子達はいそいそと教室を出ていった。


、この教室はなんかいるの?」
「何も」
「そっか、じゃあいいな」
「真田君て凄いね」
「は?」
「結人はとにかくダメ、やめろ!って言って無理やりやめさせるの。だからいつもちょっとケンカになっちゃう」
「あー、あいつは説得とか出来なさそうだしな」
「そうなの。だから真田君て凄い」
「べつに、俺大した事言ってないよ」
「霊はオモチャじゃないって、なかなか言えないよ」
「そーかな・・・」


そんなことを言いながら、は笑っていた。
ほんと小さく頬を上げて、そんな顔をしながら夕暮れの廊下を歩いていた。


「あ、きた。一馬ぁ、どうだった?」


ぐるっと1周してきた俺たちは、職員室の前で結人と英士と合流した。


「ホント流行ってるな、コックリさん」
「またかよ、飽きねーなぁ」
「これはコックリさんじゃなくてエンジェル様だから悪い霊じゃないんだとか言ってた」
「エンジェル様?何が違うの?」
「エンジェル様とかキューピッド様とかあるらしいけど、全部名前が違うだけでやってることは同じなんだって。本に書いてあった」
「へー、でも俺コックリさんやった事あるけど、結構動いたよ?んでもって結構当たったよ?」
「何聞いたの?」
「えーっと、理科の長谷部はヅラですかとか、俺の嫌いなもんはなんでしょーとか」
「今度やるときはアメリカの35代目大統領は誰ですかって聞いてみな」
「はは、それなら知ってるヤツがいなけりゃ動けねーよな」
「てゆーか勧めんなよ、英士」


俺たちの話をただ聞いてるはまたそこでおとなしく笑っていた。


、大丈夫か?」
「うん」
「無理すんなよ、嫌なとこ行かなくていーからな」


結人がやけにを気にかける。は笑って頷くけど、こんな事絶対乗り気じゃないよな。見たくもないものが見えて、見たくなくてずっと下向いてたのに、それを見させてるんだもんな。嫌な事させてるよな、俺たち。


「1−2の教室と美術室とLL教室か、やっぱり投書にあったところだね。じゃあ他の部屋の話は霊でも何でもないってことでいいね」
「でもいくらコックリさんが流行ってるって言ったってどこの学校でもやってる事だろ?全部の学校でこんな事が起きてるわけじゃあるまいし、なんでいきなりこんな事起き始めたんだろうな」
「なんかキッカケでもあったのかな」
「キッカケ?」
「霊が増えるキッカケ」
「何それ」
「前に流行った時はこんな事起きなかったのに、今になってポルターガイストまがいな事が起こる。その間になんか状況変わったっけ?」
「夏休みが明けて変わった事?」


俺たちは3人して悩んだが、全く思いつかなかった。


「・・・あたしのせいかな」
「え?」


その俺たちのうしろでがつぶやいた。
ああ、そうか。夏休みが明けて変わったことといえば・・・


「何言ってんだよ、そんなの関係ないよ」
「昔からそうなの。あたしが行くところで必ずこういうの、起こるの」
「そんなののせいじゃないって」


俺は思いつく限りの言葉をかけたけど、の沈んだ表情は浮かんでこなかった。


「でも、」
「バァカ!だからそんな事ねーって。こんな騒ぎならお前が来る前からあったんだよ」
「そうだよ。だから俺たちこんなバカなサークル作ったんじゃない」
「バ、バカってお前、自分もやっといて・・・!」
「結人と付き合うとみんなバカになるんだよ。いい迷惑だよね」
「俺のせーかよ!」


結人と英士の騒ぎように、は俯けていた顔を上げて、笑った。
・・・やっぱり。こんなにも自然に笑う。

美術室に着くと、日が陰ってるからなのか温度自体が下がっているのか、少し肌寒さを感じた。さっきここに来た時は何も感じなかったんだけど。
今日俺が書道部を終えてベースに行く前に、何人かの生徒がベースに訪れたらしい。その中の2年の美術部員が、先輩部員が部室でコックリさんをやっているところを見て、それから部内で何人かが立て続けにケガをしていく、という相談を持ちかけてきたそうだ。


「カメラどうする?教室はまずいかもね」
「じゃあ準備室は?美術部のヤツが頼んできたんだから放課後くらいは出させてもらえるだろ」
「そうだね」


話しながら英士と結人は、準備室にカメラをセットしに入っていった。


、なんか見えるか?」
「さっきも見たけど、特に何も感じなかった」
「じゃあ何にもいないんじゃねーの?」
「でも霊は人を見ると隠れるらしいからね」
「そーなの?なんだ、結構臆病なんだなー」


美術室の中をが見渡していた。そのを見ながら結人は部屋の温度を測る。


「17度。やっぱちょっと低いかな。、ほんとーになんも感じないんだろーな」
「・・・そんなに言うなら信じなくていいよ」
「いや、ウソウソ!信じてるって!」


拗ねたような目をするに、結人が慌てて機嫌を取る。
・・・こんな結人、いつも見てるのに、なんかモヤモヤする。それはたぶん、こんなを見るのが初めてだからかもしれない。

なんか、もやっとする・・・


「一馬?どーした?」
「・・・」


結人とを見ながらボーっとしていた俺に結人が気づいて声をかけた。も、俺を振り返る。


「・・・」


どうしたって、俺が知りたい。なんか、心臓が重くて、モヤモヤするんだ。


「一馬?」


俺が返事もせずにいると、準備室にいた英士も出てきて声をかけた。それでも俺は、何故だか返事が出来なかった。結人が俺を気にして近づいてこようとすると、それより先にが俺に近づいてきた。目の前でが俺を見上げた。
そしてフッと俺から視線を外して、俺の肩を見る。


「ゴメンね、もう呼んだりしないよ」


は静かな部屋の中で小さくつぶやいて、俺の肩をサラッと撫ぜた。するとふと、俺の肩が軽くなった。


「・・・、あれ?」


目の前にがいる事に気づくと、フッと何かが解けたように体が動いた。結人と英士も俺に近づいてくる。


「なになに?、一馬になんか憑いてたの?」


は自分の手を見つめた。


「初めて、触った」
「マジで?霊?」
「うん、動物っぽかった」
「成仏したの?」
「わからない」


は手をキュッと握った。
感触を実感してるみたいなその顔は、あたたかくて、きれいに見えた。


「でも、お前見えるだけで祓えないんじゃなかったの?」
「べつに祓ったわけじゃないと思う。浮遊霊だったのかな」
「浮遊霊だと大丈夫なの?」
「浮幽霊は悪いものとは限らないらしいよ。死んだことに気づいてないとか、何か想いがあってそこから動けない、つまり自縛霊とか。でも悪い霊に食べられて吸収されることもあるんだって。あと、人の悪い気持ちに近づいてもっと悪い霊になっちゃったりとかさ。気持ちが沈んでると憑かれやすいって聞いたことある」
「なに?一馬!なんかヘコんでんのか?!」
「や、べつに」
「ホントか?お前はすぐ沈むからなぁ。なんかあったらちゃんと言うんだぞ?」
「あ、うん・・・」


結人が自分の事のように怒って言った。
そうだよな、結人は元々、仲間思いなヤツだ。

取り憑かれた結人に言われたくないよね。
笑って言う英士に怒りながらふたりはまたカメラの設置に戻っていった。さっきまでなんとなく重かった体も心も、妙にスッキリした気分だった。俺、そんなにヘコんでたかな。全然分からなかった。


「大丈夫?」
「ああ、ありがと」
「きっと真田君が優しいから寄ってきちゃったんだね」
「俺?」
「あたしもね、なんか嬉しかった。あたしでも役にたつんだなって」
「何言ってんの、たったじゃん。成仏したんだろ?」


俺がそういうと、は俺に目を合わせて、フワッと笑った。


「みんなの、だよ」
「・・・」


その時のは、今までで一番きれいだと思った。きれいで、あたたかいと思った。


「よーし、次行くぞー。次どこだっけー?」


結人と英士が出てくると、俺たちはまた別の教室へ向かっていく。
まだまだ不可解な事ばかりで、大変そうだけど、不思議と怖さはなかった。
とにかく、ひとつだけ、落着。

俺のモヤモヤは消えた。











 

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