梅雨入りの陽




昔、とても好きな人がいた。
でもその人は私の友達と付き合っていて、彼女のグチを聞いたり二人のケンカの仲裁に入ったり、とても恋愛という間柄ではなかった。
あの子から彼を取ってやろうとか、彼と付き合いたいとか、思ってたわけじゃない。
けど、彼への好きの速度を緩めることは出来ても消し去ることは出来なくて、彼の優柔不断なところを見ても、だらしないところを見ても、嫌いにはなれず、忘れようとしても他に好きな人も作れなくて、だから、区切りがつけたくて、告白した。ほんとはずっと、好きだったって。

「ほんとに、言ってスッキリしたいだけだったの。告白して、きっぱり終わらせたら諦めもつくって思った。ずっと我慢してきたんだから、そのくらいいいよねって思っちゃった。・・・そしたらね、告白した後しばらくしてその人、私のことが好きになったって言ったの。彼女とは別れるから付き合おうって」
「悪いと思ってても嫌な気はしなかった?」
「ううん、逆。そう言われて急に冷めちゃった。ほんとにずっと好きだったのに分からなくなっちゃった。その人が彼女と別れて、私と付き合うって、そんな簡単に心変わっちゃうんだって思ったら、急に」
「あれじゃない?手に入ったら満足しちゃって、もういらなくなるってやつ。俺もあるよ。すげぇ欲しかったものなのに手に入れたら案外たいしたことなくて冷めちゃうってね」

そうなのだろうか。手の届かないものだからあんなにも切望していたのだろうか。
好きなのに、目の前にいるのに、彼が笑いかけるのは、大事にするのは、手をつなぐのは、彼女だから。
だからと言って、何の問題もない人の恋に割り入っておいて、手に入ったら冷めちゃったって。

「自分って最低だったんだなって、思ったなぁ」
「しょうがないんじゃない?自分に嘘はつけないし。ていうかそいつに夢見てただけなんじゃないの?恋に恋してただけ」
「ますますヤダなぁ」
「で、そんなことがあって、恋愛する気が失せちゃった?」
「そんなんじゃないけど・・・、まず疑っちゃうよね。好きかもって思っても、ほんとに私この人のこと好きなのかなって」

恋はするものじゃなく堕ちるもの、なんて言うけど。
堕ちようにも私の背中には固く綱が繋がれていて、堕ちる前に考える猶予を与えられてしまう。
立ち止まる間もなく堕ちてしまえばいっそ楽なのに。

「ふぅん、だいたいわかった」

目の前の彼はふわりと前髪を揺らしながら立ち上がる。
彼が書いてた反省文と私が写した反省文の紙を2枚重ねてまとめて持って。
反省文なんて生まれて初めて書いた。これでも道をそれることなんてない、真面目な生徒だったんだから。

「分かったって、なにが?」
「お前の攻略の仕方だよ」
「はい?」

窓から見える青空に虹はなくなっていた。
午前中はパラパラと雨が降っていて、そのおかげで晴れていった空にうっすらと虹が出ていたのだ。それを窓辺の席から見上げていたら、突然うしろの席の椎名が「もっと近くで見せてやるよ」と、もうすぐ授業が始まるという中私の腕を掴んで教室を飛び出し、立ち入り禁止の屋上のドアを何故か持っていた鍵で開けて、雲間に渡る遠くの虹を見せてくれたのだ。

椎名が言った。あんな虹に気づくのなんてお前くらいだよ。
そんな私に椎名が気付いたことに私は驚いた。
同じ高校で同じクラスになったはいいが、まったく接点も関わりもなくただ同じ空間で授業を受けてきただけの私たちだ。まぁ彼のほうは入学して間もなくその容姿と頭の良さと部活動での功績で学校内にとどまらず広く認知されてしまう有名人だったけど、私は目立つこともなく勉強も運動も中くらいでオシャレや部活に情熱を注ぐこともないごく一般的な生徒。椎名どころか先生にだっていなくなっても気づかれやしない。

「まぁ俺はまずお前に俺をそういう対象として認識させるとこから始めなきゃだけど、それはもう済んだだろ?」
「ぜんぜん、話が見えてこないんですけど」
「あ、あとひとつ忠告、ていうか命令だけど、今後そういう恋愛話は一切男にするな」
「するなって・・・、あなたが聞いたんじゃない」
「俺はいいんだよ。男が恋バナ持ちかけるなんてそいつに恋愛させようとしてるに決まってんだろ」
「待ってよ、そんなの、困るよ」
「なにが?お前は今まで通り普通に生きてりゃいいんだよ。好きなやつができたらそいつを好きになればいい」

虹は消えた。雨の粒が太陽に焦がれて溶けていった。
その代わりに広がった青空を背に、白い雲がまるで背中から生えている羽かのような。

「ま、次にお前が好きになるのはこの俺だけどね」

私のぼんやりした瞳なんて焼き尽くすくらいの、大きな太陽。

眩しい笑顔。

「さ、行くよ」
「え?」
「ハラ減ったからマックでも行こ。お前のオゴリね」
「な、なんで・・・」
「反省文書いてやった料だよ。でもま、お前が俺の彼女なら当然オゴってやるけど?」
「そんなこと、言われたって、」

なんだかまた、分からなくなってきた。
どうしてこんな話になっているんだろう。どうして今この人と二人なんだろう。どうしてこの人の目に私が映っているんだろう。どうしてこんな人が、こんな私を。

「お前は知らないんだよ」
「え?」
「恋はするものじゃなく堕ちるものだってこと」
「・・・いや、そんなの・・・」

重々に知っている。
けれども、私のカバンと、私の手を取る、彼は。

「キッチリ、堕としてやるよ」

私が知っているものとは、また違うものを、知っているようだった。





梅雨入りの陽

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