今日は練習もなくていつもよりいっぱい寝れる、と思っていたのに、いつもの癖で早くに目が覚める。寝直してやろうと思うのだけど、ベッド脇の窓から見えた空があんまり青くて鳥がちゅんちゅん鳴いてたから、ふとんを蹴とばし起き上がった。これから冬に向かっていくというのに綺麗な秋晴れで、カーテンと窓を開けて両腕を伸ばして大きくあくびを放った。
「あー、いい天気だねぇー。何しよ」
ぼりぼりと腹を掻きながら振り返ると、部屋の中の散乱具合が目に入り足を止めた。服は脱ぎ散らかされ雑誌やCD、ゲームが床を埋め尽くしている。机の上にはきのうの晩ごはんの皿がそのまま残っていて箸が転げ落ちていて、外はあんなにも爽快な気分にさせてくれたのにこの陰気な部屋はどうにも俺の気分をあげさせてはくれない。
「掃除すっか・・・」
とりあえず落ちてたタオルを足で拾い上げ、着ていた服もろとも洗濯機に放り投げた。そこいら中から服を拾い集めまた放り込む。洗濯機をスタートさせると机の上の食器を流し台に移動させて、雑誌をひとところに積み上げてマンガを棚に戻す。床に転がってた何かを踏んでしまって「いてっ」と足を上げ見てみると爪切りが落ちていた。使ったら元のところに戻しなさい!といつかの母さんの声が響く。
音楽を鳴らし、皿を洗いながらついでに朝メシを作ってとノリノリでキッチンに立っていると、どこかから別の音楽が聞こえてくる。濡れた手を拭きながら音の出所を探り、カバンの中から携帯電話を取り出す。メールが届いていて開いてみると、
「うわ、じゃーん」
久々にみた名前に思わず声をあげてボタンを押す。
タイトルには「ひさしぶりー」とあった。ほんとひさしぶりだったんだ。高校卒業以来会ってないし、たまに試合を見たあいつから「おめでとー」とメールがくるくらいで電話もなかなかしない。それでもこの語尾を伸ばす感じがだなって感じがして笑った。
は昔からの友達だ。まだ小学生で俺がクラブに入った時くらいから仲良くなって、でも中学に上がるとなんとなく遊ばなくなって、でも高校が一緒でまた仲良くなって、その3年間はほんと一番仲が良かった。
あいつはなんでもはっきりものを言うから優柔不断な俺は何かを決めかねた時はいつもあいつに頼ってたのだ。あいつがビシッと言ってくれるとそれでいいような気がしてた。AランチとBランチどっちがいいと思う?って聞いた時はさすがに自分で決めろと怒鳴られたけど。
『なぁーどう思う?島たちはボーリングってゆーんだけどさ、おれ今日はカラオケな気分なんだよなー。たまの休みくらいボールから離れたいってゆーかさー』
そんなどうでもいい俺の放課後の予定ですらは、
『私もカラオケがいい。よしカラオケに行くぞ!』
と俺の袖を引っ張っていく。
がそういうとみんなじゃあカラオケにするかーとついてくる。そういうところ、のすごいところなんだ。自分が楽しいことが一番。自分が欲しいものが一番。自分が好きなものが一番。はいつも自分を一番に生きていた。俺はそれをかっこいいと思っていて、そして俺とが楽しいこと、欲しいもの、好きなものはなんでかよく似てたから、俺たち一緒にいてほんと、一番楽しかったんだ。
そんなに俺は怒られることも多かった。が一番怒ったのは、俺のだらしなさとか優柔不断さとか楽観さが、「女」に対して一番発揮されてしまう、というところだった。
『だからさぁ結人、女の子と遊びに行くなとは言わないけど、行くなら一言だけでも言ってから行きなよ。リエちゃん泣かせたの何度目よ』
『だぁって、そりゃ俺だって前もって行く予定だったら当たり前に言うけどさ、ぐーぜんばったり会ってあーひさしぶりーとかなってじゃー遊び行くかぁーってなったんだよ?言うヒマないじゃん!』
『メールでも電話でもすればいいでしょ!』
『そーだけど・・・』
『わざと言わなかったんでしょ』
『だって、言ったら行くなっていうの目に見えてるしさ、そしたらまたケンカになんじゃん?そしたらまた泣くじゃん?』
『言わなくっても結局泣いちゃってんじゃないのよ!ホラちゃんと話し合っておいで!』
『あー、あとでなぁー。てかがそんな怒ることないじゃん』
『あとでじゃなくて今!じゃなきゃまた私が泣きつかれるんだから!』
『君もたいへんね』
『だれのせいじゃっ!』
ベシッと頭を叩かれて、はほら早く!と俺を急かす。
そんなこと言ったって、今更何を弁解しろって言うんだよ。
『あー、もーいいよ、俺もつかれちゃった』
『つかれちゃったって・・』
『俺らどーせ続かないよ。俺はほとんどサッカーだしさ、休みの日くらい会ってよとか言うけど俺に言わせりゃ休みの日くらい寝てたいし、あいつ抜きで遊びたい時だってあるし』
『・・・だから、そういうところをちゃんと話してさ』
『ムリムリ。あいつは自分のことしか考えてないよ。恋愛にかける時間の量が根本的に違うんだな』
『だったら、なんで付き合うのよ』
『そんなの付き合ってみないと分かんないじゃん。あっちだって、思ってたのと違うって言ってるだろ』
『・・・』
『ほら、図星』
一瞬どきりとしたの顔を指さして、にししと笑ってやると、はぐっと口を結んで俺から顔をそむけた。そんなの前から立ち上がり、カバンを担いで夕陽のさす教室から出ていく。
『じゃ、いっちょフラれてくっから待ってろよー』
『・・・カラオケー?』
『おー、歌い明かすぜー。オールナイトで失恋ソングな』
『失恋なんて思ってないクセに』
高校時代の俺は、そんな時期が続いた。いわば、とっかえひっかえってやつ。べつに恋愛を軽く見てるとかじゃない。軽く見てるのはむしろ寄ってくる女のほうだろう。俺はいつも真面目に好きになってた。だけど、それがただ楽しいことばかりじゃなくなってきたあたりから、俺にはそんなに重要でも必要でもないように思えてきて、確かに女の子と付き合ってるのは楽しいし気持ちいいのだけど、実際他に楽しいことなんていくらでもあって、時々すごくメンドくさくなる時もあって、俺の中の「恋愛」っていう重さや方向性と、付き合う女のそれとがだんだんかみ合わなくなっていく。
俺はそれをいつからか理解できるようになって、もめたらもう潮時かなって思うようになって、いろんな困難を乗り越えて絆を深める二人ってのに、あこがれることもあったけど、俺はまさかそんな映画のヒーローみたいなかっこいいやつではなくて、相手も何かのヒロインみたいに俺を深く理解して本当に求めてくれるような子じゃなくて、結局すぐダメになってはすぐ次の相手が見つかって、結果その繰り返し、みたいな。
『ごめん。なんか俺、レンアイ向いてないみたい』
心からゴメンと言ってるような顔もしてやれない。
だって別れる男なんて、いっそ酷いヤツのほうが女の子も楽なんじゃない?
いてて、だからってカバンで殴ることないよな。
女は凶暴だ。もすぐ殴る。男は殴れないからフェアじゃないよなぁ。
大して痛みを帯びない頭を撫ぜながら、が待ってるだろう下駄箱に向かう。また殴られたの?っては頭をなでてくれるだろう。しょーがないなぁって、結局笑って許してくれる時のが俺は好きだった。
本気で、と付き合ったらどうなるかなぁって思ったこともあった。だけど俺がこんなで、はこんな俺をいつも一番近くで見てるから無理だろうなって思うし、何よりといつも一緒にいられなくなるのは嫌だったから、そんな感情抱いてないフリをしてた。恋愛には絶対に終わりがくる。でも今の俺とには終わりは来ない。
ペタペタ廊下を歩いて行くと、下駄箱のすぐ手前にが見えた。廊下に座り込んで俺を待ってる。普段はあまり思わないけど、あんな小さな背中を見ると、も女なんだなって思う。
待ったー?と、声をかけようと手をあげた。
でも近づいてくの前に誰かがいるのが見えて声を止めた。
島だった。いつも俺らと一緒に騒いでるやつ。と一緒にいるところをよく見るからクラスにもあいつら付き合ってんじゃないのってうわさが流れ続けてる。はそんなんじゃないって言ってるけど、島は完璧が好きなんだと思う。仲いいせいで、あいつも踏み込めないでいんのかなぁ。
『じゃあ結人、別れるの?』
『たぶん。またゴメンねーとか軽く言っちゃってるんだろうなぁ』
『想像つくなー。まーまたすぐ彼女できちゃったーとか言ってきそーだけど。いーよなすぐ見つかるヤツは』
『はは』
もしかしたら、これって告白シーンになるのかもなぁ。
だとしたら俺、すげー邪魔じゃない?
『は、彼氏つくんないの?』
『ん、つくらない』
『なんで?』
『だって結人以上に好きな人なんていないもん』
・・・え?
『・・・びっくりした、あっさり言うんだな』
『べつに隠すことじゃないかなって。でも誰にも言わないでね』
『ん、言わないけど、結人が好きなら結人と付き合えばいいじゃん。もう結人、フリーなんだし』
『べつに、結人に彼女がいるかいないかなんて関係ないよ。いてもいなくても、一緒だもん。付き合わないよ、私と結人は』
『なんで?』
俺の言葉を、あいつが代弁していく。
なんで?
が俺を好きって、あんなにはっきり言ってくれるなら、俺・・・
『なんでも』
は笑って、その一言に誤魔化した。
その後、島は帰っていって、それから俺は何も聞いてないフリしてのところに戻った。もいつも通り笑って、俺の頭をなでてくれた。
『歌うぞー、のどつぶれるまで歌い明かすぞー!』
『あした練習ないの?』
『だいじょうぶ、サッカーに喉はかんけーない!』
それからも普通に俺とは、今まで通り、いつも通りのまま、カラオケで歌い尽くして一緒に笑ってた。失恋ソングを大声で歌うことはできたのに、ただ相手を思う恋愛ソングは歌えなかった。
ほんとに喉が潰れるくらい歌った帰りはもうすっかり夜道で、自転車の後ろにを乗せて家まで送っていきながらも枯れた声で歌った。夜の静けさと空気は、何故だか人の心を自由に解き放つようで、間を空けるといろんなものが溢れてきそうで、俺はずっと歌ってた。
は後ろで笑ってた。
俺の服を後ろで掴みながら、一緒になって歌ってた。
『あーもうダメ、声でねー』
『サッカーに喉は関係ないんでしょー』
『かんけーないけど声は出すしさぁ、怒られそー』
『誰に?』
『ともだちー』
半分だけの月が夜の空に浮かんでた。
これから膨らんでいくのかな。それとも欠けていくのかな。
『あ、月だー。もうすぐ満月かなぁ』
『どーだろねぇー』
『やっぱ夜になると寒いね。結人、いい加減半そでやめなよカゼひくよ』
『はは、おー』
『何笑ってんの。カゼひいて明日サッカー休んだら笑ってやるからね』
俺はたぶん、いやおそらく、・・・ぜったいに、がすきだろう。
半分の月を見てこれから満月になると信じてるが、肌寒くなってきた季節に俺の体調やサッカーのことを気に掛けるが、大好きだろう。
『おまえはほんといーやつだよなぁー』
『はー?』
『もーいっそ嫁になれ。結婚するぞ!』
となら、うまくいかないこともなんとかして乗り越えようとするような気がする。忙しいながらの合間にもなんとか会いに行こうと、決して傷つけないよう寂しい思いをさせないよう努力するだろう。これからもっと本気になっていくサッカーも、のために頑張ろうとするだろう。
失いたくないもの、が、俺には必要だったんだ。
それがだったんだ。
『はは、バァーカ』
・・・だけどは、どうしたって冗談としかとってくれなかった。
ううん、たぶん、冗談にしてしまったんだ。
俺の青春時代。
明るくまぶしい時の中には、いつだってがいた。
毎日笑い倒した。ケンカもした。でもすぐ仲直りした。
いつもそばにいた。恋もしてた。別れのない距離のまま。
俺も。も。
・・・そんな青臭い若き日の自分との笑顔を思い出しながら、携帯電話に届いたメールを開いた。「ひさしぶりー」とそのままの声が聞こえてきそうなタイトルの下に写メがついてて、開いてみると、白いドレスを着た女の人が写ってた。
「うわなにこれ、もしかして?」
足先まで隠す白いドレスを写したかったのだろう、顔はわからなかった。だけどたぶん、まっ白い清楚な雰囲気に包まれた綺麗なドレスを着てその空気をぶち壊すピースサインをしてるのは、だ。
あの笑顔は変わってない。
いつだって晴れ晴れとした、なんだって乗り越えることが出来てしまいそうなこの笑顔。
「もしもし、ー?おーひさしぶりー。何、結婚すんのー?」
俺の青春時代をかっさらっておいて、一人さっさと幸せになるのかよ。
あの頃とちっとも変わらない声で、幸せそうに話してくれちゃって。
「12月かー、ちょい難しいかな。・・・サイン100枚?アホいえ!」
そんなんでいーなら何枚だって書いてあげよう。俺ってば、頑張ったおかげでそこそこ価値ある人間だから。古い昔話だって、実は好きでしたなんてサプライズだって、何でもして盛り上げてあげよう。君にはそれだけの価値が、俺にはあるから。
「ああ、がんばってますよ、相変わらず。ああ、ウエディングアーチな、期待して待ってろ」
こんな月日が経った今でも俺は君のために頑張ることができるのだから、俺はやっぱり確かに、君が好きだったのだ。君の幸せなら誰よりも、祝ってあげられる。
「ん、なに?」
結人、と、懐かしい声で紡がれる俺の名前。
お嫁さんになれなくてゴメンね。
一瞬、どきりとする。
でもその後は笑って、俺も思い出して同じように笑った。
何が、ゴメンねだよ。
あんな冗談交じりのプロポーズ、こんな時間が経った今でも覚えてるなんて、お前、どれだけの決意であれを冗談にしてくれたんだ。
おかげで、あれからずっと彼女出来なかったじゃないか。
卒業間近になっても、大阪行くこと決まっても、お前がそうやって笑うから、結局言えずじまいだったじゃないか。
「まったくだよ、俺捕まえとけば今頃お前サッカー選手のお嫁さんだったんだぞー?ウエディングケーキなんて天井付くくらいの高さでさー。え、うっそ今ケーキないの?夫婦最初の共同作業はっ?」
バァーカって、懐かしい大好きだった声で。
大好きだった。
ゴメンねなんて、いらないよ。
「おめでとー」
そんなのいらないから、幸せになってよ。