おれ青がいい! あたし白がいい。 青青!ぜったい青! じゃあ誠二青にしなよ、あたし白にする。 ええっ、一緒じゃないのっ? やくそくはとおいあおとしろ 「藤代さん」 次の授業のため音楽室に向かっていると、横を通り過ぎた先生に呼び止められては足を止めた。その先生が日頃から生活態度や服装に口うるさい先生だったから一緒にいた友達はみんな顔をゆがめて、でもまさか呼び止められたがそんな顔を出すことなんて出来なかったから、はいと返事をして体を向けた。 「あなた、それ外しなさい」 開口一番に指摘された指の先には、教科書を持った自分の手首についた白い紐。細く編みこまれた白い糸の中に青のストーンが織り込まれたミサンガ。 装飾品は禁止とされている学校で、それでもみんな少しでも自分らしさを出そうと、オシャレをしようと、先生たちの目をかいくぐって可愛いものかっこいいものを身につけたい。飾りのないゴムしか許されていなくても隣の子は赤いバレッタをつけているし、廊下を走っていく男の子はギリギリまでズホンを下げて柄入りのベルトをしている。 派手にふれ回る子たちに比べれなの白い腕に馴染んだミサンガなんて些細なものだけど、そういうものに留意すべき先生の目についてしまったのだから、仕方ない。 「あの件は了承はしたけど、だからといってそういうものが許されるわけじゃないんですよ。あなただけが許されているなんて他の子たちが思ったらどうするの。周りの影響を考えなさい」 「はぁ」 夏休み中にが雑誌に載ったことは当たり前にの身の回りで話題になり、それは小さな問題にもなった。過去の例がないだけにそれを禁止する校則はないが、学校としては手放しにしておける事態でもなく、つい先日には母親が呼び出され話し合いの場が持たれた。 結局は母の「娘の個性と夢を大事にしたい」という訴えが通り今後も雑誌にモデルとして出る活動は特例として許された。その夜、そんなことがあったと寮にいる誠二に電話をしたら「娘の夢?ありゃ母さんの夢だろ」と大笑いされたのだけど。 「あの、でもこれはブレスレットじゃなくて」 「同じです。装飾品は禁止だといってるでしょう」 「・・・でもこれは」 「あーもー授業始まっちゃう!じゃーねせんせ、ほら行こ」 視を落としていた白いミサンガの手首を掴まれて、友達に引っ張られては廊下を走っていった。遠くなっていく先生の声が響いていたけど、ちょうど救いのチャイムも鳴り響き、なんとか誤魔化して逃げ切った。 「もー、あんなのハイハイって言ってりゃいーんだって話長いんだから」 「ん」 「ほんとウザイよね。こないだのあのバラのピン、あいつに取られたまままだ返してくれないんだよ」 「あの酒井にもらったやつ?うっわ超最悪」 「マジで。シネって感じ」 雑誌に載って、夏休みが明けて、の周りは確実に変わっていた。周りの友達が増えて、変わって、いつも誰かに見られていると意識することが増えて。 今はその周囲の変化についていくのが精一杯だ。身なりの派手な子たちが周りに寄ってくるようになって、小学校の時から仲の良かった子たちが「なんかもう違う人みたい」と離れていったときは、もう雑誌はやめようとも思った。 「ねぇって双子なんだってね、やっぱ似てんの?」 「そんなに似てないと思う。二卵性だし、あっち男だし」 「うそ男なの?男の女の双子っているんだ、初めて見た」 「いや見てないから!」 「あ、そっか」 ・・・本当に、似てない双子。誠二ならきっと誰がいなくなっても、誰に何を言われても、夢を追いかけて自分らしくサッカーの道を突き進むんだろう。だから誰も知り合いのいない武蔵森にだって羽ばたくように行けてしまったんだ。 でも自分にとって雑誌に載ることは、抱いていた夢でも貫き通す意思でもない。誠二のように目指すものが欲しいと思ってはいたけど、今までの状況と引き換えにしてまでそれは、追いかけたいもの、持つべきものなんだろうか。 誰も先生の話なんてまともに聞かず、好き勝手にやりたいようにやるのが自分らしさだと思っている。でもは雑誌に載ることはきっと母の強い後押しがなければ素直に先生の言うことを聞いてやめていたかもしれない。オシャレや個性なんていうものを、強く主張するほどしっかりと持っているわけじゃなかった。 「ー」 「・・・」 「?」 「えっ」 どれだけ深く思い悩んでしまっていたのか、呼ばれた名前にやっと気づいては顔を上げた。先生から逃げるように廊下を走っていったあのときから今までをよく思い出せない。 「なに考え込んでんの?」 「いっちゃん・・・」 「暗いなぁ。2時間目の後にせんせーに廊下で怒られてただろ。まさかそれで泣いてんの?」 「そんなんじゃないけど・・、え、見てたの?」 「最近目立つからな」 「・・・」 近所に住むいっちゃんは、部活のため夏前にすっきりと丸くした髪が少し伸びて誠二と同じくらいになっていた。小学校のときはぼっちゃん刈りでかわいい男の子だったのに。 周りを見ればここは廊下で、音楽の授業が終わって教室を出たところだと思い出した。トイレに行くといったから周りに友達は誰もいなくて、ひとりでとぼとぼ歩いていればそれは気になるだろう、を見つけたいっちゃんが声をかけてきた。 「そーだ、夏休みに誠二にCD貸したままなんだけどさ、あいつもしかして寮持ってったの?」 「あ、ううん、うちにある。明日持ってくるよ」 「おーおねがい」 いっちゃんは今までと変わらず接してくれるから気兼ねなく話せて、それが周囲には付き合ってると思われているみたいだ。雑誌に載って、彼氏がいると思われて、すっかり時の人扱い。 「藤代さん」 いっちゃんの背、の向かう先にまたあの先生の姿が見えて一瞬隠れようかと思っただけど、いっちゃんとそう背の変わらないがどこへ隠れられるはずもなく、または先生の目に留まり呼ばれてしまった。 「まだ取ってないのね、外しなさいっていったでしょ」 「はい・・・」 「雑誌に載ることは許されても学校で好き勝手することは許されないのよ、わきまえなさい」 そんなこと、まさか思っていない。雑誌に載ったことで、自分はオシャレがすき、表に出るのがすき、確かな夢を持っていると思われることに、抵抗だって感じる。 でもこれは・・・ 「先生、のこれはアクセじゃないんですよ」 の前でいっちゃんが言った。 「小学校の時からずっとつけてるやつで外せないの」 「外せないことないでしょ。学校じゃそういうものは禁止っていつも言ってるでしょ」 「でもこれはハヤリとかオシャレでつけてるんじゃないから、許してあげてくださいよ」 「そんなことは許されないの。あなた周りの子たち全員にそれを説明して回るの?ひとりが許されれば周りで反発が起きるの。特に今のあなたは周りの子への影響が大きいの。あなたが規律を守らなくちゃいけないのよ」 「それって先生がやればいいことなんじゃないの?はやりたいことやってるだけで、周りがに勝手なイメージ持ってさ、は・・」 「いっちゃん」 いっちゃんは、この細い糸が結ばれたときのことなんて知らない。 この拙い糸に込められているものも知らない。 いっちゃんはただ、このもうくすんでしまっているミサンガが、と、もうひとつ誠二の腕にもあるということを知ってるだけだ。それだけで大事なものだと分かってくれている。 「いいよ、大丈夫」 「でもさぁ・・・」 大丈夫。そう笑った。 「でも先生、これは私には切れないです。絶対に切れない。だから、先生が切ってください」 「、」 ありったけの思いを込めて結んだ糸は、願いが叶ったときに切れるという。この細い糸に込めた願いが叶うのは、どうしたってまだまだ先のこと。 そんな夢物語を信じて、互いの腕に結び合ったときからもう数年が経った。つけたばかりの頃は綺麗な糸だったのに、今じゃもう元が白だったことなんて嘘みたいにくすんでしまっている。 でもずっとそこにあったから。いつでも当たり前にそこにいたから。 なんだか寂しい腕になってしまったよ。 数回のコール音が途切れ電話口に出た声は聞き慣れたおばちゃんの声だった。寮にはもう何度も電話をかけているから、誠二の名前を出すだけでこっちが誰だか寮母のおばちゃんは分かってくれる。 その後しばらくして新たに電話口から聞こえた声は、また少し低くなったように思う聞き慣れない声。でもこのトーンの高さは変わるはずはなく、ちゃんと誠二だと分かる。 「サッカー、ちゃんとメンバー残れた?」 『あったりまえじゃん。でも先輩たち引退したらマジでさみしー。仲良かったからさー。あ、でも三上先輩はいなくなってもいいや、あの人は俺のこと殴るのがシュミみたいな人だから』 「ふふ、そうなんだ」 『レギュラーも大体思ってた通りな感じだな。たぶん今までのチームよりはレベル落ちるだろうけど、まぁ俺がいるからだいじょーぶ』 「そ」 なんでもない話をして、誠二のいつもの自信満々の声を聞いて。ふたりの電話はいつもこう。誠二の声が9割を占める。はたいてい合間に相槌打ったり小さく笑ったりグサリとさげすんだりする程度。 『うん。で、どーした?』 「うん」 『うん?』 「・・・今日、学校でね、」 でもちゃんと分かってる。からかけてくるときは必ず何か伝えたいことがあること。分かって欲しいことがあること。たまにしか返ってこないの声がなんだか丁寧で、力がなくて、悲しいことがあったんだなということくらい。 電波のようなものでビビビと伝わってくるものじゃあないけど、耳元で聞いてる声でちゃんと分かる。でもはすぐには言ってくれないから、最初はたくさん話して、笑って、笑わせて、その後でそっと聞いてあげる。 「・・・だから、取れちゃったんだ、ミサンガ」 『・・・』 「ごめん、誠二」 ・・・謝る気はなかったんだけど、謝る理由もなかったんだけど、話してるうちに、何も言わずにただ聞いてる誠二に、とても申し訳なくなって、こぼれ出た。 ごめん、ごめんね、せいじ 何度も繰り返して、綺麗に断たれたミサンガを握っていると、熱い耳に「」と低い声が届いた。その声はまるで、たくさん歩いて歩いて行き着いた先に何かを見つけたような、決して明るくも元気でもない、でも確かに何かの、出口を見出したような。 ちょっと待ってね。 電話口から誠二の声が離れて、遠くで「おばちゃーん」と呼んでる声がした。 おばちゃん、ハサミある? ハサミ? うん、それでこれ切ってくんない? これを?いいの?大事なものなんじゃないの? うん。いいの。 受話器の奥で交わされている会話が終わると、誠二が電話口に戻ってきたんだろう、ふっと息が聞こえた。 『なんか、これないと腕がさみしーね。腕ってこんな何もなかったっけって感じ』 「・・・うん」 『てゆーか汚いなー。青っていうかもう黒だな』 「・・・ん・・・」 切られたふたつのミサンガ。 寂しいふたりの腕。 元気の出ないふたつの声。 毀れる涙。誠二は、飲み込んだけれど。 『、今どこにいんの?』 「いま、階段のとこ」 『空見える?』 「うん」 見上げればどこまでも深い空の青。 その中を流れる穢れなき雲の白。 ほつれた青い糸の中に織り込まれた白い刺繍。 くすんだ白い糸の中に散りばめられた青のストーン。 『今度は見つかんないよーに足につけよ。足首につけてる先輩がけっこーいてさ、あっちのがかっこいいよ』 「誠二、すぐ切れちゃいそうだね」 『あー、そしたらまた新しいのに付け替える』 「それ意味あるかな」 『大丈夫大丈夫。ぶっちゃけこんなのなくても俺フツーにサッカー選手なるし。次は同じ色にしよーね!青と白の間とって水色』 「黒がいいな」 『あ、まったそーゆーこと言う』 床からひやりと冷たい冷気が伝わってくるけど、それがまだ気持ちいいと思えるほどにまだ夏が去らない季節。切れたときに叶う願いよりも絡まっているときの時間のほうが幸せな気がした。 こんな夏の残り香の漂う頃だった。 が誠二の左手に、誠二がの右手に、願いを込めて拙い糸を結んだ。 誠二がサッカー選手になりますように。 が俺から離れていきませんよーに。 なにそれ。 ねがいごと。 へんなの。でもそれじゃ切れない間は離れてるってことだよね。 ・・・ハッ! バァーカ。 |