どうやって家まで帰ってきたのか、ぜんぜん覚えてない。
自分の部屋でぼんやり、ケータイを見つめたまま何も出来ずにいた。
「もしかして」と「まさか」が入り混じって、気持ち悪くなるほどにぐるぐる同じ事ばかり考えてた。駅で見た情景が脳裏に張り付いて離れなくて、どうしたって俺の思考は悪いほうにしか進まなかった。

夜中に、からメールが届いた。
メール気づかなかった、ごめん。とあった。

 体調、どう?
 たいしたことないけど、明日は一応学校休む
 そんなひどいの?
 大丈夫だよ

数回メールを繰り返して、俺は聞こうか聞くまいか悩んで、ボタンの上で指をうつろわせた。

 今日は、ずっと寝てたの?

打った後で、自分でも遠まわしで嫌な言い方だと思った。
しばらくしてまたケータイが光る。俺は音が鳴る前にボタンを押して開いた。

 うん、さっきまで寝てた。


「・・・」


画面の中の一文を目にして、ケータイを枕の上に落とし頭をうずめた。

が俺に、嘘をついた。



翌朝、いつものように一日がはじまる。
もちろん俺も普通に学校に行って、かーずま!と後ろから駆け寄ってきた結人がいつもの調子で肩に腕を乗せてきた。


「なんだよ、朝っぱらから暗くねぇ?」
「べつに」
「ウソつけ、元気ねーよ。ちゃんとなんかあった?」
「・・・なんで俺が元気ないとなんだよ」
「他に何があんだよー」
「俺だって、色々あるよ。あいつの事ばっかりじゃない」
「たとえば?」


結人にそう言われて答えようとするけど、答えが見つからなくて、色々だよ!と言い張って離れていった。そんな俺に後ろで結人が「やっぱないじゃーん」とケラケラ笑ってる。


「あ、英士おーっす」


結人のその声に俺はピタリと足を止めた。
振り返ると、結人のもっと後ろから英士が歩いてきてて、結人の傍まで来るとおはようと声をかけていた。


「おはよう」
「・・・おお」


そして当たり前に、俺にも言った。


「えーしー、一馬のヤツまたちゃんと何かあったらしーよー?」


英士の隣で告げ口のように言う結人がしてやったりな顔をしてる。
それを聞いて、英士が俺に目を戻す。


「何かって?」
「・・べつに、なんもねーよ」


英士が、俺の様子を伺うように言った。
俺が気にしてるから、そう見えるだけかな。


「なぁ、きのうのマリノス戦見た?水野のヤツついに得点に絡んできたぜ」
「やめてよ朝っぱらから」
「いーなぁー、あいつ武蔵森行ったんだろ?藤代もいきなり試合出てたしさー、すっかり話題持ってかれたよなー」
「結人が悔しいのはそこだけでしょ」
「だってくやしーじゃん!俺らの年代はいつでも俺らが話題の中心だったのに!なぁ一馬?」
「え?ああ」
「いーよなぁ英士は、もうオファー来てんだからさ。一馬どーする?このままどこからも誘いなかったら・・・」
「なに言ってんの、代表が始まる頃には話もくるよ」
「そーかなぁー」


不安いっぱいな顔をする結人は、すぐ浮かれるけどすぐ沈む。
英士はもうプロ行きが決まっている。
俺と結人はまだなんだ。これからの試合や大会の成績は大きく関わってくる。
そうだ、そっちのほうが大事だ。こんなことに悩んでる場合じゃない。


「一馬、気になることがあるなら言ったら?」
「え?」


どうしても、なんでもないフリが上手く出来ない俺からそんな空気がにじみ出ていたようだ。英士はいつも、俺の様子がおかしいと誰より早く気づく。俺があからさまに英士から目を逸らしていることなど、英士が気づかないはずがない。


「彼女のこと?」
「・・・」
「なに?」
「英士、きのう、本屋行ってたんだよな?」
「・・ああ、」


俺の確信つかない言葉に、英士はすぐに理解したようだった。


「会ったよ、帰りに駅で。彼女に聞いたの?」
「や、俺も駅にいて、見かけて」
「そう」


英士は、だから?というような顔をした。
英士は俺に嘘をつかなかった。当たり前だ、英士はそんなやつじゃない。
そんなこと、あるわけがなかったんだ。

何度も何度もそう思ったのに、たった1パーセントの疑心がどんどん膨らんで、疑わない要素のほうが断然多いのに、黒い感情が俺の心を占めて飲み込まれてた。
馬鹿だ、俺、英士を疑うなんて。


「なに、それだけのことで悩んでたの?」
「べ、べつに悩んでるわけじゃ、」


英士は呆れて、むしろ疑われて腹ただしいというような目をしていた。
途端に恥ずかしくなって、俺はすたすた先に歩いていった。


それからしばらく、は学校を休んだ。
一度の家に行ったけど、体調が悪かったのは本当だった。
俺は休みの日はもちろん平日もサッカーで忙しいく、会えない日が続いて、それでも俺は毎日家でも学校でもにメールを打った。本当は会いに行ってやりたいけど、落ち着いてからでいいと言われる。


 メールの返事が早いよ。ちゃんと勉強しなさい。


メールの向こうにを感じる。
少し前までは、平然を装うになぜか苦しくなった。
その笑顔は本当なのかなって。


 サッカー選手に二次関数は関係ないんだよ


だけど今は何も疑わない。あれから英士も普通に俺と接してくれてるし、からのメールもすぐに来る。ちょっと心が軽くなった今はの笑顔が恋しい。ほんと、俺って単純。

でもは俺に気を使わせないようにしているのか、いつも「大丈夫」と返した。
もうが学校を休んで1週間が経つ。大丈夫ならそんなに休んだりしないだろうに、はいつも、俺にすら気を使う。

いつもそうだった。踏み込んだと思うと引いて、重なったと思ったら外れて。
全てを俺に任せたり、ゆだねたりしない。
いつも少し離れて、見守るみたいな。
俺はそんな位置にを望んでなんかいないのに。


「真田君?」


廊下の窓に頬杖ついて携帯画面を眺めていると、うしろから声をかけられ、振り返るとそこには田村がいた。


「元気ないね、どーしたの?」
「そうか?」
「あ、彼女だー。そうでしょ」
「え?」
「ケータイ持ってその顔は絶対彼女の事考えてる顔!」


俺の手の中のそれを見て、田村は言う。
田村にまで悟られるなんて、情けなくてケータイをポケットに押しこんだ。


「どーしたの、ケンカ?あ、べつにその隙を狙ってとか全然ないからね。ただの興味本位だから」


田村はカラッと笑って言った。


「・・田村って、俺の何が良かったの?」
「え?また唐突に、なんで?」
「や、なんとなく・・」
「そーだな、最初はとにかくカッコいいだったんだけど、それから結人と一緒にいるとこ見て、けっこう普通に笑うんだなーって思って、体育祭の時とか意外に強気じゃん?それがまたカッコいーなーって思って」
「・・そーですか」
「そーだ、1年の時同じクラスだったじゃない?掃除の時にゴミ捨て行こうとしたら、私あまりの重たさに階段でゴミ袋落としちゃってさ。それが下にいた真田君に激突しちゃったの!ゴメンって謝ったら真田君なんて言ったと思う?」
「え、俺なに言った?」
「ゴミ袋拾って、この重すぎるゴミ袋が悪いって言ったの。なんかそれ聞いて笑っちゃってさ、真田君てあんまり女子と喋らないからどんな人か全然わかんなかったんだけど、それで意外と話せるこの人!って思ったんだよね。そしたらもっと気になっちゃって・・・って、なんかあたし、また告白してるみたい?」
「しかも結構堂々と」
「だよね!うわハズ!!」


田村はよく笑って、それはきっと俺に気を使ってのことだろうけど、話しやすかった。これぞ普通の女の子、だよな。

は、出会ったときから愛想のないヤツだった。
それこそ森野がいなければ、俺はまともな会話も出来なかっただろう。
笑っていても、俺がいるとガマンしてしまうようなヤツだった。
人見知り激しくて、何でも一人でやってのけて、しっかりしてる。
俺はそんな、開かれないの心を開けるのに必死だった。
はまるで深い森のように不可解で、俺はその中に迷い込んでた。

それでも付き合って3年、の事なんてもう知り尽くしてる気でいたのに。
時々、わからなくなる。


「今、彼女のこと考えてるでしょ」
「え?」
「手」


そう言われて、俺はふと意識を戻した。
田村が俺の手を指差し、その先で俺は携帯電話を握ってた。


「・・ごめん」
「あやまることないしー。真田君てヘンなとこかわいーね」
「カワイイとか言うなよ」
「うらやましーなー彼女。ねぇ、どんな人?写メとかないの?見たーい」
「は、ないよそんなの」
「あ、その顔はあるな?見せろ〜」
「無理無理!」


ケータイを取ろうとしてくる田村から逃げて、ポケットを抑えた。
いや本気無理だ!


「お、なんだなんだーなにやってんのー?」


そこに通りかかった結人が、後ろに英士を携えて寄ってきた。


「あ、結人ー、真田君の彼女ってどんな子ー?見せてって言ってんのに隠すんだもん」
「なに照れてんだよ、見せたれ見せたれアイラブちゃん!」
ちゃん!見せろー!」
「やめろって!」


結人が田村に手を貸して俺を羽交い絞めにして、その隙に田村がポケットからケータイを抜き取った。それを受け取って結人がカチカチ写メを開いてく。結人と同じケータイなんて買うんじゃなかった!


「お、あったあったー、これちゃん」
「おおー、かわいー。なんで隠すのー?」
「てかお前、ちゃんばっかだな!もしやこのフォルダ68枚全部ちゃんか?」
「あーも、やめろって結人!」
「でもこのちゃんのイヤそーな顔。・・おー?エロ一馬発見!」
「きゃ〜!」
「っあーやめろ!!」


結人の手からケータイを奪い返そうとするが、結人はがっちり掴んで離さない。
それどころか持ち前のナイスディフェンスで俺を遠ざけてくる。
この中に見られてヤバイものなんて山ほどある。田村どころか、結人にだって見せられない。


「一馬」
「え?」


ぎゃあぎゃあもみ合ってるところに、静かにそこにいた英士が声をかけてきた。


「最近、ちゃんに会った?」
「え、いや、ここんとこ会えてないけど、なんで?」
「連絡はとってるの?」
「まぁ、そこそこ」
「ならいいけど」


英士はそれだけ言って、俺たちを置いて教室に歩いていった。
なんだ、あんな、を気にするような言い方・・・
とのことで英士が俺を心配することはあっても、を心配することなんて・・・


「ぎゃー!ヤバーい!エロスー!一馬のスケベー!」
「結人っ!」


俺は結人の手にケータイが渡ったままだったことを思い出し、発狂する結人から急いでそれを奪い返した。


この1週間、はメールを打てば返してくれるけど、電話に出てくれないこともあった。話が出来てもどこかそっけなく、電話もすぐに切れてしまう。

そうなるとまた、俺は黒い思考に絡め捕られてしまう。
たった数パーセントの疑心に飲み込まれてしまう。

が何でもないと言ってくれないと、全部を俺に見せてくれないと、

信じることが出来ない、自分が嫌だ・・・














1