「今度の遠征ドイツだって。4日で5試合はツライよなー」 「連戦よりマシだよ。着いた早々試合ってこともあったじゃない」 「あーアレは死んだ。時差ぼけ?だるいのなんの」 「調子に乗って寝ないで騒ぐからでしょ、結人は」 クラブの練習が終わり3人で帰り道を歩いていた。 もうすぐアンダーの遠征があり海外へ行く。世界大会は何度か経験してるけど、スケジュールがハードだから海外遠征はかなり疲れるのだ。 「そう、遠征前の最後の試合なんだけど・・・。え、まだ休んでんの?本気大丈夫かよ、病院行ったんだろ?」 前を歩く二人から少し離れて、と電話していた。 代表やらプロスカウトの視察やらでここのところ大事な試合が続く。 俺はそのたび日程を教えるんだけど、はまだ体調が悪いらしい。 ふぅとため息つきながら電話を切ると、前を歩く二人が俺に振り返った。 「ちゃんなんだって?」 「まだ学校休んでるから、お母さんが家から出してくれないかもって」 「病院行ったの?彼女」 「え?ああ、行ったらしいけど、あいつ大した事ないとしか言わなくてさ。今からんち行こうかな・・・」 「そう」 「何、ちゃんそんな重いの?まさかヘンなビョーキじゃないだろうな」 「なんだよ、ヘンなビョーキって」 「クラミジアとか淋病とか・・・」 「お前、そりゃー俺からと言いたいのか」 「もしかしたら一馬意外かもよー?」 「ケンカ売ってんのか」 俺はちょっと本気でムカッときて、でも結人はゴメンゴメンと笑いとばした。 まだプロ入りが決まらないわ、とは会えないわで俺はため息の絶えない日々を送っているというのに、そんな冗談は通じない。もうすぐ遠征も始まってしまうし、やっぱりこれからに会いに行こうと決めた。 の家に着くとお母さんが出迎えてくれて、久しぶりに会うからの部屋に向かう前に少し玄関で立ち話をした。はお母さんにさえ「気分が悪い」と言うだけで、ただ部屋に篭っているという。お母さんにとってが部屋に篭ってしまうということは、ある種の恐怖でもあるのだ。 「落ち込んでるみたいだから一馬君と何かあったのかと思ってたんだけど、何か思い当たらない?」 「いえ、べつに・・・」 様子がおかしいと言われれば、わからないでもないのだけど。 俺も感じてる。でも俺たちに何かがあったわけではない。 ここのところ会っていないし、どうとも言えなかった。 「、入るぞ」 話し終えての部屋に向かうと、突然ドアを開けられては手にしていたケータイを落とした。 「そんな驚くなよ。体、大丈夫か?」 「あ、うん」 「風呂上り?上なんか着ろよ」 「うん・・」 風呂上がりだったらしいは髪を濡らして、薄着だった。 体調悪いといいつつ無防備な格好にヤレヤレといった感じだ。 「熱あんの?」 「うん、もう平気」 「どれ?」 上着を羽織るに近づいて額に手を当てるけど、は微熱だからと俺の手を離させた。 「病院は?」 「うん、行ったけどただの風邪だろうって」 「お母さんも心配してるよ、なんか様子がおかしいって。なんかあった?」 「そんなこと言ってた?なにもないよ」 の濡れた髪に指を通すとつと冷たさが伝わってきた。 そんな俺の手も取って、は少々散らかった部屋を片付けだす。 久しぶりだったから俺は触れていたい思いでいっぱいだったんだけど、はどこか、距離を取ろうとしてる感じだった。 「試合、行けたら行くから。大事な時だもんね」 「ん、オファーもまだだし、正直焦る。俺も早いとこ決めたいからな」 「あぁ、英士君・・・元気?」 「英士?なんで?」 「なんでってこともないけど」 雑誌を棚に戻しながら、はぎこちなく笑う。 「なんか変。なんかあった?」 「え・・・?」 「英士となんかあった?」 「英士君と?何もないよ」 「ほんとに?」 「何があるのよ。英士君と二人で会うことなんてないじゃない」 「・・・」 はせわしなく動いて笑って話すけど、しっかりと俺を見ない。 何もないと言うの言葉を疑いたくはないけど、信じられなくさせているのもだ。 「英士と会っただろ、駅で。気分悪いから会えないって言った日」 「え?・・・ああ、あの日?」 「なんで嘘ついたんだよ」 「嘘?」 「その日はずっと寝てたって言っただろ」 「そうだっけ。家に帰ってきてからはずっと寝てたから」 そうだっけって・・・ 「なんであんな時間に駅にいたんだよ。学校終わってすぐ帰ったんじゃなかったの?」 「帰ったけど、そのあとまた出てって・・」 「気分悪いって約束やめたのに?」 「なんでそんなに怒ってるの、何もないったら」 「だったらなんで嘘つくんだよ」 「だから嘘じゃないって」 「そーゆーのスゲーいらいらする。俺の知らないとこでこそこそ、何してたんだよ、はっきり言えよ」 「ほんとに何もないってば。駅で会っただけ、それだけじゃない」 「じゃあ俺に何も隠してないんだな」 「ないよ・・・」 「ほんとに?」 「・・・うん」 「・・・」 はまた、俺に嘘をつく。 そんな顔して、俺がわからないとでも思ってんのか。 腹の奥が治まらず、俺はの腕を掴んで引き寄せ無理に口付けた。 力任せに押し付けたから口唇に痛みが走って、離したがっていただろうけど、俺たちの間にあるの腕には力が入りきらないでいた。 ・・・なんで俺の機嫌をとる?やましい気持ちがあるからだろ? 嫌なら嫌だとはっきり言えばいい。嫌な事は絶対しないのがお前じゃないか。 言わないと、止めないと、 きっと俺はこのままお前を傷つける・・・ 「ちょっと、一馬・・」 髪を掴んだまま口を押し付けて、そのまま首に肩に口付ける。 やさしさなんて消えてしまって、いろんなものを見失っていた。 「一馬、いたいよっ・・」 「っ・・」 「一馬・・・っ」 俺の体を蝕む痛みをわからせたくて、力ずくで俺のほうを向かせようとした。 押さえた腕も無理に重ねる口唇も握り締める肌も、その痛みすべてで、俺を理解すればいいと思った。 ベッドまで押しやって、倒れこんだを下に見て、押し離そうとする腕をシーツに抑えつけて。 俺が誰よりもお前のことを想ってるって、頭と体に俺を刻み込みたくて仕方なかった。 だって俺はが好きで、だって俺だけを見ててくれてると思ってたから・・・ 「・・」 熱い息を含んで呼んで、キスをしようと顔を上げる。 けど、視界に入れたの目には涙が滲んでて、俺の中で上り詰めてた熱がすっと下がった。 「一馬・・・、嫌だよ、こんなの・・・」 「・・・」 「嫌だよ・・・」 俺、何してる・・・? 「・・・」 細い手首が赤くなって、服が乱れていて、・・・それがなんでか分からなかった。 ベッドでが泣いていて、それすら何故だか分からなかった。 頭の中が真っ白だった。 腹の底から滲み出てた闇色が静かに全身に行きわたろうとして、ついには頭の中まで浸透して、自意識が遠のいて。 声を殺して泣くを見下ろして、心が押し潰されそうだった。 でもどこかでは、はっきりと覚めていて、分かっていて。 悲しいのか、嬉しいのか。 そんな、襲い来るものから逃げるように、部屋から出ていった。 何してんだ俺・・・ が俺に嘘ついた を傷つけて、泣かせて・・・ が俺を拒否した 自分しか見えてない・・・ 俺をわかってくれない だけが大事なのに・・・ 俺だけを見ていてくれない 頭の中と目に見えてる現実が重なり合わなくて ぐちゃぐちゃで、倒れそうだった・・・ 騒がしい休み時間の教室で、自分の席で俺は一人だけ別の世界にいるような気になった。周りの空気と自分が全くそぐわない。俺の周りだけどこか遠くへ飛んでしまったかのような・・・、ほんとは俺だけここにいないような感じがした。 「かーずま。まだ元気ねーの?ほんとどーしたんだよ」 朝から俺を気にして、結人が休み時間のたびにわざわざ俺のクラスまで来る。 なんでもないって、大丈夫だって言わなきゃってわかってるんだけど、言葉にまでならなかった。 「英士は英士で、一馬のとこ行こうって言ってもこないし。お前らなんかあったの?」 「・・・」 朝から英士には会ってなかった。きっと会わないほうがいいと分かってた。 英士に対して、怒ってるとか疑ってるとかではないのに、会えなかった。 でもそんなこと英士には、言いたくなくて。 そんな俺にきっと英士も気づいていて、だから英士も俺の前に来ないんだろう。 「何があったか知らねーけどさ、明日は大事な試合なんだから、仲間割れはやめよーよ」 「・・・」 「なぁ?」 「・・結人、今日はほっといて」 「・・・」 分かった。 そう結人は俺の前から立ち上がり、騒々しい教室を出ていった。 ・・・すごく、気持ちが悪かった。 苛立つ思いと、潰されそうな思いが絡み合って、頭の中がグルグル回って、胃が痛くて、もう全部投げ出してしまいたかった。 昨日からろくに食事ものどを通らず、眠れもしなくて体が重い。 耳に入ってくる笑い声も気に障って、立ち上がり教室から出て誰もいない方へ歩いていった。行きついた廊下に座り込んで、周りの鬱陶しい騒音から耳を塞いだ。 冷たく硬い廊下に座ったとき、ポケットの中にケータイを感じた。 は今日も学校休んでるのかな・・・ これだけイライラしてても、そんなことを考えてる自分がイヤだ。 「さてはまた彼女のこと考えてるね?」 ふと、そんな軽い声が降ってきて、反応悪く顔を上げるとそこには田村がいた。 田村はふふと笑ってたけど、言葉どころか笑い返すことも出来ない俺に笑みを止めた。 「なんか、今日はずいぶん落ち込んでるね。ケンカでもした?」 「・・・」 「でもそうやって落ち込んじゃってるとこが真田君らしいってゆーか、やっぱ彼女のこと大好きなんじゃん?早く仲直りしちゃえー」 ・・・今の俺に、人の話を聞く余裕なんてなかった。 人の気遣いに落ち着いて返すことも、ましてや聞き入れることなんて。 もう誰も、近寄ってくるな 「3年も付き合ってるんだし、大丈夫だよきっと。すぐ仲直り・・」 「黙れよ」 田村に比べずっと小さな小さな俺の声。 そんなものでも田村は聞きとって、ピタリと言葉を止める。 「お前に関係ないだろ」 荒れた感情に支配されすぎて、誰かになすりつけたくて仕方なかった。 そしてそれが目の前の田村にとって、どれだけ酷く突き刺さるだろう言葉かもわかってて吐き出した。 自分より痛み苦しんでる人がいると思いたかった。 関係ない人間なんて壊れてしまっても良かった。 「そう、だね、ごめん・・・」 小さく小さく、冷たい廊下に溶けていきそうな田村は、それでも笑って言った。 「ほんとごめん、余計なこと言って・・ごめんね!でしゃばりすぎた」 「・・・」 「ごめん、ほんと・・・」 明るく言う田村は最後までそれを繰り返し、引き返していった。 俺はだんだん意識を覚ましていって、離れてく田村の背中を見上げた。 だんだん足早になってく田村の、腕を掴んだ。 「田村・・・、ごめん、俺・・・」 「え、ううん、真田君は悪くないよ」 「俺、ほんと・・」 「大丈夫、真田君は悪くないよ、あたしがウザかった、ホントゴメン!」 「・・・」 「私ね、調子乗ってたの。真田君といっぱい喋れるようになって、ほんと調子乗ってた。彼女のことなら真田君、話してくれるって思って・・・」 気丈に笑う田村はだんだんその色を落としていって、隠れた表情の奥で声を詰まらせた。 「バカみたい・・・、しつこくって、嫌になる・・・」 「・・・」 必死に笑顔を取り繕う田村の声が涙で揺れて、その声が、きのうのと重なって 思わず、掴んでた腕を引き寄せた。 「さ、真田君・・」 「・・・」 自分の中の弱さとか、情けなさとか、脆さとか・・・。 何か支えがないともう、立ってもいられなかった。 痛くて、悲しくて、苦しくて・・・ 全てのものから、逃げだしたかった。 |