自分が自分でないような。
あってもなくても、どっちでもいいような・・・。


真田君・・


耳元で誰かの声がした。
わかっているのは、それがじゃない、という事だけ。


「一馬?」
「!」


ふと聞こえたその声に、俺は途端に連れ戻されて目を覚ました。
目の前に田村がいることに気づいて、それから声がした方を振り向いた。
そこには口をぽっかり開けてる結人と、英士・・・


「・・おいおい、何してんだよお前」


冗談だろ?と結人が表情を崩して詰め寄ってくる。俺の肩を押しながら田村から離させて、間に立った。俺はまっすぐ見てくる結人を見返すことが出来ずに視線を移ろわせ、その中で視界の端に引っ掛かった、英士に目を止める。


「おい一馬、何してんだってんだよ、自分で分かってんのかっ?」
「あの、違うの結人、これはね・・・」


腕を掴んで問い詰めてくる結人に慌てて田村が口を挟む。
俺は何も言えなくてただ俯いて、言葉も出なくて


「一馬」


そんな俺の耳に、ひやりと英士の声が響いた。
それが痛みにも思えて、ビクリと体を揺らした。


「説明して」


小さく、静かに、英士は俺に言い訳を求める。
それがいつもよりずっと低いところからきている気がした。
その問いに答えるどころか口先すら働かずに、顔も上げられずただ俯く。

これは怒ってる時の英士なんだ。
滅多に見せないけど、俺たちにはわかる。


「一馬」
「・・・」
「あの、だから違うの、真田君は・・」


張り詰めた空気の中で田村がまた口を開くけど、英士は静かに一瞥すると田村は息と共に言葉を飲み込むしかなかった。そしてまた俺に目を戻して、俺に言い訳を求める。


「・・べつに、どういうつもりもないよ」


何度も息を飲んで、やっと出た言葉だった。


「どうでもいいだろ、俺が何したって、お前らに」
「一馬!」


俺が口走ろうとした言葉を止めるため、結人が強く俺の肩を掴んだ。
自分が何を言おうとしたのか、結人がなんでこんなにも怒っているのか。
今まで思ったこともないようなことを口走ろうとしたこと、分かってるんだ。

だけど、頭の中に巣食ってしまった感情が、平気で俺の心を食い荒らして、俺の行動、思考の全てを支配していた。つらいなら、苦しいなら、全部、投げ出してしまえと。


「・・もう、どうでもいいんだよ。結人だって言っただろ、3年もよく付き合ってんなとか・・・。もうどうでもよくなったんだよ、それだけだよ」
「は?俺そんなこと言ってないよ、そんな意味じゃねーだろ!」
「もういいんだって、あいつが何考えてんのか全然わかんねーし・・、あいつだって飽きたんじゃねーの、だから・・」
「だから、俺と何かあったんじゃないかって?」


思ってたよりずっと近くで聞こえた英士の声にまたビクリと心臓を揺らして、顔を上げるとすぐそこに英士がいた。静かに見据える英士の黒い目が心底俺を軽蔑してるようで、

バシッ!・・

その目に飲み込まれる俺の左頬を英士が思いきりひっぱたいた。


「おい英士っ・・・」
「・・・」
「俺なんかに嫉妬して、バカだバカだと思ってたけど、まさかこれほど馬鹿だったとはね」


熱く響く左頬は次第にじわじわ痛みを持ちはじめて、口の中にじわりと鉄の味が広がった。俺に痛く視線を突きつける英士が冷たい声を降らす。


「お前がそんなだから彼女が何も言えないんだろ。自分だけが相手を想ってると思うなよ、お前の考え方が子供過ぎるんだよ」
「・・・は、」


切れた口の中に血が滲む。
殴られた衝撃よりも、それが英士にもたらされた痛みだということのほうがきっと強かった。だけど、浴びせられる言葉に俺は、とても冷静でなんかいられなくて


「なんでお前がそんなこと言うんだよ。なんなんだよこの間から、知ったようなこと言いやがって、俺らのことに口出しすんじゃねーよ!」
「俺だってしたくてしてるんじゃないよ」
「じゃあすんなよっ」
「もーやめろって二人とも!」


英士と俺がこんなにも真剣に言い合うことなんて今までなくて、それがどんなに不安にさせたか分からないけど、殺伐とした空気が流れる俺たちの間に結人が割り込んで俺たちを止めた。だけど英士は気が治まらず、結人を押しのけてさらに俺に詰め寄る。


「ふざけるなよ、どうでもよくなった?どの口がそんな事言えるの?」
「英士!」
「彼女がどれだけのもの背負ってるかも分かってないで、聞き出せもしないくせに、飽きたなんてよくそんなことが言えるな!」
「・・・お前、何を知ってるんだよ」
「・・・」


英士は、明らかに俺が知らないんだろうことを知っているようで、俺は馬鹿馬鹿しくなった。


「なんだよそれ・・・、俺に言えないのに、英士に言うのかよ・・・」
「一馬だから言えなかったんだよ」
「ふざけんなっ、俺にも言えないようなこと、俺以外に話されるほうが腹立つだろーが!」
「そういうとこがガキだって言ってんの」
「じゃあ俺はなんなんだよっ!」


頭の中が混乱して、逃げ道がなくて、堪らずに思い切り壁を叩いた。
何も分からなくて、痛みも分からなくて。

俺だってほんとは、怒ってたわけじゃない。もめたかったわけじゃない。
責めたいわけじゃなくて、逃げたいわけでもなくて・・・

ただ、向かい合いたかっただけだ・・・


「俺に気使って何も言えないなんて、一緒にいる意味あんのかよっ。俺がどれだけ分かろうとしたって、どれだけ近づこうとしたって、あいつはいつまでも俺に気許さないで・・・俺にどうしろってゆーんだよ!」
「おい、一馬・・・」
「どうしろってんだよ・・・」


奥底から溢れる言葉と一緒に、感情が鼻を突いて涙が落ちる。
悔しさと憤りと、悲しさが充満して、立ってもいられなくて


「くっそ・・・っ」


こんなことで泣くなんて認めたくなくて押さえつけるけど、体は言うことを聞かずに崩れていって、廊下の端で小さくしゃがみ込んだ。抑えられない涙が手首を伝ってポタポタ硬い床に落ちて弾かれて、弱った俺の肩を支えるように結人の手が暖かく降りた。


「・・・彼女、妊娠してるよ」


静かに届いたその言葉に、ふと目を開けた。
俺も結人も、聞いていながら理解できずに英士に目を向ける。


「え・・・?」
「・・・」


今、なんて・・・

英士は躊躇って一度視線を外し、また俺に目を合わせる。


「俺と彼女を駅で見たっていった日、あの日は本当に偶然に会って、混乱してたからだと思うけど、そうかもしれないって言ってた」
「な・・・」
「俺もそれきりだからそれ以上は知らないけど、ずっと休んでるんでしょ、確かだったんじゃないの?」


なに・・・、妊娠・・・?
って、子供・・・?


「ちょっと、え、マジで?妊娠って、子供出来ちゃったってこと?一馬のっ!?」
「他に誰がいるんだよ」


結人の素っ頓狂な言葉に英士は呆れるを通り越しあからさまに怒った。
だけどちょっと待って・・・、唐突過ぎて、突飛過ぎて全然わからない・・・


「そんなこと、誰にも言わないでいるのか?なんで俺に言わないんだよ・・」
「一馬は今が大事な時だから黙っててって言われたよ」
「そんな・・」
「ちょっと、待てよ、そんなこと言ったって、そんな大事なこと、いつまでも黙ってるわけにはいかないんじゃないのっ?」
「・・うん、俺も本当なら少しでも早くはっきりさせるべきだって思った。でも、実際に一馬が今大事な時期なのは確かだから、はっきり彼女にそう言ってあげられなかった。ごめん・・・」
「英士・・・」


俺を思って隠していた
それを知って黙っていた英士。

いったい、今までどれだけの思いで胸の中にひた隠していたのか・・・


「でももうこれは俺たちだけでどうこう出来る問題じゃない。一馬も彼女も、これからの人生がかかってる。早くどうにかしなきゃいけないことだよ」
「・・・」
「だよな、そーだって一馬!」


はっきりとした言葉で俺に言い聞かせる英士。
まだ理解できない俺を呼び覚ます、結人。


「子供・・・」


・・・避妊せずにすることを、はいつも止めていた。
だけどそれを軽く見て、押し切って無理をしてたのは、俺。
自分勝手に愛して、愛している気でいて、結局俺は、にいろんなことを背負わせてばかりだったんだ。

はひとりで悩んで、苦しんで、泣いて・・・
それでも俺のことを、深く深く、想ってくれていた。


「とりあえずさ、学校どころじゃねーよ!一馬、ちゃんとこ行けよ!」
「・・でも、俺、どうしたら・・」
「いや、こればっかりは俺もどうとも言えないけど、とにかく、行かなきゃ!」
「あ、ああ・・・」


結人に引っ張られて、俺はふらりと立ち上がる。

だけど俺、になんて言ったら・・・
に、の家族に、俺の家族に・・・


「一馬?落ち着けよ、めちゃくちゃテンパってんだろ」
「まず連絡してみたら?」
「俺らも行くか?一緒に」
「それも変な話でしょ」
「だってよ!つかお前なんでそんな落ち着いてんだよ!」
「俺はずっと前から知ってたから」
「あーそーだったな!」


俺があまりに顔面を蒼白させてるものだから、結人までつられて混乱し始める。

すると、俺のポケットからケータイの着信音がなった。


ちゃんか!?」


音に驚いて慌ててケータイを出すと、結人が勢い良く俺のケータイを覗き込んだ。
その音がの着信音ではなかったからこの電話がじゃないことは分かっていたけど、俺も混乱してたから慌ててその画面表示を見た。


「こ、公衆電話・・・?」


着信は誰も何も、公衆電話だった。
表示を見て固まる俺に英士が「とにかく出たら?」と促して、不審げにボタンを押す。


「は・・」
『さっさと出ろこの大バカヤロー!!』


キーンと、結人と英士にも聞こえるくらいの音量で怒鳴られて、俺は咄嗟にそれから耳を離した。


「も、森野?」
『ちょっと顔かしな!総合病院、今すぐ!!』
「病院・・?なんで、まさか、?!」
『いーからさっさと来いっつってんだよ!5分で来い!!』
「おい、なんなんだよ森野!になんかあったのか?森野っ!」


小さなケータイに向かって叫んだけど、電話はすでに切れていた。


「あんのやろっ・・・」
「なんだよ、どうした?病院ってなに!」
「わかんねーけど、総合病院にすぐ来いって・・、、もしかして・・」
「落ち着けって、行ってみなきゃわかんねーよ!とにかく早く行け!」
「あ、ああ・・・」


震えてる俺の背中を結人がドンと押し出して、走り出す俺に英士は「カバン持っていきなよ!」と叫ばれて、俺は急いで教室に寄りすぐにまた駆け出ていった。

学校から走り出て、バスに乗って病院まで急いだ。
だけどまだ走ってたほうが落ち着く、赤信号なんてもどかしくてしょうがない。

森野が俺に電話してくるなんて、のこと以外にありえない。
それに病院だなんて・・・、なんなんだよ!

・・・!















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