今までで一番、頭の中にいろんなことが詰まって、駆け巡って、パンクしそうだった。走っているのに地に足が着かず、どんなに早く走ろうとしてもちっとも進まない、夢の中みたいな感覚が襲う。 だって、そうだろ?いきなりあんなこと聞かされて、そしたら急に病院来いって言われて、それで平然といられるほど悟りを開いた大人じゃない。 とにかくただひたすら、恐れる気持ちをひた隠して病院に駆け込んだ。 涼しいロビーで激しく息つぎをして、その息を飲み込みながら正面のカウンターに近づいていこうとすると、視界の端に見覚えある影を捉えて振り返った。 その瞬間、俺の顔面めがけて何かが襲ってきて、俺は咄嗟に避ける。 「なっ・・」 「避けんなバカ!」 そこには森野が、振り下ろしたカバンを手に俺をにらみ下していた。 「っぶねーなテメェ!」 「うっさいこのバカ!1回死ねうすらハゲ!いや100回死ね!!」 「ああっ!?」 病院のロビーであることも忘れて怒鳴り合う俺たちを、通りすがりの看護婦が「お静かに」とためらいつつ注意していった。 「どこだよは」 「あームカつくムカつく、本気コロさな治まらん!」 「だからどこだっつってんだよ!」 「やっぱコロス!死ね!」 「死ぬか!さっさと言え!」 何度も襲い来る森野のカバンを避けつつ、やっとの居場所を聞き出して俺たちはエレベーターに乗った。 きのう、俺がの家から出ていった後に、はひどく泣きじゃくって森野に電話をしてきたそうだ。その時に森野は初めてから妊娠のことを聞いた。そのままは体調が悪化して病院に運ばれたそうだ。 森野でさえ知らなかったなんて・・・ なんであいつはそう・・・ 「もうほんとハラ立つ!いっつも一人で悩んで、あたしはなんなの?相談するにも値しないっていうのっ!」 「・・・」 「本気バカなんだよは!迷惑かける勇気もないなら友達も彼氏も作んなきゃいーんだよ!倒れるまで誰も頼んないで・・・ほんとムカつく!」 ボロボロ涙を落として、セーターの袖で口を押さえる森野は本気で怒っていた。 だけどそんなこと、弱ってるになんて言えないから、これが森野の精一杯の発散方法だったんだろう。 俺もこいつも、結局同じなんだ。 心底、あいつが好きで、大事で、仕方ない・・・ がいる病室の前まで行くと、そこにはのお母さんがいた。 お母さんは俺を見ると厳しい表情をして、付き添いを森野に任せ俺を廊下の先まで通れていった。 「一馬君、知ってたの?このこと」 「いえ・・・、何も、聞いてませんでした。俺の友達が偶然、から直接聞いてたみたいなんですけど、に黙っててって言われてたみたいで・・・」 「そう」 お母さんは、疲れた表情を隠せずに重いため息をついた。 「あの・・・、すみませんでした」 「何に謝ってるの?」 「・・・その、気づいてやれなかったことと、ここまで追い詰めたことと、それと・・・、あの・・・」 「・・・」 おばさんはまた、ひとつため息をつく。 「こういうことをね、心配してなかったわけじゃないのよ。一馬君のことは認めているし、感謝もしてるの。でもね、あなたももまだ高校生なのよ。自分たちで責任をとれる年じゃないの」 「はい、分かってます・・・」 「分かってないでしょ、だからこういうことになったんでしょ?」 「・・・」 静かな病院の廊下に、お母さんの抑えた声が響いて俺は言葉に詰まるしかなかった。 「どうしてもっと早く分からなかったのかしら。もう少しで取り返しのつかないことになってたところだったわ」 「・・・」 取り返しのつかないこと・・・? 「それって・・・」 「・・・仕方ないでしょう、仕方のないことよ」 「お、おろす・・っていうことですか?」 「あのね、子供を産むということは簡単なことじゃないの。おもちゃじゃないのよ。産むなんてことになったらあの子は高校すら卒業出来ないし、それに・・・こんなこと言いたくないけど、あなたはサッカー選手になりたいんでしょ?」 「・・・」 その一言で、食らいつこうとしていた俺の意思は丸ごと削がれた。 「あなたのためでもあるの、一馬君。ご両親もあなたには期待してるでしょうし、あなたの人生まで変えることになりかねないわ。今諦めたとしてもこの先ないわけじゃないし、あなたもももう少し大人になって、ちゃんと自分たちのことを考えられるようになってからでも、いいでしょう?」 「・・・」 お母さんの言うことの、どこに、俺が反論出来ただろう。 俺たちの気持ちが大事だとか、人の命を無くしたくないだとか、一生一緒にいる覚悟はあるだとか。思うことはあるのに、現実を見ればどれも喉を通らない。 俺だって、混乱している中にもちゃんと理解しているところはあって、すぐに産もうなんてどうしても言えなかった。俺はまだまだ、世の中にも出ていない子供で、それに、掴みたい夢も、ある。 俺たちには何の決断力も、決断する権利すら、持ってない。 の体とこれからの人生を心配するお母さんには、この決断は親としてしなければならないことで、俺の親でも同じことを言うだろう。 ・・・ 俺たち、どうしてこんなに、子供なんだろう。 無力過ぎて、泣けてくるよ・・・ は薬でずっと眠り続けていた。 子供のこともあるけど、栄養と睡眠不足で、体もかなり弱っていたらしい。 また少し細くなったの顔を見下ろして、俺は涙をこらえてた。 俺には泣く資格もない。 その後、目を覚まさないにずっとついててやることも許されず、俺は家に帰された。 『ちゃんどうだった?』 「ああ、大丈夫そうだった」 『そっか、良かったな。あ、子供も?』 「うん、今はな」 『そか・・・、まぁ、ちゃんが何ともなくて良かったな!』 その夜、英士も結人も電話かけてきてくれて、の無事を伝えた。 英士はあまり時間かけられないけどよく考えていこうと言ってくれて、結人はとにかくが無事でよかったと喜んでくれた。 『で、明日の試合どーすんの?』 「うん、行くよ」 『大丈夫か?』 「うん。さっき電話もらって、とりあえず目覚ましたって」 『そっか。あ、お前んちの親にはもう言ったの?』 「ん・・・、今から」 『そっか。大丈夫か?』 「ああ」 よく、考えた。 人生これほど頭使った事あるかってくらい。 「大丈夫だよ」 いろんなことが、頭の中にあった。 のこと。サッカーのこと。親のこと。 今のこと。過去のこと。・・・これからのこと。 笑ったり泣いたり喜んだり沈んだり。 俺たちの3年は、やっぱり長い年月だった。 俺たち、いろんな時間を一緒に過ごしてきた。 もう、お前のいない時間は、考えられないんだよ・・・ 結人との電話を切り、俺は不安に騒ぐ心を落ち着けるために息を繰り返した。 小さく覚悟を決めて、部屋から出て階段を下りていく。 リビングへ繋がるドアの窓から、仕事から帰ってきた父さんと、食事の用意をしている母さんが見えて、二人が笑って話をしてるのが見えて、もう一度深く呼吸を繰り返した。 「おかえり、父さん」 「おおただいま。今日は練習なかったのか?」 「うん」 「でもあしたは大事な試合だものね。応援行くからね」 いつものように笑ってくれる両親に俺も笑って、俺は父さんの向かいの、いつもの席に座った。 「あのさ、ちょっと話したいことがあるんだけど」 「ん、なんだ?」 「母さんも、いい?」 俺があまりに改まって見えたのか、父さんと顔を見合わせた母さんはすぐにキッチンから出てきてくれた。 俺の言葉を待つ両親を前に、俺はやっぱりうまく最初の言葉が出てこなかった。 なかなか言い出せなくて。どう言おうか、組み立てていたのに。 「なんだ一馬、言いづらそうだな」 「どうしたの?一馬」 今まで、どれほどの苦労と迷惑と心配をかけてきただろう。 俺が何不自由なくサッカーが出来て、夢を追えているのは、全部父さんと母さんのおかげだ。俺の成長と成功を誰よりも夢見て、信じてくれている。俺は十分に、親の偉大さを理解している。 「・・・あのね、」 だから、心が苦しいよ。 ・・・ その翌日は、よく晴れていた。 絶好の、サッカー日和だった。 「一馬おっせーなぁー、ほんとに来るんだろーなー」 集合時間になっても会場にこない俺を心配して、結人がしきりに入口を見渡していた。その隣で英士も、黙って結人の言葉を聞いていた。 「あ、来た!」 結人が叫んで指差すほうから、俺はグラウンドに走っていき、急いで監督の元に走って行き頭を下げた。遠くで俺に手を振っている結人に手を振り返し、すぐに着替えに走った。 今日の試合は大事な試合だ。 プロになってるやつ。プロが決まっているやつ。決めなければならないやつ。 それぞれの思いを胸に、俺たちは円陣を組む。 「勝つぞ!気合入れてこーぜ!」 「お、なんだ真田、いつになく張りきってんな」 「たりまえだろ」 全員で声を上げて気合いを入れ、フィールドに散らばっていく。 「一馬」 だけど英士も結人も走りださずに、そっと俺に声をかけた。 二人して心配そうな顔つきをしてて、こいつらはなんでこう鋭いんだろうと、笑えた。 「英士、結人」 真っ青な空の中の白い雲が、早いスピードで流れていく。 青い芝生がその風に煽られて、さらさら揺れて。 「ごめん。俺、サッカーやめる」 不思議と、二人とも驚かなかった。 きっと、二人ともどこかで、そうなるかもって思ってたんだろう。 「一馬・・」 「だから今日は勝ちたい」 「・・・」 「勝とうぜ」 二人の顔がだんだんと崩れていく。 だけど何も言わずに、英士も結人も俺に近づいてきて、俺たちは肩を組んだ。 英士がめずらしく顔を崩して、結人が力強く俺の肩を掴んでて。 「英士、ありがとな」 「・・・」 「結人も」 「・・・バカヤロー」 込み上げる気持ちを抑えて、吐き出したい熱を握る手に込めて。 ぐっと、力を込めて。 「よし、勝つぞ!」 芝生に叫んで、空に誓った。 試合開始のホイッスルが鳴る・・・ |