海外遠征を終えて日本に帰ってきたけど、来週からはユースの大会が始まるためあまり時間的余裕がなかった。だから空港まで迎えに来ていた両親と共に、その足での家に向かった。 お互いの家族が揃って会うのはさすがに初めてで、俺はの家に着いて早々父さんに無理やり頭を下げさせられ、の両親に深く詫びた。玄関で頭を下げる両親のうしろ、リビングのドアのところに立っていたは、頭を押さえつけられている俺を見てクスクス笑っていた。 「ちゃん、体は大丈夫?」 「はい、大丈夫です」 リビングに通される母さんがドア元に立っていたに声をかけるが、はまだ笑いを引きずって、抑えながら答えていた。 「笑いすぎなんだよ」 「だって」 に一番近づいたところでぼそりと言いながらの頭を押さえると、後ろからコラ!と今度は俺が父さんに頭を押さえつけられた。それを見てはまたクスクス笑う。 勧められたソファの前に立つと、両親たちは改めて丁寧に挨拶を交わす。 大人の挨拶というのはどうも格式ばっていて長々しく、お互いによそよそしいまま頭だけ何度も下げあって、座るまでそれを繰り返していた。それを無駄としか思えない俺はまだ、子供なんだろう。 すると、俺は奥のテーブルでお茶を用意していたに気づいて、そっちに寄っていった。カップを6個乗せたトレイを運ぼうとしてたに代わって両親たちがいるテーブルまで運んだ。 「ねーどれがいい?」 「えーっと、チョコ。うーん、やっぱこっちにする」 「じゃああたしチョコにしよ」 「じゃあ半分ずつにしよ」 「やだ。あたしそれべつにいらない」 「いーじゃん、二つ味わえたほうがお得だろ」 「遠征どうだったの?」 「は?」 ソファでまだ両親が気遣い合って話しているのを背中で聞きつつ、俺たちは夕食の準備が整いつつある奥のテーブルでケーキ選びに夢中になっていた。 「試合出たの?」 「出たよ。5試合中3試合」 「点入れた?」 「2点絡んだ」 「2点?3試合出て2点?」 「立派なもんだろ。1つは途中出場だったんだぜ?」 「ダメ。あげない」 「イタリアだぞ?世界ランクじゃずっと上のほうだぞ?」 「同じユースでしょ。足りない足りない」 「チームじゃ一番取ったっつーの」 「藤代君は?」 「あいつは、来てなかったよ。リーグの途中だし」 「じゃあダメだ」 「だからなんで・・あ!」 「ああ!」 の手にあるケーキの箱に無理に手を伸ばしたら、箱が俺たちの手の中から転げ落ち中身は無残にも床に叩きつけられた。 「あー、バカ」 「お前が逃げるからだろ」 「バカ、アホッ。弁償しろ、新しいの買ってこい」 「おまえ・・」 「何してるのあなたたち」 落ちたケーキを囲んで罵り合っている俺たちに、のお母さんが呆れた顔で寄ってきて、俺たちはうしろに両親たちがいたことを思い出した。 「、それ持ってっていいから部屋に行ってなさい」 「はーい・・・」 俺たちはまだ何とか大丈夫そうなケーキだけを救出して、床についたケーキは掃除してそそくさとリビングを出ていった。これからいよいよ真剣な両親たちの話が始まるようで、俺とはリビングのドアを閉め、2階に上がる階段から中を覗いていた。 「すみません、あんな娘で」 「いいえ、ちゃんが元気でよかったです」 「親のほうが慌ててしまってますからね。それに比べれば落ち着いたもんですよ、二人とも」 「本当に、事の重大さがわかってるんだか・・・」 いくつかの問題を抱えつつも、俺たちが産みたいと言い出したことで両親たちの話し合いもその方向へ進んでいた。だけどやっぱり、お茶を入れ替えますねとソファから立つのお母さんだけは未だに飲み込み切れていないようだった。 「すいませんね、あれがあんな調子で」 「いいえ、これからちゃんのほうがずっと大変でしょうから、仕方ないですよ。本当に申し訳ありませんでした」 「あいつのことはともかく、私たちは一馬君には本当に感謝してますから。お聞きかどうか分かりませんが、は小さい頃に両親を亡くしてまして、あの子の母親が私の妹にあたります」 「ええ、ご両親を亡くされていることは一馬から聞きました」 「つまりは、家内とは血のつながりがありません。うちにもひとり息子がいますが、両親を亡くした姪っ子を急に引き取る事になって、あいつも随分気を使って育ててきました。にも息子にも。それだけに少々過保護気味になってしまったんでしょうかね」 「そうですか・・・」 「といってもそちらも大事な一人息子さんなわけですから、私たちはもう痛み分けというか、私としてはあの子たちの意思を出来るだけ手助けしてやればいいかと思っているんです」 「ええ、同感です。一馬は契約が決まったとはいえまだ子供ですし、人の親になんてなれないと思っていたんですが、思えば私も一馬が出来たときに親になっていたわけではありませんし。親バカかもしれませんが、あの子は真面目で意思の強い子なんです」 「一馬君はとてもいい子ですよ、本当に。正直生でプロのサッカー選手にお目にかかれるとは思ってませんでしたからね」 「はは」 父親同士がささやかに打ち解け始めたところに、のお母さんがお茶を入れなおして戻ってきた。 「楽しそうですね、何のお話ですか?」 「ん?に元気な子供を産ませてやろうって話だよ」 「・・・」 「奥様の気持ちはわかります。子供を産む苦労は母親が一番分かってます」 「ええ・・・、私も分かってあげたいんです、・・・」 遠慮がちに笑むお母さんは、カップを配るとトレイを床に置き、そのまま言いにくそうに、話し出した。 「は、昔から不安定なところがありまして、ちょっとしたことですぐに癇癪を起こしてしまうような子だったんです。うちに来たばかりの頃は毎日泣きじゃくるばかりでしたし、大きくなっても突然暴れたり、家からいなくなったり・・」 「仕方ありません、そんなことがあったんですから」 「私はあの子が普通の子のようになれればって、それだけを思って育ててきました。大きくなればあの子も落ち着いていきましたし、聞き分けが良くて余計な苦労は全くかけない良い子になっていきましたし・・・」 話を聞いていれば、それはいい方向へ向かっているように聞こえたのに、のお母さんの顔は曇ったまま、悲しそうだった。 「でもそれは、あの子が両親を亡くしたことを受け止めると同時に、私たちが本当の両親でないということを、自覚するようになっていったんじゃないかと思うんです。いつも気を使って、大人しい子になっていって・・・」 「そうだったんですか・・」 「でも、一馬君と付き合うようになって、あの子は本当に明るくなりました。一馬君の話をするあの子は本当にかわいいんです。普通の女の子のようで、嬉しかったんですけど、長く付き合ううちに、あの子の中で、一馬君の存在がどんどん大きくなっていってしまったようで・・・」 「・・・」 「以前あの子が部屋に閉じこもってしまった時も、私たちが何を言っても何も反応しなかったのに、一馬君が来た途端・・・」 言葉を詰まらせるお母さんは、その重みで涙を滲ませた。 のことを誰よりも想っているのは、やっぱり、お母さんだから。 「私は、あの子の妊娠が分かったとき、あの子のためだと思って・・・私が言えば聞いてくれると思って、あの子に言ってしまったんです。一馬君のために諦めなさいって・・・」 「・・・」 「本当に、ずるい言い方をしました。そんな風に言われて、あの子が産むなんて、言うわけがないんです。それを分かってて言いました。・・・そしたらあの子、はいって、・・・」 つと、白い頬に涙が落ちる。 懸命に抑えようとするそれを、堪える術もなく。 「分かってるよお母さん、大丈夫、それでもいいって、・・・笑って・・・、まるで私を安心させるように、言うんですよ・・・。そのときのを見てて、どうして私はこんな事・・・、親として、あの子にあんな事を言わせるなんて・・・」 背をかがめポタポタと涙を落とすお母さんに、俺の母さんが近づいてハンカチを差し出した。すみませんと落ち着こうとするお母さんの想いに、誰もが胸を痛めた。 「先日の一馬君の試合、病院では試合を見に行きたいと言い出しました。お腹の子に見せてあげたかったんだと思います。あの子は、子供を諦める覚悟をしていました・・・。でも、一馬君と話した後は今まで無理して笑わせていた顔がすっかりなくなって、産みたい、産ませてくださいって頼むんです・・・。子供はいつまでも親のものじゃないと分かりました」 お母さんは俺の両親に改めて向き直し、まっすぐ見上げた。 「どうか、拙い娘ですがよろしくお願いします・・・」 深く頭を下げるお母さんに、俺の両親とも頭を下げ、のお父さんもまた頭を下げた。 「・・・何話してるんだろーね」 「なんかまたペコペコ頭下げ合ってるな」 「大人だからね」 そんな風景を、階段に座り込んでケーキをつつく俺たちはドアの窓ガラス越しに傍観していた。会話は聞こえないけど、話し合いというほど殺伐とした空気も感じられず、大人同士やっぱり何度も頭を下げあっていた。 「なんか俺たちの親って会えば絶対どっちかが頭下げてるよな」 「前はうちのお母さんが一馬のお母さんに謝ってたしね」 「メーワクかけまくりな子供だよな」 「でもさすがに今回は極めつけだよね」 「まーなー。でもさぁ」 ケーキをパクリ口にして、俺はの耳に近づいた。 「なんか、おもしろくね?」 「ふふ、うん」 「な」 両親たちの不安もよそに、俺たちは階段で寄り合って笑い続けていた。 まったく親の心子知らず状態だが、俺たちは幸せだった。 そうしていると、真正面の玄関のドアが開いて、そこから家に入ってきたのはのお兄さんだった。 「あ、ヒデちゃんおかえり」 「おお、まだいんのか」 「始まったばっかりだよ」 「うっそ」 といってもとは、正確にはイトコにあたる。 英紀さんはこんな日に家に居づらいからと家を出ていたそうだが、俺たちが来るのが遅すぎたせいで結局居合わせてしまった。 「ヒデちゃん、ケーキ食べる?」 「食べるってぐっちゃぐちゃじゃねーかよ」 リビングを一目見て階段に上がってくる英紀さんには抱えているケーキの箱を見せるけど、もうどのケーキが何味かもわからないくらいに混ざりあってるそれに、英紀さんが興味を示すはずもなかった。 「お前そんなん食ってたらあっとゆー間に太るぞ」 「そんな急に太らないもん」 「見るに耐えないくらいブクブクになったら逃げられんぞ。男は嫁の妊娠中に浮気するからな」 「ちょっ、なんスかそれ!」 聞き捨てならない英紀さんの暴言に俺は反抗するけど、はもういらないと俺にケーキの箱を押しつけると階段を駆け下りていった。 おいおい、まさか信じたのか? リビングに入っていったを呆れて見ていると、目の前にいた英紀さんは突然俺の胸倉を掴みぐいと引っ張り立たせたのだ。 「えっ?」 「・・・」 じっと俺を見下ろす英紀さんに、俺はケーキの箱を持ったまま何事かとうろたえた。 「口にクリームついてんぞ」 「えっ」 俺が急いで口を拭くと、英紀さんはあっさり俺から手を離して階段を上っていく。 「浮気すんなよ」 「・・し、しませんよ!」 オマケみたいにそれだけ言って、英紀さんの足音は消えていった。 英紀さんは冗談に誤魔化したけど、きっと何か、俺に言いたかったんじゃないかと思う。今はもう俺たちを受け止め応援しようとしてくれてる両親たちに代わって、きっと、俺に甘えるなと釘を刺したかったんだ。 そうだよな。笑ってばかりいられない。 俺はいろんな責任を背負って生きなければならない。 俺のこの些細な手で、みんなの想いを背負っていかないといけないんだ。 受け入れてくれた親に甘えていてはいけない。 「一馬」 リビングから顔を出すが呼ぶ声で、俺は下に振り返った。 「戻っておいでって」 「ああ」 が階段下で俺を手招く。 俺はそのの元まで下りていって、リビングに入っていこうとするを後ろから、捕まえた。 「なに?」 「・・・」 甘いケーキとの匂いの中で、の背中に頭を寄せる。 すぐ傍から俺の名前を呼ぶの声。 その振動が背中から俺の脳へと伝わって、心地いい。 この感触。時間。やすらぎ。ときめき。 ずっと、守るんだ。 「コラー、イチャついてないで入ってこーい」 のお父さんがリビングのドアから覗いていて、俺はすぐにから離れた。その俺にはまたクスクス笑って、俺の手を引いてリビングに入っていく。 「おい一馬、ボール蹴れボール」 「はぁ?」 「お、やれやれ〜」 「や、やだよ、見せもんじゃないんだから・・」 「テレんなテレんなー」 「イヤだ!」 いつの間にか食卓を囲んで酒を飲み交わす親父同士が俺を肴に騒ぎ出す。 キッチンではもう悲しさなんて滲ませていないのお母さんが次々に料理を作って、その隣で母さんが手伝って、英紀さんも呼ばれて。 多くの人に支えられて、心配されて、励まされて、俺たちは生きている。 それはなんて、幸せなことだろう。 |