「さーくら咲いたらいちねんせー♪」 「卒業なんだけど」 「プロいちねんせー。ひーとーりーでーいけるかな!」 まだ咲いてもいない桜の木を見下ろして、結人は廊下の窓から手を外へぶらぶら下げてる。その隣には英士もいて、だけどふたりともみんなから少し離れて立っていた。 「あっちゅー間の高校生活だったよな」 「3人一緒なんて新鮮だったからね」 「そうそう!学校に英士と一馬がいるなんてスゲー変な感じだったよなー」 厳しい受験・就職戦争を乗り越え、3年生は久しぶりに学校に集い制服に袖を通した3月1日。進路決定の安堵を語り合いながら、胸に赤い造花をつけ、式までの時間をそれぞれに潰している。 「住むとこ決まった?」 「あー、やっぱ寮にした。かーさんがお前に自炊は絶対無理だって」 「俺もそれが賢明だと思うよ」 久しぶりの再会にみんな笑い合っていながらも、今日が高校最後の日だということをしっかり自覚しているみんなは惜しむように写真を撮ったり寄せ書きしたり。・・・それはもちろん、英士と結人も同じで、ほのかに漂うさみしさを垣間見ているのだけど、ふたりはまるで周囲に馴染まずみんなの騒々しさから外れていた。そこへ、近づいてくるいくつかの足音。 「なぁ結人ー、やっぱ真田こねーの?」 「あー、うん」 「なんでこないんだよ。せっかく卒業式だってのになー」 「・・・」 高校を卒業するということは、もう今までみたいに毎日会えなくなるということ。そりゃ卒業したからってそれっきりってことはないんだけど、それぞれの道が違えばやっぱりもう、二度と会わないような人もいる。 みんなそれを肌で分かっていて、でも頭では「どーせそのへんで会うんだろーなー」なんて笑い飛ばして。けど今日という日に、欠席者なんていなかった。 ただ一人、俺を除いて。 その時、英士のポケットの中で携帯電話が振動し、英士はそれを取り出し画面を見た。そのまま英士は通話ボタンを押しながら廊下の奥へと歩きだしてさらにみんなから離れていった。 「もしもし、一馬?」 「なにっ、一馬か!」 「え、何?よく聞こえない、今どこにいるの?・・・卒業式?まだ始まってないよ」 電話で話す英士から俺の名前を聞きとった結人は、英士に駆け寄って代われ!と耳元で騒いだ。けど英士はその声に耳を塞いで、構わず会話を続ける。 「分かった、先生にも言っとく。うん、気をつけて」 隣から電話に手を伸ばす結人から逃げながら、英士は俺の話を聞いて電話を切った。 「こら英士ッ、代われよ!一馬なんて?なんて?」 「こっち向かってるんだって」 「な、なんでっ?もう生まれたのか!?」 「まだだけど、まだ生まれそうにないから、卒業式行けってちゃんに言われたんだって」 「はぁっ?ちゃんはもー、それどころじゃないってのに…。あーもー!俺が気になって気になって胃が痛いっつーの!」 頭をぐしゃぐしゃ掻き乱し叫ぶ結人を置いて、英士は俺が学校に向かっていることを担任の先生に伝えに階段を下りて行った。 夏から季節は一転し、冷たい冬も乗り越え、のお腹はもう、その中にいる存在を立派に誇示していた。の不安は次第に希望へと移り変わり、あれから俺たちはずいぶんと穏やかに日々を過ごせるようになったのだけど、卒業式を目前に控えたきのう、はお腹の痛みを訴え病院に入っていた。 予定日にはまだ数日早かった。不安がるを何とか落ち着かせようと、俺もきのうからずっと付き添っている。時折訪れる痛みに耐えるを何とか助けようとするけど、でもやっぱり俺には何も出来ず、ただ離れないことしかできなかった。 そんな状況なのに、は今朝になって俺に卒業式に行けと言い出した。 「・・・え?」 「行ってきてよ、卒業式」 「は・・、何言ってんだよ、無理だよそんなの、行けるわけないじゃん」 「大丈夫だって、まだ産まれないよ。先生も、早すぎるから出来るだけ我慢しろって言ってたし」 「無理だって!こんなときに俺のことなんか考えんなよ。お前は自分のことだけ考えてりゃいーんだよ!」 「私は大丈夫、この子も大丈夫」 「大丈夫じゃねーよ、いいって俺のことは!」 次第に頻繁になる痛みが、どれだけ苦しいか。お腹に一つの命を宿していることが、どれだけ不安か。そのどちらも分からない俺に、少しでも分かってやりたい俺に、それでもはまたそんなことを言うのだ。 「行って、卒業式してきてよ。私も行きたかったんだから」 「・・・そうだけど、」 「大丈夫だもん、ちゃんと、帰ってくるまで待ってる」 「・・・」 お腹を押さえて、全身に汗を浮かべて、だけどは笑った。 迎える事が出来なかった卒業式。高校生活でも一番大事だっただろう3年目を、たった1学期で終わらせてしまった。 「・・・うん、わかった」 痛みを代わってやる事は出来ない。 だから、そう言ってやるのが、今の俺に出来ること。 「勝手にひとりで、母親になるなよな」 立ちあがって言うと、は声を出して笑った。 ぎゅっと握ってたの手を、惜しみ離して、俺は病室を出ていった。 俺はのお母さんに断りを入れ、急いで家に帰った。家にいた母さんに卒業式に行くことを伝えながら制服に着替え、車で学校に向かった。途中英士に電話して、卒業式に出ることを先生に伝えてもらったけど、学校に着いた頃には卒業式はもう始まっていた。 ガラス戸から覗いても練習とは違う、生徒も教師も保護者たちも厳かな雰囲気を感じる。俺はどうしたものかと悩んだが、静かにドアを開けて中に入った。式は卒業証書の授与をしているところで、それももう終わりかけで次々に名前を呼ばれる卒業生たちはほとんど起立していた。 静かに中に入った俺に気づいた先生が寄ってきて、胸に卒業の花をつけてくれた。そのまま自分の場所まで静かに移動するけど、俺に気づいた下級生が騒ぎ出して結局みんなの目を集めてしまっていた。もう隠れても意味がない、俺はさっさと自分のクラスのほうへ駆けて行って、途中ニヤニヤ笑ってる結人の近くを通ると背中をバンと思いっきり叩かれた。 「おせーよ真田」 「ごめん」 「うちのクラスの代表、お前だからな」 「えっ、なんで?」 「遅れてきたバツだよ」 「はぁ?」 自分の場所に立つと、前に立つ委員長からそんなことを言われた。 焦る俺を無視して、他のクラスメートまでそりゃーいいと後押ししてくる。 「でも俺、なんもわかんないし・・」 「舞台上がってもらって帰ってくるだけだって」 「いやでも・・、ええ?」 マ、マジで言ってるのかそんなこと。 必死に手と首を振る俺の抵抗も虚しく、とうとううちのクラスの全員の名前は呼び終わってしまい、代表として委員長の名前が呼ばれる中、最後の抵抗をする俺をクラスのみんなが通路へと押し出した。 「せんせー、真田に交代!」 みんなの前に出され、焦る俺の後ろで委員長が先生に小声で叫ぶ。 『卒業生代表、3年B組、真田一馬』 妙にノリのいい先生が、高々と俺の名を読み上げる。 突然の出来事に、同じ卒業生はもちろん後輩も保護者も先生までも、ざわつく前のほうに顔を伸ばす。まだうろたえる俺に、クラスのみんなは早く行け!と押し出して、とうとう逃げ道をなくした俺は仕方なく、壇上へと歩いて行った。 状況を理解して、みんながクスクス笑ってくる。俺は今まで、こういう表舞台には立たずにきたのに、最後の最後でなんだこの派手な目立ちようは・・・。卒業式という雰囲気もまるでぶち壊して、楽しそうな卒業生たちに見守られながら恥ずかしさを押し殺して、階段を上った。 すると、壇上に上がったところで席の方からピューッと指笛の音が響いた。 音に驚き目を向けると。ケラケラ笑うみんなの中心は結人で、それにつられてみんなが煽りだす。(バカ結人・・・!) そんな結人の仕打ちに一瞬顔を崩したけど、その周りの何百人という人にも気づいて、俺は前を向きなおし校長先生から証書を受け取り急ぎ舞台を下りた。でもやっぱりどうしていいか分からない俺に、クラスのみんながそこに置いてくるんだよとか、あっち回ってくるんだよとか声をかけてくれて、俺は無事、自分の席に戻ったのだった。 式なんてもう、出席しないと決めていたから、余計に緊張してしまった。 次の目次に進んでもしばらく心臓がドキドキ鳴り止まなかった。 その後、卒業式は元通りの空気で進んでいって、卒業生の挨拶のころには涙声も聞こえてきて、卒業式らしい雰囲気になっていった。 高校生活は、楽しかった。 英士と結人と、3人で一緒の学校に行くことにして、それと引き換えにとは別の学校になってしまって、多少なりとも不安を感じていた。年々サッカーも将来を踏まえた大きなものになっていくし、ついてくのに必死で毎日が流れるようだった。 それでも俺たちは毎日ここにきて、ここで会えるみんなと毎日を過ごした。 普遍的な日常も、たまの行事もテストでさえも、俺たちは俺たちらしく笑えていた。 その毎日に、英士と結人がいた。最初は歯がゆい感じがしたけど、楽しかった。 長かったような、あっという間だったような、3年間。 そりゃ、寂しいよな。 広島へ行く英士。大阪へ行く結人。 これから俺たち、本当に離れ離れだけど、だからこそ、この3年があってよかったと思う。 厳かに式は終わり、俺たちは最後のHRで卒業証書とアルバムを受け取った。 HRが終わっても名残惜しくて教室から出ない卒業生たちは、いつまでもみんなと別れを惜しむ。俺はクラスの女子に頼まれてなぜだか写真を撮られていた。入れ代わり立ち替わり、気がつけば他のクラスの女子までいて、まるで記者会見かと思うようなフラッシュに囲まれていた。 「へーイ卒業生代表ー!カッコ良かったぜー!」 からかいに来た結人が教室に入ってくると、女子たちは新たなエサを見つけて群がった。俺たちを並んで立たせ、再びフラッシュが光る。結人はあっさり空気に馴染んでピースなんかしてるけど、俺はどんな顔をすればいいのか分からない。そう思ってると今度は教室の前を英士が通りがかって、3度目のフラッシュの嵐が起こった。 並ばされる俺たちのうち、英士はやっぱり無表情だったけど、もうすでにあきらめているのかおとなしく撮られてやっていた。その後俺たち3人で学校を出て行くけど、今度は下級生に囲まれて身動き取れない状況に陥った。俺たちはそろって両手をプレゼントやら花束やらでいっぱいで、特に英士なんて持てないくらいの花に埋もれていた。 それでももう、から離れて4時間が経っていた。 心配になってきた俺は、みんなの中から抜け出て、悪いけど卒業パーティーも断って待ってくれてる車に急いだ。すると英士と結人も追いかけてきて、の病院に一緒に行くと言い出し、俺たちは車に荷物を詰め込んで学校を後にした。 「わっかーなくーん!」 「おっ、ちーちゃーん!卒業おめ〜!」 病院に入ろうとしたところで、俺たちと同じく制服の胸に花を付けた森野が結人に駆け寄ってきた。北高も卒業式が終わったころだったのか、森野は大きな花束をいくつも持っていた。 「ちーちゃんすげー人気じゃん」 「これは友達とか後輩たちがにってくれたの。気ぃ利くよねー」 「へー、ちゃん人望あんだねー」 「あー若菜くんと一緒に卒業式したかったよー!次生まれてくるときはぜったい一緒の学校いくからね!」 「気ぃー長!」 ゲラゲラ笑いあう二人の隣で、相変わらずバカなやつ、と呟いた俺の言葉を敏感に聞き取った森野はキッと俺をにらみあげる。まぁ、もういつもの事なんだけど。 「てかアンタは何ノンキに卒業式とか出てるわけ?いい身分だねー」 「るせーな、が行けっつったんだよ」 「ふーん、あいっかわらずバカみたいによく言うこと聞くんだねー。お利口な番犬だことー」 「誰がいぬだっ!テメーいちいち突っかかってきやがって、俺がお前に何したんだよ!」 「何がなくてもむかつくんだよっぶぁーか!」 「もーやめなって二人ともー。病院だぞー?」 相変わらずの俺たちは、おそらく死ぬまで罵り合うのだろう。 俺がと、森野がと、一緒にいる限りずっと、付きまとうのだ。 「ー、おみやげだぞー」 「あれ、みんな一緒だったの?」 「やーやーちゃーん、ベビーの調子はどーだーい?」 病室に入っていくと、は朝よりずっと穏やかな表情で出迎えた。 「いいのかなぁ、こんなのもらっちゃって」 「いーじゃんいーじゃん、気持ちだよキーモーチ」 「そーそ、ちゃんの人徳あってこそだよー」 「調子どう?」 「うん、今のところは」 「予定日いつだっけー?まだもうちょっとあんだよね?」 「うん」 の言葉はあてにならないけど、今のこの顔は本当に大丈夫そうだった。 よかった。もう分娩室ですとか言われたらどうしようかと思った。 「うそ、一馬が卒業生代表?」 「そーなの!一馬ってば緊張しまくってさ、手と足一緒に出てたもんなー」 「出てない!」 「あれ、気づいてなかったの?それでみんな笑ってたんだよ?」 「え、マジで?」 「信じないでよ、一馬」 「あははっ」 俺たちは、卒業式に出れなかったに、たくさん卒業式の話をした。 もう、申し訳ないなんて思わない。 ちょっとでも、俺たちと一緒にそこにいたように、思い出を分け合いたかった。 俺たちもさ、今度生まれ変わった時には、一緒の学校に行こうな。 誰もいなくなったら、そう言ってやろう。 そうやって、俺たちが盛り上がっている中、が少し目を伏せた。 そろそろくるころかとは思ってたから、俺は立ち上がっての体を支えた。 「痛むか?横になれ」 「ん・・・」 がもたれてるクッションを抜き、体をベッドに寝かせると、はお腹を押さえて痛みを耐えた。笑っていた結人も森野も心配そうに覗きこむ。はきっと「大丈夫」と答えたかったんだろう、けどその言葉も出せずに強く顔をゆがめた。 「大丈夫だよ」 俺はの背中を撫ぜながら、代わりに言った。 「大丈夫だよな、」 「・・・」 額に汗をにじませるは、苦しそうだけど、小さく笑った。 それから、の陣痛は頻繁になり、日が沈んだ頃に病室から運ばれた。 |