夏休みが終わって暑さも少しずつ治まってきたころ、選抜チームで初めての練習試合があった。


「・・・」
「どーしたんだよ一馬、そわそわしちゃって。せっかく先発で出れるんだから心配すんなよ」
「べつに、なんも心配してないよ・・・」
「じゃあ何」
「・・・今日、が試合見に来るんだよ」
「え、マジ?何だよー、スッカリ彼氏彼女だなー」
「森野付きだけどさ」
「いーじゃん、がんばっていいとこ見せなきゃね」


が俺のサッカーの試合を見に来るのは初めてだ。は家族ぐるみでサッカーとは無縁の生活を送っている。そんなが初めてサッカーの試合を生で見て、それが俺の試合なんだから、俺は公式戦以上にドキドキしていた。着替え終えたメンバーと一緒にグラウンドに出ていくと、見上げた観客席の中ほどにと森野が座ってるのが見えて、遠いながらにと目が合うと俺は小さく手を上げて、も小さく返した。


「あれー真田、もしかして彼女?」
「え!どれどれ?どれが真田の彼女だって?」
「真田に女ぁ?許せん!」


俺との小さなやりとりを目撃したメンバーたちが俺に押し寄せてきて、俺は「うるさいな」とはねのけるんだけどその状況を楽しむように結人が「あれが一馬のカノジョ〜」なんてを指さして煽るもんだから周りは余計に盛り上がってしまう。


「へーカワイイじゃん」
「俺は隣の子の方がタイプだなー」
「へっへー無駄無駄!千秋ちゃんは俺の熱烈ファンだからー」
「・・・結人、一応言っておくけど森野彼氏いるぞ」
「え!!うっそぉ!」


森野の本当の姿を知らない結人は極端に驚いて青ざめていた。森野にはちゃっかり彼氏がいる。というか最近出来たらしい。結人には相変わらずキャアキャア言うけど、思いっきりファン心理なんだろう。

そんな風に騒いでるとベンチからコーチの怒鳴り声が響いて俺たちはそそくさと練習に戻った。しばらくの練習を終え、試合開始が近づいた俺たちは監督の元に集まり、その後先発メンバーはピッチに出ていく。


「真田〜、ボール集めてやるから決めろよ〜」
「彼女にいいとこ見せたれー」
「う、るせぇな、俺はあいつがいなくてもキッチリ決めるんだよっ」
「あいつだって、かぁっこいい〜」


周りに冷やかされながら俺はボールの前に立ち、みんながフィールドに散らばっていく。試合開始のホイッスルが鳴って、ボールをタッチすると早々にゲームは進んで最初のチャンスがやってくる。


「真田ぁ!」


サイドから上げられたボールがゴール前に通り、ディフェンダーをものともしない鳴海がヘッドでボールに合わすのだけど、そのままフリーで切り込んだ俺にボールを流し俺はそのボールに走りこんだ。だけどボールは俺が触れる前にキーパーに弾かれて外に毀れスローインとなる。


「こら真田!俺がわざわざ見せ場作ってやったのにしっかり決めやがれ!!」
「うるせっ!」


ゴール前で練習してきたフォーメーションの位置に場所を取り合っていると鳴海にバシッと叩かれた。なんかこいつ、いつになくなれなれしい気がする。他のメンバーだっていつもはそんな声掛けてきたりしないのに、なんか今日はやたらとニヤニヤ笑顔を向けてくる。

確かに、が見てると思うと気になってしまって、ヘンに緊張してしまう。いいとこ見せたいし、サッカーをわかって欲しいという思いもあるし、なにより、カッコいいとか、やっぱ思われたいし・・・


「一馬!」


ラインからボールが投げられてボールを取った英士からパスを受け取って俺はゴールに向う。ディフェンスをひとり抜いてキーパーと向かい合いながらもゴールしようとするけどコースを阻まれ、逆サイドに結人が見えたからボールを一旦外に出しマークを引きつけていると結人は外からそのままシュートした。だけどボールはギリギリキーパーに遮られ、でも俺はそのこぼれたボールを見逃さずに走り込みゴールに押し込んだ。


「よーしゃ!ナイス一馬!」
「よーし真田ぁ!やりゃあ出来んじゃね〜か!」
「えらそーに」
「ナイス真田!このまま行こうぜ!」


ゴールに沸き立つメンバーとタッチしてみんなが陣地に戻っていく。
その途中で俺は小さくフィールドの外を見た。
大きく拍手してる森野の横でもうれしそうに手を叩いていた。

やった。

その後試合は後半に1点返されたけど、水野が1点加算して結果2対1で勝った。その後もう一試合行われ、俺は出なかったが3対1で快勝した。試合後監督にいくつか問題点を挙げられたけど、俺は得点できたし、内容はそう悪くはなかっただろう。


その日はその場で解散となり、みんな帰りの支度を終えるとフィールドから出てバス停に向かった。競技場から出ると少し離れたところにと森野を見つけ、近寄っていこうとすると俺よりも先に結人が走っていった。


「ちーちゃーん!彼氏出来たってほんとー?!」
「えっ、ちょっと真田!余計なこと言わないでよ!」
「ほんとのことじゃん」


なんで俺にキレる。結人と森野は相変わらずのふたりでバカ騒ぎして、森野なんて「大丈夫!若菜君のほうが好きだから!」なんて言ってる。それってどうなんだ。そしてそれに喜ぶ結人もどうなんだ。ワケわかんねぇとこぼしながら俺はの傍に近づいて行った。


「試合、どーだった?」
「ルールはよくわかんなかった」
「そっか」
「でもカッコ良かった」
「え、俺が?」
「っていうか、みんな」
「・・・あ、そ」


がっつり外された期待にあからさまに肩を落とすと、計画的かと思うほどは笑った。

みんなって、もう少し、こうさ・・・


バス停の前で森野は結人と一緒に他のメンバーたちまで巻き込んで楽しそうに騒いでいた。あいつのノリはほんと結人と似てるから二人揃うとまるで兄弟のように見える。結人も森野ほど気兼ねなく騒げる女はそうそういないと言っていたことがあるし。

それを見ながら俺とは、少し離れた花壇に座ってバスを待っていた。
言ってみれば、俺ともある意味似てるかもしれない。ああいう騒がしい大勢の中にはなかなか、混ざれない。


「あ、俺汗臭い?」
「ううん」
「暑かっただろ」
「大丈夫」
「今はまだ、ちょっと忙しいけどさ、休み出来たらどっか行こうな」
「うん」


俺たちは、一緒に帰ったりふたりで出かけたりするようになって数ヶ月が経っていた。それなりに時間は経っているものの、まだどこかぎこちないというか、二人の空気にまったく慣れてない。・・いや、は時間が経つにつれ当たり前に慣れていっている。俺だけまだどうもあたふたしてしまう時があって、俺はちょっと悔しい。


「一馬」
「え?」
「バス来たよ」
「ああ・・・」


遠くからバスが近づいてきていて、は立ち上がって俺に振り返った。
ぼうっとして立ち上がらない俺にどうしたの?と覗き込む。

俺はに手を差し出した。は最初きょとんと首をかしげて俺を見つめるけど、俺のその手に手を合わせ俺の手を引っぱった。その手に引かれて立ち上ってそのままバス停に歩いていく。


「真田テメーいちゃついてんじゃねー!」
「走って帰れ!」
「うるせ!」


バスの中からメンバーの冷やかしの声が飛んできて、俺はさりげにつないだ手を背中に隠してバスに乗り込んだ。後ろのほうの座席にいる結人と森野、あと窓辺の英士がいるほうに寄っていって、英士はを見るのは初めてだったから一応紹介した。英士は小さく会釈をする程度で、も同じくらいささやかな挨拶を返すだけ。思えば英士ともどこか似たところがあるかもしれない。


「じゃあねー真田、のことよろしくー」
「あ?お前らどこ行くの?」


行き着いた駅からホームに入っていこうとすると、結人と森野は駅には入らずに別方向へ歩き出した。どうやら二人でカラオケに行くそうだ。そのまま二人は街中へ消えていき、英士と3人でホームに入ると別方向の英士とも別れ俺たちは帰りの電車に乗り込んだ。


「ていうかさ、森野はいいわけ?結人と遊びに行って」
「彼氏?一応付き合う前に言ってあるらしいけど。若菜君は特別だって」
「なんだそれ。それでいいのかよ」
「それでもいいから付き合ってって言われたんだって」
「ありえん。俺なら絶対許せない」
「なにが?」
「・・彼女が、他のやつと二人で遊びに行くとかありえないだろ。誰かにキャアキャア言ってる時点でもう、無理」
「それ、あたしに言ってる?」
「そーじゃねーけど・・・」


そんなつもりはない。はそんな事絶対ないだろうから。
でもまぁ、ひとつの俺の考えとして。だって許せないだろ、そんなこと。
・・・そんな、ただの想像だけでどこか不機嫌な俺を見ては笑った。


「なんだよ」
「べつに」


じゃあ笑うな!
そうを軽く叩いても、は何がそんなに面白いのか、ずっと笑ってた。

降りる駅に着いた俺たちはまたバスに乗り、俺は自分が下りるバス停を飛ばしてを家まで送っていこうとした。


「いいよ、疲れてるでしょ?」
「全然。練習よりずっとラクだし」
「そんなもんなんだ」
「来月も試合あるけど、来る?」
「来月は、ちょっと無理かも。ピアノのコンサートあるからずっとレッスンだと思う」
「コンサート?そういえばがピアノ弾いてるのってちゃんと見たことないな。見てみたい」
「え、ヤダ。なんか緊張する」
「いーじゃん。見たい」
「ヤダヤダ」
「なんでだよ、俺だって今日めちゃくちゃ緊張したっての」
「私が見てるのはいいの。逆はヤダ」


頑なに首を振るはそれでも笑って、森野や、学校にいる時とは全然違う顔で隣にいた。やっぱり俺たち、それなりに一緒の時間を過ごしているんだ。俺がに対する想いを募らせるのと同じくらい、が俺に気を許しているのがわかる。

ああ、カワイイなぁ。
この手を離したくない。


俺たちの話は尽きなくて、ずっとしゃべっていたらの家の近くのバス停について家まで歩きだした。すぐにの家について、とうとう離れなきゃいけない時が来る。


「ありがとう。気をつけてね」


は、もっと一緒にいたいとか思わないのかな・・・
もっと手をつないでいたいと思わないのかな・・・


「あの、さぁ・・・」
「ん?」
「も少し、一緒にいたい・・」
「・・・」


言った後でドキドキしてきた。
引かれたかな・・・


「じゃ、ちょっと上がってく?」
「え、いいの?」
「うん」


に誘われて初めての家に入った。家にいたのお母さんに挨拶して、の部屋に入った。のお母さんは夏休み前の面談の時に一度会ったことがある。


「あ、やっぱピアノ」
「でも電子だからあまり使ってない」
「やっぱあのでかいのとは違う?」
「全然違うよ。学校のピアノのほうがまだ練習になる」
「サッカーとフットサルくらい違うのかな」
「フットサルって?」
「サッカーの縮小版みたいな。なぁなんか弾いてみてよ」
「えー」


照れてるに何度も頼むと、はしょうがないなとピアノを開けて椅子に座った。俺もその隣に座って鍵盤の上に置かれるの手を一緒に見下ろす。何にしよっかなとはつぶやきながらランダムに音を鳴らす。俺にはそんな適当な音でさえ立派な音の並びに聞こえてすごいと思ってしまうのだけど。

そしては静かに旋律を奏ではじめた。
ピアノの音って不思議だ。ピアノ演奏とかクラシックとか、まったく聴かない俺でさせ聞き入ってしまうから。

の音を聞いていると、初めてのピアノを聞いたときのことを思い出した。まだ俺たちが2年のとき、休み時間に通りかかった音楽室の前でピアノの音を聞いて、ドアの窓から覗くとピアノの前にはが座っていた。

が連ねる音は、一人で弾いてるとは思えないくらいに音が重なって重厚に響いていた。比較的片付いた、物が少ないこの部屋に色を持たせるような。弾いているも、この世の雑踏全てが他人事のようで、この場所は誰も踏み込めない聖域のように感じた。

こんな傍で聴いていると、飲み込まれそうになる。
心にしみるとか世界に引き込まれるとか、そんな純粋な感動だけじゃなくて、むしろ何かに追い詰められていくような、急き立てられているような、力強い深さを思い知らされるような。

なぜだか心を締め付けられる・・・


「一馬?」


戦慄の合間に俺を覗いたの声に、俺はどこかへ遠のいていた意識を取り戻す。


「どうしたの?」
「や、なんか、聞き入ったっていうか、胸に詰まったというか・・・」
「なにそれ」


この胸にこみ上げた気持ちをうまく言葉にすることは出来ず、だけど確かに込み上げてくる感情が俺の意識を朦朧とさせて、零れ落ちそうになるのをぐっと我慢した。


「一馬って、繊細だよね」
「え?」
「何でもすぐ感動しちゃうし、サッカーやってる時は強い感じだけど、ボール蹴ってる時ってすごく丁寧だし」
「・・・そーかな」
「カッコ良かった」
「・・・俺が?」
「うん」
「・・・」


隣で微笑むをいつも以上に近くに感じた。
恥ずかしがってか目を逸らしがちにだけど笑顔を見せるに、そっと手を伸ばした。

今、ものすごく触れたい
近づきたい

そう、一番近くで目を合わせながらの頬に指を当てると、の眼も俺に合わさって、ちょっとためらって揺れる。その眼にぐっと胸を締め付けられる。触れる直前まで騒いでた心の中は、触れた途端に水を打ったように静まった。


の前にいると、俺って心底、男なんだなって思う。
今まで当たり前に思っていたけどどこかわかっていなかったこと。

といると、いろんな事がわかってくる。発見できる。ふたり一緒に時間を過ごすということは、すべてが初めてで、どれもが輝いて、それは他の何にもかけがえのないことなんだとわかる。


俺にとってがそうあるように
にとって俺も、そうあればと思う。










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