毎日毎日寒い日が続く。
息が白い。まるで魂が抜けて空に召されるようだ。
毎日毎日北風が吹く。
俺の心に開いている穴の中を吹き抜ける。
ああ、寒い日が続く。あの日からずっと・・・


「わっかなくーん!」


学校帰りに結人と街中を歩いていると、遠くから聞き覚えがあるやら振り返りたくないやらな声が聞こえてきた。そうして振り返った油断しまくりな結人に激突してきたのは、やっぱり、久々森野。


「うっわービックリしたー!千秋ちゃん?久しぶりー」
「ひっさしぶりー!もー全然会えないからチョーつまんない!遊びに行こーよー」
「今から?どーする一馬」
「なんで今更森野と遊びになんか行かなきゃなんねーんだよ」
「なんだ。いたの真田」
「てめ・・・」


結人を前にキラキラしてた森野はがらりと一転。
久しぶりに会っても、相変わらずなヤツだった。

あれ以来、と離れて以来、もちろん森野とも会うことはなくなった。
森野はと同じ学校に行ってるから、今も変わらずあの時のように毎日一緒にいるんだろうけど。


「相変わらず仲いーんだ。真田はいーよ。ねぇ若菜くーん、今度デートしよー」
「デートって、千秋ちゃんカレシいるんじゃないの?」
「だからずーっと言ってるじゃん。若菜君が付き合ってくれるならいつっでも別れるって。ね、若菜君は今彼女いないよね?」
「バーカ。んなわけないだろ」
「アンタは黙っててよ」


森野のこんな態度は相変わらずだと思ったけど、今の森野は今まで以上に俺に対してツンケンしていた。


「どーしたの千秋ちゃん、なんか怒ってない?」
「怒ってるよ。すっごく」
「なんでだよ」
「教えるかバカ」
「なんなんだお前は!」


見るからに不機嫌な森野は、俺とは口も利きたくないといった感じで突っぱねた。
上等だ、俺だってお前に話すことなんかなんもねぇっつの。


「じゃー若菜君、メールするから絶対遊んでね」
「ああ、うん」


結人に手を振って、森野は俺に向ける顔とはまったく表情を変えて笑顔で去っていった。

森野と話したいことなんてない。
あいつには用はない。だけど、


「森野」


歩いてく森野を呼びとめると、森野はゆっくり振り返って、とてもあいつとは思えない静かな顔で、俺を見た。


、どうしてる?」
「・・・」


やっぱり、森野が俺に怒ってる理由なんて、それだけだよな。


「そんなの聞いてどーすんの。真田にはもう関係ないんでしょ」
「・・・」
「あの、千秋ちゃん、一馬はずっとちゃんのこと気にしてるんだよ」
「じゃあなんで会いに行かないの?なんでほっとくの?」
「なんでって・・・、別れたいって言ったのはで、」
「別れたいって言われたらあっさり別れちゃうんだ。だったらあっさり忘れればいいんじゃないの」


そう言いきって、森野はまた歩きだす。


「森野、お前なんか知ってんの?なんであいつが急に別れるって言い出したのか」
「だったら何」
「教えてくれよ、なんで急にあんな事言い出したのか」
「だから、それ聞いてどーすんの。本人から聞き出す根性も無いくせに、戻れたらいーな程度に思ってるんならさっさと忘れて新しい女でも作ってろ!」
「・・・」


ドクンと血が巡るように森野の言葉は全身に響いた。
確かに、何が何でも理由を知りたいのなら、どうにかしたいのなら、どうとでも出来たはずだ。それが出来なかったのは、またあんな思いをするのが、怖かったから・・・。

また、あいつに拒否されるのが怖かった。
はっきりと、俺は必要なくなったと言われるのが、怖かった。


「でも、ちーちゃんが一馬にそんなに怒ってるってことは、また二人に戻ってほしいって思ってるからじゃないの?」


俺のすぐうしろで結人が言ったことに、森野は消してた表情を取り戻して、目を移ろわせた。


ちゃんが一馬と別れてもう普通に暮らしてるってなら、ちーちゃんだってそんなに一馬に怒らないだろ。ちゃんがまだ一馬のことで悲しんでるから、ちーちゃんだって、一馬に怒ってるんじゃないの?」
「・・・」
「森野、あいつなんかあったの?」
「・・・」


うつむく森野に近づいて、口を開かない森野をもう一度呼んだ。
森野は、言いたいけど、踏ん切りつかずに我慢してる、と言った感じだ。


「なぁ森野、」
「真田は・・・」


俺の言葉に重なって、やっと森野が口を開いた。


「真田は、戻りたいの?」
「・・・ああ」
のこと、まだちゃんと好き?ほんとにちゃんと、のこと思ってるの?」


がなけりゃ、俺なんて・・・


「ああ」


別れた直後は色々なことを考えすぎて、責めた事もあったし、忘れようともした。いろんな思いに潰されそうになって、苦しくて、そんな時に楽にさせてくれるのは、思い出の中のだけだった。

俺は今でも、が好きだ。
好きじゃなくなったことなんて、一度もない。
あの時、遊園地で、一番最初にあいつにそう言った時のまま、あの時と同じ気持ちのまま、強く言える。

俺はが好きで、必要なんだ。
結局は、それだけなんだ。


がまだ、真田のこと好きなのかはわかんないよ」
「・・・うん」
、真田の話したがらないし。それでも会いたい?」
「ああ」


森野はまた考えた。
でもそのときの顔はさっきまでの怒っている顔じゃない。
森野は考え込んで、だんだんと、目に涙を溜めて・・・。


「真田・・・」


森野が噛み締めた口で、俺を見る。


を助けてよ・・・」


泣きだす森野が怒るように、すがるように、俺に訴えた。


「なんだよ、何があったんだよ」
「お願い、のこと助けてよ・・、あたしじゃ、もうどうしていいかわからないんだもんっ・・・」
「・・・」


泣き崩れそうな森野を結人が慰める。

に何かあったんだ。
森野でもどうすること出来ないくらいの、何か。


「話せよ森野、俺ならなんだってするよ」


俺がそう言うと森野は俺を見上げて、目に涙をいっぱいためて、また泣きだした。







、真田と別れる前から様子がおかしかったの。真田と会えないからかなって思ってたんけど、に聞いたら、最近昔のことをよく思い出すって言ってた」
「昔の事って?」
「お父さんとお母さんが、死んじゃった時のこと」


森野と一緒に、俺たちはの家に向かっていた。
は嫌がるかもしれないけど、今ののことは会わなきゃ分からない。
森野がそう言って。


「なんかね、小さい時にあったことって、覚えてなくても頭のどこかには絶対に残ってるんだって。それが何かのきっかけで急に思い出すことがあるんだって。は、夏休みくらいからだんだん学校休むようになって、心配で家に行ったら、最近小さい時のことをよく夢で見るって言ってた。そしたらだんだん外に出るのも怖がってって・・・」
「・・・」


そんなの、俺聞いてない・・・
あいつは俺にそんな事一言も・・・


「私も、なんで真田に言わないのって言ったんだけど、その時真田、選抜?とかで忙しいって言ってたじゃん。それでが絶対ダメって言って、でもは真田に頼りたかったと思うんだ」
「ああ、夏ごろって言ったら、一番忙しいくらいの時だったもんな」
「・・・」


だからって、一人でそんな事抱え込んで、俺ってなんなんだ?
俺は何があっても何でもに話してきた。
なのには、辛いことを、なんで俺に言わないんだ。


「真田と別れた後はね、だんだん落ち着いてったの。落ち着いたっていうか、それまではずっと苦しそうだったのが、もう何も考えなくなったっていうか、話しかけてもあんまり反応しなくなっちゃって・・・。ごはんも食べないし、私もの家族もどうしていいかわかんなくてさ・・・」


バスの窓の向こうの景色は、いつもの家に行っていた時に見た景色だった。
が近づいると思うと、だんだん心臓の音が大きくなっていく。
そのままの家について、インターホンを押すとのお母さんが出てきた。


「チィちゃん、来てくれたの?・・・あら、一馬君?」
「どうも、お久しぶりです」
「ええ・・・」


俺ものお母さんとは何度か面識がある。
初めて会ったのは、中3の時の三者面談だったっけ。
俺の母さんも一緒に顔を合わせた。
品のある、優しい人だと思った。


「おばちゃん、真田をに会わせていい?」
「え・・、あ、ちょっと待ってね。今お医者様が来てるの。先生に一度相談してからでいいかしら・・・」


おばさんは不安げな顔で俺を見て、俺たちをリビングに通した。


「ちーちゃん、医者って?」
のかかりつけの先生。小さい時から診てもらってる人なんだって。精神科の先生でカウンセリングとか、あとごはん食べないから点滴とかしにきてくれてるの」


カウンセリング・・・、そこまで・・・


しばらくすると2階からおばさんと、男の人が下りてきた。
精神科の医者だというその人は、想像してたよりずっと若い感じだった。


「君か、一馬君」
「え?あ、はい。なんで俺・・・?」
「時々ちゃんが話してくれるからね。写真も見たことあるよ」
「そう、ですか・・・」
「今のちゃんの話は聞いたのかな」
「はい、少し」
「じゃあちょっとはっきりと言わせてもらうけど、君に今のちゃんは重荷だよ。ちゃんの治療は薬で治るものでもないし、今治ってもまたすぐに再発するかもしれない。完治することがないんだ」


完治することがない・・・
俺じゃ、支えになんてならないってこと・・・?


「だけど、今のちゃんが一番求めてるのは、やっぱり君だと思う。だけど一番恐れてるのも君の存在だ。君はそう言うこと全部覚悟の上で、それでも会いたいかい?」
「・・・」


俺を求めていて、それでも俺を怖がってる・・・
先生の話は難しくて、すぐに理解できなかった。


「はい、会いたいです」


だけど、なんとなく、わかる。
が俺を、必要としてくれてるっていうだけで、十分だ。


「でも先生・・・」
「彼に会う事でちゃんにどんな変化があるかは、分かりません。元気を取り戻すかもしれないし、苦しんでしまうかもしれない」
「そんな、何かあってからじゃ・・・」
「だけどそれは今のちゃんでなくても起こる事です。人間ですから、人と付き合っていれば必ず何かが起こる。誰もが通る道です」
「そうですけど・・」
「ただ、今のちゃんにそういういろんな事を受け入れるだけの力と、心の余裕があるかどうかという事です。私は今は、より多くの人がちゃんを必要として、大事に思っているという事を理解させることが1番だと考えます」
は、そんなに酷いんですか・・・?」


先生は俺に視線を変え、また静かに話す。


ちゃんは今、他人と親しくなることを恐れてると思うんだ。家族や千秋ちゃんには普通に接する事が出来ているのに、どうして君にはこんなにも恐れているのか。どうして君とは完全に関わりを断とうとしたのか。それはやっぱり、君が他の人とは違うからじゃないかと思うんだ」
「俺が、他とは違う・・」
「そう。家族や友達ももちろん大事なものだけど、男女というのは他の何とも違う気持ちがある。幼いころに両親を亡くしたことで、人は突然にいなくなるということを植え付けられて、だから一番近しい人に置いていかれることが他の何よりも怖いんだ」
「・・・」


―そんなの、いつか重くなるよ・・・


あの時、はそう言った。
失うことを恐れていた。だから自分からいなくなった。
置いていかれるのが怖かった。だから全てを無かったことにした。


「じゃあ、俺がずっと傍にいればいいんだ」
「・・・」
「俺が嫌になったとか、別れたかったわけじゃなかった。なんだ・・・」


俺には、周りが何をそんなに不安がっているのかも疑問なくらいだった。
俺はずっとに会いたかった。ずっと一緒にいたころに戻りたかった。
それがあいつの望みなんだ。それがまたこの先も続いていけるんだ。
ただ、それだけのことだ。

俺はずっと考えてた。俺があいつに何かしてしまったのか。
何か不安にさせたのか、嫌な思いをさせたのか。
俺を、嫌いになってしまったのか、って。
俺はまだ、こんなにも思っているのに。

なぜ今、目の前にあいつがいない。
なぜ、この手に届く場所にがいないんだ。
目の前に暗い暗い影が現れても、俺を照らす光があるなら怖くないのに。
苦しい事が待ち構えていても、がそこにいれば俺は乗り越えて行ける・・・。

俺がずっとの傍にいればいいんだ。
そんなの、願ったりだ。ただ、それだけのことだったんだ。


さん」
「・・・」


先生の言葉に、のお母さんは決心を固めたように頷いた。
そして俺をの部屋に通してくれた。
の部屋の前で森野が祈るように手を握って、結人がガンバレと拳を握ってた。

カチャ・・・

の部屋のドアノブを、少し震える手で回した。
日当たりいいはずの部屋は完全にカーテンが閉められて、少し寒い。

でも懐かしかった。俺がここにいたのは、そんなに前の事じゃないのに。
は、部屋の隅のベッドの前に座り込んで、それに寄りかかって目を閉じていた。眠っているのか、出窓から射す弱い光がを照らしていた。


「・・・」


は、ゾッとするくらい細くなっていた。
顔も体も白くて、今にもこのささやかな呼吸が止まってしまいそうだった。
そんなを見て、俺は泣きそうになるけど、飲み込んだ。

ああ、だ・・・
あの日、手を離してしまった、・・・


「ー・・・」


の傍に寄って、のすぐ目の前にしゃがみ顔を覗き込んだ。
力なく垂れる手に手を添え、すると、はゆっくりと目を開けた。


?」
「・・・一馬・・・」


の声だ。
の口が、また俺の名前を紡いだ。


「一馬がいる・・・、夢かな・・・」
「・・・夢じゃないよ」


ぽつりと聞こえないくらいの声で話すはまた静かに目を閉じた。
だけど確かに、しっかりと、俺の手を握り返したんだ。
俺は震える手で、の頬に当てた。

もう駄目だ、泣きそうだ・・・


・・・」


俺の声に耳を澄まして、はゆっくりと睫毛を滲ませて、そこから溢れた雫がぽとりと頬を伝い落ちていった。

俺はを起こさないように、
痛くないように、苦しくないように、悲しくないように、
そっと寄り添って、静かに泣いた。

を壊してしまわないよう、力いっぱい抱きしめたい気持ちを必死で押し殺して、精一杯そっと寄り添った。


2月の弱い太陽が、泣けるほどあたたかかった。










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