ったら、ちょっと一馬君が来るのが遅いと階段で座り込んでるのよ」


家に入ると先生がいた。それからとお父さんとお母さんとで遅い夕食を囲んむこととなり、俺はとてつもなく緊張した。だってこんな事は初めてだし、しかものお父さんまで一緒なのは、そうそうない。


「一馬君、これからはうちでごはん食べて行ってね?いつも帰り遅いから」
「いやそんな、」
「その方が気が休まるのよ。一馬君にはどれだけお礼言っても気が済まないわ」
「いえ、礼なんて」
「一馬君はすごいんだってね、に聞いたよ」
「え?」


先生と晩酌を交わすの父さんが突然話を変えてきた。
の父さんと顔を合わせるのは初めてではないけど、面と向かっては初めてに近い。かなり、焦る。


「サッカーの若い世代の日本代表なんだって?プロ目指してるんだろ、すごいなぁ」
「はい、・・あ、いえ、そんなことないです」


多分俺テンパってんだろうなって、自分でも分かった。
はいだかいいえだか、たった二つの受け答えすら迷ってる。
妙に堅くなってる俺を、隣ではは隠れて笑っていた。このやろう・・・。


「一馬君、どうしたの?その額のケガ」
「あ、これは練習中にちょっと、接触して下敷きになっちゃって」
「やっぱりハードなんだね。練習ってどのくらいしてるの?」
「学校帰りなら2時間くらいで、今は大会が近いんでちょっと遅いだけです」
「それでもクラブチームなんていったらハードそうだしね。ちょっと体、診ようか。顔色もあまり良くないし」


食事を終えて、先生が俺の体をいろいろ診てくれた。
そういや顔色良くないって、英士にも言われたっけかな。


「少し疲れがたまってるね。適度に体を休めないと、そのうちまとめてどっとくるかもしれないよ」
「そうですか?そんなに感じないですけど」
「練習中は?体が重く感じたり、眩暈したり」
「はぁ、そんなには」
「そんなにって事は少しはあるんだね」
「あ・・・」
「自分の体もしっかり見てないと駄目だよ。大事な体なんだから」


ここのところ、みんながそんなことを言う。
そんな俺は無理してるように見えるのかな。ほんと全然、なんでもないんだけど。


「ほんと、大丈夫です。が元に戻ってくほうが嬉しいし」


夕食の片づけをしていたが、終えてパタパタと俺の元まで来て一緒にリビングを出ていった。の部屋に入って、俺はやっと息を抜いてをぎゅっと抱きしめた。
あー、癒されるー。


「あー、すげぇドキドキした」
「そんなにお父さん、緊張する?」
「するだろ、ふつー」


そりゃ彼女の家族には気に入られたいものだけど、だからっていきなりの家族の食事に混ざるのはなかなか勇気が要る。やっぱ二人でいるのが一番落ち着く。腕の中のに寄り添いながら、いい匂いのする髪に息を吸い込みながらキスをした。

離れて目を合わせるとがふふとかわいく笑う。
うりゃと額をぶつけてまたキスをして、何回でも繰り返した。

やっぱ、疲れなんかない。すごく落ち着いた気分だ。
がこうして笑ってるんだから、幸せでないはずがない。


「一馬」
「ん・・・」


の声がすぐ耳元で生まれる。
少し前までは絶望くらいに思ってたのに、今は手を伸ばせばすぐそこにいる。
何度キスしても足りない。
痛いほど抱きしめても満足できないくらい、側にいたくて仕方なかった。
キスをする口が頬に、耳に、首元に落ちていく。
抱きしめる肌が気持ちよくて、触れられるところすべてに触れていたかった。


「一馬・・、」
「・・・」


ああもう、このまま・・・


「っあー!」


だけど俺は全力でその手を止めて、ガバッとの肩を押し離した。
そうでもしなきゃ、渾身の力を込めなきゃ、から離れられなかった。


「あーもー、やべぇ!」


なんとかから離れて、距離を置いて背を向ける。
遅くなった上に食事までもらったからもう11時を回っていた。
もう帰らないといけない時間だ。


「・・・今度、どっか行こう」
「え?」
「たまには外に行こう。ふたりで」
「うん」


が笑った、良かった・・・。

とは、キスまでじゃなく、それ以上だってしている。
その時の感覚があるから、余計に頭がおかしくなりそうだ。
でも俺はそんなことをしに、ここへ来てるんじゃないし、それに万が一、今のにムリに触れて、が壊れでもしたらどうしようもない。今は、がもうぜんぜん大丈夫だってくらい元気になるまで、我慢しないと・・・。



クラブ大会が近づいて、遅くまでの練習も連日続くようになる。
俺の体は思いのほか軽く動く。やっぱ疲れてなんかない。ボールもよく見えるし調子もいい。レギュラー復活も時間の問題だろう。


「一馬いい感じじゃん。なんかあった?」
「べつにねーよ」
「さてはちゃんと・・・」


卑猥な顔をして近づいてくる結人に頭からドリンクをかけてやった。
こいつがこんな顔をするときは、考えてることなんてひとつだ。


「冷てーな!何すんだコラー!」
「下品な事言うからだ」
「なんだよ、お前だって考えてるくせに!」
「考えてねーよ!」
「考えないよーにしてるんじゃないのー?言い聞かせないと押し倒しちゃうから」
「もっとかけられたい?」


ぎゃあぎゃあとふざけあってると、隣にいた英士が黙って離れていった。
それに気づいた俺と結人は顔を見合わせて、英士を追いかけた。


「なんだ英士」
「べつに」
「べつにって顔じゃねーよ、怒ってんの?」


そんな顔と声でべつになんて、何もないわけないじゃないか。
なんだよ、と繰り返し聞くと、英士は俺に振り返った。


「一馬、最近呼んでも返事しないよね」
「え?」
「自分が体調悪いの分かってんの?膝がフラフラしてるの気づいてるの?」
「だから、そんな事ねーって」
「どこ見て走ってんの?お前はフォワードだろ、ボールをもらいにくるな、ゴールに走れよ」


英士がめずらしく怒ってる。
いつもそう表情を変えないけど、これは怒ってる時の顔だ。


「自分のことも分かってない奴が調子いい?笑わせないでよ」
「英士、一馬は今大変なんだからさ・・・」
「俺は一馬の彼女に義理なんてないから言うけど、そんなに彼女に構ってる場合じゃないんじゃないの。レギュラー落とされたんだよ、分かってるの?今のままじゃ選抜も生き残れないよ」
「・・・」
「お前の夢は何だよ、何のためにサッカーしてるんだよ。気の抜けたプレーするな、サッカーを二の次に考えるならフィールドから出てけよ」


そのまま、離れていく英士に、何も言い返せなかった。
英士の言った事は、俺が今まで心の奥のほうに押しこめてきたものだった。
疲れてるなんて思ったら駄目だ、すぐに体に出てしまう。
そう思ってひたすら前だけを見ていた。


「・・・」


体がだるい・・・
脚が動かない・・・


「一馬?」


地面が遠い・・・、ライトが眩しすぎて目が見えない・・・。

あれ、空が下にある・・・


「一馬!!」


結人の声がする。


「一馬?」


英士が見える。


「・・・」


あれ、何も見えなくなった・・・



・・・



「・・・」
「一馬?」
「あ、一馬!」


なんだか騒がしい・・・、どこだここ?
重くてうまく開かない瞼をゆっくり開けると、結人と英士が見えた。


「・・・何、どーしたの・・・」
「どーしたじゃないよ、急にぶっ倒れてさぁ・・・」
「もう、だから言ったのに、なんで倒れるまで気づかないんだよ」
「・・・ここどこ?」
「ここ?病院。お前救急車で運ばれたんだぞ」


きゅ、救急車!?


「しまった・・・、人生初の救急車の中見そびれた」
「はぁ?っこのバカ!」
「一馬のお母さんさっき電話しに出てったよ。先生呼んでくるね」


そう言って英士がカーテンに囲まれたここから出て行った。


「今、何時?」
「起きるなって、今10時半」
「10時半?」


しまった、に連絡しないと、また泣いてしまう。


ちゃんならもうすぐ来るよ。電話したから」
「え、に?」
「うん、ケータイ勝手に使わせてもらった。電話しといたほーがいいと思って」
「ああ、ありがと」


その後、医者に疲労と栄養不足だと言われた。
母さんに殴られた。

それからしばらくして、がお母さんと一緒に俺のところにやってきた。
ベッドを囲むカーテンの外で、のお母さんが俺の母さんに謝っているのが聞こえた。はやっぱり泣きそうな顔をしていて、俺の傍まで来るのも怖がって近づけないでいた。


「一馬、大丈夫・・・?」
「ああ、平気だよ、気にすんな」


涙をためてくに、ヤバいと思ってそう返すけど、その俺の後ろから英士が俺の頭をグーで殴ってきた。


「いってぇ!」
「あーもう、えーし!」
「まだそんな事言うの?」


ガラにもなく怒る英士を、結人がカーテンの外へ引っ張っていった。


「・・・」
「や、ほんと平気だし」
「でも・・」
「泣くなよ、ほんと大丈夫だって」
「ごめん一馬、ごめんね、私のせいだよね・・・」


何度も謝るの言葉が、頭の中に充満して駆け巡った。
その言葉は、遠くに押しやったはずの記憶だった。


「やめてくれ・・・」
「え・・・?」
「頼むから、もうそれ、言うなよ・・・」


に謝られると、あの時の事を思い出す。
泣きながらごめんと繰り返して、俺の前からいなくなったあの日。
どんなに呼んでも振り返ってくれなかった時のこと・・・


「俺は、いいんだよ。このくらい何ともないから」
「・・・だけど」
「もう謝るな。もう、いなくならないでくれよ」


俺から離れてるに、手を伸ばした。
はその手を見て、一歩近づいて、俺の傍まできてその手を取った。
やっとが俺に触れた。


「一馬、私もう大丈夫だから、もう毎日来てくれなくても、大丈夫だから・・・」
「え・・」
「ほんとに、ありがとう」


そう、ははらはらと涙を落して、俺の手をギュッと抱きしめた。

ありがとう・・・
何度もそう繰り返した。

たったそれだけの言葉で俺は、ガキみたいに喜んでしまうんだよ。
なんて単純なんだろうと、笑ってしまうくらいに。

俺たち、もっと強くなれる。
俺たちきっと、もっと、お互い大事に思えるよ。


・・・」


大好きだ・・・




「水族館?動物園・・・、あ、展望台」
「うーん・・・」


公園の芝生でゴロンと転がって、これからどこに行こうかと二人で雑誌を覗いていた。


「あ、遊園地?」
「また4人で?やだ、うるさいから」


3月といっても、風はまだ少し冷たかった。
それでも日の当たる芝生はほのかにあたたかくて、薄い緑が春を知らせていた。


「じゃあどこにするの」
「そーだなー・・・」
「あったかいところがいいよね」
「だったらもー、ここでいんじゃねー。あったかいし」
「うん、もう春だね」
「ちょっと人多すぎだけどな」
「春休みだからね」
「いー天気だなー・・・」
「うん」
「あー・・・」
「・・・」
「・・・でも、後でもう少し人のいないとこ行こ」
「ふふ」


今日も外は、いい天気だ。
心地よい風が、俺たちを包んでいる。

長い冬の終わりを知らせる、春の訪れ。








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