空が曇っている。雨が降っている。人が歩いている。電車が走ってくる。


世界はたった、それだけのもの。









十六ラブレター










体の中でぐるぐると、何かが渦巻いて走り回っているような感覚。こみ上げる苛立ちに襲われて、雨がかつんと屋根を叩く音ですら癪に障る。目の前に何か黒いものが覆いかぶさっているようで、目をごしっとこすってみるけど、なくなってはくれない。イライラしてもっと強く目をこするけど、胸に巣食った靄は募るばかりだった。

バサッ・・・

足元に中途半端に折りたたんだ傘が落ちて、傘についていた雫があたりに飛び散る。そんな些細なことにさえ苛立ちを覚えて、また体の奥から疼く靄に吐き気すら感じる。
なんだ、この感情・・・。ドロドロドロドロ、尽きることなく溢れ出て、飲み込まれそうだ。何もまともに考えられない。身の周りのものすべて壊してしまっても欠片ほどの良心も痛まないだろう。こんな気分の時は。

なのにどこかで、ずっと奥のほうで鳴っている。なんて悲しく、痛々しく、心が鳴っている。

かき分けて、押し入って、求めて探して進んで、
後ろからは闇が押し寄せて、不安と恐怖と焦燥と、


「っ・・・」


耳鳴りがするほど煩く鳴り響く答えを求めて、行き着いたところには


「英士」


なんて小さくうずくまっている、自分・・・


「英士、ほら」
「・・・」


いつの間にか隣に立っていた一馬が、落ちた傘を拾って俺に差し出す。その後ろには結人もいる。


「大丈夫かよ」
「・・・なにが?」


目を上げた俺を見て、一馬が心配そうな顔で問いかけた。


「泣きそうな顔してんぞ、お前」
「・・・」


泣きそう?俺が?


「あの人も、泣きそうだったけど・・・」


一馬の差し出す俺の折りたたみ傘を受け取って、顔をうつむけ元に戻そうとした。思ってることが顔に出るなんて、情けない。


「あのさ、話くらい、聞いてやれば?」
「・・・なんの」
「響子ちゃん、さっきの奴はなんでもないって言ってたぞ。学校が一緒なだけだってよ」
「だから、なに」


関係ない。俺には、関係ない。
彼女がどこにいようと。何をしていようと。誰といようと。


「やっぱお前、好きなんだって。そんな怒るってことはさ」


怒る?俺が?

それに、好きなのは、彼女のほう・・・


「会ってこいって。まだいるよ、たぶん」
「・・・」


その場に根が張ってしまったように、足を動かす動作を忘れ動くことのできなかった俺の背中を、トンと結人が押し出した。


「・・・」


会って、何を言えばいいの。
俺から彼女に何を言えばいいの。会ってどうするの。


二人に振り返って、言葉にならない気持ちを心の中で繰り返した。


「会えばなんか言えるって。大丈夫」
「・・・」


そんな俺の気持ちを汲み取ったかのように、二人は頷いた。





こんなにも、彼女に腹を立てているのは、どうして?




俺は今まで、いわゆる”恋愛事”にはまったく興味がなかった。だから、彼女の思いなんてまったく理解に及ばなかった。

どうして、俺に手紙を渡そうと思ったの?

彼女は言った。
貴方を好きだったということを、現実にしたかった。


「・・・」


駅の改札を出て周りを見渡しても彼女は見えなくて、探しながら外へと歩いていくと、パラパラと屋根から落ちてくる雨の雫を身にかけながら、柱に背をつけてしゃがみこんでいる彼女を見つけた。落ちてくる雫が風に吹かれて霧のように細かく砕け散る。傘も差さずにうずくまっている彼女は、そのしぶきを頭や肩にしみこませて、冷たく体を冷やす。

その冷たさを俺も浴びながら、彼女の前に立った。
何を感じたのか、彼女もゆっくりと顔を上げる。


雨でにじんだ世界よりもずっと、彼女の瞳は濡れていた。
捨てられた猫のように。

そんな目でしばらく俺を見上げていると、隣に置いていた傘を持って彼女は立ち上がり、傘を広げて俺の上に差した。彼女が広げた傘で俺に降り注ぐ雨の雫は閉ざされて、冷たさは消えた。


「・・・」


俺に傾けている彼女の傘を持つ手に手を合わせ、彼女に一歩近づいて、彼女の上に降る冷たい雫も閉ざした。すると彼女の目にまたじわりと波紋が広がって、傘の先と同じ雫をぽたり、頬に落とした。


違う。涙は冷たい雨じゃない。
それはまるで雪解けのような、あたたかい思いの兆し。


俺は何も言えなかった。
何を言えばいいかわからなかった。

でも、彼女も何も言わなかった。
何もなくていい、そう思った。


こんなにも、彼女に腹を立てているのは、どうして?


それは、君は俺といた世界以外にも世界を持っているという当たり前が、現実が、真正面からぶつかってきて、受け止め切れなかったから。
ただ触れているだけ、合わさっているだけの君の手がこんなにも冷たくて、でも触れている部分だけはあたたかくて。

君が俺の知らない世界にいると、俺は、この想いの向かう先を見失ってしまう。


君は教えてくれた。
俺にも、自分で制御できないほどの感情があったんだということ。
心はこんなにも悲しい音で鳴くんだということ。
人は人を好きになるんだということ。


そして俺はわかったんだ。
俺の心がどこにあるのかを。




君が、好き・・















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