煌々と闇夜に浮かぶ満ち足りた望月。 あまりの眩しさに、目がくらむ。 十六夜ラブレター 誰かが言った。月はまるで暗い空にぽっかり穴が開いたみたいだと。 でも俺はそんな風に思ってなかった。だってやっぱり夜空の主役は月だと思っているから。 満月の夜は、特に。 「えーいし!」 月は日に日に形を変えると言うのに、今日の月はきのうと同じ、まん丸のまま、満月のまま。 俺は、下を向いたまま。 「何?」 「どーなったの、響子ちゃんとは!」 「・・・」 人工芝の切っ先が膝裏を刺して、チクチク、こそばゆい。頭の上から降ってくる結人の言葉に一度頭を止めて、すぐにまたストレッチを続けた。 「なにも」 「なにもぉ?お前まさか言わなかったのか?」 「言う必要がなくなったの」 「は?」 意味がわからん、と結人は俺の前にしゃがみこんでストレッチを邪魔する。 おとついの試合の後、結人から電話があったけど、出なかった。だからきっと今日の練習で開口一番聞いてくるだろうとは思っていたから、覚悟はしていたけど、なんでこうそのままの行動しかできないかな。 「なんだよ、どーゆーこと?ケンカでもしたの?」 「してない」 「じゃあなに!」 「だから何もないんだって。もう会わない、それだけ」 「はぁ?!」 ずい、と顔を近づけてくる結人の顔を遠ざけて、ボールを持って立ち上がった。それでもしつこく、追いかけてくるのだけど。 「会わないって何!なにがあったんだよ!」 「知らないよ。もう会わないってあっちが言ったの」 「なんで!」 「知らない」 「英士!」 同じ言葉を繰り返す俺の腕を掴んで、足を止めさせる。振り返った俺を見て、結人は騒いでいた口を閉ざした。 「・・・どーしたんだよ」 「なにが」 「なにがって、そんな顔して、」 「・・・」 そんな顔? そんな顔って、どんな顔? 「何があったんだよ、言えよ」 「何もない」 「いいから、あったことそのまま言えって」 「・・・」 「なあ!」 「ほっといて」 心の中は、広い広い、真っ白な空間。その中心で俺は、自分さえ見失いそうになりながら、立ち尽くす。 もう会わない。彼女がそう言って、今の俺はもうそれを受け止めていた。向こうに会う意思がないんだから、俺たちはもう会わない、それが仕方のない流れ。 俺は普通に生きている。いつもの時間に起きて、いつもどおり学校に行って、当たり前のように練習に来て、きっといつもの時間に寝る。今までと変わらない当たり前が、当たり前に流れていってる。 それもそのはず。ただ彼女がいなくなったというだけで俺の日常に支障をきたすほど、俺たちお互いに歩み寄ってなんてなかった。俺はまだ、そこまで彼女を必要とする前だった。まだ引き返すことのできる場所にいた。 だから、大丈夫だった。 「なんかあったんだよ、たぶん」 「なんかって?」 「わかんないけど、あいついっつも無表情だけどさ、あいつなりに喜んでるときとか怒ってるときとか違いあるじゃん。なのにあんなさ」 「うん、それは俺も思ったけど」 練習中も、体も調子よく動く。大会がまだ続いている。次の試合はまた来週末。当然のごとく、レギュラー。 次の試合はきっと最初から集中できる。気にかかるものが何もなくなったから。何もないほうが、楽だ。 「もう会わないって言われたんだって。なんでだろ、だって英士に告ってきたのあっちだよ?」 「気が、変わったんじゃないの?」 「気が変わったって、英士のこともう好きじゃなくなったってこと?」 「なんにしてもさ、俺らが口出しすることじゃないだろ」 「そーだけど、でもさぁ・・」 「英士が触れてほしくないならさ、何も聞かないでおこうぜ」 「んー・・・」 喉を通る唾液の生ぬるさも、空から降る暑さも、体から発散される熱も、いつもどおり。上がった息が落ち着いていくように、時間がやがて、すべてをなかったことにするだろう。 今までも、何かとそうだったように。 「でもあいつは、欲しがるとか、そーゆーことしないじゃん。言いたいことあってもさ、言わないときあんじゃん。あいついっつも無表情だけど、あそこまで酷いのは最近なかったのにさ。あいつ見てるともう、なんでこんなヘタクソなんだって思うんだよ、いろいろさ」 「うん」 「絶対無理してんのに、あいつなんでもない顔しやがって、俺らがわかんないと思ってんのかよむかつく」 「うん・・・」 どんな綺麗なものも目を閉じればわからないように、どんな音も耳を塞げばわからないように、機能を止めてしまえば人間なんて何も感じずにいられる。 「一馬」 「ん?」 「俺今から英士にケンカふっかけるから、ヤバイと思ったら止めてな」 「は?」 「俺、さいこーにむかついてきた」 「おい結人・・」 俺は自分を殺す術を知っている。それは犠牲とかそういうものではなく、それが一番手っ取り早くて簡単だからだ。 今までもそうやってきた。 「英士!」 そうやって、すべて落ち着いて過ぎ去ってきた。 「何があったのか、話せよ」 「・・・だからさ」 「なんでもないなら普通に話せるだろ」 「・・・」 どうして結人はこう、なんにでも首を突っ込みたがるかな。こういう結人が酷く鬱陶しくて仕方ない。 「ほっといてって言ったでしょ。もう過ぎたことなんだから、どうだっていいんだよ」 「お前は全然納得できてないくせに、なんでもない顔するなよ。そーゆーとこがすげーむかつく」 「・・・」 こうしている今も、一番早く終わる方法を考えてる。 多少頭にきても、流すほうが早く終わるし、楽だ。 だったらほっとけばいいんだよ。 そう会話を切って、結人から離れていこうとしたけど、結人は俺の腕を掴んでくる。 「逃げんな。そーやってなんにでも知らん顔してれば過ぎ去ってくと思うなよ」 「なんなの?人の事情に首突っ込んでそんなに楽しい?」 「今度のことだけで言ってんじゃねーよっ。お前そんなんじゃこれから何があったっていいことなんて何もないからな!いつでも周りがどうにかしてくれると思うなよっ」 ぎゅ、と力の入る、俺を掴む結人の腕を振り払った。 「俺が何か結人に頼んだの?いつも結人が勝手にやってくるだけだろ」 「だったら自分で動けよ!そんなシケた顔してねーでちゃんと話してこいよ!」 「何でも自分の考えで押し付けるのやめてよ。俺はもういいって思ってるんだよ、どうだっていいんだよ」 「そんなこと思ってねーくせにっ」 「結人には関係ない」 関係ない そう言われて頭にきた結人が、俺の服をぐっと掴んで引き寄せる。 「おい、結人っ」 その結人との間に一馬が割り込んで、結人を止めようとしたけど、結人は掴んだまま離さない。 周りのチームメイトも何事かと、静まってこっちを見てくる。 「離して」 俺の服を掴んでる結人の手は小さく震えていて、それほどまでに力強く握り締めていて、目の前で揺れている結人の瞳もきつく俺をにらみつけている。 なんでそう、すぐ人のことで熱くなるの。なんでそう事を荒げたがるの。 俺はもう次へ行こうとしてるのに、なんで引き戻そうとするの。 「俺はお前のこと、すげーって思ってるよ。なんでもちゃんと考えてて、はっきり自分ってもの持ってて、マジでかっこいいって思ってるよ」 「・・・」 「でも今のお前はメチャクチャかっこ悪い」 噛み締めてる奥歯も、強く握っている手も、溢れ出しそうなほどの衝動を抑えて震えてるのに、俺をきつくにらみつける結人の目はぐらりと揺れた。 「事情とか気持ちとか、わかんないけど、俺はお前がそーやって何でも自分の中に押し込んじゃうのは嫌なんだよ。俺ら、何のためにいるんだよ。サッカーさえ出来てりゃいーのかよ。そんなの、・・・悔しいよ」 「・・・」 「関係ないとか、言う・・・」 バッと俺から手を離して、結人は背を向けぐいと目をぬぐった。 心臓を掴まれたような気になった。 それは結人の言葉が刺さったのではなくて、結人の目から怒りとか、悔しさとか、悲しさが、溢れていたから。 「俺も」 そっと、一馬が俺の背中に手を添えた。 「お前になんかあったら、何とかしてやりたいって思ってるよ」 「・・・」 「俺ら、友達じゃん」 わかってる。 わかっていた。 俺もそう、思っていたから。 でも俺は、暗くて狭い小さな世界で、自分を守るようにぎゅっと小さくなって、うずくまって、そうやって何も考えないようにして、何も感じないようにしてた。 なるようにしかならない。そう言い聞かせて、痛いものや怖いものに目を伏せてきた。高い高い空の向こうに、俺を照らす光があったことすらも忘れようとしてた。 いろんなものを、見失ってたのかな。 当たり前のことすら、出来なくなっていたのかな。 「・・・ごめん・・・」 ドンドン、ドンドン、 ドアを叩くような音がしていた。 光から目を逸らしていた俯く俺を、そこから引きずり出そうとして、 ほっておいて、静かにして、このままにしておいて。 そう小さくなってうずくまる俺を、それでも光の下に出そうと、呼び続ける声があった。 それはいつでもそこにある、極当たり前なものだった筈で 俺の冷たくて堅い心を溶かす、熱い熱い、風だった。 |