あんなに待ちわびたものが、今は目を瞑りたくて 痛くて悲しくて。 なのに俺は、見上げずにいられない。 十六夜ラブレター 意識が飛ぶ、ということを初めて体験した。本当にぽんって、軽く抜け落ちてしまうんだ。 「英士、大丈夫か?」 「・・・ん」 頭の中が夜の暗闇に飲み込まれたように何も見えなくなった。結人も一馬も、周りの景色も、自分の体さえも。 「どーゆーことだろ、まさか本当に、幽霊じゃ・・・ないよな?」 「ありえ、ないだろ。俺たちだって会ったじゃん、あんなはっきりさ」 「そうだよな、幽霊だったらあんなはっきり見えないよな?たぶんだけど・・・」 「・・・でも、事故ってことは突発的だろ?なんで英士にさよならなんて、言ったんだろ」 「・・・」 彼女が言った、遠くに行かなきゃいけないって、そういうこと? 「そんなはずないっ」 「英士、」 「一馬だって見ただろ?ちゃんと見ただろ?声だって聞いただろ?」 「ああ、」 「そんな、幽霊とか、そんなんじゃなかっただろ?」 「落ち着けって、英士」 彼女は確かにここにいた。ちゃんと話もしたしちゃんと空気を感じたし、ちゃんとこの手で触れたんだ。 それに、彼女を見ていたのは俺だけじゃないんだ。一馬も結人も、ちゃんと周りのほかの人間だって見てるんだから、そんなことあるわけない。あるはずがないよ、ありえない。 「・・・そうだ、彼女の友達と会ったことがあった。本屋で、彼女確かに他の友達と普通に、会ってたんだよ。そんな、死んだ、とかだったら、そんなことありえないだろ?」 「うん・・」 「そういや、駅で学ラン着たヤツといるとこも俺たち見たよな?」 「そうだよ、見たじゃん」 「じゃあ、いったいあの人は、誰なんだ・・・?」 君は、誰・・・ 「あ、遼平」 取り乱す俺たちを不思議そうに見ていた、彼女と同じ学校の女の子二人が駅に入ってきた男に目を止めて呼んだ。 「なに?」 「あのね、この人たちが響子のこと聞いてきて」 「響子?」 その人は、すごく自然にその名前を呼んだ。 あれ、この人・・・ 「あれ、アンタこの間の?」 その人も俺を見て指を差した。相手も俺を覚えてるらしい。 この人だ、この前の雨の日、彼女と駅の前でもみあってたあの時の。 「なんであんたたちが響子のこと?」 「あのさ、伊咲響子って人が死んだってほんと?」 「え?なんかよくわかんないけど、響子が死んだってのは、ほんとだよ」 「・・・」 死んだ そんな非現実的なようで、重苦しいほどにリアルな言葉が、ずっしりと体に圧し掛かった。 くらり、頭の中で意識が遠のこうとした。 「だってさ、アンタこの前喋ってただろ?」 「あいつ?あいつは響子じゃないよ」 「え?」 「・・・」 「のことだろ?」 ・・・? 「え?なんかわかんなくなってきた、って誰?」 「だからこの前一緒にいたヤツ、あいつは響子じゃないよ。響子の友達」 「友達・・・?」 よく、わからなくなってきた。 つまり、彼女は伊咲響子ではなくて、その、死んでしまった伊咲響子の名前を借りて、俺に近づいてきたということ?どうしてそんなこと・・・ 「ダメだ!全然わかんなくなってきた!とりあえずさ、そのー?その人は今どこにいんの?その人に話聞きたいんだけど」 「ならまだ学校にいたけど」 「え?なんでまだ学校いんの?」 「あいつ最近学校終わったら一目散に帰ってたじゃん。だから部の連中に怒られつるし上げられてた」 「彼女の、部活って・・・」 「え?バレー部」 「・・・」 わからない。どうして、何から何まで嘘ばかり・・ 「あのさ、よくわかんないけどに会いに行く?なんか訳あるんだろ?」 「マジ?つれてってくれる?」 「いいよ」 「じゃあ行こうぜ英士」 「・・・」 複雑に入り組んだ頭の中は、先を考えようとしても、順序を追って考えようとしても、靄がかかったように思考回路は遮断された。歩き出すみんなについていくけど、一歩踏み出す足に倣ってどくどく、痛いほどに心臓が打ちつけた。 彼女は、伊咲響子ではなかった。 美術部だということも嘘だった。美術館で案内の女の人に「いつもの友達じゃないのね」と言われていたあれ、きっとその、いつもの友達と言うのが本当の伊咲響子だったんだ。 ・・・じゃあ、絵が好きで、絵の勉強がしたいと言ってたのも、伊咲響子のことで、彼女の思いではなかったということ?あんなに絵を語って、賞賛も妬みもさらけ出していたのに、それすらも嘘だったということ? 本屋で友達に会って、あんなに慌てて俺から離れていったのも 「っ・・・」 ずしり、心臓の重さに体が沈みそうだ。 「じゃあ、が響子だっていって会ってたってこと?」 「そーなの、なんでだと思う?」 「なんでって言われてもなぁ・・」 学校までの道中、前を歩く結人は俺たちに起こったことを彼に話していた。 彼は伊咲響子とも、彼女・・・とも親しいらしく、最近の彼女の様子がおかしいことに疑問を抱いていて、それであの雨の日にもめていたそうだ。 「と響子はすげー仲良くてさ。響子はおとなしくてあんま表に出るタイプじゃなかったけど、がどこでも連れまわしていつも一緒って感じで。はとにかく明るいやつだからさ、二人でひとつって感じだった」 「・・・」 「響子が死んじゃった後はあいつ、救いようないくらい泣きまくってて、夏休み中家閉じこもって出てこなくて。俺も結構へこんでたんだけど、あいつに比べたら全然」 普通に生活している上で、人が叫んだり泣き崩れたりするところなんてそうそう見るわけない。何も考えられないくらい取り乱す、ということを、俺はまだ経験したことがなかった。 近しい人が突然奪われるということは、そういうことだと、思わせた。 「夏休みが終わって2学期はじまった時に、俺ちょっとビビッたんだよ。あいつ前は背中くらいまで髪長くて茶髪でよく先生に怒られてたんだけど、急に肩まで髪切って真っ黒にしてきてさ。どーしたんだって聞いたらあいつ、響子みたい?とか言い出して。それからかな、あいつ部活にも行かないで毎日すぐに帰るようになって」 「ってことはやっぱ響子ちゃん・・・じゃねーや、その人は、なりきって英士に会いに来てたってこと?」 「なんでそんなことしたのかわかんないけど、たぶん、響子のためだと思うよ」 「・・・」 ”響子”のため・・・ 「俺ももショックでかすぎたから、あいつ2学期になっても学校来ないかもって思ってたんだけど、あいつ結構平気でさ。様子は変だったけど、落ち込んでるようには見えなかったし、思ってたよりずっと明るかったし」 「アンタもしかしてさ、そのって子のこと好きなの?」 「え?」 結人が突然口をついたことに、一馬が俺を気にしてか止めて、結人もすぐに口を閉ざした。 「や、ぶっちゃけると、俺が好きだったのは、響子のほう」 そう、彼は苦く笑った。 もういないから、どーしよーもないんだけどな。 そう軽くつぶやいて、彼の顔に寂しさが増した。 もういない。 それは正真正銘、この世からいなくなってしまった本当の別離。届かない手、行き場のない心、二度と聞けない声。やるせない気持ち。 それでも居つく、想い。 「あいつまだいるかな」 学校について、彼は入ってすぐの体育館に向かって進んでいった。 「・・・」 歩く足が鈍る。怖がっている。彼女に会うこと。 今までの彼女は嘘だったと認めざるを得ないこと。 今までの彼女は彼女ではなかったこと。 想いと同じように進まなくなってしまった足が、彼女に会うことをどうしても躊躇う。 もう部活も終わったようで、彼が向かっていった体育館の入り口にはジャージ姿の女の子がいた。 「いる?」 「センパイなら鍵返しに行きましたけど」 後輩らしき女の子たちにサンキュと言い返す彼は、今度は校舎の入り口のほうへ歩いていった。 「あ、いたいた」 昇降口を覗いた彼は足を止めて、同時に俺の心臓が静かに騒ぎ始める。 今、彼女に会って、彼女にどんな顔をされるか。 それが怖かった。 昇降口ではたった2日前までは隣で笑っていた、あの日さよならと言った、彼女がいた。彼女は下駄箱でいつもそうしている様子で靴を履き替えて、こっちに出てくる。 「」 外から彼が呼ぶと、彼女は顔を上げてふと笑った。 友達を見つけたときに顔を綻ばせる、ごく普通な笑顔だった。 やっぱりそれが彼女の、本当の名前・・。 でも昇降口を出てきた彼女は、彼の後ろの俺たちに目を留めて、笑顔と足を止めた。たった2日ぶりなのに長い間会ってなかったような、懐かしさにも似た響きがじわりと広がった。 でもそれは、決してうれしいわけではなくて、彼女が次第にその表情を崩していくように、俺の心もどんどんと曇っていった。 周りの景色が白くなって、音も遠のいて、この世に俺と彼女、二人だけのような気がした。 でもそれは、間違っても幸せなんかじゃなかった。 |