私たちはこの狭い世界の中心で、そうとも気づかずに毎日を生きていた。

それがどれほどの奇跡で、どれほど尊いものかを知るには、
私たちにはまだ、絶対的に何かが足りなかったのだ。










十六ラブレター












しとしとしとしと、飽きもせずによく降る雨・雨・雨。もうすぐ7月になるというのに梅雨はまったく去る気配もなく、今週もまたずっと雨だと、朝のお天気お姉さんが笑顔で言う。


「聞いてよきょーこー!!ムーカーつーくー!!」
「うわ、なに、どうしたの」


勢い良く美術室のドアを開けると、古くて立て付けの悪いドアは今にも割れそうな音をたてた。この部屋には似合わない破壊音にも似た音に驚いた響子は、キャンバスからサッと手を引いて持っていた筆を止める。


「なんっなのあいつら!雨が止まないから体育館貸せとか言ってきた!!俺らもーすぐ試合だからとか言って、こっちだって大会迫ってるっつーのー!!」
「あの、暴れないでね・・」
「死ねサッカー部!いっそ呪われろっ!末代まで祟られちまえっ!!」


部員も少ない割りに広い美術室で、私の怒りのボルテージは上がる。響子はそんな私の周りに置いてある画材や他の生徒の作品なんかを気遣って私を静めようとした。しかしジャージ姿の私はすぐに落ち着けるはずもない。これでも一応バレー部のキャプテンと言う立場なのだ。3年にとっては最後の大会で、これが終わったら後はひたすら受験地獄なのだ。条件はすべて同じなはずなのにあっちは学校で一番いい成績を残せそうなサッカー部というだけで体育館を強奪してきたのだ。しかも無駄に部員数だけは多いサッカー部はひとつしかない体育館を隙間なく占領してきたのだ。これが黙って見過ごせてその上おとなしく言うことを聞けるかってんだよ!!


「でさあ!!こっちは百歩、いや一万歩譲って体育館半分貸してやるって言ってやったの!そしたらあんのハゲ(顧問)、お前キャプテンのクセにそんな髪してヤル気あんのか?とか言いやがって!人の髪にイチャモン付ける前にテメェの枯れ果てた頭の心配でもしてろっつーんだよっ!!」
「なんか激しく話がずれてるけど、で、結局体育館追い出されたの?」
「追い出されたよちきしょうっ!」
「あらら」


どしどしと地団太を踏むと周りの机はゆらゆらと揺れ、響子は机の上の水入れがこぼれないように押さえた。


「で、どうするの?部活」
「しょーがないから階段で走り込みだよ、試合前だからちゃんとボール使ってやりたいのに!」
「仕方ないよ、もうすぐ梅雨も明けるしさ、そうすればサッカー部も外でちゃんと練習できるから、我慢しようよ」
「それでもムカつく!!どうにもこうにもムカつく!!」


息切れするほどにぎゃあぎゃあ叫ぶ私をなだめるのは、響子の役目だった。響子以外がこれをやると私は噛み付く。それを自分でもよぉく理解している私はキレた時は必ず響子のところへ行くし、毎度毎度響子も見放さずに私を慰めるんだ。今更説得力もないかもしれないが、私は誰彼構わずに文句を言ったり人前でキレたりはそうそうしてない(つもり)。だからこそ爆発しそうな時は響子の元へ行く。そんな私を響子は諌めたり鬱陶しがったりせずにたっぷりと甘やかすのだ。


「じゃあみんな待ってるんじゃないの?」
「うん」
「早く戻らないと、はキャプテンなんだから」
「うん」
「がんばってね」
「うん・・・。響子は?いつまでいるの?」
「私はもうすぐ帰るよ。足りない絵の具買いに行かなきゃいけないし」
「うちもそんな遅くまでやらないから待っててよー」
「うーん・・・」


ペタペタ、響子は気になった部分に筆をつけながら考えた。
そんな響子の様子にピーンと来た私はずいと響子に近づいては顔を寄せる。


「さては、今日は電車の王子様に会える日だね?」
「え、」


目をクリッと大きくさせて振り返る響子は、はみ出してしまった部分に慌てて指を当てた。ああもう、わかりやすくてかわいいヤツめっ。


「や、あー・・・」
「いーよいーよ、所詮女の友情より男なのね」
「そ、そんなことないって、そんなことないから!」
「いーのいーの、響子の幸せはあたしの幸せだから」
っ」
「春だねぇ〜」


慌てて顔を赤らめて恥ずかしさのあまりに顔を隠してしまう響子はそりゃあもうかわいいのだ。おとなしくてクラスメートとさえあまり喋らない響子はいつも決まった子としか喋らない。だから慣れない人と喋るときはいつもこんな風にテンパってしまうんだけど、今はそんなわけではないのだ。

最近響子は、好きな人ができたらしい。
学校帰りに駅で会う、スポーツバッグを持った男の子に一目惚れしてしまったという。響子が一目惚れなんてするタチだったとは知らなかった。是非その響子のハートを射止めた彼を見てみたいものだ。


「ねーあたしも見たいその人」
「だっていつも部活で遅いじゃない。その人いつも7時半くらいの電車に乗ってるし・・」
「あっはは、調べてる〜、ストーカ〜!」
「えっ、ストーカー?そうかな、やっぱり?!」
「あは、ゴメンゴメン。乙女だネ!」


私たちは小さい頃から一緒にいるけど、恋愛関係の話はあまりしたことがなかった。変なところで子供と言うか、響子も私もお互いに小さい頃から知っているだけにそういった恋愛事は妙に恥ずかしかったのだ。それでも響子が最近になって、それはそれは言いにくそうに話してくれたこと、私はとてもうれしかった。


「ねぇ、ほんとに一回見せてよ」
「見せてって、いつ会うかもわからないし」
「響子いつもカメラ持ってんじゃん。隠し撮りとかしちゃえ!」
「ええっ?そんなの、失礼だし、見つかったら死んじゃうっ」
「あはは、だいじょーぶ、見つかって怒られはしても死にゃしないから」
「それもヤダ〜」

「こらー!」


またあの立て付けの悪いドアがガチャンっと開いて、それと同時に美術室全体に広がる声で叫びながら遼平が顔を出した。


「何やってんだお前、部員が下駄箱でたむろってんぞ」
「あー行く行く。てかなんでアンタが呼びにくんのよ」
「しらねーよ、お前がいなくなったとか言われたんだよ。どーせここだろーと思ってさ」


またまたぁ。美術室に来たい理由は他にあったんじゃないですか。
まったくどいつもこいつも、かわいさ満載で春ですなぁ。


「じゃーね響子。写真撮影してきてね」
「あ、
「ん?」


歩き出した私を呼び止めて、響子は少し周りを気にしながら私に顔を寄せて、小さな声で言った。


「あたし、本当によりその人のほうが大事だなんて、思ってないからね」
「・・・」


バカだなぁ。そんなのわかってるに決まってんのに。
それに、たとえそーだったとしても、私はいいんだ、ほんとに。


「だからももう少し遼平君にやさしくしなきゃダメだよ」
「・・・はい?」


うーん・・・


「まぁいーや。また明日ね」
「うん」


ひらひら、後ろ手で響子に手を振って遼平と一緒に美術室を出ていった。
どうも響子は何か勘違いしている。


「お前も、報われないな」
「は?」
「いや、こっちの話」
「なんなんだよ」


世の中うまくは回らないもんだ。
あっちでもこっちでも恋の花が咲いている真ん中で、年寄りくさいことを思ってしまった。


「好きな人なんて最近できないなぁ」
「ガキ」
「・・・」
「ていうかお前に男なんか出来た日にはこの世の終わりを感じる」
「アンタこのあたしにそんな口利いていいと思ってんの?」
「は?」


くるり、私は美術室に向きなおした。


「きょーこー!!遼平がアンタに言いたいことあるらしーよー!!」
「ばっ、テメェ!!」
「りょーへーってば2年時からずぅーっときょ・・」
「うーわー!!!」


しとしと、しとしと、
放課後の静かな廊下にひたすら雨音が鳴り響いているだけの、いつもの学校。

授業があって部活があって、響子がいて遼平がいて、
そんな毎日毎日同じことの繰り返しのような日常を、みんなはそうと気づかずに生きていた。

それは響子も遼平もおんなじだったはずだ。だって私たちは、そんな毎日に疑問を持つほど大人じゃなかった。こんな毎日が明日も続くんだろうと疑問すら抱かなかった。
中学が終われば高校があって、みんな進路やらでバラバラになるかもしれない。そうやって周りの何万人と同じようにみんな大人になっていく。それが嫌だと言うわけではない。早く大人になりたいとか、もっと子供でいたいとか、何を思おうが人は皆満遍なく年をとるものだという自然の摂理くらいわかっていた。

未来は勝手にやってくるものだと、知っていた。
そう思いこんで疑わなかった。


だって、この世は突然に無慈悲になるものだと、

いったいどの教科書に載っているというのだ。












1