灰色だった空は少しずつ溶けていって、抜けるような青空をつれてくる。

熱い熱い夏をつれてくる、はず。










十六ラブレター












梅雨晴れ、久しぶりの傘のない朝。
まだ遠くに雨雲の面影を残しつつも空はちらほら晴れて、水溜りにその青を映していた。


「あっつー。雨は降るは暑いは、最悪」
「まったくだな。沖縄は暑くてもさっぱりしてていーとこだったのに」
「ああ、ばーちゃんちが沖縄なんだっけ」
「おお、また行きたいなー。響子つれてくるならお前もつれてってやるぞ」
「自分で誘え」


暑い日差しに目を逸らしながら下敷きでパタパタ仰いで少しでも涼を求める。廊下のあちこちでパタパタパタパタ、これはもう学校の夏の風物詩だと思う。


っ」


そんなところに、後ろからパタパタ何やら急いで走ってきた響子は私の腕をぐっと引っ張った。隣で遼平が「おーっす」と挨拶しているにも関わらず響子は適当におはようと返し、私を廊下の果てへと引っ張っていった。(わざとじゃないにしろ罪なヤツだ)


「なに、どーしたの」
「とった、とった!」
「何を」
「写真!」
「写真?なんの」


熱を発散して顔を赤らめて、響子がここまで興奮しているのもめずらしい。でも響子の言ってることがまったく理解できず、私は置いてきぼりだった。


「だから、あの人の写真!撮ってこいって言ったじゃん!」
「・・・あー!」
「もぉ、忘れてたの?」
「あっはは、ごめん。で?持ってきたの?」
「あ、まだ現像してない」
「なぁんだ」


恋は盲目・・・とは違うか。とにかく恋は冷静な人間の思考能力すら麻痺させるんだな。らしくもなく響子は足をバタバタさせてどこから見ても立派な恋する乙女と化していた。
どうやら響子は私が写真を撮ってこいと言った”駅の王子様”の隠し撮りに挑んでいたらしい。


「てかさ、いつまでも見てるだけでいーわけ?どこの学校の人かもわかんないんでしょ?」
「うん・・・。あ、でも制服着てるから、あれがどこの学校のかわかればわかるよ」
「そんなことより話しかければいーじゃん。お友達になればいーじゃん」
「えっ無理無理!」
「ダメだよーそんなんじゃ。自分から動かなきゃいつまでも見てるだけ〜になっちゃうよ。せっかく響子が初めて人を好きになったんだから」
「だってそんなの、絶対無理だもん」
「やってみなきゃわかんないじゃん。同じ学校じゃないんだし、フラレたってもう会わないじゃん」
「えー・・・いやだそんなの、だったらまだ見てるだけでいい」
「喋りたくないの?一緒に出かけたりしたくないの?」
「ええ〜・・・」
「だったら行動しなきゃあ」
「でも、やっぱり無理・・・」
「はぁー」


ため息をついて、うつむく響子の前から歩き出した。


「待ってよ、
「響子はさ、いつも人の様子伺ってばっかじゃん。そんなんじゃみんな響子の前通り過ぎてくだけだよ。せっかく好きな人出来ても何もないまま終わったら何の意味もないよ。それでいいの?」
「・・・」


後ろで響子は黙ってしまった。
いつもそうだった。響子はこういう話し合い、みたいなものが苦手で、私がちょっと強く言うとすぐに黙ってしまう。思ってることはあるだろうに言葉にしないんだ。それが私は時々、腹が立ってしまう。


には、わかんないよ」
「え?」


外からセミの鳴き声が響いてて、周りは人の声で煩くて、だから響子の声は聞こえにくかった。
振り返って見た響子の顔を、なんていったらいいんだろう。
静かで弱くて、でもどこか深くて、そんな目を私から離して響子は私の横を通り過ぎていってしまった。
響子、と呼びかけたけど、響子は足を止めなかった。




教室のベランダでしゃがみこんで、青を侵食する灰色の雲の流れを見つめていた。朝は梅雨明けの兆しを見せていたのに、やっぱりまだ梅雨は明けてないようだ。



「・・・」


まただんだんと曇ってきた空を見ていたら、後ろの窓のから遼平の声が聞こえた。上を見ると窓から顔を出している遼平が視界に入った。


「なに」
「なんか響子が沈んでんだけど」
「だから?」
「だからって、なんかあったのかと思って」
「そんなの響子に聞けばいーじゃん」
「聞いたけどなんでもないって言われた」
「じゃーなんもないんじゃないの」
「なんだよ、なんかあったんだろ」
「うるっさいなぁ」


お前もいちいち響子響子言ってくんじゃねーよっ
言っとくけど響子には好きな人がいるんだよお前なんて眼中にすらないんだよ!

ムカついてるときって、悪いことしか考え付かない。
心の中で酷いことを言う自分を何とか抑えて、それはしてはいけないと清らかなもう一人の私が制御した。


「あんたはさ、なんで響子に告んないの?」
「は?」
「早く言わないと響子に彼氏できちゃうかもよ」
「えっ、できるの?」
「・・・もしもだよバァカ」


ああ、なんだかんだで大人だな、あたし。


「まぁ、今言ったってたぶん無理だろーしさ」
「でも言わなきゃ始まんないじゃん。言えば意識してくれるしさ」
「でも気まずくなるのは嫌だし、今はまだ今のままでいいっつーかさ」
「ちっ、ヘタレ」
「るせーな」


コイツもガラにもなく響子属性だ。


「みんな臆病なんだ。なんだかんだ言って結局傷つきたくないだけじゃん。べつにそれが最後の人じゃあるまいし」
「そりゃそーだけど、そんな簡単に言えるほど軽くないっつーか。当たって砕けろなんてそんな簡単なもんじゃないだろ」
「・・・」
「そう簡単に言い出せないんだよ」
「・・・どこの乙女だお前」
「うるせ」


べしっと私の頭をはたいて、遼平は頭を引っ込めた。
その思いは本気だから、怖くて言い出せない。
遼平も響子も同じ。
ちゃんと好きだからこそ、臆病にもなり、それは同時に強くもあるんだ。

恥ずかしながら私は、そのとき初めて思い知らされた。
私はちゃんと誰かを好きだなんて思ったことがなかった。
ほんの欠片ほども嫌われることを怖がるとか、ほんの1ミリ近づいただけで喜ぶとか、そういうものを、私はまだ知らなかった。なのに私は平気で響子の心の中に踏み込んで、荒らして、傷つけたんだ。


「あー・・・」


どうしてこうも、愚かなんだろう、私は。
上を向いた顔に降る雨を頬に当てながら、自分なんか傷ついてしまえと、思いっきり痛めつけてやりたくなった。
雨は涙より冷たかった。



あれから数日が経って、7月になったけど雨は降り続いて、私と響子の間にもぬるい雨が降り続いていた。会わなければ会わないで時間は過ぎていくもので、お互い喋ろうとしなければこうも、離れてしまうものなんだな。廊下で会ってもうまく声をかけれなくて、もう一緒にも帰ってない日が続く。それはまぁ、私の部活が忙しいっていうのも、あるんだけど。

響子、絵、描けたのかな。今度の試合、見に来るかな。
笑ってなんでもなかったように声をかければいいのかな。
でもそれが余計に響子の気分を損ねることになったらどうしよう。

あれ、なんで私こんなに響子に気を使ってるんだろう。今までは何があっても響子ならこんな風に思うだろうとか、響子に限ってそんなことあるわけないとか、簡単に想像ついたはずなのに、今になって途端にわからなくなって他人のように思えてきた。


?何頭抱えてんの?」


あまりに私が苦悩して見えたのか、友達が声をかけてきた。


「ちょっと、響子になんて謝ろうか考えてて・・・」
「なに、ケンカしたの?めずらしいね」
「いや、ケンカっていうか、あたしが一方的に悪いってゆーか・・・、でもどーやって謝ればいいかわかんなくて、だってこんなの初めてだし・・」
「何ごちゃごちゃ言ってんの?いつも誰かと誰かがケンカしてたらさっさと謝っちまえって言うじゃん」
「そーなんですけど・・・」


すいません、軽い人間で・・・


「早く謝りたいんだけどでも響子許してくれなかったらどーしよー・・・。あ〜なんであたしはこうもバカなんだ、あ〜も〜いっそ死んじまえあたし!」
「アンタどんな酷いことしたの?」
「お願い!あたしを嫌いにならないで!!」
「いや、あたしに言われても」
「だってそんなこと怖くて響子に言えないもん!!」
「何言ってんの。恋する乙女じゃあるまいし」
「・・・」


こ、これか、恋する乙女!(でも相手は響子ですが・・・)


「さっさと謝っちまえ?」
「・・・はい」
「ほらー部活!キャプテン!!」
「はい!!」


くそう、こんなときに忙しい自分が腹立つ。

でも、明日はちゃんと声をかけよう。それでちゃんと謝ろう。
だって、響子とはずっと一緒にいたいんだもん。まだまだ、これからもずっと友達でいたいんだもん。
そう決心を固めて、ボールを打ちまくった。


なのに、次の日、響子は学校にいなかった。


「なんでだ〜」
「あ、!なんで今日響子来てねーの?」
「・・・」


あたしが知りてーよバカ遼平!!


「お前ら仲直りしたの?」
「・・・これからするんだよっ」
「どーせお前が悪いんだろ、早く謝ってやれよ。お前がいつまでもうだうだしてると響子がいつまでも・・、もしかしてお前、響子が学校来てないのお前のせーじゃあるまいな!」
「うるさいなどっか行けお前!!」


この響子バカめっ!!
そう遼平に蹴りいれた。
それでもやっぱりこのバカは響子贔屓なので、その後も体育館までの道のりをずっと隣でうだうだ、お前のせいだ、響子がかわいそうだと罵ってきた。

7月だと言うのにいい加減鬱陶しいほどに雨が降り続いている日の、1時間目だった。
本当なら数学だったのに、急に集会が開かれるそうで、ラッキーなんて思って。

全校生徒がざわざわ体育館の床に座り込んで、でも響子はいなくて。
今日は部活が終わったらすぐに響子の家に行こう。それでちゃんと謝って、明日は一緒に学校に行って、試合の日教えてあげなきゃ。きっと響子は見に来たがるから。
そんで遼平には悪いが、響子の恋を応援してやるんだ。きっと何も出来ないけど、一緒に騒いだり悩んだりしかできないけど。
うん。よし。それでいこう。

始まっている集会の、先生の話も聞かずに堅く誓った。


『突然ですがきのう、3年5組の伊咲響子さんが下校時に事故に遭い、午後10時15分ごろ病院で亡くなりました』


ざわっ

しばらくしんとしていた体育館が、次の瞬間に揺れるほど騒がしくなった。
ざわざわざわざわ、みんなが顔を見合わせて驚いていて、前のほうに並んでいる遼平がヘンな顔で私に振り返ってた。
私はうまく聞き取れていなくて、ぽかんと間抜けな顔をしていたと思う。考え込んでたせいでまともに話を聞いていなくて、「伊咲響子」というフレーズで目が覚めたから。


え?なんて言った?
響子がなんだって?


周りのみんなが私に、知ってたの?とか、なんとか、言ってた。


なにを?


みんな信じられないって顔をしてて、誰かが突然泣き出すと、周囲から涙をすする声がこだましていった。
でも私はまだよくわかってなくて、周りをきょろきょろ見ていた。


っ」


ぐっと腕を掴まれて、前を見ると遼平がいた。
やっぱりヘンな顔してて、でも普通じゃないくらい真面目なのもわかった。その顔がだんだん歪んでいって、


「え・・・?」


それでも私は、何のことだかわかってなかった。
そんな私を、遼平は引っ張り体育館を出ていった。














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