あのブルーグレーの手紙には、返事が欲しいと書いてあった。

明日の同じ時間、同じ場所で待っています、と。








十六ラブレター









その日、クラブの練習はなかったんだけど、その手紙のために俺はいつもの、クラブから一番近い駅まで来ていた。
駅までは定期があるから金銭浪費はなかった。強いて言えば労力と時間と神経を消費。
(あと本屋に行きたかった時間もロスしたけど、まぁ黙っておこう)

電車を降りて、時間もちょうどいい時間だったしホームを見渡した。
でも、どんな子だったか、よく覚えていない。(名前も、なんだったっけ)
まぁ、この辺にいれば向こうから声をかけてくるだろう。


「あ!」


電車も出てまばらな駅のホームに、大きめの声が響いた。
そのおかげでまた人の目が集まってきて、心の中で嫌な顔をしたが表には出さなかった。

その声の主はやっぱり、きのうの女の子。(十中八九、だけど)
彼女は慌てた様子で少しずつ近づいてきて、またペコリと深く頭を下げた。


「あの、来てくれて、ありがとうございます」
「いいえ」


様子を伺うように覗き見て、彼女はたどたどしく礼を言った。
でもその後話題があるわけでもなく、彼女は「えーと」を繰り返し、でも結局言葉は見つからずに俺を見た。返事を求めているようだ。


「悪いけど、気持ちには応えられないよ」


そう、昨日彼女からもらった手紙を差し出した。
チクリ、彼女の頬に棘が刺す。

今まで、何度かこういうことはあった。
毎度同じセリフで断る俺も、なんてバリエーションがないんだろうと思うけど、それを俺以外の誰が知ってるわけでもないからいいだろう。

このセリフを言った後は、大抵女の子はこんな風に傷ついた顔をする。
俺としてはべつに誰も傷つけたくないんだけど、変にやさしさをかけるのも間違ってると思うし、メンドクサイし・・・。よって、今回も今後もこのサイクルが変わることはない。

でもその彼女は、手紙を見つめて寂しそうな顔をしただけで、すぐに俺に目を戻した。
そして、ほのかに笑う。


「それ、もらっておいてください。捨てても構わないので」


彼女は手紙を指して言った。
手紙を持った手を引っ込めると、彼女は今度はちゃんと、にこりと笑った。


「断るのにわざわざ来てくれたんだ。ありがとう」


電車が来て人が乗り込んで、発車ベルが鳴って電車が出ていく騒音の中で、彼女はうれしそうにはにかんだ。
それは自分でも思ったけど、俺が行かなきゃこの人は待ちぼうけか、と思うと少し気が引けたんだよ。変なとこ律儀な性格が鬱陶しいよ。

ふっと、彼女は張り詰めた空気を溶かすように息を吐いた。
そしてまた俺に目を戻して頭を下げる。
いい人でよかった。ありがとう。

ありがとうだなんて、礼を言われるようなことはしてない。
毎度のセリフしか言ってないし、メンドクサイとまで思っていたんだし。

今まではただ、不確かで掴みどころのない、実体のない気持ちを押し付けられていると思ってた。
いわゆる”恋愛事”にまったく興味のない俺は、彼女たちの思いなんてまったく理解に及ばなかった。
目の前の女の子がどんな風に自分に興味を持って、どうして俺を好きになったのか、なんて知ろうともしなかった。
だから、彼女たちがそういう手紙を渡してくる理由も、俺にはわからなかった。


「君は、どうして俺に手紙を渡そうと思ったの?」


きょと、と彼女は目を開いた。
俺もそれを言ってしまった瞬間に、自分で何を聞いてるんだろうと思った。
そんなこと聞いて、何がどうなるわけでもないのに。

ええと・・・、と俺から目線を外して考え込み、その後で彼女はゆっくり口を開く。


「貴方を好きだった、っていう事を、現実にしたかったから?」


照れ隠すように、彼女は語尾をおどけて、笑って言った。

好きだった、という現実。
想いの証。

意外だった。
そんな答えが返ってくるなんて思いもしなかった。
まだ誰かを好きだと思ったことのない俺には出てこない言葉だった。


「私も聞いていいですか」
「・・・何?」


そんな意外をつかれたせいか、決して彼女に興味を持ったわけではないのだけれど、聞いてもいいか、と思った。


「前に、貴方が定期を落として、それを拾ったことがあるんだけど、覚えてる?」
「・・・ああ、落として、拾ってもらったのは覚えてるけど、あの時の?」


パッと、彼女は花を咲かせるように笑った。

前に一度、改札を抜けて定期をかばんにしまおうとしたところで定期を落としたことがあった。
階段を上っている途中で、不運にも定期は階段の下まで落ちていってしまって、ちょうど下にいた女の子がそれを拾ってくれた。確かに、同じ年くらいの女の子だったように思う。顔までは覚えていないけど。そのときの子だったらしい。

でもまさかあれだけで好きになったわけじゃないよな。
そんな単純な・・・ああでも、一目見てって手紙に書いてあったし、あながち・・・


「それ、どこの制服?」
「雑司が谷」
「雑司が谷?じゃあ家がこの辺?」
「いや、そうじゃないけど、・・・」


途端に空気を和ませた彼女は、さっきまでの緊張感などまったく消えてしまったような顔で話し始めた。なんて、順応と切り替えの早い子。


「サッカー?」
「うん」
「ああ、あるね。大きいサッカー場。あそこでサッカーやってるからこの駅使うんだ」
「うん」
「なるほどなぁ」
「意外。いろいろ知ってるんだと思ってた」
「え?」
「だって、俺の名前知ってたし。こういう手紙をくれる子って、異様に俺のこと知ってるし」
「あー・・・」


彼女は少し言葉をにごらせて、あさってのほうに視線を泳がせた。
そしてぱっと俺に振り返る。


「だって、知りたいから手紙、渡したんだし」
「・・・」


ああ、なるほど。
つまり、これはキッカケなわけだ。
学校も違う、ただ駅でみかけるだけの何も接点のない人間と近づくには、まず話しかけなければ始まらない。

俺は、初対面の印象でその人がどういう人か、ある程度わかるつもりだ。
でも俺の中で、この彼女のイメージはどんどんずれていっていた。
最初は緊張していたんだろうけどうまく喋れなくて、だからもっとおとなしいタイプの子だと思ってた。こんなに明るく気軽に話せる子なら、手紙じゃなくてもこんな風に直接喋りかけてくるんじゃないかな。でもやっぱ、初対面ではそれもしにくいか。


「そうだ、サッカー見に行っちゃダメですか」
「え?」


突然、彼女はそんなことを言ってきた。


「見にって、練習?」
「ジャマはしません。話しかけもしません」
「・・・」


でも、一度俺に好意を持った彼女が、今後も会うことになってしまっては、俺への想いを諦められるとも思えない。少なからず期待を持ってしまうだろう彼女に、引き伸ばすようなことはどうかと思う。
ほんの少し興味をもったからといって、俺が今後彼女を想うようになるとも、思えない・・・


「ああ、しつこくしようとかそういうんじゃないよ。見てみたいだけ。興味あるし」
「サッカーに?」
「うん」


俺の心中を察したように彼女はさらりと言ってのけた。


「練習って毎日やってるの?」
「毎日はないけど、ほとんど」
「明日は?」
「ある」
「じゃあ明日見に行っていい?」
「・・・まぁ、いいけど」


ありがとう。
気の抜けた笑顔で、彼女は笑った。


「じゃあ、今日はありがとうございました」


俺たちがいたホームに電車が走ってきて、彼女はまた深々と頭を下げて電車に乗った。
ドア口でくるりと俺に振り返り、にこりと笑って手を振る。
ホームに注意の放送が鳴り響き、 俺はドアが閉まる前の電車に一歩、足を踏み出した。


「名前、もう一回教えてくれる?」


プルルルルルルル・・・・
発車の音が反響する中で、俺のそう大きくない声は彼女に聞こえただろうか。
彼女は少し目を開いて俺を見つめ、その目をかすかに細めると口を開いた。


「伊咲、響子」


彼女がそう言葉を発した直後、俺たちの間のドアはぷしゅと閉まって、電車は流れるように駅を出ていった。窓の向こうから、彼女は見えなくなるまで手を振っていた。


きのうはあまりに突然でしっかりと覚えていなかった彼女の名前。

伊咲響子。


駅の屋根のそのまた上に、ほんの少しだけ月が出ていた。
新月から1日だけ経った、欠片のような、細い細い月だった。
これからあの月はゆっくり時間をかけて膨らんでいく。


「・・・」


あれ、俺

なんで彼女の名前聞いたんだろう。















1