雨は上がって雲は消え、空は綺麗に晴れ渡る。
そうして季節は移り変われど、私はそこに、座り込んだまま。










十六ラブレター













カーテンを閉め切った部屋は薄暗くて、そんな空気に輪をかける辛気臭い空気を発して、私はひたすらベッドの中でぐずぐずと泣いていた。ずっと泣き続けて目は熱いし鼻水を吸いすぎて頭は痛いし、息もしにくく心臓が痛い。たとえあの窓の外からどんな眩しい光が差し込もうとも、その光を見る気にはならない。これからこようとしている夏を迎える気にならない。布団を被ったまま時間だけがのろく過ぎていった。





ドアが開く音がして、お母さんの声がした。ぽんと布団の上でお母さんの手を感じて、暗い中で目を開けた。


「今日お葬式よ、行かなくていいの?」


おそうしき・・・


「つらいけど、行ったほうがいいと思うよ。もうお別れできないんだよ?」


おわかれ・・・


「やだっ」
、」
「やだ、絶対行かない、絶対いやっ」


わああ・・・
泣いても泣いても涙は枯れなかった。
涙が止まる時がくるとしたら、それは息も心臓も止まる時だけだ。その時初めて人は悲しみも苦しみもすべて無くなって、形すら無くなってしまうんだ。わんわん自分の泣き声が布団の中でこもって、頭がガンガン響いた。すると布団の上からぎゅっと重圧がかかって、すぐそこからお母さんの声が聞こえた。


、泣いてもいいから行こう?お母さんも一緒に行くから、響子ちゃんのところ行こうよ」


ぎゅっとお母さんが布団の上から抱きしめて、私はまた大粒の涙を布団に染み込ませた。
いやだ、とも、行くとも言えなかった。喉が枯れ切っていることと、涙と鼻水でうまく喋ることができなかったし、それに別れなんて、悲しすぎて行きたくない思いと、行かないと響子が寂しいかもという思いが胸の中でぐるぐると駆け巡って・・。
そんな私の気持ちをきちんと理解しているように、お母さんはぽんぽんと頭をなぜて、私を連れ出した。

悲しくても最後の別れはきちんとしたほうがいい。いくつになっても人と人のかかわりが切れることは悲しいことなの。それはいくつになったって変わらないの。でもね、いつまでも悲しい思いを引きずってても苦しいだけよ。今は苦しくてもきちんとお別れをしたほうがいいの。それがいつかは、ひとつの区切りになるから。

大人は、こんな思いをいくつもしてるんだろうか。大人になれば悲しみや苦しみの乗り越え方がわかるんだろうか。それが大人になるということなのだろうか。
でもその時の私にはお母さんの言ってる事の意味が理解できず、耳を塞いで

うるさい、
うるさい、
私の中で響子はそんな軽いものじゃない

そう目の前の事実から目を逸らしてばかりだった。





白黒の世界で喪に服す人々は、響子の家族と学校の友達と近所の人たちとで溢れかえっていて、行ったり来たり、出たり入ったり、騒がしいばかりだった。
響子のお母さんとお父さんも、来た人一人ひとりに頭を下げて、まともに響子の遺影すら見れていない。どうしてお葬式なんてものがあるんだろう。あれじゃ響子のお母さんがかわいそうだ。誰よりも悲しんでるのはきっと家族だろうに、周りの雑事に追われて悲しむことすら出来ないでいる。みんなが忙しそうに動いて、その周りで人々が悲しんで涙を流して、響子だけが笑顔を写真にはめて箱の中で音も無く静かに寝ていた。

そんな響子を見ると、私はまた涙が溢れて歩くことすら出来なくなって、その場で泣き崩れた。


ちゃん」


泣きじゃくる私の肩に手を置いて、そうそっと声をかけたのは響子のお母さんだった。
床に涙の雫をぼたぼた落としながら顔を上げると、響子のお母さんは私と目を合わせて小さく笑いかけた。

どうして笑うの


「ちょっと、来てくれる?」
「・・・」


響子のお母さんは私を支えるように立たせて、部屋の奥へ連れていった。もう歩くこともできないと思っていたのだけど、響子のお母さんが言うと、不思議と足は動いた。
一番悲しいのはこの人だと、わかっていたから。

そうして響子のお母さんは、私を響子の部屋に連れていった。
何度も来たことのある響子の部屋は相変わらず片付いていて、机の上やベッドにまだ響子がいた香りを残していた。


「まだ全然片付けてないから、響子に何を持たせてあげたらいいかわからなくて、響子この後で火葬されちゃうから、一緒にお棺に入れるもの選んでくれない?」
「・・・」
ちゃんがもらってくれるものがあったら、持っていっていいからね」
「・・・」


そんなこと言わないで
響子がいなくなっちゃうよ・・・

そうおばさんを見上げると、おばさんは小さく微笑んだまま、でも目の奥にゆらりと波を起こした。
そしておばさんは私の背中に腕を回して、ぎゅっと私を抱きしめた。

おばさんはずっと泣いていた。
忙しいほうが気がまぎれていいわ、なんて言いながら、本当は誰よりも悲しみに暮れたい気分を殺して、ずっと、ずっと。

もしかしたらおばさんは、今腕の中にいる私に、響子を重ねているのかもしれない。
私に回された腕はぎゅっと痛いほど締め付けて、額に当たる頬は震えていた。
おばさんの体からにじみ出る深い深い悲しみが、うんともすんとも漏れないその苦しい吐息に乗って私に伝染する。

眩しい日差しをカーテンで閉ざした、薄暗い部屋の中で、おばさんの腕の中で私はまた泣いた。



その部屋に残されて、響子の勉強机の椅子に座ってまた泣いていた。
においとは、一番記憶に残るものだ。そして一番忘れにくいものなんだ。この部屋にはまだ響子がいた。

またぐずっと涙が溢れてきて、机の上にぽたりと涙を落とした。
その時ふと、机の前の本棚に入ってる雑誌に目がついた。物語の本が並んでいる中でひとつだけ仲間外れみたいにその雑誌は挟まれていた。何の雑誌だろう、と引き抜いてみると、表紙にサッカー選手が載ったサッカー雑誌だった。

響子がサッカー雑誌なんて

そう思って見つめていると、私はパッと思い出した。
響子が駅で一目惚れしたという男の子、確かその人がいつもスポーツバッグを持っていると言っていた。

それでサッカー雑誌?
響子、ほんとにその人が好きだったんだ・・

その雑誌をぺらぺらとめくっていると、中からポロリと一通の手紙が落ちてきた。
表には何も書かれてない、薄いブルーグレーの封筒に月の模様が入った手紙。

もらったものかな
渡すものかな

渡すものだとしたら、これはもしかして、ラブレターかな・・・。
あの響子がラブレター・・・。あまり、想像がつかない。


私は響子の机の引き出しを開けて、その中にある赤いカバーのノートに目を落とした。
響子が日記をつけているのは知っていた。

でも人の日記だ。日記なんてもし自分もつけていたら、死んでも誰にも見られたくない。
その日記を見つめて、私は悩んだ。でもどうしても気になってしまって、そのノートを取り出して中を開いた。


最後の日記が書かれている日付は、当たり前だけれど、響子が事故にあった日の一日前。
その最後の日記に、「」の文字を見つけて、私はその文に目を通してしまった。


私もみたいに強くなれたらいいのに。
のように明るくて、なんでもはっきりと言えて、
怖がらずに前へ進めて、誰とでも仲良く出来る子だったらよかったのに。

だったら、彼とだって話ができるかもしれない。
私もみたいに強くなれたら、私でも何か変わる事が出来るかな。


「・・・」


私はになりたい。


・・・私は、ずっと怖かった。
響子とすれ違ったまま、こんなことになってしまって、響子の中で私がどんな存在になってしまったのか。どうしてもっと響子を大事に出来なかったのか、どうしてもっと響子の話をちゃんと聞いてあげれなかったのか、そんなことばかり考えていた。


「響子・・・っ」


こんな私になりたいなんて、響子は私にないものをいっぱい持ってたのにっ・・・

悲しさの中に、悔しさが侵食してきて、行き場のない思いが溢れかえった。
響子の思い。いや、響子そのものが詰まったその日記は、最後の日までの数日間、ずっと駅で会う男の子で埋め尽くされていた。


駅で初めて彼を見つけた15日前。
また会えた12日前。
駅の売店でサッカー雑誌を買っていた10日前。
彼が落とした定期を拾って、彼の名前を知った8日前。
試合に負けたと大騒ぎする友達の前で涼しい顔をしていた5日前。
遠くから彼の写真を撮った4日前。
私に嫌なことを言ってしまってへこんでいたけど、彼を見て少し元気になった3日前。
駅のホームで彼の後ろに立った2日前。
遠くに浮かんだ三日月を一緒に見上げた、1日前。


手紙を書く決心をした、最後の日。


響子は引っ込み思案で、まさか告白なんて出来る子じゃないんだよ。
なのにこんな手紙を書いたなんて、私が響子を急き立てるようなことを言ったからじゃないの?

響子は変わろうとしてた。
本当にその人を好きになったんだ。


薄いブルーグレーの手紙
響子の最後の決心


私は響子を絶対に忘れない。私の中で響子は一生生きている。
でももし、その彼の中でも生きることが出来たなら、響子の短すぎた人生も華やぐことができるのかな・・。最後に、響子の役に立つことが出来るのかな・・・


「・・・」


響子の気持ちを届けたい。
響子が恋をした15日間を、現実のものにしてあげたい。

響子の日記と、薄いブルーグレーの手紙を、ぎゅっと抱きしめた。










夏休みが明けた、9月。月も見えない日暮れ時。
電車の発車ベルが駅のホームに鳴り響こうとも、私の心臓に比べればおとなしいものだった。
緊張で胃が痛くなってきた・・・。本当に大丈夫かな、いきなりつき返されたらどうしよう・・・。

汗の滲む手で、あの手紙をしわくちゃにしてしまわないように握る。
名前は、覚えてる。(噛みそうな名前だった) 顔もちゃんとチェックした。


「響子・・・」


最後にもう一度手紙を抱きしめて、深く息を吸って止めて、響子を想い描いた。

しばらくして、あの男の子が駅のホームにやってきた。さらに大きく胸打った心臓を必死に抑え、すーはーと深呼吸を繰り返した。
友達も一緒だけど、まぁいいか。とりあえず今日は渡せれば・・・。出来れば写真とか撮りたい。響子が彼を隠し撮りしたあのカメラは事故に遭った時もカバンに入っていたからつぶれてしまっていた。


「・・・よし」


ぐっと手に力を入れて、心に響子を想って、電車を待つ彼に近づいていった。


「あの、」


少しでも、彼の心に残したい。
響子の想い。響子自身。


「郭、英士君ですよね」
「はい?」


彼の瞳に映る私は、響子。


そうして、彼、郭英士君と、響子の

15日間がはじまった。














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