十六ラブレター













白い空を、冷たく風が舞う。
ちらちら煽られて、綿帽子のように白い雪も舞う。


「雪だー!!」


っくしゅん!と鼻水を飛ばしながら、結人は鼻をすすって空に両手を伸ばした。暑くても寒くても雨が降っても文句を言う結人が唯一許すのが雪だ。滅多に降ることのないそれは細かくて小さくて、その手に触れた瞬間にじわりと消えてしまうけど、冷たいその温度とは裏腹にあたたかく見えてしまうから不思議なものだ。

土日は選抜での練習が中心になってきて、目前に控えた韓国遠征に向けて集まる日々。今年はやけに寒く、雪に弱いこの都会にも時折ちらつく寒い日が続いていた。


「韓国も雪降んのかなー。英士、ユンに聞いておいてよ」
「わざわざ聞かなくても寒けりゃどこでも雪くらい降るよ」
「日本と韓国じゃそんな違いないだろ」
「なーんだ、やっぱそーゆーもん?あーあ、積もらねーかなぁー。雪積もったら誕生日プレゼントに雪だるま作ってやるのになー」
「雪だるまかよ」
「イラナイ」


そう、そんな正月も過ぎた冬の日、俺は14回目の誕生日を迎えていた。そんな日だけに、友達やチームの奴におめでとうと言われたり、結人に缶ジュース奢ってもらったり一馬にプレゼント貰ったり。家に帰ればそれなりの食事とケーキとプレゼントが用意されてるだろう。


「どんなもの貰った?」
「んー、マフラーとか、タオルとか」
「やっぱなー。お決まりグッズだな」
「てゆーかそーゆーのってさぁ、どうしたらいいわけ?使うわけにも、いかないしさ」
「だよね」


どこで調べたのやら、学校では朝から同級生や他の学年の女子にまで声をかけられたり物をもらったり。人が必要以上に自分のことを知っているのは怖い。


1月の風は肌を刺すようで、やわらかさなど皆無。雪はまだ寒さが足りないというのか、みぞれのよう。グラウンドを踏みしめればパリッと土の中で霜が立ち、空から風をまくような音が落ちてくる。

きのう見た夜空では金色の月が笑っていて、少し前まで満ちていたそれがまた消えていこうとしていた。そうして今まで何十億年繰り返してきた、これからもそうしていくんだろうそれを、相も変わらず見上げている。

むしろ今までよりも、見上げる回数は増えているかもしれない。
あの十六夜のラブレターから、4ヶ月が過ぎていた。





冬の夜の訪れは早く、もうすでに空は真っ暗だけど、やっぱり街の明かりで世界は明るい。練習が終わってまだ熱を持ってる体は、それでもどんどん周りの空気の冷たさに温度をさらわれていく。手の先は凍えるほど冷たいのに、体から出る息は白く世界に溶け込む。


「英士?どこ行くの?」
「ちょっと行きたいとこあってさ。またあしたね」


練習場から数分歩いたところで足を止めて、駅とは別方向に、三日月が浮かんでいる方向に歩き出した。

月の引力に誘われたのか、俺が求めてやまないのか。

コートのポケットの中で冷たい指先をぎゅっと握って、マフラーの隙間から白い息を吐いた。汗が冷えてより寒く感じて、体の芯からぶるっと震える感じ。目を動かすだけで冷たくて、少し眉をしかめて空を見上げた。歩くにつれてだんだん街の明かりが少なくなって、空にはぽつぽつ、星が目立った。

鼻を通る空気すら冷たく刺激して、その中でほんの少しだけ、水の匂いを捉える。さらさらと川の流れる音がして、それをガタンガタン橋の上を通る電車の音が遮って、電車が通り過ぎてまた静かになると、また少しずつ川の音がフェードインしてくる。
暗い河川敷にぼんやり光を落とす三日月。ただその月明かりと、河川敷の道なりに点々と立っている電灯だけの明かりで川の水がキラキラ光る。

俺は、あの手紙をこの河川敷で見つけてから、何度かここに足を運んでいた。思い出すようで行きたくなかったのだけど、少し気持ちが落ち着いてくるとやっぱり足が向く。

そうして俺は、気づくんだ。
ゆっくりゆっくり膨らんで芽生えた分、忘れることもなかなか出来ないものなんだと。そう認めてしまえばなんだか、笑ってしまうほどに楽になった。

俺の中にはまだ、君がいる。




河川敷を川の流れと逆流に歩いて、あの、猫のお墓を作った橋の下まで歩いた。たまに来て綺麗にしてるせいか、野良猫のお墓にしては妙に立派なものになっていた。


「・・・」


月明かりにぼんやりと照らされて白く光る大き目の墓石。その石の前に、白い花びらを薄いピンクで縁取った、小さな野花が置かれていた。

花・・・
誰かが供えたつもりなのだろうか。これが墓だとわかって。

俺は橋の下から出て、川辺から芝生の坂を上って上の道に出て暗い世界を見渡した。また橋の上を通る電車の明かりがライトを落としてピカピカと光ったが、遠くの住宅街のほうも川の反対側もこの伸びる道の行き先も、ただ冬の夜の暗闇を纏っているだけで何も見えなかった。

心臓の音が煩い。白い息となって口から漏れて、背中に回っていたマフラーがはらり、肩から落ちた。


ここに、いたの?
君がここに、来ていたの?


思い返せば胸が痛い、行き場のない想いだと思っていた。それでも、たとえ心の中にだけ居つく想いだとしても、それは尊いものなんだと思っていた。自然と俺の心がその想いを解き放ち消えていくまで、この胸においておこうと目を瞑った。


君がここに、いたかもしれない・・・


「・・・・・・」


ひゅ、とマフラーを後ろにかけなおして、暗いまっすぐな道を走った。辺りを見渡し暗い夜道の中、まるでどこまでも続くかのようなコンクリートの上を捜し求めながら走った。

もしあの花を置いたのが君なんだったら、そんな近くにいた君すら見つけさせてくれないなんて、神様はなんて意地悪なんだろう。

違う、神様なんていやしない。俺たちの出会いは偶然じゃなく、すべて君が作り出したものだった。出会いも別れも、時間も約束も、愛しさも切なさもすべて、君が俺にくれたものだったはず。

未熟で未発達な俺の心はまだ、模索するように彷徨うけれど

君に会いたい。






この広すぎる世界は、まさか俺と君だけの世界ではなくて、物も人も溢れすぎていて、たった一人だけを求めるにはあんな三日月じゃ小さすぎて、君を見つけることができなかった。
駅まで戻ってきて、君の姿を探した。世界がぐるぐる回っているような錯覚を覚えるほど、ひたすら君の存在を求めた。

心の中で何度も何度も、君の名前を呼んだ。
まさか忘れることなんて出来なかった、君の名前。


「・・・」


改札口に目を向けると、俺たちが初めて会ったホームに電車が来ていて、そこに、あの、姿を見つけた。

確かに、彼女だった。さらりと流れ落ちる髪も、俯きがちな背も、弾むように歩いていた足も、俺の隣でふわり存在していた君に他ならなかった。
急いで改札を通って、今もう電車に乗り込もうとしている君を追いかけた。でももうすでに発車のアナウンスが流れていて、電車のドアが閉まるのに間に合うはずがない。

君が、
俺の前から、俺の世界から、また去ろうとしていた。


待って、待って、

呼び止めないと・・君の名前・・・
君の、・・・





ーっ!」





ぴたり、世界が止まった。


ホームは多くの人の雑踏で溢れてて、発車ベルが鳴り響いていて、でも電車に乗ろうとしていた君の背中はぴたりと止まった。周りを見回して、あちこち振り返って君は、発車ベルに乗って視線を張り巡らせて

ぴたり

俺に目を留めた。


この世から俺たち以外のすべてが消えた。大きく響く胸の音に反響するように鳴っていた発車ベルが止まって、彼女の後ろで電車のドアが閉まって電車がホームを出ていった。

俺の記憶の中とは違う冬仕様の君はその体をセーターとコートに包んで、マフラーからはみ出した髪がさらさら揺れていた。きっと俺もあんな顔をしてるんだろう、目を見張って動けなくて、まだ信じられない互いの存在を、現実にしようと。そんな彼女に目を合わせながら、俺は階段に走って、君のいるホームまでまた走った。


少しずつ、少しずつ、近づいていってるんだろう君に、俺は不思議と怖さも戸惑いも感じていなかった。無心に足を急がせて、ガラにもなくもつれそうになりながら、マフラーが乱れるのも気にせずに君がいるホームに降り立った。


「・・・」


彼女の数メートル前で足を止めた。
君の涙がはっきりと見えたから。

俺は一歩、また一歩、君に近づく。騒ぐ心臓がどんどんと胸を中から叩いて、落ち着かない息を少し飲み込んで、君の波立つ瞳に俺を映した。


「えいし君・・」


君の声で紡がれる俺の名前が、全身を巡る血液のようにじわりと俺の中に浸透する。


「あ、あたしの・・名前・・・」
「・・・うん」


君の名前。君に教えてもらえなかった、君の本当の名前。
あの時君が俺に名前を教えなかったのは、大事な友達を裏切れなかったからということくらい、わかっていたよ。


「俺たち、また、出会おうよ」
「・・・」


今度は俺が、君を探し見つけ、今度はちゃんと本当の君として、もう一度最初から出逢おう・・・。


「君が好き」


詰まる想いを涙で吐き出して、君は泣いた。
俺はその君に手を差し出し、君も俺のその頼りない手に手を近づけて、冷えた世界で合わさるぬるい温度で君は、溶けるようにまた泣いた。
ただ、手が合わさっているだけ。ほんの些細な、この冷たい空気の中ではぬくもりとも感じられないほどささやかな、交わり。でも俺たちはその拙い繋がりを、もう離したくないと必死に繋ぎとめて、願った。


「俺も忘れないよ。伊咲さんにもらった、あの手紙」


彼女の想い
君の思い


「伝えてくれてありがとう」


俺を見上げる君はずっと涙を降らし続けて、小さく震える口唇は拙く動き、それでも何かを伝えようと。


「ありがとう・・・」


こぼれる君の言葉は、天から舞い降りる雪のようにふわり。
もしかしたらそれは、空の彼女が君の口を借りた、もう直接届けることの出来ない最後の言葉だったかもしれない。


夜空でにこりと微笑んでいる金色の三日月に、もう、俺たちが暗闇で彷徨ってしまうことのないように、祈った。

どうか、俺が彼女を愛おしく思うことを、彼女が俺に手を伸ばすことを、俺たちがこの世界で一緒に存在することを、許してほしい。君の手紙は一生、俺の中で瞬き続けるから・・・

この月はまた形をなくして、この世に暗闇をもたらすんだろうけど、きっとまた満ちてゆくはずだから。そうしてこの世は永遠を繰り返すはずだから。


俺たちのはじまり。

すべてはあの、月のない夜。
確かにこの世に舞い降りた、一通のラブレターだった。











十六ラブレター


END

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