彼女と駅のホームで会い、少しだけ話をした日の翌日。

クラブの練習が始まって周りを見渡しても、彼女の姿は見えなかった。









十六ラブレター









「なーなー英士、あの手紙どーしたのー?」


休憩時間にドリンクを手に取ると、結人がうしろから肩に腕を回して言ってきた。


「何?手紙って」
「一馬惜しーもん見逃したなー。おとついの練習の後に英士の奴、駅で告られたんだぜー?」
「うそっ」
「受け取ってください!ってラブレター渡されたんだよなー英士?」
「うわ、マジで?で、どーしたの?」
「べつにどうもしないよ」
「なんて書いてあったの?」
「・・・べつに」
「なんだよべつにって。返事書かないのー?」


ほっといてよ、と肩の上の結人の腕をのけた。


「ラブレターってまた古風だなー、一馬もらったことある?」
「・・・のよーなものは、あるけど」
「なにぃ!?あるのか!」
「のよーなものだけどな」
「なんだその微妙な言い回しは」


結人は俺から一馬へと興味を移動していって、その二人から離れてドリンクを口につけると、飲もうとした瞬間にうしろからわき腹をこそぐられた。飲もうとしたものが口から吹き出しそうになって押さえながら振り返ると、二人がにやぁ、と嫌な笑顔を見せる。


「なにすんの」
「話題は去った、みたいな顔してるんじゃないよ〜。どーしたんだよあの手紙!」
「だからほっていてってば、どーでもいいじゃん」
「よくないよ〜。英士に彼女が出来たらそりゃもう重大ニュースだもんなぁ!」
「え?なになに?郭に彼女?!」
「うそ!マジでー?」


騒ぐ結人の声は練習場脇のベンチ一体に響き、その声は周りにいたチームメイトまで巻き込んだ。


「郭、彼女いんの?どんな子?!」
「かわいい?何系?」
「結人!」


騒ぎの元凶を作っておきながら、結人はチームメイトに迫られる俺のうしろでケラケラ笑ってる。いつもこうだ。結人は煽るだけ煽り立てておいて、肝心な時はいなかったり外から傍観してたり。一馬までつられて笑ってるし。


「やめてよ、そんなんじゃないから」


うんざり、という表情を満面に見せてみんなから離れて、背を向けた。
そのとき、ふと目に入ったのは、練習場を囲むフェンスの向こうに立っていた、人影。ギク、というような俺の表情は、きっとあっちからは見えなかったんだろう。俺と目が合うと、その人影・・・きのうのあの彼女だ。彼女は俺が気付いたのを見て、にこっと笑って手を振った。

タイミングが、非常に悪い。


「おお!なに、もしかしてあの子?!」
「なに?!まさか付き合ったのか?それは聞いてないぞえーし!」
「違う」
「あれどこの学校?あの制服見たことあるな」
「あのセーラーは西中じゃないの?」
「なんだよえーしー、紹介しろって!」
「だから・・・」


もう説明するのもバカバカしい。騒ぐみんなにも、こっちを見ている彼女にも背を向けドリンクを口に入れた。彼女もこの異様な空気に気付いたのか、笑顔を止めて自重するように手を後ろに回す。

その後練習が再開されて、みんなとグラウンドに戻っていく途中で、フェンスの向こうにいる彼女にちらりと目を向けると、彼女は「ごめん」というように顔の前で両手を合わせた。

べつに彼女は何も悪くない。(全ては結人が悪い)それに、恥ずかしさからというか、なんというか、目を逸らした俺も、俺。瞬間的に誰かと関わって過ぎ去っていくのは慣れてるけど、こんな微妙な距離、慣れてないんだ。彼女じゃないし、なんと説明していいかわからないし、・・・っていうかべつに説明する必要ないし。


「え〜し〜」
「うるさい」


その後の練習中も、いや、その日の練習が終わるまで、俺は結人とまったく口を利かなかった。敏感にこの空気を読み取る一馬は結人を止めようとするけど、わかっているのかいないのか、結人はしつこく寄ってきては彼女のことを聞こうとしてくる。いい加減うんざりして、練習後はさっさと着替えて、結人に捕まる前に練習場を出て、ずっと練習を見ていた彼女の元へ走った。


「行こう」
「え?」


彼女は何か喋りだそうとしたけど、それよりもひとまずその場から離れたかった。またこんなとこ見られたら、あのバカ結人はじめバカチームメートに何言われることやら。俺たちはそそくさとその場から離れて、駅に向かって小走りで走り去った。うしろで、練習場から出てきた結人が、あれー?と言ってるような声が聞こえた気がした。


「ごめん、なんか結局邪魔しちゃって」
「べつに」
「ごめん、ほんとゴメンね」


さっさと歩いていく俺を追いかけて、彼女は手を合わせて何度も謝った。

だから、べつに君は悪くないんだ。俺も悪かったんだ。あんな結人の悪フザケいつもの事だ。なんでもないフリしてさらっと流せばよかったんだ。(つまりはやっぱり全て結人のせいにしておこう)


「でもなんか、すごいね」
「え?」


後ろの彼女は少し興奮気味に、合わせていた手を今度は握って言った。彼女に歩調を緩めて振り返ると、彼女はようやく歩く早さが自分並みになって、ほっと息をつくように速度を緩める。


「うちもサッカー部は結構強いんだけどさ、なんかレベルが違うって言うか、みんな本気でやってるんだって感じ。すごかった」
「みんながみんな本気でやってるわけじゃないけどね。俺は本気だけど」
「はは、結構自信家なんだねー」
「・・・」


彼女は、まるでずっと前から友達だった子と喋るように、フランクだった。もうすでに緊張も感じずに俺の隣を歩いて、すでにその場所に居慣れている様子だった。

俺はまだ、隣にこの子が歩いているこの現状を慣れてはいない。というかまだ会って3日目だし、それが普通だろう。そんなにすぐに他人の空気に入れるほど社交的じゃないと、自分でもわかってる。


「ねぇ郭君」
「なに?」
「アイスは何味が好き?」
「は?」


彼女は、駅前のアイスクリーム屋を指差した。どうやら食べたいらしい。というか、会話が突飛過ぎる。もっと主語を出そうよ、主語を。


「学校帰りは大体ここ寄ってくよー。郭君はー、寄り道とかしなさそーだね」
「あんまりしないね」


へーと形だけの相槌を打つ彼女は、俺の話を聞いてるやら聞いてないやら、ケースを覗きながらひたすら迷っていた。迷って迷って決められず、結局3つアイスを重ねてもらって。


「食べきれるの?」
「大丈夫、あたしの胃袋ブラックホール」


アイスのスプーンを咥えて親指を立てる彼女は得意げに言って、俺は少し笑った。


「なに?」
「いや、友達と同じこと言うから」
「あ、もしかしてあの、ずっと郭君にひっついてた人?」
「あたり」


結人のお調子者っぷりは傍から見ていてもわかるんだな。


「あ、そうだ」


彼女は思い出したように呟いて、またアイスのスプーンを咥えたままカバンに手を入れごそごそと手探った。


「あの、ね、嫌だったら嫌だって言ってね?」
「なに?」
「絵とか、興味ある?」
「絵?」


彼女は俺の様子を伺いながら、2枚のチケットを俺に見せる。


「近くの美術館のチケットなんだけど、あたし絵とか好きでよく行くの。でね、2枚貰ったから、そのー・・・」
「俺もってこと?」


肝心の「一緒に」が言えない彼女の変わりにそう言い出してやると、彼女は不器用に頷いた。


「興味、ない?」
「ないっていうか、行ったことない」
「あたしも詳しいわけじゃなくて、でもここは何回か行った事あって、結構見てみると楽しいよ。風景とか人物とかなんでもあるんだけど、こう・・・ファンタジーチックな絵があってね?それがすっごいリアルにうまいから、天使とか妖精とかがほんとにこの世にいるみたいに見えるの!ほんと綺麗なの!」
「へぇ」
「あんなのが人の手で描かれてるんだもん、すごいよー。一回どーやって完成してるのか生で見てみたいんだよね。使ってる道具は同じでもさ、全然出来上がり違うんだもん。あ、当たり前だけどさ」
「へぇ」
「道具とか、タッチとか知識とか経験とか、いろいろあるんだろうけど、でも構図とか色使いとか?そういうのはやっぱりその人のセンスっていうか、才能かなぁって、思っちゃうんだよね」


力強く語りながら、彼女ははぁ、と息を漏らした。賛同するものに貪欲で、それでいて素直に賞賛できるのは、なかなかできることじゃないし、良い事だと思う。でも、それを語る彼女の瞳は輝いていたけれど、尊敬や憧れ、だけではなさそうだ。才能かなぁ。そう口をついた彼女の言葉は、憧れと嫉妬も混ざっていた。

わかる気がしたんだ。あまりに秀でたものを目の当たりにすると、そう思ってしまうのは誰でも一緒。心から賞賛する気持ちと、身の程の覚束無さ。手の届かない憧憬、身の程の現実。女の子でも、そんな事を思うんだ。

そんな彼女は、ハッと我に返り言葉を止めて俺に目を戻した。


「えーと、あの、ほんと1回見てみたらいいと思うな。うん。見てくれたら、わかるよ、きっと」
「そうなんだ」
「そうです。きっと」


熱弁していた自分を少し恥じて、彼女は溶けかけたアイスをぱくぱくと食べる。


「いつ?」
「え?」
「それ」
「え、え?行くの?」
「・・・あれ、俺誘われてたんじゃなかったっけ」
「誘いました。誘いました」


彼女はぶんぶん頷いて、握り締めてたチケットを開いて日にちを見る。


「えーと、もう始まってて、今度の日曜まで」
「日曜までか」
「でも、サッカーとか忙しいんじゃ」
「土日は練習ある」
「そうだよね」
「うん。だから、明日しかないね」


彼女の手の中からチケットを一枚取った。握り締めていたせいでくしゃくしゃになっている。彼女は小さく口を開けたまま。


「いいの?絵とか、興味あるの?」
「今はさほどないけど」
「いや、無理にとは・・・」
「話聞いてたらちょっと見たくなった」
「・・・」


ぽかんと俺を見る彼女は、それでも俺のその言葉を聞いてふと顔を綻ばせた。

ありがとう。
そう笑って、またアイスを口にした。

絵を見てみたいと思ったのは、彼女の話を聞いてほんとなんとなくだけど、恥ずかしさを紛らわすようにアイスをザクザク崩して、でも嬉しそうにしている彼女は少しだけ、ホント少しだけ、かわいいと思った。


「あ、」


駅に入る直前、少し間を空けた隣を歩いていた彼女が足を止め、そう声を発した。その彼女に振り返ると彼女は空を見上げていて、俺もその視線の先を追うように見上げてみた。


「三日月」


駅の屋根の間から覗く、暗い青の空。赤くも無い夕暮れの空。電線が何本もはしっててもっと狭まった空の中に、ぼんやり浮かんでいる細い月を、彼女は猫の爪のようだと言った。


「三日月には少し早いんじゃない?」
「そーお?」
「明日くらいがちょうどいいよ」
「そっか。でもなんか、笑ってるみたいだね」
「え?」


彼女に目を戻すと、彼女は両手の人差し指を自分の口の両端に当てて、くいっと口角を上げた。


「にーってさ、笑ってるみたいに見えない?」


笑ってるみたい


「・・・」


俺はもう一度月を見上げた。
ああ、言われてみれば、見えなくも無い。

そのとき俺はふと、彼女の手紙に書いてあった、あの一文を思い出した。


「月が笑ってるとさぁ、なんかこっちまで笑っちゃうね」
「・・・君だけだと思うよ」
「うわ、毒舌〜」


ケラケラ、彼女は笑った。
こっちまで笑ってしまうというならば、今日の月は、彼女のほうがふさわしいんじゃないか。きっと俺よりも彼女のほうが笑ってる時間が長いだろうし、似合うだろうから。

彼女はずっと月を見上げていて、時々階段を踏み外して転びそうになって、それでも月を、笑って見上げていた。電車が来て、彼女は手を振って去っていって、それでも見上げればそこにいる月のおかげで、彼女の笑った顔は俺の脳に焼き付いてしまっていた。

ふと俺まで笑ってしまった。


「え〜し〜!何ニヤニヤしてんだよ気持ちワリ〜!」
「・・・」


いつからかうしろにいたらしい結人と一馬が俺に走ってきて、俺は瞬時に顔を引き締めた。

にやけてるなんて、ありえない。
バカじゃないの。











 

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