隣にいても嫌じゃない。一緒にいても嫌じゃない。毎日会っても嫌じゃない。

つまり、それは、・・・なんだっていうの?










十六ラブレター














タタン、タタン・・・
制服のまま学校のカバンとサッカーのエナメルカバンを持って、今日も練習に向かう。駅にも人はまばら。まだ帰宅ラッシュには少し早い。

彼女と同じ学校の制服の人が何人か、俺と入れ替わりに改札を抜けていく。どうやら、彼女の学校もそろそろ放課後らしい。って、どこも大体一緒か。


「あの、すいません」


改札を出てすぐ、呼び止められて振り返った。





それから数十分後、駅からようやく練習場へと向かおうと歩き出したら、また呼び止められた。


「英士」


その声には安心して振り返った。一馬が改札から出てきて走ってくる。


「誰?さっきの」
「知らない」
「あ、もしかしてあの手紙の?」
「違う」


一馬は改札から出る前に、俺がひとりの女の子と一緒にいたのを見てたようだ。改札を出てすぐに呼び止められた、どこかの学校の制服を着た女の子。赤い顔をして呼び止められて、プレゼントみたいな包みを渡されて、そのついで・・いや、本題?好きですと言われた。


「お前はモテまくりだな。で、そのプレゼントはなんだったの?」
「知らない。受け取ってないから」
「貰わなかったんだ。前の手紙は受け取ったのに」
「あれは・・・渡されてすぐに逃げられたから」


彼女の場合、自分自身動転していたのか、俺に突きつけるように渡してあっという間にいなくなってしまったんだ。だから訳もわからず受け取ってしまって、返すことももちろん断ることもできなかった。

そういえばあの日の翌日に会ったとき、俺確かに気持ちには応えられないって、言ったよな。なのに俺たち、なんであれから毎日と言っていいほど会ってるんだっけ。・・・なんかうまく、操られてるような気がしてきた。


「なぁ天気予報見た?これから週末にかけて天気くずれるってさ」
「うん、雨はやだね」
「やだなー。せめて試合の最中だけでも晴れててほしいな」
「でも俺たちはホームだから、相手よりマシかもね」
「そーだな」


今日からくずれていく天気は、予報では日曜も降水確率が50%と言っていた。どっちつかずな数字。もうすでにどんよりした空を見上げながら、俺たちは練習場に急いだ。






「・・・」
「どうした?英士」
「いや・・・」


練習場について、グラウンド沿いのベンチを見ながら足を止めた。
そこには結人がいて、その隣には・・・なぜだか彼女がいる。


「・・・何してるの」
「お、ふたりそろっておっはー」


二人に寄っていくと結人が俺たちに気付いて手を振った。そして肝心の彼女はと言うと、俺に目もくれずに手の中のゲームボーイを必死に操作していた。


「あ、英士君やっほー」


俺の声を聞きつけて、でも彼女はゲームボーイの画面を見つめたまま、俺をちらりとも見ずに言う。


「ここで何してるのって言ってんの」
「え?対決」
「・・・」


そうじゃなくて。


「今マリオの全クリ何分で出来るか勝負してんのー。俺の記録は17分45秒」


バカな結人が腕時計を俺たちに見せながら言う。だから、そんなこと聞いてないってばこのおバカふたり。会わせてみたいと思ってた二人が、こんな形で夢の共演を果たしてしまった。


「英士、この人があの、手紙の?」
「・・・」


きっと一馬は想像していたのと違ったのだろう、少し声を小さくして言った。
返す言葉もない。


「何か俺に用?」
「え?練習見に来たらまだ英士君いなくて。そしたら結人君が声かけてくれて」


相変わらず彼女は画面を見つめたまま喋る。ジロリ、結人に目をやるけど結人はニシシと笑ってピースした。まるで他人の彼女によく声なんてかけられるものだな。


「見に来るなら来るって、言って欲しいんだけど」
「ごめーんなさーい」
「大体なんでゲーム?結人、壊したんじゃなかったっけ」
「あ、これあたしのー」
「・・・」


ベンチの彼女の隣で開きっぱなしの彼女のカバンの中はウォークマンやらファッション雑誌やらお菓子やら・・・。仮にも受験生であるはずのこの人は何しに学校に行ってるんだか。


「ラストステージ〜」
「なにぃ?もうっ?」
「今何分?」
「もうすぐ15分。やっべぇ負ける、落ちろ!」
「何すん・・うわああ!落ちた!」
「・・・」


ゲームに夢中の彼女は、俺との会話も片手間で・・・いや、俺の存在すら忘れてるかも。


「ねぇ、いつまでそこにいる気?」
「練習始まったら出ますー」
「もう始まるけど」
「もうちょっと!もうちょっとなの!」
「もっかい落ちろ!」
「ジャマするなっ」


結人は彼女の横から彼女の手の中のゲームボーイを覗き込んで、一緒になって大騒ぎする。


「だから、もう練習始まるって」
「ちょっと黙ってて!今大事なとこなの!」


ぶち、と何かが音をたてた。
そんな俺に気付いて、隣の一馬がまぁまぁとなだめる。


「はい全面クリアー!」
「なにー!!15分30秒ー!!」
「だーいしょーり〜!」
「くっそお、もっかいやらせて!!」
「いーけどぉー、アイスのゴチは変わりませんよ〜」
「・・・」


大盛り上がりする二人を見限って、控え室に歩いていった。


何考えてんのあの人は、人の生活の中にずかずかと。慎みってものがないんだよあの人には。いつでも控えめなフリして人連れまわして。大体俺に黙っててってどの口がそんなこと言うの。あの人ほんとに俺のこと好きなわけ?


「英士?落ち着けよ、眉間にシワよってんぞ?」
「ほっといて」


バン、とロッカーを締める音に、一馬が小さくビクッとした。


練習着に着替えてグラウンドに戻っていくと、あのベンチにはまだ結人と彼女が並んで座っていた。まだゲームをしてるのか。しかも今度は結人が。
少し不機嫌に、結人たちのところに戻っていくと、俺に気付いた彼女は振り返って、今日初めて俺を見てふわりと笑う。


眉間によっていたシワが、ゆるり、解ける。


「おはよー」
「・・・なんで今更おはようなの」
「一日の最初にはおはようじゃん?」
「もう夕方なんですけど」


いーじゃーん。
こんな曇った空を前にしても、彼女はケラケラ笑う。


「結人、もう練習始まるよ、早く着替えておいでよ」
「うぃーす」


結人は画面から目を離さず、口だけで言う。
ゲームに夢中になってる間は何を言っても無駄なところまでそっくりだな。そんな結人にはもう何も言わない。


「ねぇ、今日はもう帰ったら?」
「あ、邪魔?」


彼女は笑っていた顔をピタリと止めて、少し身を引いた。


「・・・そうじゃなくて、雨降るらしいし」
「え?そうなの?」


彼女は灰色の空を見上げてようやく気付いたのか、あ、本当だ、とつぶやく。


「英士の天気予報は当たるから聞いておいたほうがいいよ〜」
「いや、俺じゃなくて、普通に天気予報で言ってたことなんだけどさ」
「じゃあ練習ちょっとだけ見たら帰る。いい?」


様子を伺うように彼女は俺を見上げる。

本当に、押し引きというか、引き際というか・・・そういうところがなんでかこう、絶妙。それを考えずにしてやってそうなところがまた・・・腹立つ。


「ダメ。絶対降るまで気付かないから」
「ちょっとくらい降られてもだいじょーぶだもん」
「いいから、今日はもう帰りなって。ほら」


ぶす、とふてくされて、彼女は重い腰を上げた。
またそういう顔をする。

バイバイ、と彼女は結人に手を振って、俺のうしろにいた一馬にもご丁寧に頭を下げる。出口に向かってぽてぽて歩いていく彼女を急かすように引っ張って、一緒に歩いていった


「雨はヤダね。試合って雨でもあるの?」
「ちょっとくらいの雨ならやるよ」


わぁ、大変だ
空を見上げながら


「せっかく、もうすぐ満月なのにね」


まるで空から、ぽたり、雨の雫を落とすように彼女はつぶやいた。
そんな重苦しい空を俺も見上げた。


「ちょうど試合の日あたりには満月になるかな」
「そっか。じゃあ晴れるといいね」
「うん」


雨上がりの空は埃や塵もその水分に吸い取られるから、透き通った綺麗な空が見られる。それに今頃の季節の空はいっそう澄んで見えるから、きっと月も綺麗に見えるだろう。


「晴れたら、一緒に見に行こうか、満月」
「え?」


彼女は俺に視線を移す。俺はふと自分が口走った言葉を頭で再確認して、あ、と彼女を見返した。


「や、べつにいいなら・・」
「本当に?」


彼女は目を丸めて、きょと、と俺を見つめる。


「・・・行きたい?」
「うん」
「街中から少し離れたほうが綺麗に見えると思うんだ」
「うん」


彼女はこくこく頷いて、そのたびにきらり、目を輝かせて


「いいの?本当に?」
「うん」


まるで花が綻ぶ時間を早送りするみたいに、ふわりとその表情を緩ませた。そんな彼女を隣に感じていると、俺の心の中は少しだけ騒がしくなって、自然と緩む頬を、なんともないように隠した。


「かさ、持ってく?俺折りたたみ持ってるけど」
「いいよ。英士君のほうが遅いんだから確実に英士君のほうが降られるじゃん」
「俺は、駅から家近いし」
「いいの、試合近いんだから風邪でもひいたら大変だし」


ぶんぶん手を振って俺の好意を断る彼女は、そのまま出口を出てくるりと振り返った。


「じゃあね、また明日」


きっと彼女は、その言葉に意味なんてまるでなくて、一日の終わりにはまた明日じゃん?とでも言うかのように
本当に極当たり前に彼女は笑って手を振った。

また明日、なんて言葉に顔を綻ばせていた。


「あ、伊咲さん」


歩き出そうかとした彼女を呼び止めると、彼女はゆっくりと足を止めた。

そして、振り返って俺を見た彼女は、チクリ、頬を刺したような顔をしていた。


その彼女の表情。
確かそれは、俺たちが2度目に会った日、彼女の想いを断った時に彼女が見せたあの時の、少しだけ傷ついた、悲しげな表情。いや、あの時よりもずっと痛々しい、悲壮の漂った目だった。


なぜ、そんな顔をするのか


俺はわからなかった。


「何?」


彼女のその目はすぐに消えて、にこりと笑って聞き返した。あまりに一瞬だったその表情は、きっと出会ったばかりの頃の俺なら気付くこともなかったほどの、刹那。

それでも今の俺には、しっかりと目に焼きついた。でも彼女は取り繕うように笑顔を見せるから、言い出せなかったんだ。


「・・・俺、言ったっけ。試合、2時からだって」
「2時?うん、りょーかい」


彼女は右手でオッケーサインを作って笑った。そうやってまた手を振って帰っていく彼女は、少し足早に歩いていった。


「・・・」


去っていく背中が思ったよりも早くてどうしても気になったのだけど、グラウンドではもう集合がかかっていて、俺は彼女の背中を見ながらもグラウンドに戻っていった。

今思えば俺は、やっぱりその時君を追いかけるべきだった。
どうしてそんな顔をするの、と、問い詰めるべきだった。


その日の君はまるでその日の空のように、零れ落ちそうだったこと

俺は知らなかった。














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