したがって、僕は




部員数の多いサッカー部は、小さなミーティングひとつでも大きなスペースを要する。
全国大会も終わり3年生が抜けたあとも、ずらりと並ぶ部員数に変化はない。
来年に向けてもう新チーム作りは始まっているから、1・2年に気を抜く暇はない。

「次のキャプテンは渋沢だ。いいな」
「はい」
「来年こそは必ず本大会へ進む。休日明けからレギュラーを決めていくぞ、全員そのつもりで」

部員たちの返事が揃うと、ミーティングは終わり部員はぞろぞろと部屋に戻っていった。
大会は予選で敗退し、年明けまでまるまる予定が空いてしまった冬休み。
中にはそれに喜ぶ部員もいたが、上級生の想いを汲めと制止した。

「しっぶさーわキャプテーン!」
「藤代」
「ほらね、言ったでしょ。渋沢さん以外にキャプテンはありえないって!」

周囲にまる聞こえな騒々しさで駆け寄ってくる藤代の口を閉じさせて、一緒に階段を上がっていった。表立っては見えないが、中にはキャプテンになりたかった部員、決定に不服を持っている部員もいるかもしれないから、そう大げさにはしゃいでいいものでもない。

「そんなヤツいないッスよー。どこの世界に渋沢さんとキャプテンの座を争うムボーなヤツがいるんスか!」
「それに、喜んでばかりもいられない。信頼されるのはいいことだけど、プレッシャーは中学の時以上だからな」
「そうッスよねー、今年がこの成績じゃ来年は絶対本戦まで行かないとチョーバッシングッスよねぇ。監督もクビかかってるだろーし」
「藤代、高校サッカーに商売っ気を持ち出すな」
「あ、そっか。部活ッスもんね、部活!」

今年、中等部から上がってきてまた同じチームでプレーするようになった藤代は、部活だけに収まらずすでにプロからもオファーを受け練習に混ざるようになった。プロの世界を垣間見るようになり、高校生Jリーガーと注目を集めるようにもなって、そうするとやはり、他の部員とは少しずつ考え方や価値観の違いが出始める。

「でも俺は渋沢さんこそ早くプロ入るべきだと思うッスけどねー。楽しーッスよ、プロ」
「俺は、今は来年の選手権に力を注ぐさ」
「キャプテンッスもんねー。今さらだけど、あんまキャプテンとかなるもんじゃないッスよ。人のことで時間取られてばっかじゃないスか」
「ほんと今さらだな」
「ほんとよくやるッスよねー。委員会とか学校行事とかもちゃんとやるし。こないだ選挙委員もやってなかった?」
「あれは、生徒会やらないかって言われたから、さすがにそこは断る代わりに引き受けたんだよ」
「はは、キャプテンで生徒会長?それはそれで面白そう!肩書きのオニッスね、内申めちゃいーじゃないッスか」
「そうか、大学のためには引き受けといても損はなかったか」
「ええっ?渋沢さん、大学行くんスかぁ!?」

また大きな声を出した藤代の口を閉じさせる。
廊下を歩いていく部員の何人かが振り向いて、聞こえたかもしれないけど、まぁいいか。

「マジで?なんで?だって今すぐにでもプロ入れるんでしょっ?」
「大学行きながらだって出来ないことはないさ。今のお前とそう変わらないよ。大学は時間の融通が効く分お前より楽かもな」
「だからってなんで大学?渋沢さん、何になりたいんスか一体」
「うちは普通に受験するより楽に上がれるんだから今行っといたほうが都合がいいだろ」
「そんなことしてて代表とか落ちたらどーするんスか。サッカー選手は命短いッスよ?」
「だからこそだよ。人生は長いからな」
「はぁー、どこまでもちゃんと考えてるッスねぇー。俺プロ終わった後のことなんてなんも考えてねーや」
「お前はどうとでも生きていけるから安心しろ」
「そんなこと言って、路頭に迷ったら拾ってくださいよ」
「はは、うちで雇ってやるよ」
「雇うって?渋沢さんちなんかやってんスか?」
「言ってなかったか?うちの実家、古くから和菓子屋やってるんだ」
「マジスか!じゃーそれこそ一生安泰じゃないッスか!なに大学とか言っちゃってんの!」
「安泰なんて保障どこにもないさ。勉強はしといて無駄にはならないんだよ」
「あーもうダメ。俺渋沢さんとしゃべってると人生いろいろヘコむ」

壁にうなだれる藤代に笑っていると、すぐそばの部屋のドアがバン!と勢いよく開いて、中からドアを蹴ったらしい三上が、何やら気性荒荒しく出てきた。

「三上センパイなにキレてんスか、ドア蹴っちゃダメでしょー」
「うっせぇバカ、さっさと犬小屋帰れバカ」
「うわ、機嫌ワルッ。どーせまた彼女とケンカでも」

阿修羅のごとき様相で歩いてくる三上は、藤代が最後まで言葉を吐きだすより先に蹴りをくらわせる。そんなことは藤代はおろか誰の目にも明らかだ。こんな時の三上にチョッカイ出す藤代も懲りずに悪い。

「あのねー、そーやってすぐ怒るから彼女ともすぐケンカするんスよ!知ってる?そーゆーのディーブイってゆーんだよ!」
「犬がエラそーに横文字使ってんじゃねーよ、DVの正式名もちゃんと言えねークセしやがって」
「言えるよーだ!ド、ド・・・、ド・・・、ドドリア・・・?」
「ヘビー級バカが」

またスパンと藤代の頭をはたいて、ふたりはそのままもみ合いながらつきあたりのトイレへ入っていった。あれでなかなか息の合ってるふたりが新チームの要になるんだろう。ふと笑って、俺も自分の部屋へ足を向けた。

「あの、渋沢さん」

そしてドアに手を伸ばした時、名を呼ばれ振り向いた先にいたのは笠井だった。

「今ちょっと、いいですか?」
「ああ、なんだ?」
「あの・・・、これ、なんですけど」
「うん?」

なんだか言いにくそうに言葉を切る笠井が隠すように背に回していた手で、持っていた白地に花柄の手紙を差し出した。

「俺が渡すのもヘンなんですけど、同じクラスの子に頼まれて」
「ああ・・・」
「なので、その、できれば見てあげてください」
「・・・俺はきっと、応えることはできないと思うが、それでも受け取ったほうがいいか?」
「え・・・」

女の子らしいかわいい封筒は、まるで香りまで漂うほどにその内容を示していた。
それだけに、受け取るべきなのか、否か。
答えが目に見えているなら、受け取る以前の問題ではないだろうか。

「あっれー、何それ、ラブレター?」
「ああ?笠井がか?」
「ぶはっ、タク、渋沢さんにラブだったのー?」
「あっ、誠二!」

俺がその手紙を受け取る・・・手前。
トイレから出てきた藤代と三上が寄ってきて、あまつ藤代はその手紙を俺より先に取った。

「返せよ!」
「いやぁー知らなかった、まさかタクにそんなケが・・・」
「バカゆーな!返せってば!」

追いかけ取り返そうとする笠井を、クルクルと背に撒いて藤代は面白がる。
その藤代を掴み笠井はなんとか手紙を取り上げた。

「答えは、お任せしますけど、見てやってください。がんばって書いてたんで」
「・・・そうか」

また差し出す笠井の手から、手紙を受け取る。
すると笠井は軽く頭を下げ、引き返し階段を上がっていった。

「どーするんスかー渋沢さん。てゆーか渋沢さん、今までどんくらいそーゆーのもらったことあんの?」
「面白がるなよ」
「だって渋沢さんって女ッ気まるでないッスよね。彼女ほしくないんスか?」
「さぁな」
「さーなだって。ほんとぜんっぜん恋愛に興味ないんスね」
「コイツはハツラツとスポーツで性欲を発散できる超人類なんだよ。部屋にエロ本の1冊もありゃしねぇ」
「うわー、ムリは良くないッスよ渋沢さん。俺のあげましょーか?」
「しょーがねぇな、俺のも分けてやろう」
「いや、べつに・・・」
「だとしたら逆に変人だな」
「不健全ッスよ渋沢さん、逆に」

ふたりに散々に言われるが、たしかに、今まで「恋愛がしたい」とか「彼女が欲しい」とか思ったことは、一度もなかったように思う。幸か不幸か、俺にはいつの時代にも優先的にやりたいことがあったし、これから先も、やるべきことや考えることは山のようにある。

「ダメッスよ渋沢さん、今は今しかないんスよ!やることやんなきゃ、サッカーとべんきょーばっかしてちゃダメ!いっそのことキャプテンやめたらどーッスか?代わりに三上センパイがキャプテンをやる」
「バカ言え、ぜってぇーヤダよ」
「いーじゃないッスか、内申良くなって大学進学に役立つよ」
「気持ちいーくらいのイヤミだなテメェは」

・・・それからしばらく部屋の前でしゃべって、部屋に戻ってから初めて手紙を開けた。
その中身は笠井が言った通り、一字一句丁寧に綴られていて、それが逆に心苦しくも感じた。
人の好意を断ち切らなければいけない瞬間ほど、罪悪な時はない。


それから学校はすぐに冬休みに入り、多くの生徒同様、サッカー部もほとんどが帰省した。
俺も周りと違わず荷物をまとめ、電車に乗る。
いつ振りだろう。夏も春も、大会や選抜や代表なんかで帰る暇がぜんぜんなかったから。
幼い自分が慣れ親しんでいた土地の匂いは、いつからか懐かしいと感じるようになった。
そんなに長い時間が経っているわけでも、何年ぶりの帰宅というわけでもないのに、武蔵森で生活をする時間の長さと濃さが感覚を狂わせるんだろうと思った。俺にはいつの時代にもやりたいことがあり、これから先にもやるべきことが詰まっているから。

でも、だからといって、そのせいで何かを犠牲にしたとは、思わない。

「カッちゃーん!」

電車を降りて、発車する車両の音がだんだん遠ざかっていく、最中。
細く小さな声を耳に拾った。
声が聞こえたほうへ振り向くと、ホームを囲むフェンスのその向こうに、両手で大きく手を振り飛び跳ねる、姿。

「・・・

久しぶりのその姿を目にして、久しぶりにその名を呼んだ。
懐かしい、とまでは、いかないけど。

、どうしたんだ」
「どうしたって、お迎えだよ。車出してもらっちゃった」

急いでホームから出ての元まで駆け寄ると、厚手の上着とマフラーで身を包むが白い息を吐きながら笑い返した。家まではまだこれからバスに乗らないといけなかったけど、が振り返り指差す先には黒い大きな車と帽子をかぶった運転手が待っていた。

「今日帰るって誰に聞いた?」
「おばさんよ、先週のお茶会で聞いたの。荷物持ってあげる」
「いや、いいよ、大丈夫」
「そ?」

白いふわふわの上着に身を包んでいる割に、スカートの脚は寒そうに。
寒い寒いとニットの帽子を深くする割に、指先は無防備で。
長い時間真冬の外で待ちぼうけなんて、温室育ちのがそうそう経験しないだろうに。

「カッちゃん、また背ぇ伸びてない?」
「そうか?」
「もーヤダ、あんまりおっきくならないで、首が痛いから」
「はは、はまたちちんだ?」
「ちぢんでないもん!」

真下から覗きこんでくるを早く暖めようと一緒に車に歩いていく。
跳ねるように歩く足。ほのかに赤く色づく頬。おしゃべりな口唇。
久しぶりで、周りの景色や匂いを懐かしいものと思うようになっても、この子だけは色あせない。
ここが俺の帰る場所と、思わせる。

「ねぇカッちゃん、私この間、お見合いしたよ」
「・・・は?」
「私まだ16だよ、早いよね」
「また、おばさんだな・・・。それで、どうした?」
「今はまだ早すぎるから、私がハタチになったらまた考えましょうって。でもその人26歳だって、私がハタチになるころには30だよ、どう思う?どこのいいおうちの人か忘れたけどさ」
「あと4年か・・・」

たとえ国を代表するほどの価値を得ようと、スポーツの世界がの母親に受けないことは重々も承知で、だからこそ俺は「30のいいおうちの人」よりも贔屓にしたくなるような、できる限りのものをこの手に持っていないといけない。実家の稼業も大学も、少しでも安心材料になるものを手に入れておかないと、4年後にはこの跳ねるように歩く足が、どこへ飛んでいってしまうかもしれないから。

「カッちゃんは?東京で彼女でも出来た?」
「は?」
「そういうの現地妻っていうんだって、現地妻」
「バカ」

だから俺は、より確実なものを掴んで生きていく。
過去、現在、未来。たしかな道程。たしかな勲章。
そのためになら、今の私欲に蓋をしてでも。

「カッちゃん」
「うん?」

車のドアに伸ばした俺の手を取る、
見上げるの目を見下ろすと、混ざる視線に乗って重なった、気持ち。

”ほんとぜんっぜん恋愛に興味ないんスね”

思わず藤代の言葉を思い出す。
そんなことはないさ。
恋愛がしたいとか、恋人が欲しいとか、ぼんやりとはやっぱり思わないけど。
この冷えた手を暖めたい、この笑顔の前にいたい、この髪に触れていたい。
この子が欲しい、この子が求める俺でありたい、この子とならキスがしたい。
そのくらいの気持ちは、当たり前にあるのだ。

したがって僕は、生涯をかけて恋をしている。
全力で、ただ君に。





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