1章、1節、1頁




その時の俺はまだ、漫画を描いて封筒に詰め郵送しては、ジャンプ発売日前日にコンビニへ駆け込み先売りされてるジャンプを開いて結果を見る、という時間と金のかかる「趣味」の域を脱しない、漫画家になるという野望だけ人一倍強いだけのガキだった。

大学進学か就職かで大モメした親ももう俺に期待するのはすっかり諦め、毎日漫画を描いて片手間程度に学校に行く毎日。今でこそ上京してアシのクチも貰って漫画を描くに役立つバイトが出来ているが、高校行きながらマンガ描いてた時は誰よりも早くジャンプが読めるんじゃないかって理由でコンビニでバイトをしてた。いっそのことネタ作りに役立ちそうなバーとかでバイトしてやろうと思ったけど、俺はまだ未成年だったことを思い出した。

自分の年齢の感覚なんて分かんなくなってきていた。学校に行けば当たり前に年齢別に分類されるから自分がいま何年で、周りに同じ年のヤツがいっぱいいるから自分が大体どんな位置にいるとか分かったものだけど、漫画描きってのは孤独な生きモンで、紙とペンと向き合ったまま夜が明けるといったいどれだけの日数が経ったのかわからなくなってしまう。そのノリでバイトに行くと、大学生っぽいキャアキャア煩い客を見てガキかと思ってしまう。

「530円でーす、弁当あたためますかー」

レジに立って、物を持ってくる客と向き合っていながら、会話をしているという感覚はない。同じことの繰り返し。俺だって客の時は店員の顔なんていちいち覚えちゃいいないし見てもいない。会計なんて別に機械だって構わないわけだ。

「しゃいませー」

通うのに時間がかかりたくないから出来るだけ近所のコンビニで、だけど一番近いところじゃなく2・3件遠いところがベストだと思ってそんなところを選んだ。けどやっぱそうすると、家が近かった小・中の同級生とはよく会ってしまう。時々久し振りだなーと声をかけられるけど、俺から声をかけることはあまりない。俺は仕事中でもずっと頭の中で思い描いた紙にコマ振ってネタ作りに勤しんでるから、いちいち客の顔なんて見ていないのだ。いいネタを思いついた時に客が来ると邪魔だとさえ思ってしまう。

「んー、やっぱ、ヒロインがなぁ・・・」

今までジャンプはずっと欠かさず読んできた。ジャンプだけじゃなくどんな漫画も見てきた。それはすべて自分の漫画の肥やしとなるし、勉強を兼ねているのだ。・・・しかし、男どおしの友情やギャグ、戦闘シーンなんかはいろんなパターンが思いつくものの、それに登場するヒロインとなると、なかなかどうして幅が広がらない。やっぱ自分好みの女の子像を想像して描いてしまうけど、それが毎回同じだとどんなに話が面白く作れても読者から見て「これ描いてるやつはこーゆー女が好きなんだろうなー」とバレてしまう。

ヒロイン・・・。つまり、女の子。
こればっかりは、自分の経験がモノを言うのではないか。

「・・・。ねぇよ」

ちきしょう。自分で呟いて思わず吹いてしまった。

「あの、お願いします」
「あ、はいっ」

しまった。思わず腕組みしながらバックカウンターに持たれて妄想にふけっていたら、客が目の前にいることにも気づかなかった。俺は急いで腕組みを解きレジカウンターに一歩寄って、台の上に置かれてるパックジュースとチョコレートとおにぎりを打った。

「368円です」
「・・・あ、はい」

商品を一個ずつ袋に入れながら値段を言うと、相手が妙な間をあけたことに違和感を感じて、その時初めてカウンターを挟んで対面してる客を視野に入れた。

まったく見憶えはないけど、知り合いか・・・?
そう相手の顔をじっと見たら、その子は財布から500円玉を取り出して、差しだしながら俺に目を上げた。目が合って、たぶん一瞬だったけど、見つめ合ってしまった。

「あー、えーと、132円のおつりす」

誰だ、見たことあるような、ないような。
でもこの感じ・・・、相手も俺を知ってるような雰囲気。
俺が差し出す釣りを小さい掌に受ける女の子。
たぶん知り合いだ、この感じは絶対、俺のこと知ってる風だ。

けどその子は小銭を財布に入れると、袋を手に取り軽く会釈をしてレジから離れていった。声をかけるほどの知り合いじゃなかったか?それともあっちも確信が持てなかったか。

「早くしてよ」
「あ、すません」

その女の子の後ろに並んでた超部屋着なカップルに急かされカウンターの上に目を戻した。店のドアのチャイムの音が鳴って、その子が出ていく背中を横目で見た。・・・するとその子はドアを開けてくぐった時に一瞬だけ、こっちに振り返りまた俺を見た。

「・・・」

うわ、絶対知り合いだ。あれは完全に俺のこと知ってる雰囲気だろ。
でも分からない、あんな顔のヤツいたか?たぶん同級生とかだろうけど、全然思い出せない。ていうかそこそこかわいい。自分がかわいいって思う部類の女なら忘れはしても、まったく分からないことはないだろ。うわうわ、誰だっけ!

その日俺は仕事中、ずっと頭の中に検索かけて、その子のことを思い出そうとしていた。だけどやっぱり全然思い出せなくて、仕事終わってうち帰っても、部屋でネーム練っててもさっぱり思い出せず、中学の卒アルまで引っ張り出してみたけど、どの写真の子もさっきの子と当てはまることはなく、事件は迷宮入りした。

「あーダメだ、ぜんっぜん思い出せねー」

あーもう、ネーム仕上げなきゃなんねーのに気になって手がつかない。
これはもうネタにするしかない。記憶喪失になってしまった主人公?いや、記憶喪失の女の子を拾っちまう主人公か?ベタだな・・・。あ、お互い記憶喪失ってどうだ。いやそれそもそも出会わないだろ。

「・・・記憶喪失になった女の子に別の記憶を埋め込む主人公・・・」

お、いーじゃん。女の子には思い出させたくない過去があって、別の記憶とすり替えようとするんだけど、でも実はその過去は自分のもので、女の子が肩代わりしてくれていた・・・。お、お、ネタ広がるじゃん、いーじゃん。

「となると悪者は過去を暴こうとするやつか?女の子の兄弟とか。実はいー人とかいう救い一切なしの超極悪人。やっぱ悪者は心底悪であってこそカッコいーんだよなぁ。でも見た目的にはちょっとウケる感じで・・」

ネタというのは湧き出てくると止まらなくなるもので、徹夜明けなのも忘れて思いついたことを片っぱしからノートに書き殴っていった。今描いてるやつには向かないから次回作ってことにしよう。もっと練り込めば連載にだって出来るかも。

・・・そんな風に没頭していった俺は、もうあの子のことなど忘れてしまっていた。
こんなだからあの子を思い出せないのかもしれない。もし今度声かけられたらどうしよ。テキトーに話合わせるのも違うだろ。その時はしょうがないから素直に思い出せませんと謝るしかないか。むしろネタをありがとうと礼を言いたいくらいだ。

明日、また来るかな。
ネタなんてないだろうと思ってたコンビニにも意外と落ちてるもんだ。



「・・・」

その次の日にあの子は来なかったが、数日後、忘れかけた頃にその子はまた店にやってきた。その日の俺は徹夜で原稿を仕上げ店の郵便箱に入れそのままシフトに入るという強行スケジュールで、仕事しながらも半分意識飛んでたんだけど、その子が視界に入ってバチッと目が覚めたのだ。

その子は夕方5時くらいに店に来た。またパックジュースとチョコレート、あと今日はサンドウィッチを買ってレジの列に並んだ。でも今日は俺一人のシフトじゃなくもう一人バイトがいて、俺が接客してる客の後ろにその子が並んでるのを見てもう一人のバイトがこちらのレジにどうぞーなんてその子を呼びやがって(いや当然なんだけど!)、その子はそっちのレジに行ってしまった。

俺はその子に気づいた時からチラチラ見てしまってて、たぶんあっちもチラチラ俺を見てて、でもお互い目が合いそうになった瞬間に目を離して、なんか・・・中学生みたいで心の中でバカかと悪態ついた。だけど何度見てみても、全然思い出せない。あんだけかわいけりゃいい加減思い出しても良さそうなものを。

俺は客がいなくなったレジを閉め、外に出た。表のごみ箱の中を覗いて、そこそこいっぱいになってた燃えるゴミを引きずり出して新しいごみ袋を入れる。・・・なんていう、ちょっとなら会話できますよーな位置に、移動してみた。(おい、なんか俺のほうが必死じゃねーか?)(思い出せないのに)

店のチャイムがピンポン鳴って、ドアを押し開けてあの子が出てくる。
俺はごみ箱の蓋を戻して手の汚れをパンパン叩いて落とす。
その流れでチラッと、チラッと出口のほうを見てみると、・・・やっぱり目が合った。・・・でもその瞬間その子は小さく慌ててまたふいと目を伏せてしまう。

「・・・あー、あの、」

そのまま通り過ぎて行こう、としたその子を、俺は呼びとめてしまった。
その子は袋を両手で持ってすごく驚いた顔で振り向いて、俺とばっちり目が合ってるのに本当に自分が呼びとめられたのか疑うようにあたりをキョロキョロ見渡し、そうしてゆっくり俺に目を合わせた。

「えーと、ゴメン、俺思い出せないんだけどー、」
「え・・・?」
「もしかして、知りあい?」
「え?あ・・・」

どうしても思い出せなかった俺は、もういっそ腹をくくって直接聞いてみた。
こんなぐらぐらした状態でいつまでもいるのははっきり言って嫌だ、気持ち悪い。
その子はうまく俺に目線を合わせずに、言葉も発さずに考え込んでいる。
ヤバい、やっぱ直接過ぎたか?ショック受けてる?

「あの、ほんとゴメン、俺あんま覚えよくなくて・・」
「いえ、あの、違います、違うんです」
「違うって?」
「・・・ごめんなさい、知り合いとかじゃないです、ごめんなさい・・・」

ん?知り合いじゃない・・・?てこた、なんだ。俺の勝手な勘違い?
見られてるとか勝手に思い込んでただけ?しかも声までかけちゃって・・・(うわカッコ悪ィ!)

「あー、そー!なんだ俺、すげー見られてるからテッキリ知り合いかとさ!」
「ごめんなさいっ」
「や、そっちが謝んなよ、俺が勝手に思い込んだだけだし、俺すげーカッコ悪いじゃん!」
「そんな、カッコ悪くないです、カッコいいですっ・・・」
「え?」
「え・・・?」

思わず、といった感じのその子の言葉に、俺たちのすべてが止まる。
真っ暗な中にぽつんと明るいコンビニの、客の出入りもまばらな店先で。
その子は自分が言ったことを自分の耳で聞いて、ようやく自分が何を言ったのか理解した感じで、あわあわ動く口を押さえながら一歩ずつ下がり、くるっと背を向けて走り出してしまった。

「え、ちょっ」

俺も相当意味を理解するのに時間がかかったが、それを解読するより先に、逃げようとするその子を捕まえるために足が動いていた。暗がりの駐車場を走っていくあの子を追いかけて、袋を持ってるその手をパシンと捕まえた。

掴まれ振り向いた女の子の、長い髪が大きく揺れる。
暗くてはっきり分からなかったが、俺を見上げる顔は相当赤面してたに違いない。
目を大きくさせて、掴まれてる手がガチガチに固まって。
やっぱ、けっこうかわいい。
ていうか俺も、捕まえてどうする!

「あー、いや、ごめん」

パッとその子の手を離し、宙ぶらりんな手で後ろ首をがしがし掻く。

「だってさ、そんな、かっこいーとか言われりゃやっぱ、気になるっつーか・・・」
「あ・・・」
「それは、その、どのてーどの・・・?」
「・・・」

俺もけっこうテンパってたけど、その子はたぶん俺以上に頭の中が混乱して収拾つかなくなってたんだろう。すげぇうろたえて、何か言わなきゃと口を動かそうとするんだけど何一つ言葉は出てこなくて、少し俺を見上げてはすぐに目を伏せて・・・。

なんだよ、そわそわする。
めちゃくちゃ、かわいーじゃんかよ。

「たとえばそれは、明日も会いたいくらい、俺のこといいと思う?」
「・・・」

ろくに目も合わせられないその子は、俺の言葉を聞いて初めて、まっすぐ俺を見た。

「はい・・・」

ほらやっぱ、かわいい・・・。

まさかこんな展開は考えていなかったけど、王道だと思わせるからこそ意外なオチがけっこうウケるというか、流れさえ掴んでれば王道は王道でなくなるというか。

・・・いや、その時の俺はそんなこと、考えてなかった。
漫画のことは、ちょっと余所に置いといて。
次に発する言葉を必死に考えていた。





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