サイケデリックなラブレター




 左手に持つカゴの中には山もりのカップラーメンとインスタントのお味噌汁。お弁当コーナーで積まれてるカラアゲ弁当と広島焼きとハンバーグ弁当と、食べないだろうけどサラダも3パック、1.5リットルペットボトルのコーラ。だんだん左に重心が傾き始め、カゴを持ち直しながらよたよた歩いてるとすれ違う人に道を譲られて、スミマセンとペコペコしながら雑誌のコーナーへ向かった。

 スーパーならまだしもコンビニでこんな大荷物なんて恥ずかしいけど、もう慣れた。なぜだかあの人はコンビニが好きなのだ。スーパーに行けばもう少し安く買えるものもあるのになぜだかコンビニのものが好きなのだ。それが美学なんだそうだ。理解しがたい、男の美学。

「もしもし真太くん?ないよ言ってた雑誌」
『嘘つけ、あるだろ。今日発売日だぞ』
「だってないんだもん」
『あるって絶対。ないならまだ並んでねーんだよ、店には届いてるはずだから店員に聞け』
「ええー?そこまでする?」
『発売日は今日なんだよ、出してすぐ完売するよーな雑誌でもないんだから、絶対あるんだよ』
「あーハイハイ、分かった分かった」
『2回ゆーな!』
「わかりました!」

 だんだん重さに耐えきれなくなってきて、左腕にピリピリと小さな痺れを感じながらレジへと向かう。「すいません、バイクの雑誌を探してるんですけど、今日発売日らしくて、ええと……ライダース……なんとかっていう……」水色の制服を着たおばちゃんに説明していると、まずそのカゴを置いたら?と私の左腕を助けてくれた。

 私のあやふやな説明が繋がったままの電話で聞こえたのか、真太くんが「ライダースクラブだよ!」と叫んだから、私はそれをおばちゃんに伝え、親切なおばちゃんは一緒に探してくれた。カゴの重さで疲れてきていたのと急いでいたせいで集中力がなくなっていたのか、雑誌はあっさり見つかり恥ずかし紛れの笑顔を垂れ流しながらレジへと向かった。

「あなたいつもたくさん買ってくわね、学生さん?」
「え?ああ、はい」
「ひとり暮らし?駄目よーお弁当やインスタントのものばっかり食べてちゃ」
「自分では作ってるんですけど……。なんか、コンビニのものが好きみたいで」
「あら、彼氏?料理してあげたら?喜ぶわよー」
「アハハ」

 カゴに山もり積まれたお手軽な食糧たちはベテランのおばちゃんの手によって次々と袋の中に入れられていく。重いから分けてあげるわね、お弁当あっためる?雑誌はべつにしておくわね。おばちゃんはこちらが何を言う前に良いようにしてくれる。こないだは学生の店員にあったかいお弁当の上に雑誌を入れられて表紙がふやけてしまって真太くんにえらく怒られた。いや、あれは私にじゃなく店員に怒っていたようだ。彼も経験者だから。元・コンビニ店員の美学。

 おばちゃんと笑顔で別れ、コンビニを出て車道を横切り家に急いだ。急がないと、彼は空腹が頂点にくるといつも以上に怒りっぽくなる。そうなると安岡君にもとばっちりがいくし、何よりその時描く漫画がいつもの数倍は血生臭いものになってしまう。少し前に締め切りに追われ過ぎてまる2日食べず眠れずで原稿に向かっていたときは、その時描いてた原稿がジャンプに載り発売された直後、抗議の電話が殺到したらしい。

『それでいーんだよ、あの号は俺の中でもベスト5に入る出来だった』
「でも今は規制が厳しくなってるんでしょ?」
『それが馬鹿だって言ってんだよ!いつも言ってんだろ、親だの教師だのに文句言われるくらいのモンのほーが面白いんだよ!ほんとーに描きたいもんなら雄二郎にも編集長にだって歯向かってやるね!つかおせーよ、ハラ減った!』
「ハイハイ、もう着きますよ!」
『だから2回ゆーな!』
「ハイ!もう着きました!」
『安岡が下にいるからな』
「え?」

 歩いている道のずっと先にある真太くんのマンションの前に、あの目立つモヒカン頭の安岡くんが両手を大きく振っているのが見えた。どちらかといえば悪魔のような格好の安岡くんも今ばかりは天使に見えて、走って迎えに来てくれる安岡くんに駆け寄りながら手にしていた電話を切った。

さんお疲れッス!持ちますよ」
「ありがとー安岡くん、もう腕千切れるかと思ったよー、コーラ重すぎ!」
「あ、スンマセン、それ俺のっす」
「お前かぁ!」

 真太くんの漫画が連載になりアシスタントでやってきた安岡くんは、最初こそこの独特なスタイルにビックリしたものの、話してみればまるで少年のような純粋さで、しかも意外と真面目で、あの独裁的でもある真太くんとも対等に渡りあっている気のいいアシさんだ。アシスタントなんてひとりしかいらないと言う真太くんに心底こき使われている彼のためなら、私はコーラくらい1リットルでも2リットルでも買ってこなければならない。そのくらい彼にはお世話になっている。

「先生がまだかまだかって言ってましたよ」
「久しぶりに電話かけてきたと思ったら、なんて言ったと思う?学校終わっただろ、メシ買ってきてくれ、よ。ひどくない?」
「ちょーどいちばんの見せ場描き切ったとこだったんスよ。きのうの夜からメシも食わずにやってましたから」
「そりゃあ……発売日が楽しみね」
「チョー期待しててください、先生らしいいーのが出来たんで!」

 腕も脚も細い安岡くんはそれでもほとんどの袋を持ってくれた。
 意外とジェントルマンでもある。モヒカンだけど。

「今回はどう? 順調?」
「割と順調ッスよ。あと3ページくらい仕上げたら終わりッス。明日には出来そーッス」
「へーめずらし。いつもギリギリまで終わんないのにね」
「先生今回は気合い入ってたッスからね、原稿上げるの早かったッスよ」
「え、なんで? 今そんな重要な展開なってたっけ。ていうかアレに重要な要素なんてあったっけ?」
さんそれヒデーッス」

 漫画家というのは当然家にこもりっきりで、ましてや週刊連載となれば原稿を仕上げてもまたすぐ次のネーム、と息をつく暇もないようで、展開に詰まったり原稿の進みが悪かったりすると軽く2〜3週間連絡がないこともザラにある。今日だって半月ぶりに連絡が来たのだ。ごはんの催促だけど。

さんって、先生とケンカしたり……しないんスか?」
「なに、突然」
「だって、あんまり会えないのイヤとか、どこにも出かけないのイヤとか、女の子は言うじゃないスか。そういうのないんスか?」
「えッ! 安岡くん、彼女いたの?」
「なんスかその驚いた顔!」
「いや、失敬……」

 いや、安岡くんはとてもいい人だけど。意外と優しいし意外とかわいいし意外といい人だし。でもその全部に「意外と」が付く、このモヒカンに彼女が……。

「そりゃあ、ふたりで出かけるといえば道具の買いだしだったり、合間にごはん食べに行くだけだったりでまともなデートなんてそうそうないし。大学の友達にだって私は彼氏いないと思われてるくらいだし、会いたい時に会えないし、相手も自分もあまりマメなほうじゃないから連絡取らない時は本当にないし、連載になってからはそれにさらに拍車がかかったような感じでここのところ本当に付き合ってるっていう感じはしてないんだけどさ」
「あ、けっこう、たまってんスね……」
「その挙句に半月ぶりの電話がごはん買ってこいだからね! メールすらずっとなかったんだよ、元気? とか何してんの? とか送るヒマもなかったっていうの? トイレ行く時間はあっても私にメールする時間はないってゆーのっ?」
「いや、先生も、ほんと死ぬ気でガンバってるんで……!」
「分かってるよそんなの!」

 鬱憤を晴らすように言ってみるも、べつに本気でそう思って言ってるわけじゃない。
 ただちょっとペロッと出ちゃっただけ。出来るだけ、真太くんを守る立場にある人に。

「でも先生はマジでさんにチョー恋してるッスよね」
「恋って……またそんなストレートな言葉を」
「いやマジで。先生見てると、漫画家に一番必要なのは彼女なんじゃないかって思っちゃいます」
「なんだそりゃ。真太くん何か言ってたの?」
「これ、俺が言ったってバレたら先生絶対キレるんでナイショにしてくださいね。先生あの時眠気絶頂でもしかしたら自分で言ったこと覚えてないかもしれないんで」
「えーなになに?」

 周りに誰もいないのに安岡くんは小さな声でボソボソ私に耳打ちをした。


 部屋に行き着いて、安岡くんが開けてくれたドアをくぐり中に入った。すると突如目の前にズンと大きな影が現れ、思わずのけぞって見上げると、まぁ間違いなく、真太くんだった。

「遅ぇよ! もー着いたって言ってから何分経つんだ」
「じゃあ迎えに来てよ。すっごい重かったんだから」
「だから安岡が行っただろ」
「ゴメンね安岡くんいつもいつも真太くんのお世話」
「誰がお世話されてんだ! 俺が世話してんだよ!」
「そういう言い方してると今に安岡君にも嫌われちゃうんだからね」
「にもってなんだよ、安岡にもって!」
「お二人とも、とりあえず中に……重いッス」

 玄関先で言いあう私たちのうしろで安岡くんが腕をプルプルさせていて、ハッと気づいた私たちは急いで安岡くんの手荷物を分け合い靴を脱いだ。

「じゃー俺メシ食ってくるッス!」
「え? 安岡くんの分もあるよ、ハンバーグ弁当」
「それはまた夜にでもいただくんで、気晴らしに出てくるッス! じゃ!」
「ええー? ちょっと、安岡くーん?」

 右手をトサカの前でピッと伸ばし、安岡くんはそのまま出ていってしまった。
 せっかく重たい思いをしてお弁当もコーラも買ってきたのに。

「ダメでしょ、ちゃんとごはん食べる時間くらい作ってあげないと」
「ハングリー精神があったほうがいーもんが描けんだよ。そしたら気が付いたら夜が明けてて気が付いたら夕暮れだったんだよ」
「そのうち安岡くん倒れちゃうかも。あんな細っこいんだし。ちゃんとごはん食べてんのかなぁ、何かあったら大変だしなぁ」
「……」

 大量の食糧を中に運び込んで袋から取り出し分ける。ここには食材も調理器具も少なく、せいぜいお湯を沸かすやかんと電子レンジと小さな果物ナイフくらいしかない。自宅兼仕事場のこのワンルームの部屋にあまり生活感を出したくないらしく、そんなだからここじゃまともにごはんも作れない現状なのだ。

「お弁当あっためてもらったんだけど、冷えちゃったかな。あたため直す?」

 すぐうしろで左肩を壁につけこっちを向いているのに返事を寄こさない真太くんに振り返り、また「どうする?」と聞いてみたけどやっぱり返事がなかった。腕を組んで薄手のニット帽の下からジッと見下ろしているのにまったく口を開かない。眉間にしわを寄せてなんだか怖い顔。あ、悪人顔は元からか。

「なに?」
「……」
「作るから仕事してたら?」
「……」
「……なんか怒ってる?」

 フイッと目だけを逸らす。
 どうやらお腹が空いただけでなく、何やら機嫌を損ねているようだ。
 お弁当を電子レンジに入れてスタートボタンを押し、やかんに水を入れてコンロに置き火をつけ、……そうして振り返ってみてもやっぱりジッと睨むように見下ろしているだけで、何も言葉を発さない。
 少し近くに寄ってみて、険しい顔を間近で見上げてみる。
 何枚も積み重なった原稿や散らばったトーンカスはいつもの締め切り前の大変さを感じるのに、真太くん自身は汗っぽくはなく服も着替えてはいるようだし、毛先は濡れてて無精ヒゲもなかった。

「ずっと大変だったんだってね」
「……」
「明日には終わりそうなんでしょ?ちゃんと寝てね」
「……」
「洗濯は?する?」

 目の前で呟くように言う私の言葉が届いているのか、真太くんの眉間のしわは少しずつゆるりと解けていった。やっぱり寝不足なんだろう、目が赤い。それにちょっと痩せたというかやつれたというか、とにかくなんだか寒そう。
 そんなことを観察するようにずっと見上げていると、まだどこか不機嫌を引きずってた目は一転気が抜けたように丸くなり、何の意思も感じられなくなった。そんな顔のままゆっくり近づいてきたものだから、私もずっとその眼を見返して……寸でのところで目を閉じた。

 広い、とは言わなくても数人大の字で寝転がれそうなくらいスペースを持った部屋の、ほんの片隅で、何日ぶりかも分からないくらい遠い思い出だったキスは、一瞬にして私たちの元へ帰ってきた。時間が止まったのを感じて、少し離れて、数回繰り返して、また繰り返して。

 この永い瞬間、いつも思う。ああ、私はやっぱりこの人が好きなんだって。
 そう思う時はいつも、この恋は永遠なんじゃないかって思う。
 彼で心が満たされる。

「……さっき安岡くんがね」
「安岡と喋りすぎなんだよ」
「今描いてる回、絶対見てって」
「……あいつに何聞いた」
「ふふ」
「ふふ、じゃねーよ、何きーた!」
「先に見ていい?」
「よくねーよ、おいこら、何聞いたんだよ!」

 机の上に散らばった原稿を見てやろうとすると、真太くんにうしろから捕まえられて体が宙を浮いた。

 −もう無理しないで、さんに来てもらったらどーッスか?
 −うっせぇな、会いたい会いたい思ってたほーが熱く描けんだよ

 ……ずるいよな。ヒロインを救い出すために奔走するヒーローを世界一カッコよく描こうと捻りだした策が、それだったんだとしたら、私はその時間がどんなに寂しかろうと、君が恋しかろうと、我慢するしかないじゃないか。

 けど真太くんはその完成品を見せてはくれないから、私はまたコンビニに駆け込んで、彼の熱量をコッソリ盗み見るしかない。





サイケデリックなラブレター