慕情




初めてってやっぱ、痛いって聞くじゃないですか。鼻に大根入れるみたいだとかなんとか。
・・・マジですか。そんなもん、入るわけないでしょ。入ったら人間じゃないですよ。じゃあ何ですか、私はもう、人間じゃないのですか。

「え、やったのっ?どうだった?」
「どうって、したなぁって感じ・・」
「はぁ?なにそれー。ねぇ痛かった?鼻に大根?」
「いやそこまでは。ちょっと痛かったくらい」
「え?そーなの?」
「うん」

痛いといわれれば痛かったけど、耐えられん!ってほどではなかった。次の日になってもまともに歩けないとか言ってた子いたけど、それはなかった。元気に体育しちゃってます。ぽーんと高飛びも跳んじゃってます。
でもまぁ、気分的に?違うかな。二人で秘密共有してるみたいな感じでドキドキするし、でもちょっと恥ずかしくて目が合うだけでそわそわするし、でも今までよりずっと、近くに感じる。片時も心の中からいなくなることはないし、そうしてると、早く会いたいなぁって思う。そんな感じ。

「いいなぁー、ラブラブじゃん」
「んふ」
「んふだって、キモ」
「キモってゆーな!」
「あーあ、も大人になっちゃったのかー」

大人。大人かぁ。
よくわかんないけど、きのうまでとは、全然違う気がする。
ていうかもう、恥ずかしい!うあああって気になる!
体育館の端っこでこそこそ、授業もほったらかしで小さく騒いでた。こんな話みんなでわいわいは出来ないけど、やっぱり言いたいのが乙女心というもの。この体力測定の時期に外は雨で、男子も女子も一緒でバタバタ騒がしいから、ちょっとくらい騒いでも誰にも聞こえないよね。

そんな体育館の端っこにいる私たちの近くに男子が5・6人で滑り込むようにどさどさっと駆け込んできた。うわっとびっくりして思わず避けたから、数人の男子の下敷きになってる清田はモロ壁で頭を強打した。

「いってぇー!」
「何やってんのバーカ」
「うるせ!お前ら早くどけよっ、つぶれる!」
「そのでかい図体がつぶれるかよ!」

下敷きになってる清田はみんなを蹴り飛ばして這い出てようやくその重みから解放される。バタバタと騒がしいのは女子より男子のがずっと上だ。その原因はほぼ、こいつらなのだけど。

「おい見ろ、俺垂直飛びAランク!」
「うわ、すごいじゃん」
「かっかっか!俺様ってばナンバー1なんだぜ!」
「さすがサル」
「サルゆーなっ」

自慢満面に記録表を見せびらかす清田は立派なサルだと思う。
そのサイズも細さもいつも飛び回ってるのもぎゃんぎゃんうるさいのも。

「ハラへったー、4時間目の体育は地獄だな」
「アンタそれ毎週言ってんじゃん。めずらしく今日は早弁しなかったの?」
「もう食った」
「はやっ。食べたのにもうお腹すいたわけ?」
「俺ぁ燃費いーからすぐ減るんだよ。てなワケでお前の弁当よこせ」
「何様だおまえは」
「俺様だ!」

いつでも落ち着きない清田はバスケをしてる時こそちょっとカッコいいとか思うけど、普段はまったくのお子ちゃまだ。(いやお子ちゃまじゃない。子ザルだ)こんなヤツでも先輩とか他校の子とかには結構人気があるというのだから、驚きだ。サルなのに。

「清田ー、アンタ2年の先輩に告られたんだってー?」
「うげ、なんで知ってんだよお前」
「だってちょーうわさになってんもん。ねぇなんでフッたの?」
「なーんでって、べつにー。きょーみなかったしー、メンドくせーしー」
「ガキ」
「るせ!お前だって一緒だろーが!」
「一緒じゃないんだよーだ、はもう大人になっちゃったんだもーん」
「は?」
「ちょ、麻衣ちゃん!」

突然何ぬかすかこの人は!(しかも男子の前で!)

「何それ!やっちゃったんですかサン!」
「マジでー!?」
「うるさいっ、ほら集合かかってるよ!早く行けおまえら!」
「ぎゃははっ、ちゃん照れてる〜!」

麻衣ちゃんが意味ありげに言ったもんだから、清田の周りにいた男どもがわっと押し寄せてきてバカ騒ぐ。ああいやだいやだ、私の清らかな思い出をこいつらに汚されてたまるかっ!
されどどんなにやめろと叫んでももう火に油。都合よく集合の笛が鳴ったことをいいことにうるさく騒ぐ男子たちを何とかおっぱった。

そう、ゲラゲラ笑いながら歩いていった男どもがいた場所に、清田のヘアバンドが落ちてた。

「清田ー、忘れもん」

みんなと一緒に歩いてく清田を呼び止めると、振り返った清田は「ああ」と私の手にあるそれを見て戻ってきた。のそのそ歩いて。集合かかってんだからちょっとは急げよ。

「はい」
「さんきゅ」

私の差し出した手にあるヘアバンドに手を伸ばした清田は、それを手に取る一歩手前で、その手を止めた。それから清田はいつまでもヘアバンドを手にしなくて、私はどうしたんだろうと少し首を傾げるけど、清田はやっぱりいつまでもそれに触らなかった。

「どした?」

清田は変に、ぼうっとしたような顔をしてて、口の端にじわりといつものだらしない笑みは何とか持っているんだけど、それも今にも消えそうで、とにかく変だった。
遠くから「ノブー」と呼ばれてやっと清田はヘアバンドを取って、集合しているほうへ走っていく。いつものゲラゲラうるさい笑い声も、バタバタうるさい足音も、ぴょんぴょん跳ねるような身体も、見えなかった。


体育の授業が終わって、悔しくも体育委員の私はみんなの記録表を集めてたりしてたから体育館を出たのは一番最後になってしまった。麻衣ちゃん先に行っちゃうし。つれないヤツめ。
外はまだぽつぽつ雨が降っていて、風もひやっと冷たかった。太陽が出てないとまだ今の季節は寒いのだ。もうみんなお弁当をひろげてる頃だ。お腹すいたし早く行こ、と校舎への渡り廊下を歩き出すと、軒先から落ちてくる雨の雫のほんの手前に座り込んでる、清田の後姿を見つけた。

「清田?何してんの」
「べつに」

足元の水溜りを見下ろしてた清田が振り返って、私を見上げた。清田はいつもバカっぽく俺様にニカリとそれは気分よく笑うのに、またなんだか、力のない顔をしてて、まるで今日の灰色の雲と同じだった。

「どーかしたの清田、なんかヘンだよ」
「どこが?」
「どこって、なんとなく、雰囲気が」
「気にすんな、お前にゃカンケーねー」
「あっそう」

人が気にしてやったのにっ。
清田の後ろからその様子を見ようと屈めてた身体を元に戻して、もうこんなヤツほっとこう、と歩き出した。



雨が軒先からぽたりと落ちてくる。さぁぁと地面を叩く雫が清田のその小さい声を掻き消そうとしてたけど、私は何とか拾った。

「なに?」
「お前、あいつとヤッたの?」
「は・・・」

うわ、こいつみんなと一緒に騒いでこないなと思ってたらやっぱ聞いてやがった!
そんな話、いくら清田といえマンツーマンで出来るわけない。
私はうーとかえーとか言いながら返答に困って、でも清田の後ろ姿が妙に静かなことに気づいた。その声もからかう調子じゃないし、いつも飛びまわってていつもうるさくていつも俺様な清田じゃなくて、なんだかやっぱりどこかヘンだったから。

「清田?」

後ろから覗き込んだ清田はぎゅっときつく拳を握ってて、その手は強く握り締めるあまり震えてた。

ヤッたのかよ・・・

締めつける細い喉を通って絞り出てくる清田の声は、激しく揺れて、雨に邪魔される。
弾けて細かくなる雨の雫を被って、押さえつけるようにうずくまる体はだんだんと確かに震えて、皮膚に指先が食い込むほど強く握った手が、爆発しそうで、でも抵抗して我慢するようでもあって。

苦しそうで。泣いてるみたいで。

こいつはものすごく、私のことが好きなんだと、そう思った。





慕情