終愛




「そろそろ時間です、一人にしてください」

おそらく最後だろう背中の扉が開く音を聞いて、閉まるまでに少しの間が空いたが、やがて閉まった扉の音を最後にその室内から音は全て消えた。静けさとはこんなにも無音なものなのか。総一郎が入ってくる前までと変わりないはずなのに、静寂が突然に目立って感じた。
この部屋が無音だなんていうのも慣れない。いつもわずかだが機械音がしていて、まったくの無音になることはまずなかった。・・・といってもそんな機械音に囲まれている生活には慣れているから、うるさいともなんとも思うわけなかったのだけど。
強固な歯で少しやわらかくなったチョコレートを折ると、口の中にその風味が広がり舌の上でどろりと溶けた。苦味なんてない、甘いだけの味を喉に通しながら、これが最後の甘味かとLはポツリと思う。

「あと4分」

何もない真正面の壁を見つめながら、Lは正確な残り時間を口にした。まさか、死の時間が定められた20日前から毎日時計を見つめては残り時間を逆算するなんて未練がましいことは格好悪くて出来ない。・・・と思っていたけど、これだけ時間が迫ってくるともう、格好悪いも何も、どうでも良いかと思うようになった。

まったく、死のノートとは、不思議なものがこの世には存在していたものだ。(いや、この世のものではなかったか)名前を書くだけで人が殺せるなんて、いくら考えても解明できなかったはずだ。しかしその自身最大ともいえる謎も解明したし、何よりあんな面白・・・摩訶不思議なものに出会えたのだから、今はこれといって思うことはない。

「あと2分」

また噛み付いたチョコレートは、ぐにゃりと情けなくちぎれた。確実に動いている時計の針に倣うように、時間は確実にこのチョコレートも溶かしているのだ。それだけは誰も変えることの出来ない、動かすことの出来ない絶対的なもの。願おうが祈ろうが、誰にも平等に訪れ、去る。

如何に人という生物が無力か。
人としての存在を終えようとした今改めて思い、喉の奥から上がった笑いがふっと鼻先から漏れた。

「こんなときに笑うなんて、ずいぶんと余裕なのね」

「・・・」

後ろから聞こえた声に、ふと目を大きくして、振り返った。

「・・・」

「それとも、死を前にしておかしくなっちゃった?」

「・・・とんでもない。私は正気ですよ」

「そう?名前を書いたら死ぬノートに自分で自分の名前を書くなんて、とても正気とは思えないけど」

「皆さんが命をかけて取り組んだんですから、私だってそのくらいのことは」
「そのくらい?貴方が命をかけた、ということが”そのくらい”?」

ずいぶん潔いこと。
の嫌味を含んだ言い方に、Lはチョコレートをかじろうとした口を止めて手を下げた。

「私だって捜査員の一人の命と何も変わりないですよ」

「そうね。人の命に違いは無いわ。だからこそ貴方は夜神月を犯罪者と、あのノートを最悪の兵器としたんだからね」

「・・・」

人ひとりの命に違いはない。犯罪に大も小もない。人殺しに正義も悪もない。
その定義を失っては、この事件の解明は出来なかった。

「申し訳ないことをしました」

「誰に?」

「死を予測し切れなかったワタリに」

「貴方が予測できないことは誰も出来ないわよ」

「でもそれ以上に、貴方に申し訳ないことをしました。貴方の死は、まったくの予想外ではなかった」

「・・・そうね」

やめさせようとすればやめさせられた。
守ろうと思えば、守れた。

「でも私はそれをしなかった」

「キラを捕まえなかったら貴方を呪い殺すところだったわ」

「そんなこと出来るんですか」

目を広げてを見上げると、はふふ、と笑い声を上げた。
きっと、生きてる人間の思念が一番強いのだ。
死んで浄化も出来ない人間は未練たらしくこの世に居座るだけだ。

、死後の世界はどうですか?死後に天国も地獄もないそうですよ」

「事件もお菓子もなくて、貴方にはつまらない世界でしょうね」

「それは酷いですね」

「この20日間、何を考えてた?」

「何も。ヘタに事件に首をつっこんで疑問を残したまま死にたくはありませんから」

「それもそうね」

静寂に包まれた部屋。
天井も壁も白ばかりで、その境界線すら朧に混ざる。
目の前に並んでいるスイーツの甘い匂いもしない。



「ん?」

「お願いがあります」

「なに?」

「・・・私に、触れてください」

「・・・」

その存在は、感じるけど、見えないのだ。
今発しているこの言葉もきっと、独り言なのだ。
現実の死を前に、こんな余興をくれるなら、死も悪くない、か。

の手がLの頬に伸びて、輪郭を包むようにそっと添えられた。
それは肌では感じる確かな感触ではないけど、確かに、添えられた。

不思議だ。
皮膚で感じられなくても、添えられていると自覚するだけでこんなにも、愛しさを感じられる。

「貴方の死は私が見届けたんですから、今度は貴方が私の死を見届けてください」

「寂しい人ね、そんなことは生きてる人に頼まなきゃ」

くすくす、
鼻先で確かに、の笑い声を感じた。

「困りました」

「ん?」

「本当にもう、何も望むことがありません」

「きっと綺麗に逝けるわ」

「・・・貴方も一緒でしょうか」

「どうだろう」

それだけが、心配ですね。

「死ぬ覚悟は出来た?」

「何を言ってるんですか。貴方の声が聞こえた時点で、私はもう死んでるんでしょう」

「・・・」

「ひとつ思い残すことがあります」

「なに?」

「現実のうちに、ちゃんと貴方に触れておけばよかった」

「そう」

「こうして触れられたときにはお互い死んでるなんて、悲劇ですね」

「そうね」

「それと、分かったことがあります」

「なに?」

「永遠はありました」

触れている間は、たとえ現実で1秒だろうとそれは、永遠になったのだ。
ああ、それもちゃんと、実証しておけばよかった。
貴方を想うと、未練ばかりです。
もうこの世界に思い残すことは、さほどない。
思い残すはずの貴方が、そっちへ逝ってしまっているのだから。

・・・死神がいたのなら、救いの神もいるかもしれませんね

何を願うの?

永遠なんて長すぎます。



どうかこの永遠に終止符を 限りある愛に幸いを




(・・・結局、死んでも口には出来ませんでした)

(一番伝えなくてはならないことが、あったのですが)