さくら さくら




彼女はいつも、天気のいい日にやってきます。
ほら、今日は小春日和ですから、高い空を見上げながらテクテク歩いてきます。
雨の日は憂鬱で、どんよりした曇り空と薄暗い部屋の中を見ると動く気にすらならないと彼女は言っていました。だから天気の悪い日はいつも寝巻きのままソファの上でダラダラ。食事すら面倒臭がって私のケーキやらクッキーやら紅茶をよく盗み食いしていたものです。
今まで少なからず私と行動を共にした人たちは皆私の行動に疑問を持ったり指摘したり修正を図ろうとしてきましたが、彼女にはこれといって何か言われたことはないし、それどころか自分の愚鈍さが和らぐからと私の部屋に居つくほどでした。

違いますよ
これでも私は仕事をしているのです。部屋に篭って好きなことだけして好きなものだけを食べているように見えますが、人が私に求めてくることには応えているし(興味を持ったものだけですが)、そのためなら外に出向くことだってあるのです(興味を持ったことだけですが)。

ただの趣味も超越すると認められてしまうのね。
天気の悪い日、ソファの上でイチゴを口に放り投げながら言った貴方の言葉は皮肉にも聞こえ、大して関心がないようにも思えました。貴方はただ居心地のいい場所を見つけた気ままな猫のように、私の元へ訪れ居つき、気が向けば寄り添う。私はそれが、嫌いではありませんでした。

そんな彼女も、眩しい日差しが差す天気のいい日は気分がいいようです。きちんと目が覚めて、掃除をしたり溜まった洗濯物を洗濯機に放り投げたり朝から皿を洗ったりするのだから、私よりはずっと行動的だというわけです。私にはよく判りませんが、空がいい感じに青い、日があるらしく、そんな日は外に行こうと誘います。満月が出ている夜も彼女は外へ行きたがります。
何度も言いますが、私は仕事をしているのです。朝も夜も関係なく働いているし突然どんな情報や手がかりが入るかもしれないので外に出るわけにはいきません。そういう私に彼女は

「あらそう」

と、あっけなく私を置いてドアを出て行きます。
そのドアが閉まった後の静けさときたら、ないですよ。時計の針の音すら耳に入ってきます。なのに隣で話しかけるワタリの声は入ってきません。なんということでしょう、私は椅子を立ち上がり外に出て、空を見上げ歩いている貴方の背中を探すのです。

あらそう、なんていわないでください。
私からあっけなく目を離し、あっけなく私から離れていかないでください。
自分がこんなにも寂しがり屋だとは知りませんでした。

、今日は天気がいいですね。
ついこの間まで冬がいつまでも去ってくれず、寒い日が続いていたのに、ほら、もう桜が咲き乱れています。貴方は桜が好きなんですね。そんなにも上を向いて歩いていると、首がもたげてしまいますよ。

春の青空を見上げる貴方も、大きな満月を見上げる貴方も、桜を見上げ歩く貴方も、その目はキラキラと輝いています。天気の悪い日の部屋の中では見られない顔です。そんな貴方の穏やかな笑みが私は好きだったのに、今の貴方はどこか、切ない表情をするのですね。

「ねぇ、空からこの桜はどんな風に見えるの?」

は呟いた。誰宛てかも知れぬ言葉を。
貴方はその言葉が私には届かないと思っているかもしれませんが、私は何でもできてしまう性質ですので、きちんと聞いているのです。そんな寂しそうな顔をしなくても、きちんと届いているのです。

「とても綺麗です。薄紅色の柔らかなじゅうたんのようです」

私の声ははおろか誰の耳にも届かず、ただ浮遊して消える。
、わかってください。自分が発する言葉が届かないと思っていても本当は届いている貴方より、本当に届かない私の言葉のほうが、ずっと悲しいのですよ。

貴方の言葉はきちんと私に届いています。
だから、そう寂しげな顔をしないでください。
貴方の目に映る青空も、満月も、桜も、一緒に見ていますから、毎夜毎夜泣くのはやめてください。貴方の天気のいい日に見える穏やかな笑みが好きだったのです。その顔を消してしまわないでください。

桜を見上げるは、舞い散る花びらにさらわれそうなほど美しくて、その切ない表情がこの世のどんな景色より美しくて、青空も、満月も、桜も、貴方の前では霞んでしまう。

「すきよ、エル。だいすき」

桜の向こうの青空を見上げるは輝けない瞳を揺らしながら、私には一度も言ったことのない言葉を放つ。

「私もです、

世界で一番愛おしい言葉を、私も一度も言えなかった言葉を、この降りしきる薄紅の花弁に乗せて、貴方へ。
お互い、世界でただひとりのために発し、ただひとつのものを求めているのに、出会えないこの言葉たちは、この世のどんな無常より、切ないものです。

愛しています、
貴方の全てを、貴方そのものを。見切りをつけて離れることなど出来ないほどに。

今日は、天気がいいですね、
こんな小春日和は、貴方が外へ足を向ける。
抜けるほどの青空を、吸い込まれそうな満月を、さらわれそうな桜吹雪を、私に見せようと。

見えていますよ、
私にも見えています。私と貴方の間にある、全ての景色。
それでもまた少し、寂しくなってしまったら、私はまたこの想いを雨にでも乗せて、貴方に降らせてしまうでしょう。さくらは春にしか降ってはくれないですから。

空にも、満月にも、コンクリートにも。雨にも、草花にも、お菓子にも。私はいます。
貴方を包む全てのものとなり、いつまでも貴方を想おう。





さくら さくら