花葬




高い高い青空の、流れる雲を見つめていた。
芝生は柔らかいと思っていたのに、首の裏や膝裏に当たる葉はチクチクと刺さってこそばかった。それでも大の字で寝転がっていると視界は空ばかりでふわふわ浮いている錯覚に襲われたのだから、浮いていると言っても過言ではないのではないか。

「あ、ゴメンメロ!」
「バカヤロ、どこ蹴ってんだ」

頭の上の先から遊んでいるみんなの騒ぎ声が聞こえる。近くでボールがドンと弾む音がして、トニックの泣き声も聞こえる。きっとまたメロに叩かれたんだ。いけないメロ。
目に空を映しそんなことを思っていると、その頭の先からかさかさと芝生を踏みしめる足音がこっちにくるのが分かった。その音はたぶんそう遠くない位置で止まって、しばらく止まっていた。きっと、何かに気をとられて戻ることを忘れているんだろう。

「メロ早くー」
「おお」

メロの声が他の声たちより近くで聞こえた。メロがボールを取りに来るなんて、珍しいこともあるものだ。するとまた、さっきよりゆっくりに、さっきよりもっと近くまで、風と共に足音が近づいてくるのを聞いた。

「何してんだ、

青の中を流れていく白があっという間に視界からフェードアウトしていくから予想はしていたけど、風が強いようだ。風にさらわれてバサッと揺れるメロの金色の髪が私の予想を確信に変えてくれた。逆さまに覗いたメロはもうボールを持っていない。メロを急かす声も聞こえない。みんなのほうへ投げたのね、きっと。

?」

明るい日差しが全力で全身に降り注いでいたけど、メロの顔が幾分か近づいたことで影が覆いかぶさった。

「おい、?」

頭の先にいたメロが横へ位置を変えて、逆さまだったメロが今度は90度になった。空の大きな白い雲が太陽光を遮ると、世界はほんの少し暗くなって、そうなると空の雲だかメロの髪だか分からないほどにその2色はしっくりと同調する。

、どうしたんだよ。返事しろって」

降ってくるメロの声が少しだけテンポを上げた。

「おい、どうかしたのか??」

メロの手が顔のすぐ隣に着いて、耳元で草が潰れる音がして、より一層メロの顔がはっきりと見えた。そうして目に映っていた青と白のコントラストはメロ一色となる。メロの温度を持った掌が頬を覆って、風で冷やされた肌に熱が移る。

!」

メロの荒々しい手にぐっと両肩を掴まれて少し背中が上がる。
つられて自然と顎が上がって、髪がサラッと芝生に落ちた。

「ロ、ロジャー!!」

声を上ずらせたメロはすぐに立ち上がってハウスへ走っていこうとした。そのメロの黒い服の裾を、きゅっと掴んでみた。

「え、」

目を大きくさせたメロが掴まれた部分に視を落として、それからまた私を見下ろした。

「ごめんメロ。なんでもないよ」
「・・・」

目を空に向けたままクスクスと口だけで笑うと、しばらく動きを止めていたメロが次第にその見開いた目を元に戻して、少し頬を染めた後、強く握った拳を頭にぶつけてきた。

「いったぁいな」
「何なんだよお前、何してんだよバカ!」

赤らめた頬を隠しながらメロは暴言を吐き捨てる。

「メロ?どうしたのっ?」
「なんでもない!こっち来るな!」

おそらくメロが張り上げた声を聞きつけた先生が心配してこっちへ来ようとしていたようだけど、メロがとめた。きっとメロの頬はまだほんのり赤いんだろう。軽やかな体をどさっとそこに落として、メロはまだ怒った顔で膝に立て肘をついて私を見下ろした。

「で、何してんだよ」
「死体ゴッコ」
「・・・変人」

未だ目の前を見つめたままの私にメロは小さく吐き捨てる。
違うの。最初は本当にただ寝転がって空を見ていただけなの。でもそうしてるうちにだんだん心が風に乗って、雲と一緒に空の彼方へ流れていってしまったのね。すると周りの音も遠くなって、ああ、死ぬってこんな感じなのかしら、って思ったら勝手に体が動かなくなっちゃったの。心のない体ってただの器なのね。

「人って不思議だわ」
「不思議なのは人じゃなくてお前だ」
「失礼ね」
「いい加減その瞬きもしない顔やめろ。気持ち悪い」
「突然死なら目を瞑る暇もないのかと思って」
「死ぬ時は目を閉じて死ね。第一発見者のために」
「そうね、努力するわ」

目を開けたまま微動だにしないなんて、見るからに死体だものね。きっと見た人は寝覚め悪いわ。いざと言う時は目を閉じましょ。ああ、ひとつ勉強になった。
そうして静かに瞼を下ろした。 乾いた目玉は冷たくて、瞼の裏にヒヤリと刺さる。
涙が自然と滲んできて、必死に目玉を潤そうと働いた。
・・・ああやっぱり、生きてるんだ。

「楽しいか?それ」
「そう聞かれると困るわ。でもいい予行練習にはなったかも」
「死ぬ予定でもあんのかよ」
「・・・ないわね、自然死する時まで。でもいつ来るかわからないし、備えあればってやつかしら」

瞼を閉じてもこの世は完全な闇にはならなかった。
瞼越しでも強靭な太陽光は見えたし、僅かな合間から入り込んでこようともしてくる。

「ねぇメロ」
「ん」
「弔ってよ」
「・・・。何がいい?」
「そうね・・・。土葬は嫌だわ、暗いところは好きじゃないし」
「じゃあ燃やすか」
「灰になるは寂しいわね」
「我侭な死体だな」
「メロは何がいい?」
「そーだなぁ。宇宙葬なんてどうだ。ポッドに入って宇宙に飛ばして永遠に彷徨う。真空だから腐らないんだ」
「へぇ、ずっと綺麗なままか。それいいわね」
「まず綺麗なうちに死ななきゃな。よぼよぼの婆さんの姿じゃ燃やしたほうがマシだ」
「ふふ」

やっぱり風が強いのか、細かな芝生の草が飛んで頬に当たる。口唇に張り付いた草を感じたけれど、すぐにとれた。あたたかくてやわらかい感触も一緒に触れたからきっとメロが取ってくれた。
目を閉じてみると、視界からの情報が減った分、耳や鼻や肌が余計に敏感に働いている気がする。体中の神経が研ぎ澄まされていると、隣に感じていた存在が衣擦れの音と共になくなった。メロがどこかへ行ってしまったようだ。

取り残された遺体は寂しいものだった。
誰にも気づかれずに、弔われずに朽ち果てていくのは悲しい、と知った。
もしかしたら人は、誰か看取って弔ってくれる人を探すために生きているのかもしれない。だとしたら誰が私を弔うのだろうか。

死んでからしか分からないなんて、皮肉だわ。
なんて、生きてる間にそれを知りたいと思うのはエゴかしらね。

「・・・」

また一度風が体の半分を撫ぜていくと、パラパラと何かが降ってきた。
冷たくはないし消えてもいかないから、雨ではない。まだ頬や前髪の上に残っている。
ひくりと動いた鼻で感じた匂いは、ヘザーの花の香りだった。
この花が豊かな国でどこかしらに咲いている花。その小さな花がパラパラと無数に降ってくる。

「・・・メロ?」

花に混ざって戻ってきた、メロの匂い。

「花葬」
「かそう?」
「これで弔ってやるよ」

パラパラと降り続けるそれに、埋もれていく気がした。
香りがあまりに全身を包むから、埋もれて沈んでいくかと思った。
ヘザーに埋もれて死ぬのも、いいかもしれないね。
・・・ああ、死んでからの話だったわね。

皮肉だわ。

最後の花が首元に落ちて、とうとう降り切ったかと思ったら、最後にふわりと口唇に降ってきた。ヘザーよりももっともっと甘い、チョコレートのフレバーだった。
思わずぱちりと目を開ける。

「・・・生き返るなよ」
「・・・」

目を開けても空を映さなかった、十分に生気を含んだ私の目は、メロの深い紺色の瞳だけを映した。でもその視界はメロの掌によってすぐに闇へと戻された。瞼の上からメロの手の重みと温度が沈んできて、またそっと弔われた。

音もある光もある世界で贈られた、メロの弔いの口付けは冷たくて
死んでいるのは私か、それともメロか、分からなくなった。
ただひとつ確実なことは、次第に深く口付けるメロと、その口付けに応えたくて堪らない私は、まだこの偽物の闇の中で、生きているということ。

それだけ。





花葬



(私がいなくなっても、貴方の口唇に温度はあるかな)